第18話 命という代価を賭ける生き方

 街の賑わいは、この静かな場所にも漏れ聞こえる。

それはどこかしら浮き立つような空気と相俟って、常と違った、軽く何かを超えさせる力になるのかもしれない。


 俺たちはテーブル席に向き合って、しばし沈黙する。


「……けどよ、姫さん。賭け事なんてな、金額が吊り上がるほど盛り上がるもんだが。

俺とあんたの賭け金って、釣り合うのか?」


 言うと、姫さんは、はたと瞳を見開く。

その答えは予想外だったようだ。


「たしかに。ダークがどう頑張ったところで、わたくしにとっては、はした金と言わざるえません」


 そこ、はきはき言うの、やめてくんねえかな。

色々と虚しくなるから。

俺が不機嫌そうなツラになったことに気づいた姫さんは、だが小さく笑った。


「……ですが、ダーク。それはあくまで公人としてのわたくしです」


「公人?」


「はい。ウェストブルック家の娘としての、わたくし」


「なんか違いがあんのか?」


 訊ねると姫さんは、ほんの少しだけ視線を俯かせた。

表情は柔らかいままだったが、揺れる炎の明かりが睫毛に落ちて影を作る。


「大違いです。公人としてのわたくしは、領民七十万の運命を動かす立場にありますが。

私人としての、わたくし──オタンコナスのエフィには、あなたと比べても持っているものなど些少なものにすぎません」


 そう言って笑う顔には、自嘲の影はない。

ただ誇り高い自負があるのみだ。

つーか姫さん、さすがにオタンコナスが悪口だとは気付いたみたいだな。


「んじゃ、オタンコナスのエフィと勝負と行くか」


 そう言うと、姫さんが若干嬉しそうに笑う。

いや嬉しそうというより、楽しそう、か。


「で、オタンコナスは何が賭けられるんだよ」


「……そうですね。

では、ダークの報酬についてですとか。

最終的に、わたくしが負けましたら、十倍お支払いいたします。

あなたが負けた場合は……」


「命でも賭けるかね」


 軽く言ったつもりだったが、姫さんは驚いたように瞳を瞠ってから、少し口ごもった。

なんだよ。

そんな戸惑うとこだったか?


「……それが貴方の命の価値なのですか?」


「高いくらいだろ」


 答えて、俺はふてぶてしく笑ってやった。

俺らの命なんざ、金に換算しちまえば石ころのがまだマシなくらいだ。

なんで不服そうなんだよ。


「ところで、ボスのところの二倍払うと言ってたが、具体的には幾らのつもりだったんだ?」


 それはまだ聞いていなかったと、改めて訊ねる。

姫さんは右手を上げて指を五本とも立てて見せた。


「……十万、ほどかと」


「ごっじゅうまん……!?」


 桁が一つ違う。

つか、こないだのボスのとこの依頼の前金が5万だぞ、たしか。

金銭感覚が、おかしい。

国家予算組んでるんじゃねえんだぞ。

まあ、貰えるものは遠慮なくもらうけどよ。


 姫さんが無言のまま、指をそろりと折り曲げていく。


「減らすな減らすな」


 さらにもう片手の親指と人差し指で作った丸を、すっと下にさげる。

こいつ、今、桁一つ減らしやがったな。

まあいいけどよ。どうせそんな金持ってたって使い道もねえし。


「相場というものを理解していませんでした。

適正価格というものがあるのでしょう?」


「貰いすぎても、確かに居心地はよくねえな。

 あぶく銭なんぞ持ち歩いてたら、すぐに余計なものが寄り付くし」


 俺はわりと金には頓着しねえ方だ。

ボスみたいに、ため込むことには興味がない。

明日の命も知れねえのに、そんなに持ってたって意味があるかと思う。


「……では、報酬については五万ということにいたしましょう」


 それだって、ずいぶんと破格だがな。

貰ったら、何かでパーッと使うか。


「じゃ、ゲームは何にする。ダイス使うやつで」


「ルールに詳しくないので……1か6か、というゲームで構いませんか?」


「ああ、あの子供がよくやるやつな。

確かに、あれも賭け金つければ博打か」


ダイスを二個振り合う。その合計点で勝ち負けを決める、ごくごく簡単なゲームだ。


 ただし、ぞろ目が出るとそいつの勝ち。

ぞろ目同士だと、合計の多い方が勝ちだが1のぞろ目だけは例外で、全ての目に勝つ。


 では、いざとばかりに俺はダイスを握った。

そして十分後には、テーブルに突っ伏していた。


「……ダーク、大丈夫ですか。

あなた、もう通算で十回ほどお亡くなりになっています」


「……」


 この女、マジつええ。

どういう強運の持ち主なんだよ。

えんえんと、ぞろ目の連発とか勝てる気しねえんだけど。

思わず、ダイスをつまみ上げて確かめてみる。

クリスタル製の、それにイカサマの仕込みようなんざないのは承知しているが。


「……姫さん、賭博師にでもなったら?」


「考えてみます」


「なる気があるなら、俺と組まねえ?」


 言ってやると姫さんは、少し肩をすくめた。


「運などというものは、好不調の波があるものでしょう?」


「そいつはそうだが、ここ一番って勝負運は持って生まれたものもあると思うがね」


「ですが、ダークはこうなっても負ける気などないように見えます」


 姫さんの言葉に、俺は思わず噴き出した。

実はまったくもって、その通りだったからだ。


「まあな。姫さんの言うように、運にゃ好不調の波がある。

だからたいてい、負け続けなんて後に、でかい勝ちがくるのさ」


「それで命などというものを、賭けの対象にしても構わないと考えているのですか?」


 姫さんの言葉に、俺はちょっと驚いた。

さっき、命でも賭けるかと口にした時の姫さんの反応を思い出す。

そして、どうやらそれが彼女にとって何かの導火線のようなものなのだと気づく。


「お気に召しませんかね?」


 それでもおどけて言うと、姫さんはまっすぐ俺を見た。

金色の明かりを弾いてきらきらひかる、蒼い瞳。

真っ直ぐで、他の何も見てない眼差し。


「わたくしは……雇い主の権限として。

あなたに、わたくしのために死ね、と。

命じることがあるかもしれません」


「……あんたの立場を考えりゃ、仕方ないこともあるだろうな。

つっても、俺みたいな悪党は、その場合、たいていは裏切って自分だけ逃げるもんなんだが」


「その場合は、わたくしの見る目がなかったと諦めるしかないでしょうね。

ですが……」


 姫さんは、まっすぐ俺を見たまま、目をそらさない。

濃い青色が、どこか目に痛いと思った。


「あなたの命の価値を、どう決めるのか。わたくしは判断しかねます。

その程度の金額で死ねるものか、と逃げるのは、あなた自身があなたの命の価値を、そうと決める行為ですから。


 ──その価値観を、裏切りという言葉で片づけることは、わたくしにはできません」


「……あんたの言うことは、言葉が難しすぎて、よくわかんねえよ」


「そうかもしれませんね」


 呆れて言ってやると、姫さんはそう笑った。

俺は手の中でダイスを弄びながら、壁に背を預ける。


「けど、たいていの人間はさ、そういう価値観の中で生きてんだよ。

この世界、ちょっとした弾みで、生きるか死ぬか。

自分の命も他人の命も、たいした違いはねえ」


「そうだとしても。

 わたくしにとって、あなたの命も、リィの命も、重いものなのだと。

 ──どこか、少しだけでもいいから、覚えておいてください」


 俺にとってすら軽いものである俺の命を、重いという。

綺麗事じゃないか、と言葉にすれば意味すらなさない様な遣り取り。


 姫さんは、今は笑うことなく静かに言った。


「──そのうえで、改めて。わたくしに。

あなたの命を預からせていただきたいと存じます」


「……」


 店の入り口のドアが開いて、客が二人入ってきた。

俺は黙ったまま、ダイスを振る。

そして片手を上げて店の者を呼ぶ。


 裏口はどこだ、と耳打ちするようにして訊くと、彼は心得たように、こちらへ、と手招きをした。

俺は、さっさと立ち上がると、姫さんの手を引く。

驚く彼女を立ち上がらせて腰を抱くようにし、手招きされた方へと身体を押しやる。


「振り返るな」


 そう囁き、酔った女を介抱する態で裏口に向かった。

ちらと最後に視線を走らせた先、テーブルの上のダイスの目は1と2。


 ──最弱のそれに、俺は口端を吊り上げた。

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