第3話 思わぬ災難

 才原さいばらさんは夢中でお赤飯を口に運び、越乃寒梅こしのかんばいを飲まれている。それらがすっかりと無くなり、締めのお味噌汁をご注文された。


「はい。お待ちくださいね」


 さくは保温して置いてあるお味噌汁をお椀に注ぐ。今日のお味噌汁はお揚げとさやいんげんだった。


「お待たせしました」


「ありがとうございます」


 才原さんは熱々のお味噌汁をずずっとすすり、ふわりと頬を綻ばせた。お酒の後のお味噌汁は美味しい。朔にも身に覚えのあることである。


 吉本よしもとさんは春きゃべつの煮浸しと長芋の酢の物をご注文され、メインに鶏の照り焼きを選ばれた。ご飯はお赤飯である。


 春きゃべつはざく切りにし、短冊切りにしたお揚げと一緒に煮浸しにした。春きゃべつは柔らかいので、さっと煮てから余熱で火を通す。これで充分しんなりとなるのである。


 甘みが引き出されたきゃべつにお揚げから旨味がにじみ出た煮汁が絡み、ふくよかな味わいになるのだ。


 長芋は拍子木ひょうしき切りにし、米酢やお砂糖などで作った甘酢で和えた。器に盛り付けてからいり白ごまをぱらりと振る。


 しゃきしゃきの長芋が甘酢と合わさり、爽やかな旨味になる。白ごまのぷちぷちした歯ごたえがアクセントになり、香ばしさを与えるのだ。


 先にお惣菜とお赤飯、お味噌汁をお出しして、鶏の照り焼きに取り掛かる。おお振りの一口大にカットした鶏肉にお塩と日本酒で下味を付けてから皮目から焼いて、ぱりっとさせたら裏面からもじっくりと火を通す。


 味付けはみりんとお砂糖、日本酒とお醤油。照りととろみが出るまでしっかりと煮詰めてあげる。


 お皿にサラダ菜を敷き、その上に仕上がった照り焼きをこんもりと盛り付けた。


「はい、照り焼きお待たせしました」


「お、ありがとうございます」


 鶏の照り焼きを受け取られた吉本さんは、さっそく大きなお口を開けてわしわしと頬張る。時折ちらりと横の才原さんに視線を動かすが、話し掛けようとされるご様子は無い。


 そうしているうちにお味噌汁を飲み干した才原さんは「ごちそうさまでした!」と満足そうに立ち上がった。


 お会計を済ませて、双子は「ありがとうございました」とお送りする。


「また来てええですか?」


「ええ、もちろんです。いつでもどうぞ」


 才原さんは嬉しそうな笑顔を残して、開き戸の向こうに消えた。才原さんが使われていた食器を片付けている時、吉本さんがこそっと話し掛けて来られる。


「才原くんに連絡って取れますか?」


「あ、はい。取れますよ」


 昨日、連絡先を交換していたのだ。メッセージSNSのものだが。


「近いうちにまた会わなあかんかも知れません。そん時にはお願いできますか」


「はい、ええですよ。いつでも言うてください」


「ありがとうございます」


 才原さんに何かあるのだろうか。だが吉本さんはそれ以上何も言わず、かつかつと威勢良くお食事を進められた。




 営業が終わり、朔はフロアの掃除をしながら厨房を片付けるように聞いてみる。


「吉本さん、才原さんと何かお話とかしはるやろかと思ったんやけど、結局何もせんかったんよね」


「みたいやな。妖怪が見えるもん同士、ちゅうか才原さんはほぼ初心者やけど、吉本さんにとったら特にこれっちゅう興味っちゅうか、そういうんは無かったんやろか」


「でも連絡取らなあかんかも知れへんて言うてはったんよ。どういうことなんやろ」


「そうなん? どういうことなんやろな」


 朔も陽も「ん〜?」と首を傾げてしまう。わざわざ連絡を取りたいとおっしゃるのなら、何かお話や聞きたいことがあるのだと思う。なら今日隣り合った時になぜしなかったのか。


 そうする事情があるのだと思うのだが、双子には想像ができなかった。


「マリコちゃんには判る?」


 マリコちゃんはカウンタで余りのお惣菜をもりもりと食べている。口いっぱいに頬張ったそれをごくりと飲み下すと「ん?」と朔を振り返る。


「吉本さんが才原さんに話し掛けはれへんかったのに、連絡取らなあかんかもって言わはったこと。マリコちゃんはなんか判る?」


 するとマリコちゃんは「うむ」と渋面を作る。


「心当たりはあるんじゃが」


「なになに?」


 陽が興味深げに身を乗り出した。


「確証は無い。吉本の連絡を待つのが確実じゃ」


「そんなぁ〜」


 陽はおあずけを食らった犬の様にしょんぼりと目尻を下げる。


「そんなん言われたら余計に気になるやんかぁ〜」


「急いては事を仕損じる、と言うでは無いか。そう時間は掛からん。大人しく待っておると良いぞ」


 陽は膨れっ面になって不満そうだが。


「仕損じるって、吉本さんは何かしはるつもりなん?」


 朔が聞くと、マリコちゃんは「ふん」と鼻を鳴らした。


「まぁ、準備はいるじゃのうなぁ」


 マリコちゃんは何かに気付いている。だが今は言うべきでは無いと思っているのだ。こうなるとマリコちゃんはきっと何も言ってくれない。なだめすかしても無駄だろう。


「分かった。待ってみるわ」


 朔が言うと、陽も不承不承ふしょうぶしょうと言った様子ながら「うん」と頷く。マリコちゃんは「うむ」と鷹揚おうように頷いた。




 翌日、自宅で母とマリコちゃんの4人で昼ごはんを食べ終えたころ、朔のスマートフォンにメッセージが届いた。吉本さんからだった。


『次、あずき食堂さんがお休みの時、場所を貸してもらえませんか』

『そこに才原くんも同席して欲しいんです』


 本当にすぐに連絡が来た。朔は陽と手早く洗い物を済ませ、マリコちゃんとともに自室に入った。


「ええやんね?」


「うん」


「うむ」


 朔は吉本さんに返事をする。


『分かりました。あずき食堂の定休日は月曜日です。次の月曜日でよろしいですか? 才原さんにお伺いしてみます』


 そして吉本さんからのお返事を待つ間に、才原さんにメッセージをお送りする。


『突然で申し訳ありません。次の月曜日お時間ありますか? あずき食堂は定休日なのですが、お店に来ていただきたいのです』


 才原さんはお仕事中なので、お返事までは時間が掛かるかと思ったが、意外にもすぐに届けられた。


『分かりました。大丈夫です。昼は仕事なので、夜7時以降になりますが、大丈夫でしょうか』


 すると今度は吉本さんからのお返事があった。


『月曜日で大丈夫です。時間はいつでも構いません』


 なので朔は吉本さんにお返しする。


『才原さんのお仕事が終わってから、夜でお願いします。7時はどうですか?』


 吉本さんのお返事は早かった。


『7時で大丈夫です。よろしくお願いします』


 今度は才原さんにメッセージを送信する。


『7時で大丈夫です。ご無理を言いまして申し訳ありません。どうぞよろしくお願いします』


 無言で集中してアプリを操作していた朔は、ひと段落付いて「はぁ〜」と息を吐いた。


「ほらな、すぐに連絡が来たじゃろ?」


 まるで分かっていたかの様に言うマリコちゃんに、陽は詰め寄る。


「ほんまに何なん。才原さんに何かあるんか?」


「まぁの、しかしわしも、前にも言うたが確信があるわけでは無い。じゃが多分間違いは無いじゃろう。なのでこれだけは言うておいてやる」


「何? 何?」


 陽が好奇心をむき出してマリコちゃんに迫った。マリコちゃんはその圧にりながら。


「才原には恐らく、妖怪がいておる」


 双子は揃って目を丸くした。しかし多分、その心中は朔と陽とで違う。陽は「うわぁ」とわくわくした様な顔になった。だが朔は。


「大丈夫なん? 才原さんに何か影響とか無いん?」


「分からん。じゃが吉本はあまり良く無いと判断したんじゃろうな。じゃから才原を呼び付けたのじゃ。力のそう無い妖怪じゃったら問題無い。放っておいても適当に離れて行く。じゃがきっと才原に憑いておるものはそうでは無い。見える才原が気付かんほどの大きな力をもったものなのじゃろう」


「悪いもんなん?」


「それもわしには判らん。じゃが吉本が介入することではっきりするじゃろ。月曜日を待つことじゃな」


 そこまで言われると、さすがに陽も神妙な面持ちになっている。無責任に楽しめないだろう。朔は「そうやね」と頷いた。


 妖怪を怖いと思っている才原さんに、その妖怪が憑いているとなると、知ったその時の才原さんのお心が心配になってしまう。きっと大きなショックを受けられるだろう。


 今日は土曜日である。月曜日まであと2日。その間に何か良からぬことが起こらなければ良いのだが。

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