1章 ゾンビも歩けば事件にであう
第1話 閉じこめられた人々
窓の外を見ていた大鳥カラは不思議そうにつぶやいた。
「ゾンビって、楽しそうだよねー。なんでだろ?」
こんな時でも、カラはちょっと能天気だった。
カラは大学院生だが、まだ18才だ。海外育ちで一昔前の日本のギャルファッションが大好きで、こんな時でもギャルメイクと服装はバッチリ決めている。
カラの危機感のない声を聞き、三上彩はほっと息を吐いた。張りつめていた緊張が少し和らいだ。
彩は大学4年生。カラと同じ西浦研究室に所属している。
彩は周囲には地味でまじめなタイプだと思われている。彩とカラは一見対極に見えるが仲が良かった。
21才の彩は年齢だとカラより上だが、学年ではカラの方が上になる。でも、お互い年齢も学年も気にしていなかった。
ここは工学部の研究棟であるM棟の4階にある情報工学科のフロア。
彩とカラは、他の学生達と一緒にこのM棟に閉じこめられていた。
今はキャンパス中、至る所にゾンビがいて、外を歩くことはできない。
この棟の3階以下にもゾンビがいるため、下の階に降りることすらできない。
ゾンビウイルスのパンデミックは数か月前、4月の終わりに始まった。
この近辺でも一部区域でロックダウンが行われ、感染者を封じ込めるための隔離地区が作られた。
それでも、この大学は隔離地区の外にあったため、大学の講義や日常生活は続いていた。
状況が変わったのが、4日前。
周辺で一気に感染が拡がった。
大学内でも感染爆発が起こり、一日にして、至る所ゾンビだらけになってしまった。
沈鬱な空気が漂う室内で、カラはあいかわず明るい声で言った。
「そういえば、この棟の裏にある、あの桜の樹って、きれいだよねー。4月に見た時、感動したなぁ。樹齢何歳くらいなんだろ?」
それを聞き、彩の体に緊張が走った。
カラは知らないのだ。
M棟裏の桜の老木には誰も近づかないことを。
部屋の隅にいた遠野優花が暗い調子で話しはじめた。
「カラちゃんは知らない? 「M棟裏の桜を近くで見た人はゾンビになる」という噂話。ゾンビパンデミックが始まる前から工学部の学生の間にひろまっていた噂なんだけど」
修士1年の優花は彩の1学年上だったが、「工学部に咲く奇跡の花」と噂になるほどの美人だった。
優花はもともと物静かで感情の起伏を見せないタイプだが、パンデミックが始まった頃からは優花の表情にいつも陰がある。でも、暗い表情すら優花の美しさを際立たせていた。
カラは首をかしげた。
「ゾンビ? ゾンビウイルスは桜と関係ないよね? 実は生物の先生がパンデミック前からゾンビを作る実験してたの?」
カラは怖がっていない。むしろ興味津々だった。
優花はゆっくりと首を左右にふって語りだした。
「いいえ。桜の木に魂を吸い取られてゾンビみたいな生ける屍の状態になるっていう話なの。噂だと、たとえば、数十年前、留年を繰り返していたある学生は、あの桜の木の下で花見をした後で、教授をめった刺しにして、桜の樹の枝にロープを吊るして首つり自殺を図った。その学生はその間ずっと、まるで桜に魂を奪われてしまったみたいに呆然としていたっていう話。それから、私が入学する少し前の話だけど、ある学生がまるで何かに憑かれたようにあの桜の木で首つり自殺をはかったんだって。その学生は一命をとりとめたけど、魂は桜の木に奪われたかのように、寝たきりの植物状態になってしまった。あの桜の樹に近づいた人は、みんな事件や自殺未遂を起こして、ゾンビのような生ける屍の状態になる。そう言われているの」
「えー? マジ? あたし、あの桜、バリ見ちゃったよ? もうゾンビになるの確定?」
カラは悲愴感のない軽い調子でそう言った。
彩は思わずちょっと笑って、カラに言った。
「みんなゾンビになったのにカラちゃんはなってないんだから。噂はガセだよ」
カラは明るく返事をした。
「たしかに。あたし達って、けっこうがんばってるよねー」
このキャンパス内を徘徊しているゾンビは全員、5日前まではただの学生や教職員だったのだ。ゾンビにならずに済んだ学生は、とても少ない。
その時、廊下を歩く足音が聞こえてきた。
ゆっくりとドアが開いた。
入ってきたのは、西浦先生だった。
西浦先生は、彩達が所属する研究室の先生だ。
「あ、ニッシー」
カラはいつも西浦先生のことをニッシーと呼んでいる。
そんな呼ばれ方をしても西浦先生は気にしない。とても温厚な先生で、学生達に慕われていた。
西浦先生は早口に言った。
「良いニュースですよ。恵庭隈研究所の中林アランさんと連絡が取れました。救援を派遣してくれるそうです。ゾンビに襲われない研究員を」
優花はたずねた。
「ゾンビに襲われない人? そんな人が存在するのですか?」
ゾンビ達は普段は大人しいが、非感染者を見つけると一斉に襲ってくる。例外はないはずだ。
カラもたずねた。
「襲われないってことは、ロボットってこと? でも、アランの研究所って薬を開発してるとこだったよね? アランはロボットはつくってないよね?」
「中林さんの研究所は、その通り、製薬会社の研究所です。だけど、あの人は頼りになりますよ。これで、ここから脱出できるかもしれません」
西浦先生は希望に満ちた表情になっていた。
カラは嬉しそうな声をあげた。
「やったぁ! ニッシー、よかったね」
カラは西浦先生のために喜んでいた。
その理由を彩は知っている。
このままここにいれば、西浦先生は間違いなく死んでしまうのだ。
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