第3話 ゾンビ、到着する

 大学の正門は閉まっていた。

 門の内側、門柱の傍に、血だまりの跡のようなものが見える。

 そして、門の鉄柵の間からは、血まみれのゾンビの腕がつきでていた。ゾンビの手についた血液はすでに赤黒く固まっている。

 門の向こう側にその腕の持ち主、金髪を振り乱した女子大生ゾンビの顔があった。

 女子大生ゾンビは腕が門にはさまってしまったようで、唸ったまま動けないでいる。

 俺は女子大生ゾンビの腕を押し戻してやってから、考えた。


 血塗れのゾンビがいるっていうのは、不安な状態だ。

 誰かがゾンビを襲ったってことだから。


 俺は門の中の様子をもうちょっと観察した。

 木立の間を不気味な顔色のゾンビ学生がふらふらと歩いていた。

 あのゾンビは、特に怪我をしている様子はない。

 今ここで非感染者がゾンビを狩っている状況ではなさそうだ。


(とりあえず、入ってみるか)


 俺は自転車を門に立てかけた。

 自転車を踏み台に門をよじ登り、俺は門の内側に入った。


 着地してすぐ、俺は血だまりがあった方を確認した。

 門柱の裏に、血まみれの黒髪の女子大生ゾンビが横たわっていた。

 このゾンビは腹部を銃で撃たれている。

 あのケガなら、普通の人間なら死んでいるはずだ。それに、見た目は死体そのもの。

 だけど、黒髪の女子大生ゾンビはゆっくりと頭を回し、俺を見た。

 門に腕が挟まっていた金髪女子大生ゾンビが、ゆっくりと倒れているゾンビの傍に跪いて、血で染まった腹部に手を置いた。


 俺はその様子を見て思った。

 ひょっとしたら、二人は友達だったのかもしれない。

 門に腕が挟まっていたゾンビは、ひょっとしたら、一生懸命に助けを求めようとしていたのかもしれない。

 

 俺はそのまま歩き去った。

 俺には何もできないし、何もしなくても、あの血まみれのゾンビが死ぬことはないはずだ。

 俺はもっとひどい怪我をしたゾンビが生きのびたのを知っている。

 見た目は死体みたいだけど、ゾンビの生命力は半端ない。


 ちなみに、ゾンビウイルスの感染者は「ゾンビ」と呼ばれて生ける屍扱いされているけれど、みんなちゃんと生きている。

 ゾンビウイルス感染者は感染してから24時間以内に一度意識を失って仮死状態っぽくなるケースが多い。だけど、感染者はそこで死んだわけではない。

 ただ、症状が進んだ後は、動作は鈍くなり、意味のある言葉はしゃべらず、非感染者と意思疎通はできなくなる。

 そして、非感染者を見つければ、感染させるために襲うようになる。


 俺は感染したのにそうならなかった珍しい例だ。

 それが幸運なのか不幸なのか、今の俺にはちょっとわからないけど。


 直進していくと、俺は大きな広場のようなところに出た。

 広場の向こうには、時計のついたレンガ造りの大きな古い建物がある。


(これが大学かぁ……)


 俺が実際に大学に入学することは、たぶん、もうない。

 ゾンビを受け入れてくれる大学があるとは思えないから。

 受験勉強、がんばってたんだけどな……。


 古いレンガ造りの校舎の前では、ゾンビになった学生達が「うー♪」とか「あー♪」とか、みんなで発声練習をしていた。

 たぶん、合唱サークルなんだろう。

 校舎の前の広場では、ベンチに座ったゾンビ学生が猫を撫でていたり、芝生でカップルゾンビがイチャイチャしたりしていた。


 平和だ。


 門のところに銃で撃たれたっぽい女子学生ゾンビがいたから、ちょっと心配したけど。

 キャンパス内の様子を見る限り、今は平和そうだ。

 たまに血痕があったり怪我をしたゾンビがいたりするけど、銃弾の跡はない。

 たぶん、門のところのゾンビは、門の外から銃撃されたんだろう。

 キャンパス内には銃で武装した集団はいないようだ。


 俺はほっとして、工学部の建物を探すため、キャンパスマップの看板の前に移動した。

 大学は建物がたくさんあって、目当ての校舎を探すのが大変だ。

 しばらく地図を見続けて、俺はようやく工学部の校舎の場所を理解した。

 工学部の建物はM棟と呼ばれているようだ。

 俺はM棟へ向かった。


 歩いて行くと、4階あたりの窓に「HELP」という大きな張り紙が張られている建物が見えてきた。

 それがM棟だった。


 M棟の入り口はちょっと奥まったところにある。

 周辺のゾンビの数は多い。

 近くの花壇で花を眺めている女子学生ゾンビもいれば、倒れた自転車の車輪を回して笑っている男子学生ゾンビもいた。

 ゴミを拾っては落としていくゴミ拾いボランティアっぽい学生ゾンビもいるし、特に何をするわけでもなく寝ている学生ゾンビもいた。


 みんな、完全にゾンビだ。

 感染したてで理性があったり、仮死状態の感染者はいない。

 あの状態のゾンビは、会話をすることや頭を使った複雑な行動は一切できない。

 だけど、もしも非感染者がここに近づけば、ゾンビ達は本能的に非感染者を襲って感染させようとする。

 校舎の周辺にこれだけゾンビがいると、工学部の人達が感染せずに避難するのは難しそうだ。

 

 俺がそんなことを考えていると、奇妙な駆動音が聞こえた。

 音のする方に振り返ると、キャタピラのついたロボットが、こっちにむかって走行していた。

 ロボットには精巧に作られたアームが2本ついていて、片方の腕にビニール袋がかけられていた。袋の中にはパンがいくつか入っていた。


 ちょうど、ロボットの進む先で寝ていたゾンビ学生が寝返りをうった。

 偶然、ゾンビの足がロボットの袋にぶつかった。

 ロボットは一旦停止した。

 ロボット自体は無事だったけど、ゾンビの足がぶつかったビニール袋が引き裂かれ、パンが一つ転がり落ちた。


 ロボットは再び走りだした。裂けた袋からパンを落としながら。

 寝転がっていたゾンビは落ちたパンを拾って袋ごとかじった。

 ゴミ拾いをしていたゾンビは、落ちたパンを拾って、しばらく歩いたところで自転車の上にパンを落としていった。


 俺は頼りなさげに走行していくロボットの後をついて歩きながら思った。


(あのロボット、ゾンビにパンを配っている? なわけないよな。俺じゃあるまいし)


 ちなみに、俺は定期的にゾンビに食料を配るボランティア活動をしている。

 でも、この世界でそんなことをしようとするのは、たぶん俺と中林先生くらいだ。


 ロボットはM棟のドアの前で一旦止まると自動ドアの横のドアを押し開け、中に入っていった。

 俺もロボットの後をついてM棟の中に入った。自動ドアは閉じたままだったから、ロボットと同じようにドアを押し開けて。


 俺が中に入った時、ロボットはエレベーター前でとまっていた。

 エレベーターの扉が開き、ロボットは乗りこんでいった。

 去っていくロボットを見送り、俺は近くにある階段を上がることにした。

 安全を確信できない状態で、エレベーターみたいにいざって時に逃げ場がないものには乗りたくない。


 俺が階段を上がっていくと、どこか上の方から怒鳴り声が聞こえた。


「立花君! 君はバカか! 本当につかえん奴だな!」


 俺はさらに階段を上がっていった。

 怒鳴り声はまだ響き続けている。


「このまぬけが! 落としたパンはもう食べられないんだぞ。ゾンビウイルスに汚染されていない食料には限りがあるというのに」


 近づくにつれ、怒鳴り声とは別の声も聞こえるようになった。


「すみません。カメラの視界が狭くて。袋が破れてるなんて……」


「うだうだぬかすな! もういい!」


「すみません」


 どうやら、さっきのロボットを操縦していた人が怒られているようだ。

 危機的な状況で食料を失ったことへの怒りはわかるけど、あんなに怒鳴らなくてもいいのに。

 でも、そう思うのは、俺がのん気なゾンビだからかも。

 今の俺は食べ物に困ることはない。その辺の無人のお店に自由に入れるから。

 でも、ここに閉じこめられた非感染者は切羽詰まった状態にいるんだろう。


 階段の先に、防火シャッターが降りていた。ここはたぶん4階だ。

 そして、さっきの声はあのシャッターの向こうから聞こえてきたはずだ。

 あの先に非感染者がいる。

 俺はシャッターの前に立ち、大声で話しかけた。


「すみませーん。西浦先生いらっしゃいますか?」


「誰だ?」


 さっきどなっていた人の声がした。


「俺は恵庭隈研究所の木根です。中林先生に言われて救援に来ました」


「恵庭隈研究所? 中林? 西浦さんの知り合いか?」


「はい、そうです」


 どうやら、この人は西浦先生ではないようだ。……よかった。この怖い人が西浦先生だったらどうしようかと思っていたところだ。


「木村君、様子を確認してくれ」


「はい」


 シャッター横の非常用扉が開いて、大学院生っぽい人が現れた。この人が木村だろう。

 すらっとした長身でハンサムな人だ。

 木村さんは、疑わしそうな目で俺を見ている。

 俺は説明をした。


「西浦先生から救援要請を受けて助けにきました」


「ゾンビがいる中を?」


 たしかに、あやしい。

 でも、正直に「俺はゾンビですから」なんて、説明をするわけにはいかない。

 そんなことを言ったら、俺がどんな目にあわされるかわからない。

 だから、俺はその問いをあえてスルーした。


「はい。西浦先生に取り次いでもらえませんか?」


「ここで待っててください。西浦先生を呼んできます。こちらから呼びかけるまで、この扉は開けないようにしてください」


「わかりました」


 俺は大人しく待った。

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