嫌われ用務員令息と愛され男装令嬢が、恋に落ちたなら
橘都
(前)
今日中に(前)(中)(後)と三話投稿します。
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一人の少年が地味で質素な衣服を身にまとい、早朝の礼拝堂へと足を踏み入れた。
目に見えない神や精霊に祈るためでも、なにかを願うためでもない。単に命じられていた装飾色硝子窓の修復のためだ。
少年という年齢でも、身体はもはや青年の域で、縦に順調に伸びているが横への成長はまだ薄い状態だ。衣服にも食事にも大きな金をかける必要性を彼自身は感じていない。別に誰に貧相と言われようとも構わなかった。
長い登り梯子のぎりぎりでも届かないほど高所の位置だが、彼の背の高さを足せば手が届く。多少面倒だと思いながらも、これも自分の課せられた義務のひとつと内心で嘆息しながら梯子に登る。
窓の枠内で複雑な色を組み合わせた絵硝子は、宗教的な意味合いを表しているらしいが、彼にはそんな高尚なことは関係がないと不勉強なままだ。元の色に直せればいいだろうと、欠けた色の部分を丹念に見直していた。
日が登り始めた時間など、貴族の令息令嬢が集うこの学園内では誰も来ないだろうと始めた作業だった。
実際、礼拝堂の扉が開く音は聞こえなかったが、ふと作業を止めて下を見下ろした彼は、驚きでよくも梯子から落ちなかったなと自分を褒めた。
いつの間にか、礼拝堂の客席の一つに、女性の姿があった。
上空からは顔は見えなかったが、下ろされた長めの髪は薄い茶髪とも薄金とも見えた。装飾もない簡素な女装、細身の身体に、おそらく若い女とみた。この学園の寮に住まう女生徒の一人だろうか。
祈りの姿勢をしているわけではないが彼女の邪魔をする気にはなれず、彼は変な体勢で身体に入る不自然な力をしばし我慢した。下を向いたままでは疲れが増す気がして、色硝子に目を移す。この色は何を組み合わせて作ろうかと頭の中で考えているといつの間にか時間が過ぎていた。
またふと視線を下にすれば、薄い印象の女性はその姿を消していた。
噂の幽霊かな。彼は噂話には疎いし参加する意思もないのでこの学園の話題にはまったく興味がなかったが、幼馴染の侯爵令息が結構なおしゃべりなため、学園の美少女幽霊の話は聞いたことがあった。
美少女の噂の真相を幼馴染にしてやれば喜んだだろうかと考えたが、ようやく梯子から降りることができる安堵感の方が勝った。そろそろ足が攣りそうだったから助かった。疲れるからもう幽霊には遭遇したくない。
この学園には、国中の貴族の令息令嬢が通うこととされている。身体的な理由や事情ある場合は免除されることもあるが、通わないとする許可が必要になる。学園に入ってさえしまえば、勉学に励むか、交友に励むか、または特になにもしなくても国や学園から咎められることはない。領地に篭っていては世の中を知る機会が狭まり、国の発展は妨げられることを理由とした国策として学園は設立された。
かつては社交のためだけの形骸であったのが、貴族子女の学力の低下が問題視されてからは勉学にも力を入れることになった。優秀な成績ならば貴族ではない有力郷士や商家の子女でも入園が可能と変更され、いまでは多様な人材が通っている。
学園に入れる年齢は十一歳から十七歳まで。最低四年間通い、易しくはない最終試験を受けて合格すれば卒業できる。通常は最年少では入学しない。入学試験も易しくはないからだ。
卒業後は専門学院へ進むか、騎士学校へ入るか、結婚して領地経営に携わるかといった選択肢が増える。女生徒のほとんどは結婚へ進み、一部は己の才能を伸ばして職業婦人の道へ進む。女性だからと差別されないよい時代となった。
貴族令息たちは嫡子以外は専門学院へと進み、自分ができる道を探っていく。領地経営の手助けをするも、国に身を捧げるも自分で選べる。こちらも貴族だからと狭い道しかなかった堅苦しい時代は過ぎ去った。
周辺国との関係性は表面上は良好、産業も各地で発展しており、職業選択の自由度が増した平穏な時代。
そんな平和な時代でも、狭い空間ともなれば多様な人がいることによって問題が起こる。平和な時代だからということもあった。
学園の話題は、現在二人の人物のことが大きく取り沙汰されていた。
多くの人から愛されている女子生徒と、多くの人から嫌われている男子生徒。
「嫌われ用務員か。お前も有名になったなあ」
「知るか」
上位侯爵家の嫡男であるエイラットは授業合間の移動時間に少し後ろを歩いていた幼馴染に声をかけたが、返ってきたのは無愛想な声だ。
エイラットは肩を大袈裟にすくめてみせる。華やかな髪色の好青年である侯爵家嫡男と、暗い髪色で従者のような地味な雰囲気の男子生徒。同じ学生服を着ているのに、なぜか片方は高貴な雰囲気を醸し出していて、片方は貧乏ったらしく見える。
「お前が奨学金なんかを取るから、貧乏平民学生と間違われるんだよ。本当のことをみんなに言ったらどうだい?」
侯爵家嫡男が嫌われ者と一緒にいても咎められないのは、侯爵家の縁者と思われていて、彼を連れ歩いているのは雑事をする従者だと見られているからだ。実際そのようなこともしている。
「あの侯爵家令嬢に忌み嫌われたのがまずかったよねー」
嫌われ用務員と有名になってしまった幼馴染は、実際は隣領地の伯爵家嫡男だ。質素倹約を絵に描いたような家柄で、幼馴染本人も自身を着飾ることに興味はないので、いつも長くなってしまった髪を洗ったままの状態にして梳かすこともしていない。もったいない。
“あの侯爵家令嬢”とは、学園のもう一人の有名人のことではない。彼女の取り巻きの一人で、この学園には結婚相手を見つけにきたことを隠しもしない令嬢だ。それはそれで潔いが。
なにせこの幼馴染は、学生服以外は地味で地味で地味すぎて、学内一の貧乏人に見える。実際着る衣服に金はかかっていない。質素倹約な実家からなにか送ってくることはないということに便乗して、自ら地味に両足を突っ込んでいる。ひたすらもったいない。
もう次の教室へ着く直前にチラリと幼馴染を見つめる。
黒髪に見えるほど濃い茶髪は伸びすぎて幼馴染の顔面を覆ってしまっている。もうそろそろ後ろ髪を括れるくらいだ。きちんと整えれば、かの侯爵令嬢に忌み嫌われることもなかっただろうにと思う。
二人で教室に入れば、自分に声を掛けたそうにしている生徒が、もう一人を見つけて口を結んだ姿が目に入った。軽く手をあげて軽い笑顔を見せると、安堵したように表情が緩んだ。せっかく気を利かせるこういったことも、幼馴染の好感度上昇の手助けには一切役立ってはいない。噂話が大好きな者たちによって尾ひれがついて、鱗も目ん玉もついて、ひょいひょいと勝手に泳ぎ出している。困ったものだと思うが、それでもこの幼馴染はなんの苦痛も感じていない。
助けてくれと願うほど気にしてくれたら、自分の全力でもって護るのにと、エイラットは幼馴染に理不尽な苛立ちを覚えた。
一方の有名人である愛され令嬢は、昼食時間となって学生食堂の一角に友人たちと共に優雅な昼食会をしていた。
昨年卒業してしまったこの国の王族以外に、唯一学生食堂の特別席を使用することを許され、彼女の友人たちも共に他の生徒たちの席から離れてゆったりと時間を気にすることなく過ごしている。この特別扱いは誰からも咎められることはない。去年卒業した王族が自ら許可したことだからだ。
女生徒だらけの特別席で唯一の男子生徒、いや、男子生徒の制服を着た女性が噂の人物だ。
男子学生服姿、化粧もしないで素顔のまま、一般の男子生徒よりも短い髪、それでも、彼女は誰よりも美女だった。
「今日もあの貧乏用務員が辛気臭くて、わたくし、もう同じ教室にいるのが嫌なのです!」
そう男装美女に訴える、貧乏用務員男子生徒を忌み嫌っている侯爵家令嬢と同じ、侯爵家の令嬢に生まれたにもかかわらず、彼女が男装をしていることには理由がある。そのことは、貴族家であるならおそらくほとんどの者が知っている。噂話に疎い人間でない限り。
「セイラ。そのように可愛らしい声を枯らすのはよくない。その男のことは放っておけばいいよ」
いい男性と巡り合いたいと願っている侯爵家令嬢セイラは、今日もこの目の前の愛され令嬢が男ではないことを心の底から残念に思った。
彼女は男装をしているだけで、男そのものの仕草をしているわけではない。女性らしい態度を見せてもいない。自然と、一人の人として、そこに存在している。
それでも、セイラは恋焦がれる。男性としてではなく、女性としてでもない、この人だからこそ。
男装をしている理由を知れば、皆彼女の境遇を哀れに思い、彼女の心を尊ぶ。
男を無視すればいいと発言しながら、その言葉に尖りは一切ない。セイラへの優しささえ見える。
彼女のその優しさに、彼女の生き方に、涙ぐみそうになりながらセイラは反論を返そうとした。
「セイラ、リティの言う通りよ。気にしたほうが負け。人を外見で判断するの? 最近のあなたは、かなりその男子生徒のことばかり話していることに気づいてる? どうしたら気にしなくなるか、それを考えたほうがいいと思うわ」
凛とセイラに話しかけてきたのは、この国でも筆頭にあたる公爵家令嬢。本来ならこの学園で最も高貴と敬われてもいい令嬢は、愛され侯爵令嬢に侍り、彼女の陰に勧んで身を置いている。それを当然のように受けている彼女も彼女だが、自然体こそ愛され令嬢の真骨頂だった。
食後の茶をいただきながら、この年齢らしく華やぎながら、彼女たちは日常を過ごしていた。
まだ顔を合わせたことのない、嫌われ用務員令息と、愛され男装令嬢。
初対面は、双方思わぬ出来事がきっかけだった。
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