こだま憑き

ブルージャム

第一部 藤吾と剣豪たち

第1話 発端

 丸い地球だった。

 ぼんやりとした夢のなかで、伊田藤吾は、頭上はるかかなたに、自分が生きているはずの星を見た。どういうわけか、草むらに寝っころがって、地球を見あげていた。大きな声で、呼ばれたような気がした。

 ゆっくり立ちあがると、上方に身体全体が引っ張られた。頭から足まで、大きな袋に包まれて持ち上げられている感覚。上へ、空に浮かぶ地球のほうへ、どんどん身体が引っ張られた。加速がついて、ハイスピードで昇ってゆく。


 青くまぶしい地球が、視野いっぱいに広がり、そのなかに頭から突入した。大気圏に入ったのに、空気との摩擦熱も感じることなく雨雲を抜けて、大陸横の、細い弓型の列島に落下していった。


 眼下に点在する都市の明かりが見えた。そのひとつが、どんどん迫ってくる。

 深夜。――寝しずまった城下町だった。

 町の一画にある、粗末な二階建ての日本家屋の一室に、屋根を壊すことなく突きぬけ、そこに横たわっている人物の身体に、勢いよくぶつかった。

 なんの衝撃もなかった。

 藤吾は、その人間の身体に、なす術もなく吸い込まれた。


 ……目が覚めた。

 夢とは思えないくらいリアルで、見あげた空に浮かんだ青くまぶしい地球の姿が、脳裏に焼きつけられていた。目を閉じてみると、はるかに見下ろしたときの広大な青い海、茶と緑と灰色の入り混じった肥沃な大地が、瞼の裏に、くっきりと浮かびあがってくる。


 階下から、母親の呼ぶ声がした。

 そうだ、起きて朝飯を食わないと。今日は登校日で、おまけに日直当番で、普段より30分は、早く行かねばならないのだった。

 朝一番に教室の鍵を開けて、クラス全員の机の上を拭くだけなのだが、遅れると、同じ日直の、加藤美雪がうるさい。


 家を出て、高校へ向かう曲がり角に差しかかかった。

「藤ちゃん!」

 美雪が、藤吾のうち(家)から五軒ほど先の自宅を出てきたところだった。

「今日は起きれたんだね。感心、感心」  

「藤ちゃんは、やめてくれ」

 藤吾は、げんなりとした。

 自分は加藤美雪の父親でもなんでもない。たんなる幼なじみだ。トウチャン、なんて呼ぶのはやめてほしい。


「なんで?。藤吾だから、トウチャンでいいじゃない」

 ニコニコしている。憎めない笑顔ではあるが、この笑顔が曲者なのだ。幼稚園の頃から、ニッコリ笑って無理難題を押しつけられた事が、何遍あったことか。

「とにかく、~ちゃんだなんて、人前で言うのはやめてくれ」

「ふ~ん。……いいじゃない。むかしから、呼んでるんだし。藤吾クン、なんて言いにくいし」

昔はムカシだ。子供の頃ならともかく、背丈だって伸びている。


 言い合いしていると、前のほうに、地面を踏みしめながら歩く大きな身体が見えた。

「宮田くん」

 美雪が呼びかけた。

 眠そうな顔で振り向いたのは、同級生の宮田武だった。口のまわりには、藤吾の毛深い父親も負けそうなくらいの、無精ひげが生えている。

「よお……」

 声も眠そうだ。確か、柔道部の朝練でいつも7時頃、登校しているはずだ。毎日、朝早くて感心してたが、起きてすぐは、こんな顔をしていたのか。


「腹、減ったなあ……」

「朝飯、どうした?」

「朝練に遅れそうなんで、食わずに来た」

「お菓子、あるけど?」

 美雪が聞きつけた。

「おう。くれくれ」

 もらったチョコレートを、むしゃむしゃ食べながら、初めて気づいたように、今日は早いな、と藤吾に聞く。

 日直なんだ……朝早くて眠いんだ……半分寝てるんだ……と話しながら、歩いているうち、学校が近づいてきた。


 校門を通りすぎ、柔道場に向かう武を見送った。

 正門は、北側の広い通りに面しているので、藤吾たちが入った門は裏門になる。門の柱は、地元の芸術家にデザインしてもらったという絢爛豪華なもので、生徒たちが、ただ門とだけ言うときは、ほとんどの場合、こちらの門を意味していた。 

 門を抜けると校庭、校庭の端に自転車置場、さらにその向こうに、三階建て、渋いグレーの外壁を持つ校舎がある。


 校庭を横切ろうとすると、西の端の方に二つの人影が見えた。二人とも、何か細長いものを手に持ち、向かいあって立っている。

 見ていると、ひとりが倒れた。 

 もうひとりは、倒れた人物を、じっと見下ろしている。助け起こそうともしない。

 藤吾たちが近づいていくと、はっとしたようにこちらを見て、手に持った棒のようなものを抱えたまま、走りさった。

 藤吾と美雪が同時に声をかけたが、振り向きもしなかった。がっしりした背中が、遠ざかっていく。


「立川先生!」

 美雪が悲鳴をあげた。剣道部の顧問をしている立川という教師だった。紺のジャージを着ていることもあって、横を向いて意識を失っている顔が、異様に白く見えた。

「生きてる」

 しゃがみこみ、口に手をあて、息をしていることを確かめたあと、立ちすくんでいる美雪に声をかけ、ほかの教師を呼びに走った。 これは、ただ事じゃない。

 藤吾は、首筋のあたりが、むずむずした。大変なことが、起こっているようだった。


 職員室に飛び込み、早出の教師に急いでことの次第を話した。

「どうした? 伊田。瀬戸先生も」

 担任の大迫という教師が入ってきた。藤吾と、その相手をしていた瀬戸という女教師に声をかける。

「大変なんです」

 瀬戸先生が、藤吾から聞いたことを早口で伝えると、救急車を呼ぶために電話をとった。

 相手が出ると、事情を説明し始める。

「早く案内しろ」

 大迫先生が、あせった声で藤吾を呼んだ。いつもなら、授業の準備で忙しい時間帯だが、一時限目の教科のことなど、もう頭からとんでしまっいる。

 全力で走ったせいで息を切らせながら、藤吾は、校庭で倒れて動かない立川先生のところに連れて行った。


 美雪が、携帯電話で話していた。

「あっ、藤ちゃん。今、じいちゃんに電話してたっ」 

 美雪の祖父は、この町内で開業医をしている。医院は、すぐ近くだった。救急車が来るより早いかもしれない。

 瀬戸先生と、保健室の沖先生も駆けつけてきた。

 緊張したしゃがれ声で、立川先生を呼び続けていた、大迫先生を押しのけ、沖先生がしゃがみ込む。

 脈を診たり、瞳孔を、確認したりしている。先生はしきりに頭をふり、小声で何事かつぶやき、また頭をふっている。


「おおい!」

 白衣を着た人影が、校門から、よたよたと入って来て呼びかけた。

 大声を出し、疲れたのか、肩で息をしている。

「おじいちゃん!。こっち」

 美雪が、手を振る。

 加藤美雪の祖父だった。普段は見事に七三分けされている白髪が、乱れて四方八方に逆立っていた。


「お前たち、大丈夫か?」

 ようやく、藤吾と美雪のふたりのそばまで来て、尋ねる。

「うん。それより、先生を――」 

 美雪がせかすと、まあ待て、と息を整えてから、立川先生のそばにしゃがむ。

 保健の先生の話を聞きながら、やはり瞳孔を見たり、患者ののどの奥を見たりしている。歳のせいか、落ち着いているというより、のんびり動いているように見える。

 サイレンが近づいてきた。砂や土とのあいだで、大きな摩擦音を響かせ、救急車が、校庭に侵入してきた。


 美雪の祖父は、救急隊員に、話をしながら、担架に乗せられた立川先生と救急車に乗り込んだ。美雪に心配ないからの、と声をかける。

 救急車のドアが閉じられ、走りさっていくのを見送ると、藤吾たちは、大迫先生にせかされて、自分たちの教室に入った。


 朝早いので、まだ数人の生徒しか来ていなかった。

 声をかけてくるクラスの生徒に、美雪が、今朝、起こったことを説明している。聞いた生徒は興奮して、登校してきた別の生徒に、その話をしていた。

 クラス全体が、ざわついてきた。


 藤吾はすわって、様子を眺めていた。

 身体の奥底に、以前には無かった不安の固まりのようなものができている。何か起こり始めているのは、確かだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る