四方山話その2

辛党アマビエちゃん

 とんとん、ことこと。「あずき食堂」の厨房に、仕込みをする音が響いている。包丁を使う音、お鍋が煮える音。それは耳に心地よく届く。


 双子は穏やかな心持ちで丁寧に下ごしらえを進める。お魚を3枚に下ろし、鶏肉は大振りの一口大に。


 今日もお惣菜は5品ご用意する。煮浸しはからし菜である。お揚げも使っていて、ふくよかなお出汁をまとい、ぴりっとしたからし菜の辛みを包み込む。


 卵焼きはちりめんじゃこで作った。小さいながらも強い旨味を持つちりめんじゃこが、卵の甘みと合わさって良い味わいになるのである。


 マリコちゃんはそんな双子の動きを、カウンタの椅子に掛けて楽しげに見つめている。もうすぐお赤飯も炊き上がろうとしていた。


「こんちゃ(こんにちは)」


 そんな赤ちゃんの様な声がしたのは、さくが形成したハンバーグの種にラップをし、冷蔵庫に入れた時だった。


 マリコちゃんから1席空けて座っていたのは、妖怪アマビエだった。バブル時代に流行ったワンレングスの様なヘアスタイルに、くちばしの様なお口、お魚のひれの様な耳、身体には鱗をまとっている。今は見えないが、下半身はお魚の尾ひれの様にひらひらとしたものが付いている。


「あ、アマビエちゃん。こんにちは」


「あ、ほんまや。アマビエちゃんこんにちは」


 双子が挨拶をすると、アマビエちゃんは「あい、こんちゃ」とにこりと笑った。


 マリコちゃんはアマビエちゃんをじっと見て、少々不機嫌な様子で言う。


「どうも、わしとアマビエ、きゃらが被っとる様な気がするんじゃが」


 確かにマリコちゃんもアマビエちゃんも、幼い印象である。だがアマビエちゃんの見た目はマリコちゃんと違って人っぽく無い。そしてマリコちゃんの思考と喋り口調は人間の大人とそう変わらない。アマビエちゃんも考え方は老成ろうせいしているのだろうが、口調はすっかりと幼女だ。


 似通った部分もあるのだが、双子はこの2体がそこまで似ているとは思っていなかった。それにしてもキャラ被りを気にするとは、マリコちゃんもすっかりと大阪に馴染んだものだ。


 妖怪アマビエは、疫病えきびょう封じの妖怪である。豊作や疫病などに関する予言をしたという逸話がある。ただ疫病をしずめるかについては名言されていない。


 と言うのが表向きの見聞である。


 アマビエちゃんは小さな身体で、関わる人の健康を願ってくれている。見聞通りだとそれが叶えられるかは分からないのだが、双子は意味の無いことだと思っていない。


「おちぇきはんを、くだちゃい。ごまちお、ちゃっぷりで(お赤飯を、ください。ごま塩、たっぷりで)」


 アマビエちゃんはそう辿々しく言う。その目は期待で輝いている。朔は「はぁい」と笑顔で応える。


「もうすぐ炊き上がるから、ちょっと待ってね」


「あい」


 アマビエちゃんは素直に頷いた。双子はまた仕込みを続ける。


 やがて炊飯器が仕上がりを知らせる音を鳴らす。白米の方はすでに炊きあがって蒸らしも終えているので、これはお赤飯の方である。


 ようが手を開けて、炊飯器の蓋を上げる。もわぁっと湯気が上がり、お赤飯の香りが朔にも届いた。


「ええ香りじゃ」


「あい」


 マリコちゃんとアマビエちゃんもその香りを吸い込み、目を細める。


 陽はしゃもじでお赤飯をほぐした。余分な水分を飛ばし、再びふたをして蒸らしに入る。


「マリコちゃん、アマビエちゃん、お赤飯あと10分待ってなー」


 お赤飯を待ち構えているのはマリコちゃんもである。


「うむ」


「あい!」


 そうしてお赤飯の蒸らしが終わるころには、仕込みもあらかた終わっていた。


 陽がお茶碗にお赤飯を盛り付け、ごま塩を振る。片方にはたっぷりと。それを間違わない様に、マリコちゃんとアマビエちゃんの前に置いた。


「はい、お赤飯お待たせ〜」


「うむ」


「ありあとごじゃます(ありがとうございます)」


 マリコちゃんは自分のお箸を出した。アマビエちゃんにはお箸を渡す。


「いただきます」


「いちゃじゃきましゅ(いただきます)」


 2体は揃ってお行儀良く手を合わせ、お赤飯をかっこむ様に食べ始める。もぐもぐと噛んで、まるで示し合わせた様に2体は表情を綻ばせた。


 アマビエちゃんは塩辛いのがお好きな様で、いつもたっぷりのごま塩を掛けて欲しがる。普通の味覚の人が食べたら、きっと塩っ辛くて顔をしかめてしまうだろう。


「マリコちゃんはお惣菜もやんね。すぐに盛るから待ってね」


「うむ。頼む」


 アマビエちゃんにもお惣菜をおすすめしたことはあった。だがいらないと言われてしまって、それからはすすめていない。


 朔は丸皿にお惣菜全種を少しずつ盛り付ける。今日は煮浸しと卵焼きの他には、人参とうすいえんどうの白和え、ちくわと青ねぎの炒め物、にらのごま和えを用意していた。


 白和えはお出汁も使い、ふんわりとしたお豆腐にふくよかな旨味がたっぷりと含まれていた。甘い人参と爽やかなうすいえんどうが相まって味わいを高める。


 ちくわと青ねぎは、食感の違いが楽しい一品である。ちくわの旨味と、火を通して甘みが引き出された青ねぎの味の調和が良いのだ。


 ごま和えのにらは旬を迎え、しっかりとした厚みを蓄えている。茹でることで辛みが抑えられ、香ばしいすり白ごまと良い絡みを見せるのである。


「はい、マリコちゃん、お待たせ」


「うむ」


 マリコちゃんはお赤飯のお茶碗を置き、まずは好物の卵焼きからかじりついた。


「やはり卵は良いものじゃ」


 するとアマビエちゃんがお箸を止めて、卵焼きを頬張るマリコちゃんを羨ましげな表情で見つめる。


「アマビエちゃん?」


 朔が声を掛けると、アマビエちゃんは少し遠慮がちに言った。


「あの、おしおのちゃまぎょやいちゃの、ちゃべちぇみちゃい(あの、お塩の卵焼いたの、食べてみたい)」


「お塩の卵焼き?」


 朔が聞くと、アマビエちゃんは「あい」と頷いた。


「ほな焼いてみよか」


 アマビエちゃんがこのお店でお赤飯以外の食べ物に興味を持つのは初めてのことだ。朔は冷蔵庫から卵をふたつ出し、ボウルに割り入れた。


 そこにお塩を入れるのだが、さて、どれぐらいの量がちょうど良いのか。思案していると、思い出されたのはお砂糖を使った甘い卵焼き。焦げやすくて焼くのは難しいのだが、子どもには大人気の一品である。


 あれにも結構な量のお砂糖が使われていたはずだ。朔はそれを思い出して、お塩を多めに入れた。


 菜箸でほぐすと、溶けていないお塩のじゃりじゃりとした感触がある。これは一般的な味覚の人には食べられない量だろう。


 卵焼き器を使って手早く焼いて行く。お砂糖では無いので、焼き方は普段と変わらない。


 そうしてできあがったお塩たっぷりの卵焼きを角皿に載せた。


「はい、アマビエちゃん、お待たせ。お口に合うとええんやけど」


「ありあとごじゃます!(ありがとうございます!)」


 アマビエちゃんは卵焼きを前に目を輝かせ、さっそくお箸を入れてひとくち口に放り込んだ。そしてにっこりと口角を上げた。


「おいちいでちゅ!(おいしいです)」


「良かった」


 お気に召してくれた様だ。朔はほっとして微笑む。


「塩をたくさん入れておったの。そんなに旨いのか?」


「んん!」


 マリコちゃんの疑問に、アマビエちゃんは食べてみろと言う様に、マリコちゃんに角皿を差し出す。マリコちゃんは、色だけは普通の卵焼きを前に、おののいた様にごくりと喉を鳴らした。


「……やめておく。恐らくわしには塩辛すぎるじゃろうからな。アマビエ、全部自分で楽しむが良い」


「ん!」


 アマビエちゃんは嬉しそうに頷くと、また卵焼きをつついた。




 そうしてマリコちゃんのお皿もアマビエちゃんのお皿も、すっかり空になった。


「ごちそうさまでした」


「ごちちょうちゃまでちた(ごちそうさまでした)」


 そう言って手を合わせた。


「はい。お粗末さまでした」


「おいしかったか?」


「うむ。今日も旨かったぞ」


「あい! おいちかっちゃでちゅ(はい! おいしかったです)」


 マリコちゃんもアマビエちゃんも、満足げににっこりと笑った。


「良かった」


 双子が並んで空いたお皿を引こうとすると、アマビエちゃんがさりげなく居住まいを正す。


「ちゃくちゃま(朔さま)」


「はい?」


 呼ばれ、朔は小首を傾げる。


「おめめに、きをちゅけちぇくじゃちゃいね(お目々に、気を付けてくださいね)」


 朔はそのせりふにはっと息を飲み、次には穏やかな笑顔を浮かべた。


「ありがとう。気ぃ付けるね」


「あい!」


 アマビエちゃんは満面の笑みを浮かべた。


「にぇあ、ちゃようにゃら!(では、さようなら!)」


「はい、さようなら」


「さよなら」


「ふむ、またな」


「あい!」


 アマビエちゃんは笑顔のまま、すぅっと消えていった。ごま塩たっぷりのお赤飯を食べ、双子のどちらかに健康方面のアドバイスをして、帰って行くのが恒例なのである。


「朔、目の調子が悪いのか?」


 なので、マリコちゃんが心配げにそう聞いてくるのは、無理からぬことなのである。


「ううん、大丈夫。ただね、目薬が切れてしもうて、うっかり買い忘れてて、最近目薬さしてへんの」


「ありゃ、ほな明日にでも仕込み前にドラッグストア行こか。目ぇは大事にせんと」


 陽にも言われてしまう。朔は特に目が悪いわけでも弱いわけでも無いのだが、この「あずき食堂」の経理を担っていることもあり、陽よりもパソコンに向き合う時間が長いのである。


 あまり自覚症状は無いが、多分疲れるだろうと、朔は目薬を常備する様にしていたのだ。


「ありがとう」


 ふたりの心遣いが嬉しい。朔はふんわりと笑みを浮かべた。

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