第2話 特別なお客さま

 その日の営業が終わり、カウンタではマリコちゃんがお赤飯とお惣菜のあまりを頬張っている。今日は珍しく卵焼きが少し余ったので、マリコちゃんはご機嫌だった。


 朔はフロアにほうきを掛けながら、マリコちゃんに問うてみる。


「ねぇマリコちゃん、伊集さんのお仕事って分かる?」


 マリコちゃんは口いっぱいに詰め込んでいたお赤飯をごくりと飲み下すと、けろりとした表情で口を開いた。


「分からん」


 そうきっぱりと言い切られてしまう。


「わしは客が仕事や勉学にどれだけ励んでおるかは分かるが、何をしているかまでは分からんぞ」


「そっかぁ。マリコちゃんでも分からんかぁ」


 朔は小さく息を吐いた。


「なんなん。どないしたん」


 厨房のお片付けをしている陽が聞いて来たので、朔は「いやぁねぇ」と首を傾げる。


「伊集さんが大好きで、隙あらばお話してる瑠花さんですら知らはれへんて言うから、ちょっと気になって」


「ふ〜ん? そう言えば私も聞いたこと無いしなぁ。なんやミステリアスな感じの人やし、普通の会社員って想像ができひんわ」


「そうなんよねぇ」


 双子は手を動かしつつも、揃って「ん〜?」と首を傾げる。浮世離れしていると言うのか、確かに企業にお勤めしていると言うよりは、例えば何かの職人だとか、そういうイメージの方がしっくり来る。


 だが朔が見たところ、伊集さんの手はしなやかで白くて綺麗である。細くて長い指はワイングラスが良く似合う。手を使って何かをしている風にも見えなかった。


「伊集の仕事内容がそんなに大事か?」


 マリコちゃんが言うので、視線を向ける。マリコちゃんの前に置かれているお惣菜の丸皿とお茶碗はすっかりと空になっていた。


 マリコちゃんは「ごちそうさまでした」と手を合わせ、不思議そうな顔をして再び口を開く。


「伊集はしっかりと仕事に打ち込んでおる。じゃから半分の量とは言え、赤飯の加護がある。それではいかんのか?」


 双子は目を見合わせて、「それもそうやね」と頷く。


「ま、機会があったら知れるかも知れんし、そんな考えることも無いんとちゃうか?」


「そうやねぇ。まぁね、お客さまにあんま踏み込んだらあかんよね」


 詮索は良く無い。双子はあくまで伊集さんがご贔屓にしてくださっている飲食店の店員に過ぎない。お客さまが望まれるならともかく、線引きはきちんとしなければならない。


「そういうこっちゃな」


 陽が言って、この件はひと段落したと思ったのだが。


「と言いつつ、わしは少し気になるの。伊集は特別じゃからの」


「え!」


「は!?」


 突然のマリコちゃんの爆弾発言に、双子は揃って目を剥いて、マリコちゃんを凝視した。


「特別ってどういうこと!?」


 朔が問い詰めると、マリコちゃんは「ふふん」と鼻を鳴らした。


「多分そのうち分かる。待っておるがええぞ」


「気になるやん!」


 陽も言うが、マリコちゃんはもう何も言うことは無いと言う様に、黙ったまま椅子から飛び降りた。


「それよりも早う掃除をせい。帰りが遅くなるぞ」


「そうやけど」


 朔が小さく眉をしかめると、マリコちゃんは呆れた様に「ふぅ」と息を吐く。


「せっかちじゃのぅ。ま、少し待つが良い。帰りまでわしは消えておるからの」


 マリコちゃんは言い残して本当に消えてしまった。まるで逃げる様に。こうなるともう話し掛けることもできない。マリコちゃんがこんな思わせぶりなことをするなんて。


「どういうことやろ」


「分からん。でもああなったらマリコちゃんは何も言うてくれへんわ。待つしか無いんやろ」


「そうなんやろうけど……」


 マリコちゃんは頑張る人を応援する。だからこれまでもお赤飯を介して小さな良いことをもたらして来た。だが特別なお客さまだなんて口にするのは、初めてのことだった。


 一体伊集さんはどういう方なのだろう。気になって仕方が無いが、応えてくれる人は総じて口を閉じてしまっている。


 結局朔はもやもやを抱えたまま、お掃除を続ける羽目になってしまった。




 数日後、瑠花さんが訪れる。


「こんばんは!」


 今夜もお元気である。店内をきょろりと見渡し、伊集さんがおられなかったからか残念そうな表情を浮かべながら、空いている奥寄りの席に腰を降ろす。


 瑠花さんと伊集さんはお約束をしているわけでは無いので、いつでも会えるわけでは無い。そうしないということは、おふたりはまだそこまで親しいわけでは無いということか。もしかしたら瑠花さんは持ちかけているのかも知れないのだが。そんな押しの強さが瑠花さんにはある。


 伊集さんは来られる曜日などが決まっているわけでは無い。なのでその日の気分で決めておられるのだと思う。そうきままにされているのなら、お約束は重いと思われても無理は無いだろう。


 瑠花さんは今日もお酒は頼まれず、お惣菜ににらともやしのごま和えと、新ごぼうのおかか炒め、メインにあおりいかのねぎ塩炒めをご注文され、もりもりと頬張っていた。ご飯はやはり白米である。


 もしかしたらご飯をお赤飯にしたら、伊集さんにお会いできる確率が上がるのでは無いだろうか。そんなことを朔は思うが、苦手なものをおすすめすることはできない。


 ごま和えのにらともやしは茹でて使う。しっかりと水分を切り、お出汁とお砂糖とお醤油、すり白ごまで作った和え衣で和えた。少し癖のあるにらともやしの甘みを白ごまがまとめ上げるのだ。


 おかか炒めの新ごぼうは今の旬である。柔らかくて瑞々しく、皮も柔らかいので皮ごと使う。歯ごたえを残すために太めの千切りにして炒め、みりんとお砂糖とお醤油で味付けをし、仕上げにたっぷりの削り節をまとわせる。削り節の旨みが新ごぼうのほんのりとした心地よい土の香りと、甘みを引き立たせるのである。


 あおりいかも今が旬である。日本酒とお塩で炒め、たっぷりの青ねぎの小口切りを入れたらさっと炒めて、青ねぎの食感と風味を生かす。甘いぷりっぷりのあおりいかと、爽やかでしゃきしゃきの青ねぎの比較がおもしろい一品である。


「あのぉ、朔さん、陽さん」


 瑠花さんに話し掛けられ、双子は揃って「はい?」と返事をする。


「おふたりは、伊集さんが何のお仕事してはるか、聞いてはります?」


 双子は顔を見合わせ、それぞれに申し訳無さげな表情を浮かべた。


「いいえ、聞いてへんのですよ」


 朔が言うと、瑠花さんは「そうですかぁ〜」を眦を下げる。


「おふたりにも話してはりませんかぁ〜」


 もしお伺いしていたとしても、吹聴する様なことはできない。伊集さんのプライバシーだからである。他のお客さまのことならともかく、伊集さんは良くお話をされる瑠花さんにまで明らかにしていない様だから、やはり口外したく無いのだ。


 しかし瑠花さんはすかさずお気を取り直される。


「あのぉ、これは私の想像なんですけどぉ。ほら、伊集さんて、とってもミステリアスや無いですかぁ」


「そうですね」


「せやから、伊集さんはきっと!」


 ここで瑠花さんは勿体振る様に言葉を切る。


「きっと?」


 朔が促すと、瑠花さんは得意げに言い放った。


「占い師やと思うんです!」


「……ああ」


 何だか納得してしまう。そう思わせてもおかしくない雰囲気が伊集さんにはあった。


「話し方も落ち着いてはってぇ、こう、すぅっと染み込むっちゅうか、説得力があるっちゅうかぁ」


 確かに、伊集さんの落ち着いた語り口調は、耳心地がとても良い。そのお声で「あなたのこれからは」なんて言われたら、聞き入ってしまいそうだ。


 マリコちゃんが伊集さんを特別だと言ったのは、もしかしてそういう神秘的な力をお持ちだから、ということなのだろうか。


「どうですぅ?」


 そう前のめりになる瑠花さんの目は確信に満ちている。なのでついそうだと言ってしまいそうになるが。


「そうかも知れませんね」


 朔は笑顔でそう応えるにとどめた。陽も静かに微笑むだけである。

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