003
人生も日常も、セーブやロードが出来れば楽だが、現実にはそんなものは存在しない。
だから俺達は、どこかで間違えたとしてもそのまま生きていかなければいけない。
そういう意味では、今朝あれ程嫌だった部活をやらずに済むのだから、俺の選択は正しかったと言えるだろう。
例え心の奥底にモヤのようなものが残ったとしても、それが一体何なのかが分からなかったとしても、俺が望んだ結果にはなったのだ。
ただ、それでもやっぱり、つい考えてしまう。
俺の選択は、果たして正しかったのか、と。
日が落ちた公園はシンと静まりかえっていた。
街の灯りは木々に遮られ、一つだけある電灯がほのかに園内を明るみに出している。
もう夜でも寒さは感じないが、分厚い雲が水の匂いを生じさせている。
きっと遠からず、雨が降ってくるだろう。
俺は視線を巡らすと、目当ての場所はすぐに見つかった。
「待たせたか?」
俺が声をかけると、ベンチに座る少女――、冬雪は、ゆっくりと顔を上げた。
「ううん。ごめんね、呼び出しちゃって」
どこか元気がない様子で、静かに言う。それを見ながら俺は。
「何ともアナログな方法だよな。俺達の連絡手段は」
ポケットから一枚の紙を取り出す。
今朝俺の下駄箱に入れられていた、冬雪からのメッセージ。
夜にこの公園で待つと書かれた紙は、よほど急いでたのか、いつもより雑に折られている。
隠れて会わなければならない俺達の、いつもの手段。
それを再びポケットに収めて冬雪に視線を戻す。
冬雪の顔つきは暗い。
「ごめんね、悠一君」
やがて絞り出すように発した言葉。
何に対してなのか、まるで泣き出しそうな表情で、静かに言う。
「私ね、美術部に戻る」
冬雪を見た時、何となくそう言われる気がしていた。
けれど実際に言われると、思ったより動揺した。
まるで余命を告げるような声で言われれば、尚更だ。
「動画制作部は、お気に召さなかったか?」
「っ! そんな事ない! 私だって、皆と一緒にやりたい!」
冬雪は俯きギュッと手を握る。
「でも、悠一君があんな目に遭ってるのに、私だけがやるわけにはいかないよ」
あんな目、というのがどんな目なのか。一瞬考えてすぐ思い当たった。
今朝俺がボールを当てられた時。多分、冬雪は側であれを見ていたのだろう。
思えば俺が停学を宣言されてすぐに予鈴が鳴ったため、冬雪が手紙を下駄箱に入れる時間はなかった。
俺がまだ校内に残ってると信じていたか、もしくは夏音が時間稼ぎをしていたのか。
どちらにせよ、とても格好悪い所を見られてしまった。
「私が美術部に戻れば、多分悠一君が動画制作部に戻ってもあれこれ言われなくなると思う。だから、悠一君が部活を辞める必要はない。噂についても、私が全部否定する。全部ぜんぶ、私が違うって言う」
「……一人で全部抱えるつもりか」
「それ、悠一君も同じ事を、夏音ちゃんに言われたでしょ」
ようやく冬雪が笑ってくれた。けれど、どこか胸の痛くなる笑みだった。
「私ね、やっぱり悠一君には創作をしててほしい。ううん、しなきゃダメだと思う」
やがて冬雪は縋るような目で俺を見上げてきた。
「私、本当はずっとYUIさんに戻ってきて欲しいって思ってた。けど悠一君にその気がないのなら、それでも良いかなとも思ってたんだ。もし、もう創作に飽きたとか、一生分のお金を稼いでやる気なくなったとかなら」
微笑と共に息を吐き出す。
「でも、辛い思い出のせいで……。それで創作をやりたくないのは、すっごくイヤ」
それはただの冬雪のワガママとも言える。
ただ、それが誰を想っての事なのかは、言わずとも分かる。
けれど、どうしても分からない事があった。
「冬雪が俺なんかのために、そこまでする必要、あるのか?」
そう言うと、何故かジロリと睨まれた。
「あのね、これでも私、悠一君にすっごく感謝してるの!」
「ほう?」
「私が中学校で、あまり良い扱いを受けてなかったって話した事あるよね?」
「うん」
「あの頃、毎日学校に行くのが辛かった。何をしても悪口を言われて、何もしなくても後ろ指を差された。そんな一番辛い時に、YUIさんの曲を聴いて、すっごく励まされたの!」
「………………ふむ?」
「うぅ、やっぱり伝わらないよぅ」
何の事やらと思って首を捻ると、冬雪はガクッと肩を落として溜息をついた。
「つまりね、悠一君の創作は、ずっと誰かのためになってたの。だから私、悠一君が創作をしてた理由が小春子ちゃんだったって聞いて、すっごく嫉妬したんだから!」
そんな馬鹿な、という言葉が喉元まで出た。
けれど、それを見越していたかのように冬雪は俺を手で制した。
「自分の創作に価値がないと思ってる悠一君に伝わらないのは、もう分かってるよ。だから言葉以外の方法で伝えるね。本当はもっとちゃんと出来てから見せようと思ったんだけど」
言いながら冬雪が、脇にあった鞄からタブレットを取り出す。
どこかおぼつかない手でタブレットを操作すると、やがて画面を見せてきた。
「これは?」
「メイド喫茶から帰った後、夏音ちゃんと二人で作ったの。見て」
「……!」
画面を見て息を飲んだ。
そこには、アニメが流れていた。
前に見た夏音の絵コンテ。
それを元に冬雪が描いたであろう絵が、アニメとなって動いている。
まだ色も音も無く、背景だって真っ白だ。
けれど、それだけでも一つの作品として成り立っていた。
そして何よりも目を引いたのは、そこに描かれたキャラクター達だった。
夏音が描いた絵コンテよりも、遙かに魅力的にデザインされたキャラクター達が、画面の中で生き生きと動いている。
幽霊の少女も主人公の男も、一目で引きつけられる。一目惚れがあるとすれば今がそうだ。
内容はすでに知っているはずなのに、それでもそのアニメに心を縛られた。
一人の男と、幽霊の少女の物語。
自分の殻にこもっていた男は、少女が現れた事によって徐々に心を溶かしていく。
夏音が書いたシナリオと絵コンテの通りのアニメがそこにある。
まるで夢の中にいるかのように、俺は夢中になってそれを見ていた。
気付けば、物語は佳境に入っていた。
以前見せられた絵コンテでは、後味の悪い内容になっていた。
けれど。
「――っ!?」
そこには、俺が見た事がない世界が広がっていた。
男は、少女と共に花火をしながら、そっとお礼を言った。
また出会えて良かったと。君のおかげでずっと救われていたと。
何度も何度も、心からのお礼を言い続ける。
何度でも君のおかげで救われたと、お礼を言い続ける。
きっと誰が見ても理解出来る物ではない。
それでも、誰かの心には響くように作られていた。
気が付くと少女はいなくなり、男は一人残される。
そっと涙を拭い、最後の花火を終える男。
心を丸ごと失ったかのようだ。けれど心の底には、感謝の気持ちが残っていた。
やがて男は、立ち上がり前に向かって歩き始める。
物語は閉じ、画面がブラックアウトする。
頭がまだ追いついていない。そのまま顔を上げて冬雪を見ると、冬雪は公園の灯りの下で静かに微笑んでいた。
「ありがとう、創作をしてくれて」
冬雪はゆっくりと言う。
「ありがとう、私達を励ましてくれて。私達を助けてくれて、ありがとう。例え悠一君にそんなつもりがなくても、私達はいつもあなたに救ってもらっていました」
タブレットの画面は既に消え、暗くなっている。
それを名残惜しそうになぞりながら、冬雪は朗らかな笑顔を浮かべていた。
「土日を使って頑張ったけど、出来たのはこれだけ。それでも、とっても楽しかった。とても楽しかったけど、どこか物足りなかった。もし悠一君も一緒にいたら、きっともっと楽しかったと思う」
「だったら……!」
「だから悠一君は部活は続けなくちゃダメ。きっと悠一君にしか出来ない事が沢山あるし、悠一君を救ってくれる何かがきっとある。それに絶対――」
冬雪はじっと俺を見る。
「絶対、すっごく楽しいから、ね?」
疑いなど何もないような顔で、冬雪は微笑んで見せた。
「これが私が作れる最後の物語になっちゃったけど、どうしてもそれだけは言いたくて」
言いながら冬雪は、タブレットを鞄にしまって立ち上がった。
「それじゃあ、私は帰るね」
「……ぁ」
引き留めたかったが、何を言えばいいか分からなかった。
それを少し寂しそうに見ながら、やがて冬雪は身を翻して公園の出口の方へと歩いて行く。
俺はただ、呆然とそれを見送るしか出来なかった。
やがてポツリポツリと雨が降る。
それでも、まるで冬雪が引き返してくるかのように、俺はまだそこに居続けた。
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