窓際のハーデンベルギア―2

 つまり、抜け出すってこと? ふたりで?

 これはもしかして、噂に聞く「お持ち帰り」ってやつ?

 ちょっと待って。こんなにスムーズに誘うなんて、もしかしたら慣れているのかな。そうよね。浅尾さんって独特の雰囲気があって、かっこいいものね。


 え、どうしよう。つまり、そういうことだとしたら。私、初めてなのに。初めてが合コンでのお持ち帰りってアリ? いや、ナシ。いくらなんでも、それはナシでしょう。

 キスどころか、男の人と手をつないだことだってないのに。いきなりそれは、絶対にナシだわ。

 

「……まぁいいや。どっちにしろ、オレは途中で抜けるって最初から言ってあるし。ついてくる気があるなら、10分後に隣のコンビニに来てよ」


 突然の誘いに、どう答えるのが正解なのか考えて沈黙していると、浅尾さんはそう言って立ち上がった。


「悪い、そろそろ帰るわ。明日早いし」


 女子たちが一瞬、驚いた表情を見せる。浅尾さんが言った通り、男性陣はあらかじめ聞いていたような反応だった。


「ごめんね。また機会があれば遊ぼう」


 幹事の男性に会費を払って、浅尾さんはあっさりと帰ってしまった。


 ほかのみんなは特に気にすることなく、おしゃべりを再開している。え、合コンの途中で帰るのって、普通なの?

 ていうか、本当に行っちゃったんだけど。


 こういうときって、どうしたらいいのかな。トイレに行くふりをして抜け出す? でも、絶対に怪しく思われるよね。

 ちょっと待って、なんで浅尾さんについていく前提で考えているの? お持ち帰りなんて、そんな軽薄な行為はダメでしょう。それにあの人、ちょっと怖いじゃない。


 ……だけど、この機会を逃したら、浅尾さんにはもう二度と会えないかもしれない。連絡先だって知らないんだから。

 初めての合コンで一切収穫なしだなんて、それも嫌。ほかの男にはまったく興味が湧かないし、このまま合コンが終わるまで不毛な時間を過ごす?


 気がついたら、一番端にいた男性が私の隣に座っている。なんかいろいろと喋っているけれど、時計ばかり気にしてしまって、まったく耳に入ってこない。そもそも私、この人の名前すら覚えていないんだけど。


「ちょっと、お手洗い行ってきますね」


 浅尾さんが帰って5分くらい経ったとき、思わずそう口走っていた。


「あ、私も行く」


 向かいに座っていた、友人の七海も立ち上がる。

 あぁ……やっぱりなぁ。女子って、どうしてこうも連れだってトイレへ行きたがるのかな。


 でもここで断ると余計に怪しいかもしれないし、とりあえず七海と一緒にトイレへ立つことにした。


「ちょっと、お腹が痛くなってきちゃって……」


 そう言って、私はとりあえず個室に入った。手鏡を取り出してメイクのチェックをしながら、抜け出す言い訳を考える。

 早くしなきゃ。10分過ぎちゃう。


 女性相手に言うなら、やっぱりこれしかないかなぁ……。


 リップを塗り直し、意を決して個室を出る。そして、洗面台でメイクを直している七海に言った。


「生理きちゃった……」

「え、マジで。持っていないの?」


 いわゆる女子力が高い子なら、予定日に関係なく生理用品を持ち歩いている。でも七海は、そういうタイプじゃない。それは分かっていた。ちなみに、私はいつもポーチに入れている。

 

「うん、いつも持っているんだけどね。今日は入れていなかったみたい。隣のコンビニで買ってこようかな……」

「行ってきてあげようか」

「ううん。せっかくの合コンなのに悪いよ。ていうか、お腹痛くて具合が悪いし、私このまま帰らせてもらおうかな。みんなには申し訳ないけど……」


 そもそも、この合コンをセッティングしたのは七海なわけだし。わざわざ人の生理用品を買いに行くなんてことはさせられない。嘘をついているわけだから、なおさら。


「そっか……いいよ、みんなには適当に言っておくから。ひとりで大丈夫? 荷物は持ってきてる?」

「うん、ありがとう。とりあえずコンビニに寄って、そのあとはタクシーを拾うから大丈夫。七海は最後まで楽しんでいって」


 我ながら、具合の悪い演技は上手い。七海の返しも、予想通り。大ざっぱな姉御肌タイプで、人の世話を焼きたがるんだもんね。ありがとう七海、ごめんね。


 七海に会費を渡して、私は急いで店を出た。


 ドキドキしているのは、うしろめたいからじゃない。もしかすると、なにかがはじまるかもしれない。少しだけ、そんな予感もしていたから。


「お、来た」


 浅尾さんは、コンビニの前で煙草を吸っていた。あ、この甘いバニラみたいな匂い。煙草の香りだったんだ。

 それにしても、絵になりすぎじゃない? 煙草は嫌いだけど、不覚にもかっこいいって思っちゃった。

 

「……来るって思っていました?」

「半々ってとこ。来てくれたら嬉しいなとは思っていたから、10分が長く感じたな」


 やばい。キュンとしてしまった。

 それでも、エッチなことを期待しているのだとしたら、やっぱりちゃんと断らなくちゃね。会ったその日に、なんていうのはさすがに無理だもん。

 

「あの、別についていくって決めたわけではないので。ば、場所によるというか。それによっては、ここで帰ります」


 一応、毅然とした態度で言ってみる。

 すると浅尾さんは、コンビニの灰皿に煙草を捨てて私をじっと見下ろしたあと、にやりと笑った。

 

「……なんか、やらしいこと考えてない?」

「かっ、考えてないです!」


 脊髄反射のように慌てて答えると、浅尾さんが吹き出した。

 

「顔、真っ赤。可愛いな」


 これは女慣れしてる。この人は、絶対「そっち側」だ。

 可愛いなんて言われ慣れているのに、相手が浅尾さんだと心臓がうるさくなってしまう。きっと、この声と色気のせいだわ。

 

「愛茉ちゃんって、処女だろ?」

「えっ⁉」

「図星か。こういう勘は当たるんだよね、オレ」


 あ、カマかけられたんだ。

 別に処女がバレるのはいいんだけど、そんなの初対面の女の子に向かって言う言葉じゃないと思います。


「安心してよ。いきなり処女に手出すほど、鬼畜ではないつもりだから。いまは、性欲より食欲を満たしたくてさ。ラーメン、食いに行こうぜ」


 ひとしきり笑ったあと、浅尾さんが言った。


 ……ちょっと待って。合コンに行って、こんなに可愛い女の子と抜け出して、行き先がラーメン屋?


 普通は、もっとオシャレなお店じゃないの? カウンターのあるバーとか……いや、お酒はまだ飲めないけど。

 それとも、都会の人ってこうなの? これがスタンダード?


 私の戸惑いを見透かすように、浅尾さんがまた意地悪な視線を向けてきた。

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