第62話 ぬかるむ森


~前回までのあらすじ~

 無事にフミルへの入国を果たしたボクらは、今後について作戦を練る。その途中、売り言葉に買い言葉でシノ様とケンカになってしまった。

 でも、シノ様が悪いんだからね。ボクは謝らないぞ!


 ***


 北側にいたころには思いもしなかったが、天外山脈はどうやら北側になだらかで南側に険しい山のようだった。


 登って来た時とは比べ物にならないくらいのペースでボクらは山を下っていく。


 一つ下って谷を渡り、また登って谷へと降りるを繰り返す度、確実に標高ががくりと下がった。

 そしてその度、空気はどろりと粘り気を増し、気温は高くなっていく。


 たぶんわざわざ雪原を経由してシュベットと行き来する人は少ないのだろう、痕跡もまばらな踏み跡を探しながら注意深く歩いていく。

 足元はぬかるんで、岩に張り付いたコケや落ち葉で滑りやすい。


 シュベットでは、夏は暑いとは言え、それは日光に照らされて暑いだけだった。

 空気は常にさっぱりと乾燥して、風が吹けば涼やかに身体を冷やす。


 それが峠を越えただけでこうも変わるのか。

 ここでは木々の枝葉に遮られて太陽の光は直射しないのだけど、肌にまとわりつく空気は熱されて、知らず汗が噴き出してくる。


「ダメだ、暑い!」

 アズマはぷはっと息を吐いて上半身裸になった。

 峠越えのために用意したコートはとっくに脱ぎ捨てて、今やただのお荷物だ。内側の毛皮は着脱式になっていたけれど、それでも寒冷な気候に慣れた身体には暑い。


「脱がないでください。毒虫もいますし、吸血虫もいます。こんな森の中で倒れたら、誰もあなたのことなんて運べませんよ」

 イチセが鋭い声で言うと、アズマは渋々といった調子でまた服を着こむ。


「フミルってのはどこもこうなのか?」

「そうですね。こっちの生まれのわたしに言わせれば、むしろシュベットの寒さが異常です。この時期に吹雪なんて……」

「あれは山の精霊様の気まぐれだ。山の外では流石にねーよ」


 道を探しながら歩いているアズマは、話しながらも常に周囲を見回している。軽快に道を辿っていたと思えば急に立ち止まって地面を調べたり、辺りを見回したり、その辺の木に登ってみたり。

 道が明瞭でないせいで、思うようには進めていない。


 どこかの村までたどり着きさえすればあとは順調に進めるのだろうが、森は深い。

 アズマが言うにはもっと高い場所にいた時に森が切り開かれて田畑があるのを見たらしいのだが……。

 あいつ、まさか迷ってないよな?


 ボクらが埋もれかけた道を何とか探し出しながら歩いているのに対し、後方の追っ手はボクらのまだ新しい踏み跡を辿って来るだけでいい。


「こんな調子じゃ追いつかれるかもしれませんね。ね~、シノ様?」

 ボクは前を歩くシノ様の背中に、精一杯の無邪気さを込めて話しかけてみた。


「…………」

 返答はない。

 返答どころか反応もない。


 流石はシノ様だ!

 しばらく口をきいてやらないと言った言葉をきっちり守ってる。

 う~ん、見習いたい。

 …………。


「アズマの奴、さっきから暑い暑いって、うるさいですね。暑いのはこっちも同じだってのに。ねえ……。へへ……」

「…………」


 くぅ、辛い。

 シノ様に無視されるの、辛い!


 なんだい、なんだい!

 シノ様ってば、あのくらいのことで腹を立てちゃって。

 そもそもシノ様が悪いんじゃないか。


 あ~あ、カッコ悪いな。

 謝れない大人、カッコ悪い!


「…………」


 やっぱり謝っちゃうか。

 あの時は生意気言ってすいません、ボクが全面的に悪かったので許してください、もうシノ様には逆らいませんって。


 いやいや、違う。それじゃダメだ。

 ボクはシノ様の下僕でいたいわけじゃない。


 あ、違う。

 別に下克上してやるぜって意味じゃないよ!


 ただもっと、お互いに信頼し合って、背中を預け合うみたいな関係がいい。

 今はちょっと、ボクがシノ様に保護されてるって感じで、このままじゃたぶん、そういう関係にはなれない。


 今のボクはイチセにもアズマにも、シノ様からの信頼度は一歩も二歩も劣っている気がする。

 ボクと二人との違いは……、いろいろあるけど、イチセとアズマに勝てる要素なんてほとんどないけど……、やっぱり出会った時の関係性に問題があるのかも。


 シノ様にとってイチセは妹弟子だし、アズマは武術の他にも旅の技術に優れた護衛兼道案内。対してボクは奴隷か弟子だ。

 これじゃちょっと立場が下すぎて、信頼って感じにならないのかもしれない。


 ボクはこれまでシノ様に甘えすぎたし、シノ様も、たぶんボクに甘えてる。

 今まで一度も使われたことなんてないけど、シノ様は呪印でボクの首根っこを押さえてるし、無意識に、絶対に逆らわない奴だって思っているんだろう。

 だからちょっと言い返されただけでムキになる。


 シノ様がそういう態度をとるのはボクにだけだ。

 イチセにはお姉ちゃんって呼ばれていい気になってるし、アズマにはたまに突っかかるけど、対等な関係って感じがする。


 ボクに対してだけ、なんかこう、頭ごなしに言いつけてくる。


 それが嫌ってわけじゃなかった。

 少なくともちょっと前までは、気にしてもらえてるって感じがして心地が良かったと思う。

 その時にはボクももうちょっと余裕をもって、はい、はい、シノ様の言うことを聞いていれば大丈夫ですからね、って思えていた。


 それが最近……、ちょっと癇に障るようになった。

 あーしなさい、こーしなさいって言われて、分かってますよ!って思うことも多くなったと思う。


 ああ、だとしたら、変わったのはシノ様じゃないのか。

 ボクが変わったんだ。

 

 少し前まで、ボクはシノ様のそばにいられるだけで良かった。シノ様の傍で、シノ様の役に立ちたかった。


 けど……、もちろん今もそうなんだけど、それだけじゃなくて。


 焦ってる、のかもしれない。


 これまでボクはナンキの町でシノ様と二人で過ごしていて、シノ様はたまに呪術師の仕事で出かけて行ったけれど、決まって顔を合わせるのは、ボク以外にはおやじさんとその家族の人たちくらいのものだった。


 それが今はイチセとアズマと旅をするようになって、今は別れてしまったけど、少し前まではゴドーさんもセリナさんもいて、シノ様がボクのことばかりを見ていてくれるわけじゃなくなった。


『シノ君は君にやる。どうにでも好きにすればいい』

 ツチミヤはそう言った。

 それって、つまりはイツツバを失ったシノ様のことまで自分にどうこう言うつもりはないって、それだけの意味なのは分かるんだけど、ちょっと心が躍ったのが正直なところ。


 ボクのものになったシノ様。

 何をしてもらおう。

 そうだな、初めにキスをしてもらう。

 それから優しく抱き締めて、一日中くっついていたいな。


 ボクの作ったご飯を食べさせて、ボクが作った服を着せて、ヤクや羊をいくつか飼って、小さな家……いや、気ままな旅暮らしもいい。

 グルンさんみたいに遊牧をしながら呪術師の依頼を受けてあちこちを巡るんだ。


 ボクはもうちょっとしっかり仕事を覚えなきゃいけないかもしれないけど、シノ様には途中になっている呪術の勉強の続きを教えてもらう。

 旅の途中で妖魔に襲われるかもしれないけど、ボクだってもうそこらの妖魔に負けるつもりはない。


 むしろシノ様の危機を華麗に救って、そうしたらシノ様、イヅルって素敵ね、カッコいい、抱いて!って……。


「ぐえっ……!」

 シノ様が急に足を止めたので、益体もない妄想に浸っていたボクはもろにシノ様の背中に顔から突っ込んでしまった。


「うわっ。なによ!」

「ごめんな……シノ様が急に止まるから!」


 シノ様が睨むので、ボクはうっかり睨み返してしまった。


「うるせえぞ、お前ら。峠を越えたからって気が緩んでんじゃねぇのか。まだ無事に町まで出られるって決まったわけじゃねぇぞ!」


 先頭のアズマに怒られて、分かってるわよ、とシノ様は焦った様子で言い返した。


「で、なに。どうしたの」


「人だ」

 アズマは森の奥をさっと指差した。

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