第39話 虚構世界

「大丈夫かい? メロア・クラムベール」


 兜花に穢されそうになっていたメロアを助けたのはずっと意識を取り戻さなかった氷夜だった。


「君もおやすみ」


 兜花に操られていたナンシーを手刀で眠らせる氷夜。

 起きたばかりなのか寝ぐせはそのまま。

 ただその髪の色は私と出会ったばかりの頃と同じ黒色に戻っている。

 右手にはぼろ雑巾のようなものを握りしめており、ずっと引きずって来たのか跡が城門の方へと続いていた。


「…………氷夜」


 ずっと会いたかった。

 会ってちゃんと話がしたかった。

 ひどく懐かしい感じもするのに、何かが私の知っている氷夜と決定的に違うような気がする。

 上手く言語化できないような違和感から声をかけられないでいると、吹っ飛ばされたはずの兜花が起き上がって来た。


「来やがったな高白氷夜……いや高白氷夜の皮を被った化け物と言ったほうがいいか」


 兜花の意味深な問いかけに氷夜はにんまりと答える。


「ご名答! よく気づいたね。僕は高白極夜たかしろきょくや。高白氷夜の第二の人格にして僕こそが本当の高白氷夜さ」


「きょ……きょくや?」


 氷夜は何を言ってるんだろう?

 高白極夜? 第二の人格? 本当の高白氷夜?

 一瞬、いつものようにおふざけで言ってるのかと思った。

 でもそれが事実だとすると今の氷夜に抱いていた違和感にすべて説明がついてしまう。


「ねぇ氷夜、あんた本当のって……」

 

 『どういうこと?』と尋ねようとしたその時、


「僕を起こしてくれた礼に君にさ」


 氷夜もとい極夜は右手に握りしめていたものを自慢げに持ち上げた。


「っ!?」


 それを見て私は思わず息を呑む。

 私がぼろ雑巾だと思っていたのは兜花の取り巻きの一人だったのだ。

 たぶん身長からしてマーガレットという子のはず。

 兜花なんかに恋してるのがもったいないくらい可愛い顔立ちだったのに、ぐちゃぐちゃにされていてもはや見る影もない。


「…………ごめ…………な…………い」


 髪の毛を無理矢理むしり取られたような跡が痛々しかった。


「全く困るよね。起きて外に出たら急に襲ってくるんだもの。こうなったのも不可抗力ってやつさ」


 極夜はそう言って無邪気に嘲笑いながらマーガレットを乱雑に放り投げた。


「マーガレット!」


 兜花は無残な姿になった取り巻きを受け止める。


「マーガレット! 返事をしてくれ!」


「…………」


 兜花が必死に声をかけるけど返事はない。


「まあ安心しなよ。リリーとセシリアだっけ? 他のおもちゃも一緒に壊してあげたからそのマーガレットってのも寂しくはなかったはずさ」


「っ…………そうかよ。せいぜい余裕ぶってろ。俺様にはてめえを殺すための策がある。絶対にてめえは生きて帰さねえ」


 兜花は怒りに声を震わせながら魔力を開放する。

 一方で極夜も指を鳴らすと同時に魔力を解き放った。


「――虚構世界ホロウ・ザ・ワールド


 次の瞬間、放たれた漆黒の波動が瞬く間に世界を作り替えていく。

 そうして出来上がったのは空虚なモノクロの世界だった。


「何よ…………これ?」


 空も大地もそして太陽でさえ色を失った歪な世界。

 それは人物も例外ではなく、その場にいた誰もが白と黒に脱色されてしまっている。

 ただ一人、極夜だけが従来の姿を保っていた。


「……虚構世界ホロウ・ザ・ワールド。この半径47メートルの空間が僕の世界さ。とはいっても君は一度見たことがあったか」


 もったいないことをしたな、と呟く極夜に兜花は皮肉を返す。


「ああ、知ってるぜ。おかげ様でその正体もな。この空間の中じゃあらゆる魔法が無効化されるってんだろ? 確かに強力だが知っていればなんてことはない」


 そして手にしていたダガ―を構えなおすと、


「なぜなら魔法を使わずにてめえを殺せばいいからな!」


 極夜に飛び掛かった。


「おらよ!」


 相手の懐に飛び込んでからの高速の一突き。

 ジャストラーデですら葬ったその一撃を極夜は二本の指で受け止めた。

 

「悪いけど……君とだらだら戦うつもりはないんだ。君なんてみんな見飽きていると思うんでね」


 そして極夜はその手で兜花の手首を掴むと、まだ空いている右腕で鳩尾に強烈なストレートをぶち込んだ。


「ごはっ!」


 たまらず吐血する兜花。


「くそっ!」


 この状況はまずいと拘束を振りほどこうとするが、その前に極夜は掴んでいた手首を躊躇なくへし折る。


「ぐぁああああああ!」


 兜花は情けなく悲鳴を上げながら地面に膝をついた。


「そんなに焦らないでも大丈夫だよ。君もすぐに君のおもちゃたちと同じ目に遭わせてあげるからさ。まずは爪を全部剝がそうかな」


「て、てめえ……なんて…………ことを」


「おいおいそんな言い草はないだろ? 君が彼女らにしたことに比べれば大したことはないじゃないか? だって君は能力を使って彼女らを無理矢理自分のものにしたんだから」


「なぜ…………それを?」


「知ってるよ? 僕は何でも知っている。君の罪も弱さも、君がどんなギルドに行きパーティを組むようになったのかもね」


「っ!?」


 まるで兜花の過去を見てきたかのように語る極夜。

 

 ……わからない。

 何を根拠にしてそんなことが言えるのか、全く持って意味不明だ。

 だけど兜花の反応からして氷夜の言葉は真実だとわかった。


「君はその力で女どもの心を奪った。中には婚約者がいた子もいたのにね。だから洗脳を解いてやった時、彼女らは愕然としていたよ。なんであんな男に付き従っていたんだろうってね」


「ちがう! 俺様は……俺は……ただ…………」


「もう認めなよ。君は借り物の力でイキがっていただけのカスだ。何も持たないのゴミクズが異世界に来たからって何かを成しえるとでも思ってたのかい?」


 極夜は兜花をこき下ろすと、顔面に右ストレートを入れた。

 今度は兜花も抵抗しようとはしない。


「やめ…………て……ください」


 代わりに氷夜に許しを乞うが、極夜は取り付く島もなかった。


「何を言ってるんだい? 『』だろ?」


 かつての兜花の言葉を口にしながら、極夜は兜花の顔面を蹴り上げる。


「ゆ…………ゆるして」


「君が殺してきた連中だってきっと同じことを考えていたさ」


 ぐしゃり。

 再び鈍い音が鳴る。


「あひゃ! あひゃひゃ? あひゃひゃひゃ!」


 何度も。

 何度も何度も。

 抵抗を諦めた兜花を徹底的に痛めつける極夜。


「…………ゆ…………して」

 

 兜花は両腕を折られて、顔も原型を留めなくなってきている。


「止めなきゃ……」

 

 このままでは極夜が……氷夜が殺人を犯してしまう。

 頭ではそうだとわかっているのに、氷夜の豹変ぶりを事実だと受け入れたくないのか、体がすくんでしまって動けない。

 とそこへアキトが間に割って入った。


「――やめろ氷夜。もう十分だ。決着は既についている」


「……僕は氷夜じゃなくてなんだけど?」


「ああ、そうだったな。しかしそれは関係ない。お前が何者であろうと殺人は駄目だ」


「はぁ……何を言い出すかと思えばお説教とはね。そもそも君がそんなことを言う資格はあるのかい? 内乱の時に多くの人を殺した君がさ」


 兜花の時と同様に皮肉を言う極夜。

 しかしアキトは動じることなく真っすぐに答える。


「だからこそだ。手を汚すような真似をお前にしてほしくない」


「へぇ…………じゃあ止めて見なよ。僕がこいつを殺す前にさ」


 極夜はそれが気に食わなかったのか、おもむろに兜花の持っていたダガ―を拾い上げると、血だまりに伏す彼に向かって振り下ろそうとした。


「よせ!」


 すかさず抜刀してアキトは極夜の持つダガーを弾き落そうとする。

 その刹那、極夜の姿が消えた。


「あひゃ!」


 アキトの背後から襲い掛かる極夜。

 ガキン。

 鈍い金属音と共にアキトはそれを受け止める。


「さぁ……剣術勝負と行こうじゃないか。アキト・ヴァイスオール」


 再び交わる剣戟。

 しかしその決着は早い。


「終わりだよ!」


 幾度かの打ち合いの果てにアキトの持つ剣が弾き飛ばされた。


「くっ――」


 アキトは即座に距離を取って剣を回収しようとする。


「あひゃ!」


 それを極夜は逃がさない。


「しまっ――」


 アキトは極夜の渾身の右ストレートを顔面に食らって大きく吹き飛んだ。


「アキト様! デアルタ・ベルシュ……」


 主君の危機にメロアは詠唱を開始する。

 しかし、


「っ!?」


「――意味ないよ、それ」


 極夜はメロアの首を掴んで詠唱を中断させると、そのまま持ち上げた。


「ひ…………よ……よん」


「やめて…………くれ氷夜」


 息も絶え絶えに極夜に懇願するアキト。


「――だから氷夜じゃなくて極夜だってば!」


 それが気にくわなかったのか、極夜はメロアをアキトが倒れている方へと投げ飛ばす。


「くっ……」


 咄嗟に上体を起こしてアキトはメロアを受け止める。

 しかし完全に受け止めることはできず、アキトはメロアを抱えたまま倒れ込んだ。


「――甘いんだよ。剣でなら僕に勝てるとでも思ったのかい? 王家の加護があれば、魔眼があれば僕の能力が効かないとでも?」


 サーカスの道化のように踊りながら極夜は語る。


「ずるいじゃないか。生まれつきそんなチートじみた力を持っているなんてさ。だから、


「っ!?」


 ありえない。

 聞き間違いであるならいいとさえ思った。

 でも今までに起った現象が極夜の言葉を裏付けているわけで、 


「そんな……ことがありえるのか? それだとまるでお前の固有魔法は…………」


 アキトが縋るように尋ねると、極夜は両手を広げながら答えた。


「そう! 僕の固有魔法は! 奪う能力も、卓越した剣技も、王家の加護も、魔法を解析する魔眼も! 才能も努力も技術や技量も! その人間に関することなら全て否定できる! 最強にして完全無欠の能力さ」

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