第30話 緊急事態

「氷夜を安全なところへ移したい。力を貸してくれないか」


 予想だにしないアキトの言葉に私は面食らった。


「ちょっと待ってよ。いきなりそんなことを言われてもわけがわからないわ。事情を説明して」


「…………わかった。取り乱さないで聞いてくれ」

 

 などと前置きしてからアキトは語り出した。


「実は…………昨夜未明、氷夜が何者かに襲撃されたんだ」


「っ!? 氷夜は無事だったの!?」


「――ああ、無事だ。幸いにもクラムベールが張った結界のおかげで氷夜は無傷だった。だが犯人は未だに捕まっていなくてな。アシュリンに入場記録を調べて貰ったんだが…………」


「はい。アキト様に言われて昨夜の入城記録を確認しましたが、昨夜は城の関係者以外は城に滞在していませんでした。つまりは内部の人間の犯行であるということです」


「そ、そんな!? 犯人の目ぼしとかはないの?」


「ないな。一応、俺の能力で城の使用人全員を調べてみたが、犯人に該当する人物はいなかった」


「それってどういう…………」


 アキトのセリフの意味が分からず疑問を漏らすと、メロアが回答してくれた。


「ア、アキト様には嘘を見抜く心眼があるの。だから『ひよよんを襲撃した?』って聞けば犯人がわかるんだよ」

 

「なるほどね」


 これで一つ謎が解けた。

 それと同時に腑に落ちたこともる。

 もしかしたらアキトがこの世界に来たばかりの私を自分のところへ連れて来させたのも、私が不審な人物かどうかを見るためだったかもしれないわね。


「でもそうすると犯人はいないってことにならない?」


「いや、俺の力はあくまで嘘を見抜くだけだ。本人が真実と思っていれば見抜くことはできない。当人がその記憶をなくしていたり、誰かに操られていた場合なんかがそうだな」


「そっか」


 強力な力に思えるけど意外な落とし穴もあるんだ。


「つまり犯人はアキトの力を知っていたってことかしら?」


「うん。メロアもそうだと思うな。だからこそアキト様の力を回避できたんだと思う」


 メロアの補足でだいたいの事情は掴めてきた。

 アキトたちがわざわざタイミングをずらしてこの宿を訪ねてきたのも今ならわかる気がする。

 とここでアキトが懐から地図を取り出した。


「さて細かい事情はここまででいいだろう。そろそろ今回の本題に移らせてもらおう」


 地図を床に広げながら、アキトは氷夜の移送計画について説明し始めた。

 その内容をまとめるとこんな感じだ。

 

 城の正門から4キロほど西へ行ったところにある旧領事館。

 もう役割を終えて長いこと使われていないそこへ氷夜を移すのだそうだ。

 動かせる人員は私とメロア、それからアシュリンの三人だけ。

 氷夜がいなくなったことがバレないように城にもダミーを用意し、それをアキトが一人で守るのだという。

 この最後のダミーを用意する案にはメロアとアシュリンからも反対意見が出た。


「き、危険すぎますっ! そんなのアキト様が囮になるようなものじゃないですか! メロアは賛成できません!」


「…………私も同意見ですね。何もアキト様がダミーを守るために危険を冒す必要はないのでは?」


「だがそれしか方法がないだろう。相手が精神操作系の魔法を使える可能性がある以上、それに対抗できるのは王家の加護を持つ俺とムチャ神の加護があるガルザーネだけだ。俺が城を抜け出して本物の氷夜を守るわけにはいかないからな」


 …………確かにアキトの言うことには一理ある。

 今わかっている情報から考えてもアキトが城に残ってダミーを守り、アシュリンが氷夜を守るという風に役割を分けた方が自然だろう。

 でもそれは氷夜がいつまでも起きなかったという想定に基づけばの話だ。


「――だったら氷夜を今起こしちゃえばいいのよ。そのための方法ならアシュリンから教わってるわ」


 三人が深刻な顔で考えこむ中、私がそう提案をすると、アキトはアシュリンの方に顔を向けた。


「まさかアシュリン…………あれを教えたのか?」


「はい、教えました」


「なぜだ! あれにはリスクだってあるだろう!?」


「……リスクが生じるのは相性が悪い人間の精神に無理矢理入った時だけです。小春様が幼馴染の氷夜様に使う分には。そもそもガルザーネ族の秘術についてアキト様にとやかく言われる筋合いはないはずですが」


「……万が一ということもある。絶対に安全というわけではないだろう」


 質問に答えずに詭弁で返すアキト。

 これをチャンスと見たのかアシュリンが反撃する。


「アキト様のご心情は察しております。今の氷夜様とあの女の状況は似通っていますのものね。ですがそうだからといって小春様とご自身を不必要に重ね合わせるのはいかがなものかと……」


「別に重ね合わせてなどいない。俺は王として例え転移者であっても平等に救おうとしただけだ」


「でしたら小春様の提案を受け入れるのが筋なのでは? 自身は囮になるという危険を冒そうとしておきながら小春様の案は軽微なリスクを理由に却下する。これはとても説明がつくようには思えません」


「それはそうだが…………」


 さすがに言い返せなかったのかアキトは黙り込んだ。

 ……意外だった。

 あのアキトがここまで感情を露にするなんて。

 でもそれ以上に意外だったのはあのアシュリンがアキトの秘密を握っているということ。

 一体二人の間に何があったんだろう。

 どうしてアキトが私と自分を重ね合わせるの?

 あの女って誰のこと?


「ねえアシュ……」


 先程のやり取りから生じた疑問を解決しようとしたその時、沈黙していたアキトが重い口を開いた。


「――すまない。俺としたことが感情的になっていた」


 その言葉を発するのにどれだけの葛藤があったのか。

 アキトの声は微かに震えている。


「小春の案を否定したのは俺の身勝手でしかなかった。本当にすまなかった」


「ちょ、ちょっとやめてよ!」


 再び頭を下げるアキトを私は慌てて引き留める。

 アキトが反対していたのは私を心配してのこと。

 わざわざ謝る必要なんてない。


「あんたに何があったかは知らないけどね。私は大丈夫よ。だから私のことを信じて任せてくれないかしら?」


 アキトの胸に拳を当てながらそう言うと、アキトはようやく顔を上げてくれた。


「…………わかった。氷夜のことは頼んだぞ」


「ええ! もちろんよ!」


 ……これで話はついた。

 後は氷夜を助けるだけよ。


「よしっ」


 私は浮つく気持ちのままは術式に使用する物を部屋中からかき集める。 

 まず必要なのは私と氷夜を繋ぐパスとなる触媒。

 触媒はカトレアさんの宿のルームキーを用いることにした。

 氷夜も使っていたこれならきっと触媒として使えるはずだ。


「さぁ……やるわよ」


 ルームキーを氷夜のお腹に置いて私は目を閉じる。

 次に頭の中に二つの円を思い描き、そこへ私と氷夜の心を術式として映し出す。

 今回、術式に込めるのは異世界生活一日目のカトレアさんの宿での記憶。

 二人の共通の記憶を増幅させ、円の中を満たしていく。

 そして完全に術式を出力し終わったところで、私は言霊を唱えた。

 

精神合一ク・リストランゼ!」


 詠唱によって術式が起動し、辺りを光が包み込む。

 だがいつまで経っても私の意識が氷夜の仲へ入っていくことはなかった。


精神合一ク・リストランゼっ!」


 もう一度唱えてみるも結果は同じで、私の意識はここに残ったまま。


「どうしてうまくいかないの!?」


 訳も分からず狼狽えているとアシュリンが横から顔を覗かせた。


「どうやら氷夜様の心の防壁が硬すぎて上手くパスが繋げなかったようです。術式が起動していたところから察するに触媒としては機能していたのだと思いますが、術式も触媒も氷夜様の心の壁を破るのには弱すぎたのかと」


「そう……だったのね」


 かなり自信があっただけにショックも大きい。

 私と氷夜が二人とも思い入れのあるアイテムなんてかなり限られている。

 正直、ルームキーが駄目なら他には思いつきそうもない。


「…………ごめん。大口叩いたのにこのザマだわ」


「ううん。小春のせいじゃないよ。魔法はちゃんと発動できてたもん。むしろ自信を持つべきだよ」


「そうですよ。小春様はよくやった方です。今はできないことを嘆いても仕方ありません。他の案を考えましょう」


「メロア……アシュリン…………」


 二人が励ましてくれたおかげで少しだけ気持ちが楽になった。


「そうね。悩んでる暇はないわ。何か別の手を考えないと」


「ああ、氷夜の救出と並行して襲撃犯の足取りも掴みたい。それさえわかれば自ずと犯人の正体もわかるはずだ」


 確かに……襲撃犯の方もどうにかしなきゃいけないわね。

 氷夜をこっそり移すにしても転移者にバレたら意味がないんだし。


「ってちょっと待って」


 本当にそうかしら?

 氷夜が城からいなくなったことがバレても氷夜の足取りまで掴むわけじゃないのでは?

 心の中にそんな疑問が浮かんだ次の瞬間、私の脳裏に天啓が降ってきた。


「そうだ、氷夜は失踪したってことにしちゃえばいいんだわ!」


「ど、どうしたの小春!? ひよよんのこと嫌いになっちゃったの?」


「違うわよメロア。何も本当に失踪させちゃうわけじゃないわ。表向きは失踪したことにして氷夜を旧領事館で匿おうってこと」


「で、でもそうしたら犯人さんにひよよんがいなくなったってバレちゃうよ?」


「バレちゃってもいいのよ。だって突然氷夜がいなくなったら犯人も焦るでしょ」


「なるほど。逆に誘いだそうという訳か」


 感心したように頷くアキトに私も自信満々に微笑みを返す。


「その通りよ。氷夜のことは隠せるし、犯人はあぶり出せる。まさに一石二鳥じゃない?」


「ああ。だがそうすると小春が真っ先に狙われそうだな」


「そこは大丈夫でしょう。私とそこの女……失敬、クラムベール様が小春様をお守りするので」


「戦力的には問題ないとしてもお前は平気なのか?」


「平気です」


 アシュリンが簡潔にそう答えると、アキトは大きくため息を吐いてから言った。


「……わかった。ではその案で行こう。俺は今後の混乱を見据えて城に戻る。その間に小春たちは氷夜を旧領事館へと移送してくれ」


「了解よ」


 アキトの指示を受けて私たちはさっそく氷夜の移送作業に取り掛かった。

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