第15話 ゾンビ、さしいれを持っていく

 工学部の建物に到着した俺は、はじめて4階のバリケードの中に入った。

 バリケードには内側から金属棒を抜き差しすることで鍵をかけられる開閉可能な部分があった。

 西浦先生がその鍵を開けて俺を中に通してくれた。


「おはー」


 カラがカラにしてはテンション低めな声で俺に挨拶をした。


「おはよう」


 俺を出迎えたのは西浦先生とカラだけだった。なんとなく、すでに沈鬱な空気が漂っている。


 俺は長い廊下の先のパソコンがたくさん並んでいる部屋に案内された。

 中には3人、暗い表情で疲れ切った様子の工学部の人達が押し黙ったまま座っていた。

 俺が室内に入っても、みんなうつむいたまましゃべらない。


 しかたがないので、まずは俺が今朝見たことの説明をはじめた。


「俺はカフェで朝ごはんを食べて、ここに向かって歩いていたんです。あ、そうだ、グラノーラバーを持ってきたんだ。どうぞ、食べてください」


 俺は持ってきたグラノーラバーの箱を出した。

 でも、みんな、生気のない顔で沈黙したまま、手を伸ばそうとしない。


「個包装だから、中身は汚染されてませんよ?」


と、俺が言うと、カラが言った。


「昨日から食べてないから、超ありがたいんだけどさー。さっき、みんなで遺体を引き上げた後なんだよね」


 どうやら、工学部の皆さんは、すっかり変色した死体を近くで見たせいで食欲がないらしい。

 しかたがないので、俺はグラノーラバーを近くのデスクの上に置いて、説明を続けた。


「それで、俺が歩いていると、その、建物の外に首つり死体がぶら下がっているのが見えて、西浦先生に電話をかけたんです」


 俺の話はこれで終わりだ。

 再び沈黙が漂った。

 しばらくして、ザワチンさんが急に早口で言った。


「木村君は自殺ですよね? 自殺ですよね? きっと、手越先生を殺して、自殺したんですよね?」


 カラはそっけなく尋ね返した。


「なんで?」


 ザワチンさんは早口に言った。


「だって、他に考えられないじゃないか。木村君と立花君は同じ学年で、たしか、昔から同じサークルかなんかで仲が良かったんだよ。友達の立花君が手越先生のパワハラで殺されたから、きっと手越先生に復讐をした後で罪悪感に耐えられなくなって自殺したんだ」


 カラは言った。


「わざわざ密室殺人を作りあげて? てゆーか、死ぬほど罪悪感感じるなら、はじめっからテゴッチを殺さなきゃいいじゃん」


 カラがそう言うと、ザワチンさんはムキになって言った。


「大鳥さん。みんなが君みたいだったら、殺人なんて起きないよ。前から思ってたんだけど、君の神経、図太すぎるよね? どうして、こんな状態で冷静でいられるんだい!」


「ザワチンの神経がか細いだけだよー」


 ザワチンさんは金切声みたいな声で文句を言った。


「そんなことないよ! 僕はただの常識人だよ! 3人も死んでるんだよ? 3人も。平気でいられる方がおかしいよ」


 俺は困惑していた。

 俺が知っているのは、2人死んだところまでだ。

 

「あのー。俺は状況がつかめないんですけど……」


 西浦先生が説明してくれた。


「今朝起きたら、手越先生が殺されていたんです。中からドアストッパーで部屋のドアを閉めた状態で。首を吊った状態でしたが、誰かに激しく殴られていました。そして、あなたが発見したように、建物の外側で木村さんも首を吊って亡くなっていたんです」


「そうだったんですか……」


 一夜にして被害者が3人に増えていた。

 俺は室内を見渡した。

 ザワチンさん説が正しいなら、犯人はもう死んでいる。

 だけど、そうじゃないなら。

 3人も殺した殺人鬼が、この部屋の中にいるかもしれない。

 ……たぶん、ザワチンさんの神経の方が普通だな。カラの動じなさがすごすぎる。


 ザワチンさんは顔を両手で覆った。


「なんで、こんなことに……。ひょっとして、やっぱり、呪い……? ああ、きっと、そうだ。桜の木の呪いで亡霊に殺されたのかも……」


 ザワチンさんは震えている。

 カラはため息をついて言った。


「非科学的。ま、ザワチンの言う通り、今はまともな状況じゃないもんね。みんながまともな精神状態じゃないなら、何が起こっても不思議はないか……」


 部屋の中には、また沈黙が漂った。

 しばらくして、カラがつぶやいた。


「そういえば、テゴッチって、いつ殺されたんだろ?」


 西浦先生が力なく言った。


「僕は昨夜9時ごろ、手越先生と電話でお話をしたので、その時はお元気でした。朝には避難しようと思って手越先生に電話をしたんです。手越先生も避難を早めることに賛成してくれました。それで、木根さんにメッセージを送ったんですが。まさか、夜のうちにこんなことになってしまうなんて……」


 西浦先生は沈黙し、カラが口を開いた。


「じゃあ、9時以降、夜の間に何かが起こったんだよね。あたし、ぐっすり寝ちゃってて、何も気が付かなかったけど。みんな、何か聞いた?」


 西浦先生は暗い表情で答えた。


「僕もすっかり眠っていました。今になって思えば、途中で目覚めた時に物音を聞いたような気はするのですが。起きて動く気力がわかず、また眠ってしまいました」


 続いて、ザワチンさんが震える声で言った。


「そういえば、僕も深夜、たくさん物音を聞きましたよ。まずゾンビの唸り声がすごかったんですよ。それに、風が強くて、未明にかけては、あちこちからバタバタガタガタ音がして。だから、もう怖くて怖くて」


 カラが首をかしげた。


「ザワチンが聞いてた音って、風のせいじゃなくて、本当は殺害の時の音ってことは……」


「怖いこと言わないで、大鳥さん!」


 ザワチンさんは、両手で耳をふさいだ。

 俺はふと思い出して言った。


「そういえば、話変わるけど。さっき、あの窓の下にビニール紐っぽいものが落ちてたんです。昨日はなかった気がするんですけど」


 カラが即座に反応した。


「ビニールひもって、新聞とか縛るやつ? キムキムを吊るしていたのは、頑丈なナイロン製のロープだったよ? なんでビニールひもが落ちてたんだろ」


 ザワチンさんが、泣き出しそうな声で言った。


「もういいよ。死人の話は。早く避難しよう。ここにいたら、さらに犠牲者が増えるかもしれない」


 カラはそっけなく指摘した。


「ザワチン説が当たってるなら、これ以上は増えないはずだけどね」


 ザワチンさんはヒステリックに叫んだ。


「亡霊の仕業なら、わからないじゃないか! 亡霊がのりうつって、今度は君が僕を襲いだすかもしれないだろ!」


 ザワチンさんは興奮した様子で立ち上がり、カラの方にむかって手を振り上げたりおろしたりしている。

 ザワチンさんは小さいから、怒った子どもみたいで威圧感はゼロだけど。

 カラは素早く一歩後ろに飛び退いた。


「むしろザワチンがあたしを襲いそうな勢いなんですけど!」


 西浦先生が二人の間に割って入った。


「落ちついてください。宮沢君。わかりました。今は早く避難しましょう。何が起こったにしろ、今は安全な場所に向かうのが最優先です。木根さん、車を持ってきてくれますか?」


 西浦先生は車のキーを取り出して、俺に差し出した。


「わかりました。といっても、俺、車を運転したことないから、すぐにはたどりつかないかもしれないですけど」


 ザワチンさんが金切声で俺にむかって叫んだ。


「お願いだから自動車を壊さないでくれよ。最後の希望なんだから! こんなところにずっと閉じこめられるなんて、耐えられないよ!」


「約束はできないけど、全力を尽くします」


 俺は西浦先生に駐車場の場所を教えてもらうと、陰鬱な部屋を出て、外に向かった。

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