フリップ・ブック

雨宮羽音

フリップ・ブック

──夢を追うのは難しい。


 僕は漫画家を目指していて、いつだって袖を鉛筆の煤で汚している。

 絵の勉強がしたくて、そこそこ有名な美術大学に進学した。だけどそれは──間違いだったのかもしれない。



 自室の机に積まれている大量の封筒。

 B4サイズのそれらには、様々な選考や出版社に送った僕の漫画の残骸が封印されている。

 これ見よがしに書いた大きなバツ印は、二度と中身が出てこないように記したおまじないだ。


 最近は何をやっても楽しくないし、うまくもいかない。

 学校の成績はイマイチだし、バイト先でもつまらないミスばかり。

 気晴らしに漫画を描いてはみるものの、自分が生み出したはずの作品なのに、ダメ出ししたいところが多くなりすぎる。

 自己満足すら出来なくて、完全にスランプ状態だ。


 そして──幼馴染の恋人。

 彼女とも……喧嘩をしてからは顔を合わせていない。


 なぜ、僕と仲がよかったんだろう。

 そんな風に思えるほど、彼女は気の強い女の子で、そしてすっかり愛想を尽かされたに違いないのだ。


 それもそうだろう。

 上手くいかない事が多くて、イジイジといじけ虫になっている男なんて、別に他の誰かだったとしても嫌気が差すに違いない。


 ああ、やっぱり何もかもがマイナス思考になってしまう。

 もはや漫画だけでなく、人生の方だってスランプ突入なのだ。



 ため息を吐き続けながら、僕は自宅のポストを漁りに出る。

 またバツ印を書かなければならない封筒が、今日はどれだけ返ってくるのだろう。


 そう思いながら蓋を開けて──気になる1通の郵便を見つけた。


 手に取ると、それは封筒だが、僕が普段使っている物ではなかった。

 中に何か小さなものが入っていて、やや厚みがある。送り主の名は書かれていない。


 いったいなんだろう。

 普段は返送以外の郵便など、あまりこないのに……。



 部屋に戻り中身を確認する。

 縦長の茶封筒から出てきたのは、表紙がピンク色をした、どこか可愛らしいデザインの掌サイズのメモ帳だった。

 なんだか不気味さを感じてしまい、恐る恐る手にとってみるが、特に変わったところは見当たらない。いたって普通のメモ帳だろう。


 僕はおもむろに表紙をめくり、最初のページを開いてみた。



 女の子の絵が描いてある。

 下手くそなデフォルメで、まるで毛糸の縫いぐるみでも描いたようなタッチだ。


 その女の子をよく見てみると、どことなく見覚えのある人物だと分かった。

 ふんわりとウェーブがかった長い黒髪に、特徴的な外はねの癖毛。

 そして、既視感の決定打になったのは、これ見よがしにぶら下げられたカバン──に付いているキーホルダーだ。

 それは僕が彼女とお揃いで買った、思い出の品というやつだ。


(なんだよこれ……)


 困惑しながらも僕はページをめくる。

 次のページも、そのまた次のページも、同じ絵が描かれていた。


 いや、よく見ると踏み出している足が左右逆になっている。

 もしや──と思い、メモ帳のページを親指で押さえて、パラパラ漫画の要領で順にめくっていった。


 まるでアニメーションのように、カクカクと動き出す下手くそな絵。



 メモ帳の中にいる彼女は、ルンルンとご機嫌な様子で歩いている。

 そのうち背景が現れて、どことなく、買い物に出掛けている雰囲気を醸し出し始めた。


 すると突然展開が変わる。

 端から黒い人影が現れたのだ。


 覆面を被ったいかにも悪そうな奴だが、その両手にはなんと、包丁とピストルらしき物を握っていた。


 彼女に忍び寄ると、あら不思議。

 あっという間に縄でぐるぐると縛られて、彼女は両眼をバツ印にして舌をだした顔になる。


 覆面は勝ち誇り、$マークの付いた袋を片手に、チョイチョイと──見ている僕に寄越せのジェスチャーをして見せた。


 そして最後のページには突然、文字が書かれている。


〝送金は××市〇〇町◇◇へ〟


 こちらは絵のお粗末さと違い、随分と綺麗な字だ。



 これは……誘拐? 身代金要求?

 そんな風に解釈できたが、思いのほか焦りは無かった。


 さて、いったいなんなのだろう。

 犯人はどんな気持ちで、この可愛らしい犯行声明を描いて寄越したのか。

 こういう場合、とにかく警察に連絡したほうがいいのだろうか。


 いやしかし、うーむ。


 ──とりあえず。

 とりあえずだ。返事を描いてみよう。

 相手のペースに合わせて。こちらもパラパラ漫画を送り返そう。


 そう思い立ち、僕はその辺から適当なメモ帳を用意した。



 まず、困り顔の僕を描く。


 ゴソゴソとポケットや棚を漁らせて。


 ガックリと落ち込ませる。


 お札に羽を生やして、天使の輪っかも付けて、僕の元から飛んで行く。


 そして最後には涙を流させて。土下座のポーズ。



 ──よし、出来た。

 結構うまく描けた気がする。

 少なくとも、犯人より画力は上だ。


 あとはこれを指定の住所に郵送して、様子をみるとしよう。




 不思議と、返信が来るのを楽しみにしている僕がいた。




 二日後にはポストに見慣れない封筒が入っていた。

 中身は予想通り、これまた可愛らしいメモ帳だ。

 僕はさっそくパラパラ漫画の要領で内容を確認する。



 覆面の人影が、ポストのようなものを漁っている。

 そして取り出したものを、どうやらめくっているらしい。

 僕の返信を読んでいるのだろう。


 人影は高らかに笑った。人相は覆面のデザインなのに、分かりやすく笑顔だ。

 僕の返信をこちらへ突き出し、赤ペンで花丸を書いてみせる。

 どうやら褒めてくれてるみたいだ。


 覆面が僕の返信を封筒にしまい直す。

 そしてそれを持ったままトコトコ歩き出し、大きな建物に向かっていく。

 凸型をした建物の看板には、〇〇社──大手の漫画出版社だ。

 そこへ向かって封筒を投げ入れた。


 場面が変わり、気難しそうなメガネのおじさんが現れる。

 受け取った封筒の中身を見て、驚いた顔をした。

 すぐさま駆け出し、そして──。


 僕が登場した。

 短い髪に、やつれた顔。

 下手くそな絵のくせに、それが僕だと分かる特徴は捉えていた。


 メガネのおじさんが、僕に何か描かせている。

 僕が一生懸命に描いていると、その背景にコインの絵が積み上がっていった。

 次第に僕の顔に精気が戻り、笑顔になっていく。


 そこで覆面が再登場して、背景のコインを袋にせっせと詰め込み始めた。

 最後にこちらを見て、いやらしい笑みを浮かべる。


 そこでページは終わりを迎えた。



 なんだろう。

 このメモ帳を送ってきた犯人、どう考えても僕のことを知り尽くしている感が拭えない。

 その辺の違和感を隠す気は無いのだろうか。


 というか、送られてきたこのパラパラ漫画、いくらなんでも手が込みすぎだろう。

 二日で仕上げてくるとか、とんだ大作だと思う。


 しかし──釈然としない。

 伝えたいことは分かるけれど、その内容はあまりに短絡的だ。

 僕のことを知っている風なのに、僕がぶつかっている現実には、まるで目を向けていないと感じてしまう。


 なんとかして、分らせてやりたい。

 そんな反骨精神が、僕に筆を取らせた。



 新しいメモ帳に、漫画をく僕をえがく。


 それを持って──〇〇社へ。


 メガネのおじさんを描き、その人に僕へ向かってガミガミとダメ出しをさせる。


 打ちひしがれた僕は、マッチ売りの少女みたいに、作品を見てくれと路頭に迷う。


 だが差し出されるたくさんの手は、全てが僕にノーを突きつける。


 そうして僕は……涙を流して……。


 最後はお手上げのポーズ。

 侍の格好をさせて、お手上げ侍──なんてね。



 最後はおちゃらけてみせたが、その実──これを描いていて、心が痛んだ。


 机の上に積まれたバツ印の封筒の山を見る。

 これが僕の現実なのだ。



 これでもくらえ! の精神で、僕は手紙をポストへ投函した。




 ──数日の間があった。

 もう返信は来ないのでは無いかと、そう思い始めていた。


 封筒が届く。


 中には2冊のメモ帳が入っていた。

 それぞれに1と2の番号が振ってある。順番通りに読めということだろう。


 とりあえず、1冊目をめくる。



 彼女が描かれている。

 その表情は暗く、涙を流していた。


 すんすんと泣きじゃくる彼女の隣に、僕が現れる。

 その手には一冊のノート。手渡しすると、彼女が中身を読み始めた。


 溢していた彼女の涙が、さらに大粒の涙へ変わっていく。

 顔を歪ませて、ぐしゃぐしゃにして、だけど──泣きながら、笑っていた。


 彼女は僕のノートを胸に抱き寄せ、大事そうに、安らかな泣き顔で微笑んでいる。



 メモ帳を閉じる。

 1冊目はそれでお終い。

 今までと比べて短い内容だったが、しかし──目の奥にじんと来るものがあった。


 そんなこともあったな。

 なんて、感傷に浸る。


 昔、彼女が落ち込んでいた時、元気付けてあげたくて……どうにか笑ってもらおうと、面白おかしい漫画を描いて渡した記憶がある。

 あの時の彼女は──確かに、こんな風に笑ってくれたかもしれない。



 2冊目を手に取る。



 僕が漫画を描いている。

 汗のマークが飛び交い、きっと一生懸命なんだろうと分かる。


 それをポストへ投函。

 そこから、メールの送信画面みたいに紙飛行機が飛び立つ、洒落た演出。


 途中で紙飛行機が分裂して、色々な方向へ飛び立つ。


 受け取ったのは子供達だ。

 男の子から女の子まで、さらには大人や老人らしき人も。


 みんなが笑顔になる。


 子供も大人も、みんなが僕の漫画で幸せそうな顔を──。



 水滴を垂らした絵。


 いや、これは僕の涙だ。

 ページをめくる指は止めてしまったのに、どうしてか溢れる涙は止められなかった。


 まだ──ページは残っているのに。



 数ページ後から、急に場面は変わった。


 彼女が描いてある。

 今までの縫いぐるみみたいな絵ではなく、割とリアルなタッチの絵だ。


 それでも動きは漫画寄りだった。

 プンプンと怒った素振りをしていて、リアルタッチには少々不釣り合いな気もする。


 そのまま彼女は口を動かし始める。


 声は聞こえない。

 だけど、ゆっくりと発音を形作る口元から──。


「あ・き・ら・め・る・な!」


 最後に、あっかんべーのポーズをして、ノートのページは終わりを迎えた。



 ああ。

 もう、本当に。なんなんだろう。


 止め処ない涙が溢れるのは、自分が情けないからだろうか。

 それとも後悔か。

 こんな風に慰められるような失態を、見せてしまったことが許せないのかもしれない。



 返事を描く。

 ガリガリと、シャカシャカと。

 だけど丁寧に、気持ちを込めて──。

 


 どれくらい時間をかけてしまったか分からない。

 それでも、僕は出来上がったものを持って家を飛び出した。



 そうして、隣の家へ。

 僕の家と同じような形をした、庭のある一軒家だ。


 メモ帳を郵便受けに突っ込んでから、バシッと顔を叩き、自分に喝を入れる。

 それからおもむろに呼び鈴を鳴らした。


 少しして、玄関の向こうから声が聞こえてくる。


「はーい……げっ」


 扉が開いて中から彼女が現れる。

 顔を合わせて早々、彼女は苦虫を噛んだ様な顔になって、そのまま扉を閉めようとした。


 僕はそれを寸前で、なんとか無理やり阻止してみせる。


「ねえ、なんで誘拐されてる人が自分の家にいるのさ」


「ゆ、ゆゆ、誘拐? な、なんのことかさっぱりわからないんですけど……」


「てゆうかさ、バレないと思った?

 最初に送られてきた送金先、隣の家の住所だったんだけど……」


 最初からずっと分かっていた。

 いままでのやりとりがとんだ茶番だったのも。

 パラパラ漫画を送ってきた犯人が、彼女だということも。


 絵だって字だって、よく見覚えのあるタッチだった。


「ふん、なによ。

 それで文句の一つでも言いに来たってわけ?」


 その態度は実に──絵に描いたような、つっけんどん。

 幼馴染なのだから、彼女が気の強い女の子なのは当然知っている。

 しかし、パラパラ漫画の中にいた彼女は、もう少し可愛げがあったんじゃないかとも思う。


 そして当然、僕は彼女に文句を言いに来た訳では無い。

 ただちょっと……顔が見たくなっただけだった。


「んー、なんだろ。

 なんていうか……とりあえず、漫画描きたいから帰るわ」


「はあ? 何しに来たのよ!」


「別に……郵便出すついでに、なんとなく寄ってみただけ……それじゃあな」


 そう言い残して、僕は彼女の家を後にした。





 1人残された女の子は、言葉に出来ない苛立ちにドカドカ足音を立てて歩き、乱暴にポストの中を漁った。


 ひとつだけ入っていた封筒の中身は、彼女の予想どおり小さな手帳だった。

 その場でおもむろに端へ指をかけて、パラパラとめくってみる。



 恥ずかしそうに視線を逸らした「彼」が描かれている。


 いつまでもうじうじと、それでいてそわそわとした様子の彼だったが、不意にその口が言葉を形作った。


 ゆっくりと、読み手にはっきり伝わるように──。



「あ・り・が・と・う。だ・い・す・き!」



 なぜだろう。

 ただ絵をみていただけなのに──憤りなんてどこかへ消えて、暖かい気持ちが胸の奥から湧いてくる。



「言いにくいこととかさぁー!」



 その突然の声に驚く。


 見れば彼が、隣の家の塀から上半身を覗かせてこちらを見ていた。


「ぜーんぶ伝えられるんだから、やっぱ漫画ってすげーよな!」


 彼の行動に、思わず文句の一つでも言ってやろうかとして、しかしそんな気はすぐに無くなった。


 なぜならば彼は、ニシシと──絵に描いた様に、朗らかに笑っていたから。





フリップ・ブック 完

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