教室で女の子に話しかけられたら

二晩占二

第1話 温帯低気圧と襲撃、そして俺たちの逃亡

 誰もいない教室のにおいが好きだ。

 と、いうわけでもなく。


 その日、俺はなんとなく早起きをした。そしてなんとなく早く家を出て、なんとなく早く登校した。


 誰もいない教室は静かで、いつもより温度が低く感じる。

 当然、話し相手もいない。スマホもロッカールームにおいてきた。

 暇をもてあます。

 ぎったんばったん、椅子を揺らす。


 すると、音を立てて教室のドアがひらいた。

 ドアの陰から、ひとりの女子が教室へ入ってくる。


 西原コムギ。

 優等生だが、気が強い。


 つかつかと俺の席めがけて一直線に歩いてくる。

 そして、言い放った。



「温帯低気圧」

「……え?」



 突拍子もない西原の発言に、ぼうぜんとする。

 温帯低気圧? 台風?

 なんと返事をしていいのか分からず、西原を見つめる。


 彼女はしばらく俺を見おろしていた。

 が、何も言わない俺に腹を立てたのか、眉間にしわを寄せて不機嫌そうに背を向けた。


 西原が靴を鳴らしながら去っていく。同時に、同級生たちが登校をはじめた。

 ぼうぜんとしている俺をよそに教室は賑わっていく。

 担任が入ってきて、普段どおりの一日が始まった。


 チャイムが鳴り響く。




 朝読書をやりすごし、ホームルームが始まった。

 担任が早口にまくしたてる連絡事項を聞き流す。


 長い。

 早い。

 わかりにくい。


 担任のトークスキルに心の中で文句を言いながら頬杖をついていると、ふと、窓際の西原と目があった。こちらを振り返り、口をパクパク動かしている。


「王太郎」


 西原の口の形が、俺の名を呼んだように見えた。

 何だよ急に呼び捨てかよ。お前、俺のこと好きかよ。

 などと、妄想で口元がにやけそうになるのをこらえる。


 西原は自分の顔の真よこに手のひらを広げた。

 一拍おいて、親指を折り曲げる。

 次に、小指。


 カウントダウン、だろうか。


 彼女の小さな手でつくられる形が、数字を表していることに気づいた。徐々に、その数が減っていく。


 五、四、三、二、一。

 何の合図だ?



 などと考えながら見ているうちに、正体不明のカウントは終わった。

 と同時に、西原は勢いよく立ち上がる。


 彼女の奇行で早口をさえぎられた担任が、指導をふりかざす。



 ――よりも、早く。



 轟音が耳を襲った。

 校舎が大きく揺れて、窓ガラスがいっせいに割れた。

 火災報知器が鳴って、どこからともなく悲鳴が輪唱した。


 あちらこちらでパニックが巻き起こる。

 俺も例外ではない。あたふたしながら、机にしがみつく。


 ヤバいヤバいヤバいヤバい何だよこれ地震かよ大地震かよ南海トラフかよ。いやまさか隕石衝突? それとも富士山噴火? わけわかんねえ。何だよ何だよ何なんだよ。


 などと、心の声で慌てふためく。

 担任が、机の下に身を隠すよう指示を出した。みんな、これまでになく従順に行動する。

 俺も今日ばかりは言う通りにしよう。

 と、椅子から腰を浮かした、そのとき。


「行くよ、王太郎」


 俺の手首を、西原がつかんだ。

 勢いよく教室の外へ向けて走りだす。

 不安定な姿勢だった俺はヨタヨタと、ひきずられるようにして西原のあとに従う。


 なんだコイツ、今日ヤバくね? 変じゃね? 昨日までほとんど喋ったこともなかったじゃん、俺ら。てか、やっぱ呼び捨てじゃん。好きなん、俺のこと?


 心の声はあいかわらずやかましかったが、実際に口から出るのは「うおっ」とか「やべっ」とか「ひゃあっ」とか何の情報も含まない叫び声ばかり。

 ようやくまともにしゃべれる状態になれたのは、教室を出て数歩、徐々に校舎の揺れが少なくなってきてからだった。


「い、いい、今の地震、やばかったな。と、ところで西原、おまえいったい何を――」

「右」


 会話のキャッチボール、失敗。どもりながら話しかけた俺の言葉に、西原が投げ返したのは真っ赤でずしんと重たい塊。廊下に常設されている消火器だった。


「お、重っ! 危なっ! 西原、いったい何を――」

「右、おねがい。くるよ」


 ふたたびキャッチボール、失敗。

 西原は右手ですばやく数字をつくり、カウントダウンする。

 三、二、一。

 さっきとは異なる轟音。甲高い振動音とともにショッキングピンクのレーザービームが廊下の突き当りを真っ二つに切り裂いた。

 一拍おいて壁が崩れ、向こう側からふたりの人影が乗り込んでくる。


 ……人影?


 あれは、人か?

 バランスボールみたくまんまるに太った巨体。

 ごま油を頭から被ったかのように、ぬるぬるした体表。

 小山みたいにぽこんと飛び出た頭部には、ひとつの大きな目。ショッキングピンクに輝きながら、こちらを睨んでいる。


 ふたつ並んだ巨体のぬるぬる魔人が、俺たちめがけてぬめりぬめりと這い寄ってくる。


「うわっ、うわああああああああっ! 何だ何だ何だこいつらあああっ!?」


 考えるより早く、言葉が口から飛び出てくる。

 消火器の栓を抜く。

 白い薬剤が勢いよく噴射されて、ぬるぬる魔人たちの前に霧散する。


「何してんの!」


 西原がフリースペースに転がっていたパイプ椅子を振り回しながら叫ぶ。遠心力とともに放り投げられた椅子は直線軌道を突っ走って、霧の向こうの異形に命中する。小山みたいな頭部がぐにゃんと歪んで、動きが止まる。


「狙うのはアタマ! 噴射じゃなくて物理攻撃! 何十回やってんのよ!」


 は、はじめてですけど……。

 とツッコませる隙すら与えず、西原は俺から消火器を奪い、手際よくぶん投げて、もう一体のぬるぬる魔人をひるませる。


「よし、止まったね。今のうち、行くよ。前回と同じように三、四、ロッカーの順路で行こうと思うんだけど。それでいい?」


 こともなげにパン、パン、と手のひらをはたきながら、西原は俺に問いかける。

 長い黒髪の毛先が少しだけ焦げている。さっきのレーザーのせいだろうか。


 いや、それよりも。


 何だ、これは。


 突然の大地震かと思ったらショッキングピンクのレーザーで校舎が切断されてごま油まみれのでっかい魔人がぬるぬる襲ってきてクラスの女子がパイプ椅子と消火器でそいつらを足止めした。


 オーケー。状況整理は完璧だ。まったく意味がわからない。

 無意味な分析結果にドヤ顔をしていると、ビンタが飛んできた。

 衝撃で首がネジ曲がる。

 痛い。

 胸板を叩かれ、壁に押し付けられる。


「なんで無視すんの?」


 西原の顔が接近する。

 切れ長のきれいな瞳が、俺をにらみつける。近い。顔が近い。鼻が小さい。肌が白い。


「作戦を変えるつもり? ふたりで考えて、これが最善だって判断したんじゃなかった? それとも、もっといいアイディアがおありなのかしら、ねえ作戦参謀?」

「さ、作戦……?」


 当惑する俺を無視して、西原は顔をけわしくする。眼尻に涙が浮かぶ。


「途中であきらめたってしんどいだけ。忘れたの? 何回も痛い目にあったじゃない。何回も苦しい目にあったじゃない。また繰り返すの? 私はもういや。痛いのも、苦しいのも」

「あ、いや、その」


 半泣きで訴えてくる同い年の女の子に当惑と罪悪感がわきつづけるが、身に覚えがなさすぎて困る。


「何?」


 目の下に溜まった涙を指でぬぐった西原。

 俺は正直に打ち明けようと思った。


「俺、はじめてなんだけど。ぬるぬるの魔人と戦うのも、西原とこんなちゃんとしゃべるのも」



 再び、ビンタが俺の頬を襲った。

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