転生少女の奴隷生活は主人が可愛くて割としあわせなようです

みのりすい

第1話 プロローグ(前世編)


 荒涼とした大地を駆ける一頭の馬。力強く地を踏みしめる蹄の音も高く、抜けるように青い空の下を駆け抜けていく。


 馬の背中には二人の人影があった。


 一人は中年もすでに過ぎかけた頃の男だ。彼は手綱を取り、しきりに背後を気にしては、前に座る少女に話しかけている。

 少女は年の頃十二、三といったところだろうか。まだあどけなさを残す顔を俯けて、必死で男の胸にしがみついている。


 馬は相当な速度で疾駆していた。ふと脇見をすれば周囲の景色が飛ぶように背後に流れ、そして遠くに連なる山々だけが、ほとんど姿を変えずに泰然とそそり立つのが見えただろう。


「アスミ。アスミ」

 男は縋りつく少女に声を掛けた。


「大丈夫だよ。僕が守るからね」


 アスミと呼ばれた少女は馬の背で感じる振動に耐えるのが精一杯で、その言葉に反応できなかった。口を開けば舌でも噛みそうだったのもある。


 ただ血の気が引くほどに握り締めていた手から少しだけ力を抜いたので、男には自分の言葉が届いたことが分かった。


 男は呪術師だった。名をイザナ・アマミヤという。


 当代一ともうたわれ、数々の名だたる神霊精怪と繰り広げた勝負は十四に及び、その全てに勝利した。

 降霊術、傀儡術、符術などなど、様々な呪法に通じ、呪術師の棟梁であるアマミヤ家当主でさえ一目置く。彼が通れば人垣が割れ、誰しもが首を垂れるか揉み手を組んですり寄ってくる。

 

 そんな彼が今、なぜこうも慌てて馬を走らせていくのか。


 その答えはすぐに現れた。

 

 前方の小山の影より現れたのは騎馬十数騎。遠目だがめいめいに槍を持ち、鎧で武装しているのが分かる。


 イザナはすぐに足で馬に進路を変えるよう指示を出した。

 真後ろにとって返すことはできない。すでに背後からはそれ以上の数の騎馬隊が二人を追って来ている。

 

 彼らはアマミヤ家配下の武人たちだった。狙いはアスミ。そしてアマミヤ家の秘宝を盗み出したイザナである。

 彼らはアマミヤ家から、アスミを無傷で保護し、イザナを殺すように言いつけられていた。

 

 イザナは優れた呪術師だったが、対妖魔戦においては一騎当千を誇っても、単純な近接戦闘力では武人たちには及ばない。


 彼らは呪術師としての訓練を受けた武人たちだ。なまなかな呪術では防がれてしまうだろうし、前方に時間をかければ後方の隊に追いつかれてしまう。


 それにどれほど優れた者であれ、不意に飛んできた矢に急所を貫かれれば死は免れない。


 なによりイザナの腕の中には、今は守るべき少女がいた。


 イザナは逃げる他なかった。


 しかし既に逃げ切れないことを悟っていた。

 やはり見通しが甘かったのだ。

 絶大な権力と影響力を持つアマミヤ家に対し、イザナはほとんど衝動的に反旗を翻したのだから。


 きっかけは一人の女の死だった。


 彼女はアマミヤ家の傍流の娘で、呪術の才があるとアマミヤ家に引き取られ、高弟の一人と婚姻を結んだ。

 気の優しい娘で、イザナはアマミヤ家の中で孤独を感じながらも健気に生きる女の姿に、元は孤児でアマミヤの養子となった自分の姿を重ねた。


 女は一人の子どもを産み落として死んだ。


 それがアスミだった。

 

 イザナは女の娘であるアスミを可愛がった。アマミヤの高弟の娘として生まれた彼女は幼い頃から厳しい教育を受けて育ち、時折やって来ては甘い砂糖菓子を与えるイザナに懐いた。


 いつしかイザナはアスミのことを、まるで自分の子どものように思うようになっていた。


 しかし少女が大きくなるにつれてイザナは疑念を抱くようになる。

 少女から感じる霊力があまりにも強く増大していったからだ。


 初めは才能のある娘だと、将来は自分を超える呪術師になるだろうと喜ぶばかりだった。


 しかし遠方での仕事をこなしてアマミヤ家に帰ると、少女がひどく憔悴していることがあった。


 何があったかと訊いても、答えられないことになっている、と微笑むばかり。

 

 そんなことが何度か続いて、イザナは少女の喉元から背中にかけて刻まれた呪印に気が付いた。

 口封じの呪印だった。


 イザナは衝動的に呪印を解いた。


 それがアマミヤ家の秘術であり、おそらく施したのが当主かそれに近い者であることにも気づいていた。おそらくこの勝手な行いはアマミヤ家を激昂させるであろうことにも。


 それでもイザナは、アスミに対するこの行いを許すことはできなかった。


 アスミはあの女の娘だ。

 この子と引き換えるかのように死んだ、傍流の、最早呪術師とは関係のない世界に生まれた、あの素直で健やかな魂を持つあの女の娘だ。


 あるいはイザナは、女のことを愛していたのかもしれない。

 いや、少なくとも愛してはいたのだろう。それが恋情か同情か友情かは分からないが。


 イザナは衝動のままにアスミを連れ、当主へ詰め寄った。


「アマミヤの者としての義務を果たしてもらっている。それだけだ」

 当主は冷たく言い放った。


 アスミはある呪具を体内に有していた。それは呪書イツツバ。イザナの作った、五体の神霊を封じ込めた魔書である。


 イザナはアスミの父がこれまで、アスミにも、アスミの母に対しても、然して愛情と呼べる感情を示してこなかったことに合点がいった。


 女がこの家に連れて来られた時から、全てが仕組まれていたのだ。


 イザナは自分を拘束する結界を破壊し、取り囲む呪術師たち、警固の者たちを皆なぎ倒してアスミを連れて逃げた。


 それがつい一時間ほど前のことだった。


 イザナは小さな丘の上まで行って馬を降りた。

 あまりに長い間早駆けさせたため、馬は口から泡を吹いて興奮も冷めやらない様子だったが、今は水を用意してやる時間も惜しい。


 イザナは覚悟を決めていた。

 ここで追っ手をせん滅する、と。


 イザナが懐から呪符を取り出して周囲にばらまくと、ばらまいた場所から大小さまざまなずんぐりとした土のゴーレムが現れた。

 手の長いのや胴の長いのや、四足歩行するのもいる。ゴーレムで武人たちに勝つことはできないが、盾役には十分だ。


 次にイザナは水の精霊を召喚した。周囲に強く雨が降り始める。


「おじさん……」


 アスミがイザナの袖を引っ張った。

 イザナはそれで、アスミが濡れてしまっていることに気が付いた。


 美味そうに雨を舐める馬の陰にアスミを押しやり、イザナは不安げな目をしたアスミに小さく笑いかけた。


「大丈夫だよ、信じていなさい。きっと僕が守るからね」


 武人たちの乗る馬の蹄の音が二人の許に響いてくるまで、さして時間はかからなかった。


 彼らは到着してもすぐには攻めたてず、丘を包囲して別動隊の到着を待った。

 怪しげに降り出した雨に警戒しているようだ。


 相手は子連れのたった一人とは言え当代一と名高い呪術師である。

 雨さえこれほどの強さで降っていなければ無数に矢を射かけて突撃するのだろうが、闇雲に突っ込めばなにが起きてもおかしくはない。


 とは言え持久戦はイザナにとって不利だった。


 時が経てば経つほどに増援は集まるだろうし、火の術で身体が冷えることを防いではいるものの、いずれ体力は尽きる。

 状況も刻一刻と悪くなっていくだろう。


 そして敵は目の前の武人たちだけではない。


 先ほどから雨を止ませようとする力を感じる。

 馬を含め、イザナたちに直接干渉する呪いもひっきりなしに飛んで来る。


 アマミヤ家の呪術師たちだ。


 力量差もあり今のところは全てを防いでいるが、気を抜けば唐突な死が彼を襲うだろう。


 イザナがふと思い出したのは友の姿だった。


 ミドウ・ツチミヤ。


 白髪交じりのその男は、イザナが出会った時から少しくたびれた感じのする初老の男だった。


 イザナが彼と出会ったのはまだ若い頃、当主から各地の強力な神霊を封じた呪具を作るようにと、ほとんど厄介払いのような無茶な命令を下されて途方に暮れていた時だった。


 イザナはミドウと協力して呪書イツツバを完成させたことで、アマミヤ家において容易に排除されない立場を築いた。


 そのイツツバが、結局今になってイザナをアマミヤ家から離反させるきっかけになったことは皮肉なことだ。


――あいつがいればな。あいつと一緒ならこんな状況、へらへら笑いながら切り抜けられたろうに。


 イザナは自嘲的に笑って顔を引き締めた。

 今は、この場にいない者を思っている余裕はない。


 あれほど降りしきっていた雨が唐突に降り止んだ。

 誘いの罠と見るか、好機と見るか。


 武人たちは一斉に矢をつがえ、放った。

 八方から矢は緩やかな放物線を描きながら風切音と共に飛来し、土くれのゴーレムたちに突き刺さって止まった。


 しかしそれは牽制でしかない。ぬかるんだ斜面を駆ける騎馬の蹄鉄音が接近する。


「冷たき火精よ」


 イザナは火の精霊の力を借りて一帯を氷原へと変える。

 濡れた身体中を唐突に氷漬けにされた馬たちの悲しげないななき声が響いた。そこかしこで馬たちは冷気から逃れようと高く後ろ脚で立ち上がる。


 しかし落馬したのは半分にも満たなかった。

 多くが馬から飛び降りて、動きを制限する氷を砕きながら丘を一気に駆け上がる。


 だが彼らがこの程度で怯みはしないことをイザナは知っていた。

 次の呪術の準備は既に終わらせている。


「氷龍招来!」

 イザナは気合を込めると共に、水の精霊を通じてこの小山に行き渡らせた呪力を一気にまとめ上げた。


 遠目から見れば、山が一つ動いたように見えただろう。


 氷漬けの地面が水の染みた土ごと掘り返され、それは小山の表面を覆いつくすようにとぐろを巻いた巨大な蛇の形をとった。

 斜面を走っていた武人たちのほとんどは、唐突に動き出した足元に驚き、その身じろぎひとつで一斉にふもとまで振り落とされた。


「なんだこれは……!」


 誰の呟いたものだろうか。

 しかし彼らは同じ戦慄を共有していた。


 踏みつぶされたもの、振り落とされた拍子に死んだ者。

 そういった者たちは少数であったが、普段は妖魔の類にも勇猛果敢に打ちかかる彼らでさえ、その光を浴びて煌めく氷の蛇体の威容はあまりにも神々しく、勝てるわけもないと足をすくめさせるに十分だった。


 しかしまだ斜面には、うごめく蛇体を掻い潜ってイザナと距離を詰める男が一人いた。


 彼はナナツと呼ばれる男だった。


 ナナツは町の剣術を教える道場の末っ子として生まれた。剣の才はあったようだが、道場を告げるわけもないとくすぶっていたある日、町を守護するため派遣された呪術師に恋をした。


 ナナツは自分と彼女が釣り合わないと知っていた。だから心を入れ替えて必死で剣の鍛錬をした。ぶらぶらと日銭を稼ぐ日々から脱して町の守備隊に入った。


 ナナツは剣の腕も、率先して敵に突っ込んでいく勇猛さも評価され、仲間たちから頼りにされた。あの人のために盾となり怪我を負ったこともある。


 そしてそれをきっかけに恋を実らせた。

 今では二人の可愛い子どもがいる。


 それでは彼に今や欲しいものなどないのか?

 違う。


 彼は以前にも増して欲するようになった。

 それは、仕事を終えて家に帰った時の温かさだ。ただ生きて帰ること、それだけが彼の今の日々の目的だった。


 ナナツは触れるだけで皮膚を削る氷の鱗の下を掻い潜り、或いは身軽にその背を駆けてイザナに肉薄した。


 イザナは気が付いていない。


 ナナツはやれると思った。


――これで今日も、生きて帰れる。

 

 ナナツは鈍重なはずのゴーレムの素早いガードを潜り抜けた。


 イザナは気付いて振り返ったが、もう遅い。

 ナナツの長剣はほとんど吸い込まれるようにしてイザナの脇腹に突き刺さった。


 肋骨に守られない柔らかな皮膚を剣が切り裂くその手ごたえが、ナナツの最後の記憶だった。


***


 全て終わった後にミドウは来た。


「……なんだ、これは」

 呻くように呟く。


 そこにはもう荒涼とした広い大地など存在しなかった。


 あるのはいくつかの島が点在する湖だった。

 島の三つには深い森が、一つには尽きることのない激しい炎があった。


 そしてその島の一つには、焼け焦げたひとりの剣士の亡骸と、呑気に草を食む馬。そして既に息絶えたイザナの亡骸に縋りついたまま死んだアスミの姿があった。


 ミドウはまだそこに寄り添う二つの魂を見て全て理解した。


 ミドウの目に、哀しみとも憐憫ともとれる光が浮かぶ。


「……そうか、友よ。よくぞ生きた。寂しくなるが……、いずれまた相見えよう」


 世界の鳴動する声を聞いてやってきたが、すでに変異は終わった。


 ならばミドウにできることは、死を悼み、後に来た者たちに辱められぬようにすることだ。


 ミドウは土の術で穴を掘り、死んでいた形のままイザナとアスミを入れて荼毘に付した。

 剣士の方は迷ったが、そのままにしておいた。いずれ仲間が探しに来るだろうと考えたのだ。


 そして墓を暴かれぬよう慎重に土を整えた。


 後に残された馬に来るかと尋ねると、小さく鼻を鳴らしたので連れて対岸に飛んだ。


 そしてミドウは馬上の人となり、元にあった荒涼とした岩だらけの大地の続きを、ゆっくりといずこかへ消えていった。


 そして100年後―――

 ボクらは出会った。

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