Case.1 ‐方舟へみちびく女‐(8)

     8


 二人がかりで片付けると、あっという間に部屋はれいになった。

 業はブラックコーヒーをれ、海那に渡すと、さっそくベササノの炎上案件についての動画を作り始めた。

 動画はフリーソフトで十分な、文字ベースのものを作成する。だが、中国の動画投稿者集団を経由して世界中に拡散させることを想定すると、低品質な動画は提供したくない。

 誰でも動画が作れる時代だ。低品質な動画はそれだけで信用も落とす。

 情報には鮮度があるように、品質は信用の指標なのだ。業のこだわりだった。

「なにか手伝うことはないですか……?」

 海那が業の背に話しかけた。

「パソコンは一台しかない。残念だが、作業は分担できない」

 業は振り向き、海那を見て思った。先ほどの大掃除で海那も汗ばみ、舞った埃が体に付いたことだろう。業は想像を巡らせ、最大限の気配りで言う。

「シャワーでも浴びてくればいい」

「なんですかそれ。提案がいやらしいですね」

「おれなりの気遣いだ!」

「はは、冗談ですよ。お言葉に甘えてシャワーを借りますね」

 言うと海那は緩慢に立ち上がり、場へ向かった。疲労が見え隠れしていた。

 深夜一時。昼夜逆転の業は、ここからが絶好調な時間帯だ。

 炎上動画の構成は、まず視聴者がわかりやすいように全体像を紹介する。

 それから経緯の説明に移り、対象が何をしたのかの言及、証拠画像の提示、最後に批判と扇情的な言葉で締めくくるといった流れが理想だ。

 とくに、あおり文句や気のいたセリフ回しは、視聴者の心をぐっとつかむ。

 手際よく原案となる動画が完成した。それから業は声を吹き込むことにした。

 文字だけの動画は訴求力が下がる。自動音声読み上げツールを使い、肉声をさらすことなく音声を入れていく。業も【燃えよ、ぶい!】を運営する中で、動画も一緒に投稿してアクセスの間口を広げる機会を作っていた。動画制作や投稿も慣れたものだ。

「ん〜……! 完成か」

 作業が一段落つき、業は背筋を伸ばした。

 時刻は明け方四時半。外はまだ暗いが、早起きな人は起きてくる頃合いだろう。

 振り向くと、海那は遠慮もなく業のベッドですやすやと寝ていた。

 いつの間に寝たのだろう。とんに除菌スプレーは振りまいたが、洗濯したわけではないので申し訳なくなる。匂いとか大丈夫だろうか。

「……」

 海那の寝顔を脇目に、業はひっそり〝鏡モア〟について調べ始めた。YouTubeのチャンネルを開く。ありがちな自己紹介動画、再生数が多いアーカイブがトップに並んでいる。

 最初の動画投稿時期は二ヶ月前。アーカイブの再生数も平均千回ほど。

 ガワの画力はすさまじいが、まだ注目を浴びず、これからというVTuberだ。

 業はいくつか動画を再生したあと、トップページに戻った。よもやこのVTuberが運営の責め苦に耐えかね、自死を望んでいるとは、ファンもつゆにも思わないはずだ。

「わかるわけがない……」

 このVTuberに引導を渡したとして、ファンの思いはどうなるのか?

 それからTwitterを開き、鏡モアの配信タグやファンネームタグで検索をかける。


 □スポイデメン @taitsumen

 おつもあ。最近露骨なエッ……!!で個人的ににっこり

 次回の配信も楽しみよのう(ゲス顔)#モアタイ #鏡モア

               2022-06-24 21:10:38

 □ヴォエーっと吐くたか@モアラー @p1y0h1k0

 #モアタイ 目刺し弁当はぜいたく品。王道は日の丸。異論は認める。

               2022-06-24 21:12:11

 □いわしクン @nhonhokun3

 また仲間の鰯が美味おいしく食べられる手伝いができたンホ!

 モアちゃんの配信初だけど楽しかったンホ! またお邪魔するンホ! もっと仲間たちの美味しい食べ方を教えに行くンホー! #モアラー のみんなよろしくンホ!

               2022-06-24 21:15:59

 □カスピ重曹@Ray民💊🥕🌊☀モアラー @juso_kasupi

 鰯クンのサイコパスみがやばい #モアタイ

               2022-06-24 21:41:03

 □とま@モアラー @tom0625

 #モアラー の皆さん今夜も #モアタイ おつでした! なんと明後日あさっての配信はスリムハンドルアドベンチャー! モアちゃんがクリアできるか楽しみですね。今日のスクショ上げます! 実は明後日、僕の誕生日だったり……ちゃっかり祝ってもらえないかな()

               2022-06-24 22:05:16

〝□カルゴ@推し @kr5_mn

 おつのあ! 今日の配信も推しがかわいすぎた。

 乃亜ちゃんのかわいいを全力で共有していきます!

               2021-06-24 23:04:40 〟


「……っ!」唐突に襲ったフラッシュバック。かなえ乃亜を推す自分の幻覚が映った。

 あのアイドルはごうの憧れだった。スターだった。それがまるで悪魔のようにほほみ、心臓をわしづかみにしてくる。

「ぐっ……うぅ……」業がうめく。

「……えっ」ベッドで寝ていたが目を覚ます。「な、ななな、なんですかっ」

 業の異変に気づき、仰天して掛けとんを手繰り寄せた。欲情した業が変な気を起こして寝込みを襲おうとしたのでは、と海那もろうばいした。

 だが、そうではなさそうだ。海那はベッドを降り、業の背をさする。

「大丈夫ですかっ?」

「っ……」業は声にならない呻き声を上げ、うなずいた。

「よしよし。カルゴさんは大丈夫ですよ〜」

 海那は業を抱擁して震える体を包み込む。そのおびえた様子は、大物イラストレーターの悪事をあばくダークヒーローめいた手腕を見せる姿とはかけ離れていた。

「乃亜ちゃんに──」業が悔いるようにつぶやく。「乃亜ちゃんに会いたい……」

 海那は気づいた。この男が変わったのはどうやら外見だけらしい。

「そうですね……。もしかしたら、いつか会えるかもしれません。わたしもついてます。だから大丈夫ですよ」

 いつか会える。そんな気休めの言葉が業の耳を素通りする。

 自らの過去に疑いを持ち始めたいま、業はそのほろ苦い香りのする少女に身を預けていなければ、いまにも喉を掻きむしって死にそうだった。

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