【初稿版】ほむらの剣

神田祐美子

Ⅰ ほむらと仮初めの家族

第1話 思い出す

 なんで?


 なんで誰も私を愛してくれないの?




 お父様はなんで私を憎んでいるの?


 王子様はなんで私を醜いなんて言うの?




 誰か……誰か、私を愛して。


 愛してくれないなら……誰も、私以上に幸せにならないで。








「死刑を執行する!」








 人の命が散ろうとする瞬間。


 興奮と、恐怖と、憐憫と、憎しみと。


 いろんな感情が入り乱れた処刑場を、私は生まれて初めて目にした。背丈が足りなくてよく見えない。最前列までなんとか潜り込んで、マントの下から顔を上げた。




 項垂れた罪人。死刑執行人が、巨大な斧を振りかぶる。キラリと陽光が反射して、私の顔を照らした。




『……ありがとう』




「……え?」




 知らない人の声が聞こえる。




『私の想いを、あなたに託します』




「何……誰……!?」




 殺せ、殺せと叫ぶ群衆。


 周りがこれだけ騒がしいのに、誰のものともわからないその声は、静かに、けれどはっきりと、私の頭の中で響いた。




『どうか……守ってください』




「誰よ、何よ、これっ……!!」




 頭が痛い。


 振りかぶられた斧が、罪人の首を勢いよく刎ねた。


 ……一層興奮する群衆。最前列に立っていた私の頬に、罪人の血が僅かにこびりつく。










『さようなら』










「ああああああああああああああ!!」






 私は叫び声をあげながらその場に蹲った。


 濁流のように蘇るのは、私の知らない人、場所、景色、言葉……知りようのない記憶。






「なんだ? ガキが倒れたぞ!」


「この罪人の知り合いか?」




 違う! そんなんじゃ……そんなんじゃない!




 私は……私は……






 フレア・ローズ・イグニス公爵令嬢。


 王太子の婚約者であり、発火能力者であり、生まれながらにこの国の聖騎士と認められた。






 それだけの……はずだったのに……








 私はそのまま気を失った。












――――


――――――――――




『――い、おい。何気ぃ失ってんだ、おい』




 …………?




『あれ? 私は……』


『ボケてんのか? ついに団子を喉に詰まらせて死んだかと思ったぞ』




 誰だっけ。


 私を見下ろす男はとても目つきが悪く、顔に凶悪な傷が走っている。髪は爺のように白く、着ている者も下層民を思わせるものだったが、その服といい顔立ちといい……アカツキ王国の者とは思えない。




『……』


『ああ? 俺の顔になんかついてんのか』




 私は男の言葉を無視して立ち上がった。


 ……なんだろう、ここは。見覚えがない。木でできた家がどこまでも連なり、髪も目も黒い、すっきりした顔立ちの人々が往来を行く。あのヒラヒラした服はなんだろう。知らない人々、知らない町並み、知らない言葉……なのに、何を言っているか理解できるし、とても懐かしいような、奇妙な感じだった。




『おいババア!』


『……は?』




 誰がババアよ、どこに目をつけてるわけ?


 苛立って睨み付けると、男は少し意外そうに目を丸くしていた。




 ……嫌な予感がする。


 水たまりを発見した私は、そこに自分の顔を写し……絶望した。




 ああ、なんて醜いんだろう。




 顔は皺だらけでそこかしこに傷跡が走っている。髪は色が抜けて真っ白だ。目の色だけは青かったけれど……それも右目だけだ。左目には眼帯がしてある。




『おいババア。お前、あの気持ち悪い小説読んで頭おかしくなったのか?』


『……小説?』


『店先に並んで買ってたじゃねえか。ああ、これだこれ』




 男は私の目の前に本を放り投げた。


 ぱら、とページが捲られる。そこに何か知っている言葉が並んでいたような気がして、私はそれを手に取った。




『アカツキに……咲く花……』




 タイトルをぼんやりと口にする。知らない、こんな小説。




『前に立ち寄った街の喫茶店の女給が書いたやつなんだろ? 気になるから買うって若い娘に混じって買ってたじゃねえか。はっ、ババアのくせに恥ずかしい奴』


『……』


『お前、さっきからなんで喋らねえんだよ』




 そもそも、あんたは誰なのよ。


 そんな話も知らないし、この小説だって見たことないし……大体、さっきからババアババアうるさいのよ。あームカつく。なんで私が、こんな犯罪者みたいな男と……




 …………ん?




 パラパラとページを捲った時、また何か引っかかるものを感じた。


 目を滑らせて、文字を吸収する。見たことのないもののはずなのに、すんなりと理解することができた。でもじっくり読む気にもなれなくて、ただただ流していく。




『……王国……聖騎士……発火……』


『あ?』




 男のことは無視して、ぶつぶつ呟きながらページを捲る。


 最後のページのあたりにさしかかった時だった。私の指が止まった。




 その一行を理解した途端、血の気が引いた。




 ガクガクと体が震えて、立っていられなくなって崩れ落ちた。




『お、おい!?』




 男が焦ったように腕を伸ばしてくる。その腕は私の目の前で火に包まれた。視界が炎に飲まれていく。男の顔も声も潰れて、私の周りにはもう誰もいなくなる。ただ、この身を焼く炎があるだけ。




『いやだ……嫌、嫌、嫌、嫌あああああああ!』




 本を落とす。


 その一行だけが、なかなか炎に飲まれてくれない。私の目に焼き付いて、離れてくれない。








『――こうして、フレア・ローズ・イグニスは処刑され、世界は平和になりました』








「いやあああああああああああああああ!!」






 叫び声とともに目を覚ましたら、見慣れたベッドの天井が映った。


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