魔王様の憂鬱

ハシモト

会議

主な登場人物


アルトマン………………魔族の王。トーラスの地ではアルヴィンと名乗る


アルトゥル………………宰相。アルトマンの腹心


ベルナルティス…………魔族の将軍。別名「悪鬼将軍」


セレナ……………………トーラス領の村の娘。トーラス領主の血筋


アーベル…………………トーラス領の少年。セレナの幼馴染


クラリーサ………………通称「リサ」。トーラス領の村の娘。セレナの幼馴染


マリウス…………………トーラス領の少年。セレナの幼馴染


ミスラル…………………村の宿屋の女主人。アーベルの母親


ヨゼフ……………………トーラス領の村の村長。クラリーサの祖父。元勇者の従者


アイリ……………………トーラス領の村の娘。クラリーサの姉


ドメニコ…………………トーラス領の村の顔役


ガブリエル………………トーラス侯爵領、領主代理


イレイェン………………ガブリエルの娘


オーギュスト……………イレイェンの従僕


剣士………………………ガブリエル、イレイェンの護衛役


アルヴィン(故人)……先代のトーラス侯爵にて勇者の血筋。セレナの祖父


 トン、トン、トン……


 会議室の机の上に響き始めたその音に、その場に集った面々は背筋が凍る思いをしていた。特に発言者のベルナルディス将軍、敵からは悪鬼将軍と恐れられる大男の顔は蒼白だ。


 トン、トン……


 会議の進行役である宰相のアルトゥルはその緊迫感に耐え切れずに、音を立てている当人に向かって口を開いた。


「国王陛下、ベルナルティス将軍の案について、何かお気に障るような事でもございましたでしょうか?」


 アルトゥルに呼びかけられた当人は、机を人差し指で叩くのを止めると、首を少し傾げたまま一言、


「不合理だ」


 と発言した。その言葉に、会議室にいたこの国の重鎮達が、緊張した面持ちで視線を交わす。発言者のベルナルティス将軍に至っては、その顔色は蒼白を通り越して暖炉の灰のような色になっている。


「ベルナルティス」


「はい、魔王様」


「ベルナルティス!」


 アルトゥルは小声で、ベルナルティスに向かって注意を即した。


「は、はい、国王陛下」


 アルトゥルの呼びかけに、ベルナルティスは自分が犯した間違いにやっと気がつくと、慌てて自分の発言を訂正した。


「将軍の提案だが、先ほどの大戦で弱体している人間側の領地に攻め入って、それを完全に駆逐すべきだという事だな?」


「はい、魔、国王陛下。おっしゃる通りでございます」


 ベルナルティスの言葉に、その問いを発した人物は顔を小さく傾けて見せた。


「不合理だ」


 再び響いたその言葉に、ベルナルティスの額から汗が一筋流れ落ちた。会議の参加者も、固唾を飲んでその成り行きを見守っている。


「これまでの戦争の結果、我が国の人口は減少し続けていて昨今やっと増加に転じたばかりだ。その状態で将軍は再び戦を起こすべきだと言うのか?」


「はい。人間は繁殖力については我々を遥かに上回ります。それに戦は数です。我々が人口比で有利であるうちに、人間を駆逐して後顧の憂いを無くすべきだと思います」


「では将軍、その後の占領地だが、それをどのように維持、運営するのだ?」


「は?」


「我々の人口だけで、人間側の領土まで維持出来るだろうか? 治水、耕地の維持管理、野生の魔物の侵入に対する対処も含めて、現時点の領土ですら手一杯だというのに、人間が保持する地迄抱え込むつもりなのか?」


「ですが――」


「将軍、将軍の案は将軍の視野の中でのみ合理的に見えるもので、大局から見れば極めて不合理なのだ。先の大戦でも分かっているように、現状では防衛する側に戦の利がある。人間側が攻めてくるのであれば、その時にそれを防げばよいだけだ」


 そう言うと、発言者は会議に参加している面々をじっと見回した。彼に向かって、何か反論をしようという者は誰もいない。


「それ以前に、我々のところに攻めたいと思うような愚か者が政治の中枢に関わらぬよう、慎重に排除する方がはるかに費用対効果は高い。我々は人間の事などにかまっていられる状況ではないのだ」


「では、人間どもの領地を占領して、我々の労働力とするのはいかがでしょうか? それならば先ほど国王陛下がおっしゃった国土の維持管理、それに国内の労働問題も一挙に解決出来るかと思います」


 アルトゥルは盟友のベルナルティスに対して、必死に助け船を出した。


「不合理だ」


 しかしアルトゥルの提案にも、即座に同じ答えが返ってきた。


「ふ、不合理でしょうか?」


「そもそも、そのような強制労働は著しく効率が悪い。それにその者達にも食料や住居は必要だ。それを用意して非効率な労働を行わせることなど、投資に対する効果が見合わない。それに国防に関しても、不満分子をわざわざ国内に連れてきて、それを国費で養うようなものではないのか?」


「は、はい。おっしゃる通りでございます」


「駆逐などと言うのは、そう簡単に出来るものではない。一度始めたらもう止めることなど出来ない。その様な硬直した状況こそ回避すべきなのだ」


「思慮が足りず、申し訳ございません」


 アルトゥルは、黒い目と黒い髪を持つ発言者に向かって、深々と頭を下げた。


「お前達に言っておく。手段と目的を間違えるな。戦争とは目的ではなくあくまで手段だ。それに費用対効果が極めて悪い手段でもある。歴史が示しているように、戦争の勝者が最終的な勝者とは限らない。我が国の歴代の指導者達はそれを全く理解していなかったのだ」


 トン、トン、トン……


 再び指で机を叩く音が響き始めた。会議室に居並ぶ面々はただじっと頭を下げてその音を聞いている。やがて小さなため息と共に机を叩く音が止まった。


「何かをしようとする際には、誰の何の問題を解決するのかを常に自問自答するのだ。それで得られる利益と、それによって失うものとを客観的に比較するのも忘れるな」


「はい。今後の方針ですが、いかが致しましょうか?」


 何も提案出来ない事を恥じつつ、アルトゥルが発言者に問い掛けた。


「対人間に対する政策は現状維持だ。当面の間は我が国から、人間側に対する積極的な関与は不要とする」


 男の言葉に、ベルナルティスは深く頭を下げた。そして手にした布で額ににじみ出た汗を拭く。


「それよりも国内政策、特に人口問題について焦点を当てろ。子供の数による課税上の優遇措置や、子育てに関する積極的な支援だ。ただ増えればいいというものではない。それを積極的に活用できる方策も重要だ。教育や職業に関する幅広い自由な選択も優先事項になる」


 内務大臣や、教育大臣が男の言葉に大きく頷いて見せた。


「ベルナルティス」


「はい」


「軍の統制に関するお前の手腕は確かだ。軍については機動力と即応力に重点をおいて、少数精鋭での運用を心がけろ。有事に即時かつ機動的に対処できることの方が、どこかに大兵力を張り付けておくよりはるかに役に立つ」


「おっしゃる通りです」


「人間が何かしようとしたら即日にここを発って、相手の王都を素早く制圧できるような兵団に仕立てろ。どこかの砦にはりついて、食事だけを日々するような者達は一切不要だ。予算の目処が付き次第、全国の砦は全て廃棄する」


「はい。国王陛下」


 ベルナルティスは男に向かって深々と頭を下げると、自分の席へと戻った。


「本日の会議はこれにて終わりだ。諸卿、私は予定通り休暇に入らせてもらう。休暇から戻って来たら、本日の会議の内容について、具体的な成果に関する報告があることを諸卿に期待する」


「はい、国王陛下」


 居並ぶ者達が一斉に頭を下げた。魔王の中の魔王。その名を呼ぶときには誰もが「偉大なる」をつけるアルトマン一世。会議室からその姿が完全に見えなくなるまで、重臣たちはずっとその頭を深く下げ続けた。


* * *


 控えの間に下がったアルトゥルは、侍従から紅茶が入った盆を受け取ると、自らの手でそれをアルトマンに対して注いだ。見かけはまだ若い少年の様な顔をしているが、祖父からこの職を受け継いで以来、アルトマンの忠実な部下として、常にその傍に使えている。


「お疲れさまでした」


 アルトゥルはアルトマンの前に紅茶を差し出すと、心から尊敬する主に対して言葉を掛けた。アルトマンは紅茶の器を手に取ると、アルトゥルに向かって僅かに苦笑いをして見せる。


「私が思案すべき提案は何もなかったのだから、疲れる事は何もしていない。私の本来の役割は立案ではなく、それを吟味し、実行可否及び優先度を決める事だ。今の状態は極めて不合理だな。人数を集めて会議を行う意味がない」


「我々の力の至らぬ点、誠に申し訳ございません」


「アルトゥル、至らぬ原因が何かは分かっているのか?」


「あ、はい」


 そう答えて見たものの、アルトゥルは何の理由も述べる事が出来ずに慌てた。その姿を見た男が小さくため息をつく。


「合理的な思考が出来ていないという点については、お前達もあの人間の『勇者』とか言う存在と、さほどの違いはないな」


「勇者? 先の大戦で、少数でこちらの本陣に乗り込んで来ようとした愚か者の事ですか?」


「そうだ。全くもって意味不明な奴らだ。暗殺するというのなら正面から来るのは意味がないし、こちらを攻撃するのであれば少数すぎる。どっちにしろ無意味だ」


「はい。撤退勧告や降伏勧告すら無視でした」


「そうだ。当初は最初の犠牲者になることで、自軍に対する士気向上が狙いかと思ったが、全滅した後、人間側の士気は如実に下がった。一体何をしたかったのか、未だに理解不能だ」


 アルトマンは紅茶を一気に飲み干すと、アルトゥルに対してさらに首をかしげて見せた。


「アルトゥル、そもそも何で人間はこの国の指導者の事を、私の事を『魔王』と呼ぶのだ。それにその呼び名をこちらでも受け入れている」


「それは魔王と言う言葉が、尋常ならざる偉大な力の持ち主を指す、ある種の敬称だからではないでしょうか?」


 実際のところ、アルトゥルとしては国王などというありふれた敬称より、魔王という敬称の方がこの方には合うのではないかと思っていた。人間も含めて、この方に逆らうものなど誰もいない。


 それに魔王の血に連なる者達だけが持つ力もあるのだから、尋常ならざる力の持ち主と言うのも誇張ではなかった。だが当人は合理的ではないという理由で、それを無用の長物だと決めつけている節がある。


「アルトゥル、それは不合理だな。私はそのような超自然的な存在ではないし、この国の平均的な男性と特に変わるところもない」


 自分の父親を、国の指導者として不合理だという理由で一刀両断にし、この国を立て直した英雄。そしてこの国に攻めて来た人間達を、砦ごと吹き飛ばす完全な機動戦で駆逐した者が、果たしてこの国の平均的な男性と同じと言えるのだろうか? アルトゥルは心の中でそう感じたが、主に向かって頷いて見せた。


「敵国の指導者の呼び方なのではないでしょうか?」


「ならば、どうしてこちらは人間の国の指導者を『魔王』と呼ばないのだ?」


「お、おそらくは歴史的な経緯か何かで……」


「その歴史的な経緯について、私の方でも調べてみたが特に何もない。ただ一方的に呼ばれた結果、こちらでもその呼称が定着してしまったとしか思えないのだ。今後はこのような不合理な呼び方について、公式な場での使用は一切禁止だ」


「はい、国王陛下。ベルナルティスの頑固者が粗相をいたしまして、大変申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げたアルトゥルに対して、アルトマンは小さく口の端を上げた。


「今後は気を付けるように伝えておけ。だが本日のベルナルティスの提案にも、色々と考慮すべき点はある」


「人間の駆逐についてですか?」


「そこではない。ベルナルティスの視点では彼の提案は合理的だったのだ。だが大局的な視点から言えば、それは決して合理的ではない。個別の課題に対する対処ではなく、何がその根本的な原因なのかに関する視点と理解が足りていなかったのだ。アルトゥル、それはお前の提案についても同じだ」


「おっしゃる通りです」


「だが、そのような間違いは誰もが犯す可能性がある。こちらに攻めてくるという人間達の不合理な行動も、彼らの視点では合理的なのかもしれない。一番危険なのは理解したつもりになって、間違っている事を継続的に実行することだ」


「私の様なものから見れば、国王陛下が理解できないことなど、この世にあるとは思えませんが?」


「そのような慢心こそがもっとも危険なものだ。思考と言うのは合理的な結論の積み上げでなければならない。願望という妄想とは異なる。事実、私には勇者とかいうのをはじめ、人間の行動には理解できないことばかりだ。それは相手の問題ではなく、こちらの問題だと私は思っている。理解できていないことこそが根本的な問題なのだ」


『人間を理解する?』


 どうやら本気でそう思っているらしい。アルトゥルはこれ以上何かを言うと、より深みにはまるだけだと思い、話題を切り替える事にした。


「休暇は期間も含めて、予定通りでよろしいでしょうか? それに離宮には一部の護衛の者以外、誰も近づけるなという事でしたが、本当に不要でよろしいのですか?」


「不要だ。私一人の為に大勢が待機するなどと言うのは。極めて不合理だ。それに予定を変えなくてはいけない、合理的な理由もない」


「はい。仰せの通りに」


 そう告げると、窓の外へと視線を向けた主に対して、アルトゥルは尊敬の念を新たにする。だがもう魔王様と口に出来ないことに一抹の寂しさも感じていた。

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