骸を狩る

茶竹抹茶竹(さたけまさたけ)

第1話

 横殴りに吹き付ける砂の混じった風。一粒一粒が熱を帯びて私の頬を打つ。口元を覆うストールの隙間から口の中に砂が入り込む。それに辟易していると、ようやく風が止む気配があった。

 乾いた粒子が太陽光を照り返す。私は瞬きを意図的に繰り返した。砂塵の向こうから獲物が姿を現す瞬間を逃さぬように。風が止み、砂塵が徐々にその身を崩す。

 接眼しているスコープ越しに、狙っている獲物の姿を捉えた。

 それは「骸(むくろ)」と呼ばれる害獣だった。

 茶毛に覆われた巨躯。概算で体長約七メートル、長く太い尾を除いた胴体部分だけでも三メートル近い。

 他の生物に喩えるならば熊によく似た四足歩行の姿。長い首と流線型の肩のラインからホッキョクグマに近い。引きずっている長く太い尾は爬虫類を連想させる。

 密集した長い冬毛が筋肉質な四肢を覆い隠している。下顎が発達した顔つきは禍々しい雰囲気を放っていた。鋭い牙と爪がその凶暴性を誇示しているようだ。

 そして、その全身には黒い靄を纏っていた。蜃気楼であるかのように揺れ、湯気が立っているかのようにまとわりつく。

 遠く連なった砂丘に影が模様のように並んでいる。それを背にして砂漠の真ん中を骸は行く。

 私の手元には小型の三脚で設置したスポッタースコープがある。地上望遠鏡の一種でありスポッターとは観測手を意味する。狙撃の担い手と行動を共にし、観測や補助を行う立場の人間だ。

 観測手として生計を立てている私は、獲物である骸の仔細を観測していた。レンズ内に表示されている目盛りと照準線を骸の姿に合わせる。

 私は言葉を区切るようにして発声する。伝達する情報に少しでも余計なものを乗せない為に、単語だけを羅列する。

「目標距離五百メートル。正面の枯れ木の左、二メートルの位置。無風。こちらに気付いてる。頭を向けると推測」

「了解」

 私の報告に傍らの彼女、「カンナ」は短い言葉で応えた。

 彼女は砂の上にうつ伏せになって、黒く塗装された狙撃銃を構えている。三十口径のライフルで、その全長は一メートルを超える大型のものだ。レシーバー上部のレイルにマウントされたスコープを覗き込み、その指は引き金に触れている。

 既に骸は射程距離内にある。

 カンナは狙撃手であり、骸を狙って狩りを行う骸狩りである。骸狩りは他の猟師とは毛色が違う。

 骸を狩るという行為は神事の一種とも言えるからだ。故に、通常の獣のそれとは全く違う手段を踏む。

 私達の周囲に奇数個の御幣(ごへい)と御神酒の入った白の陶器が砂に埋もれながら並んでいるのも、その為だ。テント用のペグを流用して竹を立て、間をしめ縄で結び私達の四方を囲って斎場と結界に見立てている。盛り塩もあったが砂に混じってどこかに消えた。

 カンナが着ている巫女装束はとっくに砂にまみれて、鶴の刺繍も見えなくなっているが払う素振りもなかった。薄汚れた赤と白の装束の上に、榊の葉を編んだ合羽をギリースーツのように纏っている。

 カンナは狙撃体勢に入ったまま身動き一つ取らず、祝詞をぶつくさと口にした後、私に言う。

「骸との角度が悪い。二発使う」

 それを踏まえて骸の動きを注視する。骸は私達に対し身体の側面、右側を向けている形だ。心臓の位置は左側。急所の一つである心臓を直接狙うには、堅牢な肋骨と肩の骨が障害となる。

 昔組んでいた骸狩りが言っていた。骸狩りは、見た目のみならず熊に似ていると。

 骸の急所は三つ。額、喉、心臓だ。硬い頭蓋骨を避け額は真正面から狙う。喉は柔らかいが角度が難しい。心臓は肋骨に阻まれぬように左側から。

 私達と骸の間に射線を遮る物は何も無い。砂と枯れ木ばかりだ。

 それは狙撃のし易さを扶けると同時に、骸に私達の位置を教える。速やかに仕留めることが出来なければ、興奮し激昂する骸の突進を防ぐ術もないということだ。

 骸の走行速度は時速八十キロ前後。一トン近い体重の巨体とまともに相対すれば死は避けられない。

 故に、私はただカンナを待つしかなかった。

 その宣言通り、二発で仕留めるのを信じて。

 カンナは急所の一つである額を狙い撃つ機会を待っているようだ。骸は頭をこちらに向けてはいないが、私達の存在には気が付いている。骸の縄張りに侵入した私達を、その習性から警戒している。

 今は地面に向けているが、その頭を私達に必ず向ける。そんな確信があった。

「動く」

 その一瞬が不意に訪れる。私は声を絞り出す。スコープの向こうで骸が、その頭をこちらに向けた。窪み濁った骸の眼がこちらを捉えたと確信する。

 骸が身体の向きを変えようと動く、その刹那。

 轟音が響き渡る。聴覚保護用イヤーマフ越しにでも聞こえる激しい銃声。音が衝撃となり空気を揺らし私の肌を打つ。

 骸の額に弾丸が撃ち込まれたのが見えた。私は事実をカンナに伝える。

「命中」

「分かってる、即死じゃない」

 カンナは半身を起こし、銃身後方から手早く次弾を装填する。体勢を戻し狙撃銃を構え直す間、骸の動きを私は実況する。

 骸の体勢が崩れた。撃たれたことで悶絶している。

「額を撃たれて体勢を崩す。まだ生きてる。前足の動きが悪い。しかし踏みとどまる」

「前足付け根を通して心臓を狙う」

 骸の頭部は非常に堅牢だ。急所の額であっても、この距離であれば一撃で仕留め切れない可能性があった。

 それはカンナも承知している。

 故に二発だ。額を撃たれた骸が動くことで、その体躯の向きが変わる。比較的骨の少ない前足の付け根付近から心臓に弾丸を通すのが彼女の狙いだった。

 再びの銃声。行った狙撃が非常に難易度が高い方法であることを忘れてしまうほど、簡単に鮮やかに。

 次弾が骸を正確に撃ち抜く。お手本の様な狙撃であった。

「命中。絶命に至ると推測」

 骸の外皮が破れ赤い飛沫が舞う。砂の上にその巨躯が倒れると銃創から血が溢れ出る。骸が纏っていた黒い靄が宙を漂う。

 骸は最期の力を振り絞るように猛り吠える。その声は黒い靄を伴って、音速を目に見える形にする。 

「来る」

 黒い靄が私達の居る場所へ到達した。

 それと同時に、周囲に設置していた神具の類が弾け飛ぶ。陶器は割れて中身の御神酒は飛び散り、御幣は真っ二つに折れた。しめ縄がほつれて糸に変わる。

 カンナが身に付けていた幾つもの御守が、何に触れた訳でもなく、まるで身を捩るかのようにしてねじ切れていく。内符の木札が圧し折られて飛び出した。表面に朱で印された神璽(しんじ)の上に、塗り潰すようにして禍々しい紋様が浮かび上がっていく。無惨な姿となった御守りが周囲に散乱した。

 それらの超常的な現象を前に顔色一つ変えることなく。

 カンナは只一言、終わったと呟いた。

 そう、骸は死んだ。急所を撃たれて。その最期の瞬間に、力の全てを振り絞り、この現象を引き起こしたのだ。

「セラ、手を貸して」

 カンナに名前を呼ばれて私は立ち上がる。手を貸し、その身を起こしてやる。強く引っ張れば吹き飛んでしまいそうな華奢で軽い身体だ。

 カンナの巫女装束を手で叩いて砂を落としてやる。乾燥した砂は簡単に滑り落ちていく。彼女が束ねていた長い黒髪を解くと入り込んでいた砂が散った。

 砂に埋まった私達の荷物を掘り起こす。バックパックの中からステンレスの携行缶を取り出すと、骸の死骸の方を指差してカンナは私に言う。

「御神酒を撒きに行く。それで終わり」

 古来より日本では神仏の力を借りて不浄なものを祓ってきた。骸を狩るのも同じだ。神具と銃で撃ち殺し、清めてその穢れを落とす。

 それが骸狩りの御祓いだった。

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