第65話 一抜け


~前回までのあらすじ~

 フミル東部の森の道を進むボクらは雨で足止めをくい、森の中に野営することになった。ケンカ中のボクとシノ様は水浴びに出かけ、更なる仲違い。

 でも今度のはちょっと、今までのじゃれ合いの延長みたいのとは違う気がする。

 タスケテ……。


 ***


 シノ様は全然何事もなかったみたいな顔をして、そろそろ戻りましょ、とボクを連れて天幕まで戻った。

 その間会話はなくて、ボクはずっと打ちひしがれたみたいな気分で歩いていた。


 ボクは、間違ったんだろうか。


 ……間違ったんだろうなぁ。

 でも、考えてみれば心当たりがあり過ぎて、何がいけなかったのか分からない。


 キスしていいですか、なんて言わなきゃよかった。

 確かにボクは、死ぬ前にちゃんとしておけばよかった、とか思ったけど、シノ様にあんな顔をさせて、あんなことを言わせるくらいなら、ずっとただのご主人様と奴隷でいてもよかった。


 ああ、でも。

 その程度の気持ちでいたことがいけなかったのかもしれない。


 シノ様は真剣だった。

 ボクなんかよりずっと、ボクの気持ちに真摯でいてくれた。

 だからキスをすることも許してくれたし、身体をあげてもいいとまで思ってくれた。


 だのにボクときたらシノ様から誘ってくれたのにびっくりして、全然、シノ様のそういう覚悟とか、切実な気持ちに、気づいてあげられなかった。


 でもシノ様の話を聞いて、これでよかったんだと思うボクもいる。


 シノ様は急にいろいろとあってびっくりしてしまったんだと思う。

 それで情緒不安定になって、投げやりな気持ちになってしまったんだ。


 そういうのって、ボクにも経験がある。

 雪崩で両親が死んで、ボクが売り飛ばされることに決まった時、ボクの目の前は真っ暗で、自分がどうなるのかとか、これからどうすればいいのかとか、なにも分からなくなってしまって、結局思考放棄して唯々諾々と人買いの馬車に乗せられた。


 シノ様はボクみたいにただ流されたんじゃない。

 シノ様はボクなんかより強いから、ちゃんと考えて、けど、考えているうちに辛くなってしまったんだと思う。


 シノ様は何にも悪くないのに、勝手に狙われて、前世の話とか持ち出されて、一杯いっぱいなところにボクが死にかけているところを見て、そのボクが今度はシノ様を賭け事の景品みたいにして話をしているのを聞いて。

 そうしたら、何を信じていいのかも分からなくなってしまうのも当たり前のことなのかもしれない。


 ボクは正直、イザナからツチミヤとのゲームの続きを託されることになってやる気満々だった。

 どうしたらシノ様の役に立てるのか、シノ様に頼りにされて、あわよくば惚れられるくらいカッコよく助け出せるのか。


 そのかっこうの機会が巡ってきたみたいに思っていた。


 アマミヤって家がどれほどのものなのか知らないけれど、今の呪術師の多くは元々のルーツをアマミヤ家に持つものらしいから、よほどの勢力なのだろうとは思う。


 けど、シノ様のためならやってやるって思った。

 どんなに強大な呪術師が出てきたって、どうにかこうにか突破して、シノ様をイツツバの呪縛から解放する。


 そうしてハッピーエンドだ。


 どこか静かなところへ行って、二人で穏やかに暮らすのだ。


 でもそんなの、ボクが一人で勝手に張り切っていただけの独りよがりで、そのどこにもシノ様の気持ちは入っていない。


 そのことに今更気が付いた。


 ボクはシノ様のためにって言いながら自分のことしか考えていなくて、シノ様がどういう気持ちでいるのかなんて、ちらとも考えてもみなかったのだ。


 シノ様はちゃんとそういうボクに怒っていてくれたのに、ボクはシノ様は大人げないとかなんとか思うばっかりで、自分のことをかえりみたりはしなかった。




「おかえりなさい。どうでした?」

 天幕に戻るとイチセがリタの身体にブラシをかけながら振り返った。


「うん。ありがとう、イチセ。なんか、すっきりした気がするわ」

「そうでしょう、そうでしょう。……ってあれ。こけたんですか?」


 イチセはシノ様の肌に少し残った擦り傷の後を見て駆け寄った。

 それから何かに気づいたのか、ボクの顔をきっと睨みつける。

 しかしボクが顔を俯けたのを見ると、毒気を抜かれた顔をして息を吐いた。


「まあ、とにかく身体を拭いて服を着てください。温かい雨ですけど、濡れたままだとやっぱり風邪をひいてしまいますからね」


 イチセはボクとすれ違いざまに囁いた。


「どうして出て行く前より悪化してんの!」

「ああ、うん。まあ……」


 もしかしてイチセなりに気を遣ってボクらを二人にしてくれたのかもしれない。

 完全に、ボクがふいにしてしまったけれど。


 雨が上がるまでの三日間は、とても気詰まりな時間が流れた。


 石積みの小屋でしばらく過ごして以来の休養にアズマは喜んで寝こけていたけれど、すぐに寝るのにも飽きたようで空の様子ばかり見ていたし、イチセは手元で金属片をぐねぐねと折り曲げて何かしていたが、やがてぱたりと寝転がって足をばたばたさせ始めた。


 シノ様はあれ以来、表面上はボクに対して愛想がよかった。


 けど、すごく距離を感じる。


 せめて不機嫌に何か言ってくれればボクも言いようがある。

 でもシノ様はいつも以上にボクに優しいからきっかけをつかめない。


 仕方なく意を決して直接話をしようとしても、何のこと?みたいにはぐらかされた。


 ボクも正直、何をどう話せばいいのか分からなかった。


 何がダメでこうなったのか、はっきりと分かっていないから、何を直せばいいのか分からない。

 むしろ直さなきゃいけないところがたくさんあって、何から手を付けていいか分からない。


 今までシノ様はボクにとってもっと分かりやすい人だった。

 ボクのご主人様で、ボクの好きな人で、すごい呪術師で、強くてかっこいいんだけど、たまにワガママで可愛いところもあって。


 でも、ちょっと分からなくなった。


 今までシノ様がボクに見せてくれていた姿は、本当にそのままのシノ様だったんだろうか。


 打ちひしがれたように、不貞腐れてボクに内心を吐き出したシノ様の姿は、お世辞にも強くてかっこいいとは言い難い様子だった。


 ボクはシノ様のことを勘違いしてるんじゃないのだろうか。

 シノ様がボクに見せてくれていた姿は気を張ってそう振舞っていただけで、もしかしたら先日の姿こそがシノ様のありのままなのかもしれない。


 それが悪いって言いたいわけじゃない。

 ちょっと、寂しくて、自分のことが情けなくなるだけで。


 でもボクの知っていると思っていたシノ様がボクのために被った仮面に過ぎないとしたら、ボクはシノ様の一体何を知っているというんだ?


 ボクは今、もしかしたらシノ様に買われた直後よりもずっと、シノ様のことを怖いと思っている。


 そんなだからボクはシノ様と話をしなきゃいけないと思いつつも、はぐらかされると二の句を継げなくなって、イチセにひっそりとため息を吐かれている。




 降り続いた雨がようやく上がると、びしょ濡れになって重くなった天幕をどうにか絞って折り畳み、嫌そうな顔をするリタの背に乗せた。


 三日間お世話になった岩陰を離れて歩き出すと、また歩き続けの日々が始まるのか、といううんざりした気持ちよりもむしろ、やっと歩き出せる、とほっとした気持ちが湧いてくる。


 雨に降られ続けた道はまだまだぬかるんで、直射日光に熱されて周囲はむしむしと不快指数が跳ねあがっている。


 それでもあのまま岩陰でぼんやりと過ごし続けるよりはマシだと思えるのはきっと、シノ様とずっとぎくしゃくしていることと無関係ではあるまい。


 町へと急ぐ途中、いくつかの村を通り抜け、祭礼を行って少しの路銀を稼いだり食糧を補充したりした。


 聞いてみると、この雨の中を急いで町の方角へ通過していった旅人が一組いたらしい。

 目論見通り追っ手はまけたようだ。


 それならば装備を乾かすくらいの時間はあるだろうと、一日村の片隅に滞在させてもらった。

 悪魔払いの儀式をしたピオスさんの家に招かれたのだけれど、その家は高床式で、壁は編んだ竹でできていた。

 風がよく通って涼しいのだ。


 あまりに快適なのでもう旅立ちたくない、とは思ったけど、ちょっと今のボクは一行での肩身が狭いのであんまりふざけた冗談を言う感じじゃない。

 その思いはそっと胸にしまっておいた。


 道中では魔獣に襲われることもあった。


 山の北側で見るものとは違い身体の大きいものが多いが、身体が大きいからと言って強いわけではない。

 武器が棒しかないアズマだけだと危険だが、イチセやシノ様は言うに及ばず、ボクでも簡単に対処できる程度だった。


 だが、シュベットと比べて少し数が多いかもしれない。

 何度か独特の霊力の雰囲気が複数ある場所を通ることがあった。


 でも結局、何もなかった。

 多分、シュベットと違って食べ物が多いのでわざわざ人間を襲わないのだろう。

 ボクらに返り討ちにされた個体はちょっと虫の居所が悪かったのかもしれない。


 フミルでも妖魔は魔獣型が大半で、実体を持たない妖霊型は少ないようだった。


 妖霊型の妖魔とは、水の夢とか、ああいうのだ。

 あんなのがほいほいいたらあんまり危険すぎるので、そこは人の住まない不毛地帯になりそうだが。




 そして雨宿りから四日。

 途中、待ち伏せ警戒で一つ尾根を越えて谷を変えたので少し時間がかかったが、ボクらはようやく町へ出た。


 それは石と土レンガ、木材を組み合わせて作られた町だった。

 森を抜けると田園地帯が広がり、そしてその向こうにこんもりと丘のようになって町の陰が浮かび上がった。


「ようやく着いたな」

 アズマがほっと息を吐いたのを聞いて、ボクの胸にも少し感慨のようなものが湧いてきた。


 長い道のりだった。


 いつまでも暮らすみたいな気持ちでいたナントの町から出て、いくつもの町や村、山々を経てようやくたどり着いた。

 もちろんここが目的地ではないのだけれど、何とはなしに旅に一区切りがついたような気がする。


 ずっと様子がおかしかったシノ様さえも、町を見ると少し肩の力を抜いたように見えた。


 ただイチセだけは少し気が乗らない風だった。

 気になって聞いてみると、いえ、と首を振る。


「たぶん今の時期は、雨季の終わりの祭りがあったはずです。水の神ウンドリアを象った神像が、大きな山車に乗って町を一周するんですよ。

 運が良ければ見られるかもしれませんね」


 イチセの言葉通り、町の中、と言うか、少し離れたところからでも、多くの人とすれ違うようになった。


 祭りを見に遠くの村から訪れた参拝客や、その客目当ての商人、人だかりに乗じてなにかやらかそうと企む悪人どもまで、町にはひとがあふれている。

 ナンキの町では見なかったくらいの喧騒だ。


 軒を連ねる露店にはボクの見たことのない野菜や香辛料の類、肉や魚、他にも透き通った玻璃の小物やアクセサリー、とにかく知らないものがたくさんあって、ボクは瞬く間に夢中になってしまった。


「シノ様、すごいですね!」


 ボクはつい、ぎくしゃくしているのを忘れてシノ様の服を引っ張ってしまった。

 シノ様は唐突な馴れ馴れしさにびくりとして、そうね、とほほ笑んだ。

 その笑みを見て、ボクは興奮がしゅるしゅると音を立ててすぼんでいくのを感じた。


 何を浮かれてるんだ、ボクは。

 シノ様を傷つけておいて。


 とりあえず久しぶりに宿をとることに決まった。

 たまには保存食じゃなく、まともな食事を摂りましょうというシノ様の提案だ。


 イチセの紹介でいくつか宿を回って何とか部屋を取った。

 隣の食堂で昼食を摂り、おなかがくちくなったところで、アズマが唐突に言い出した。


「俺はここらで一抜けさせてもらうぜ」

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