てるの鏡
大村 冗弾
第1話 はかりごと その1
かくして
かげ沼と
──松尾芭蕉 おくのほそ道
かつて
奥の
またの名を
時は
鎌倉に武家の都を作った
「そなたには、言っておかねばならぬことがある」
「……いかがなされましたか」
夫が天留に対して、このように改まった物言いをするのは初めてである。天留は訝しがり、酌をする手を止めた。
「近々俺は死ぬかもしれぬ」
「え? 何で? もしやお体が?」
天留は驚いて、平太の優しげな顔をまじまじと見つめた。
「いや、体はいたって元気だ」
「ではなぜゆえに死ぬるなどと……」
「兵を挙げるからだ」
「え? 兵を挙げ……? 誰が?」
「無論、俺がだ」
平太は表情を変えずにあっさりと言い切った。
「……お前さまが? 誰に? ……なぜゆえに」
天留は意味を飲み込めず、小首を傾げて、立て続けに質問を並べた。
「全てを話すと長くなるが──。しかしそなたには今話しておくべきだろう」
平太はそう前置きし、天留の双眸を覗き込むように見てから、小さく自分自身に頷いて語り始めた。
のちに鎌倉幕府と呼ばれることになる、頼朝が作った武家政権は、様々な思惑を胸に懐いた男たちの寄せ集め、いわば烏合の衆であり、成立には「鎌倉殿」頼朝個人のカリスマ性に依るところが大きかった。
この闘争の中で最初に血祭りに挙げられたのは、京の都に住む貴族から頼朝の「一ノ郎党」と呼ばれ、頼朝第一の側近だった
景時は頼朝のために、御家人を監視して彼らの言動を頼朝に報告する「目付け役」を一手に引き受けた大忠臣である。彼は頼家の治世になっても引き続きこの「憎まれ役」に徹していたが、その職務の中で将軍頼家に報告したとされる、
──
という言葉が御家人たちの知るところとなる。
これに反発した御家人たちは、有力者多数を含む六十六人の連名で弾劾状を作成して頼家に提出、景時を失脚させる。景時はのち、一族を率いて京に上洛する途上で、駿河国
景時の報告には「告げ口」と取られてもやむを得ないものが多かったのは事実であり、彼の「讒言」によって頼朝や頼家に誅殺された者も少なくなかった。
誅殺には至らずに済んでも、叱責を受けたり領地を没収されたりといった被害を被った者も多数いたので、時の人は「梶原景時の変」について、
──当然だ。
という思いが強く、
──告げ口ばかりをしている男は武士の風上にも置けぬ。あの男は滅ぼされるべくして滅ぼされた。
あるいは、
──景時が殺されたのは世人の総意だった。
などとして至極肯定的に捉えていた。
そしてその三年後、今度は大物同士の対立が表面化する。頼家の岳父で乳母父の
この対立の内実は鎌倉府内での主導権争いである。要するにこの政権の主権者である鎌倉殿に、どちらの家がより近く、より影響力を行使できるか、ということに尽き、どちらかが必ず滅びなければならないものだった。
結局この争いは、能員が時政の謀略に引っ掛かって滅亡し、時政の排除に動こうとした鎌倉殿・頼家も追放、伊豆国
「梶原殿や比企殿は、人を人とも思わぬ傲岸なところがあったゆえ、滅亡もやむを得ぬとは俺も思った。しかし鎌倉殿や一幡さまも殺してしまったのは……、はて、どういうことだろう……」
平太はそう思い、何となくもやもやしたものを腹の中に蔵していたが、そんな折、梶原景時の事件について全く違う話を小耳に挟んだ。
その話によると、景時は失脚する直前に、「とあるお人が頼家さまを廃して、弟の実朝さまを立てる計画を練っている」と頼家に報告していた、という。
この報告を頼家の御所に勤める「
阿波局はこの「とあるお人」の命を受けて結城朝光のもとに行き、次の言葉を告げた。
──あなたさまのおっしゃった、『忠臣二君に仕えずというが、
結城朝光が、「出家すればよかった……」などと言ったのは事実であったが、ふと口にした自分の呟きが、よもやこのように捉えられるとは思ってもみなかった。驚き慌てた彼は、大身の御家人で有力者の
これを聞き、平太はなるほど、そういうことだったのか──、と思った。
この事件の中心にいた「阿波局」は、頼家に謀反の嫌疑を受けて誅殺された
さらに比企能員が滅ぼされた後、「とあるお人」の思惑通り、能員の婿だった頼家が廃され、実朝が鎌倉殿になった。
「梶原殿の事件と、比企殿の謀殺や頼家さまの暗殺は、とどのつまり一連の事件だった、ということだ。結城殿に対する讒言というのも『あるお人』がばらまいた捏造に違いない」
「あるお人の……?」
「さよう。そして、あるお人とは、遠州殿だ。全ての事件は裏で北條親子が糸を引いている」
「北條親子……? なぜお二方はそんなことを──」
天留は腑に落ちぬ、という顔をして訊いた。
「北條親子は鎌倉府をかすめ取り、己がものにしようとしているからだ。間違いない」
平太は虚空を睨みながら、一人自分の答えに頷いた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます