てるの鏡

大村 冗弾

第1話 はかりごと その1



 かくして越行こえいくまゝに、あぶくま川を渡る。


 ひだりに会津根あいづね高く、右に岩城いわき相馬そうま三春みはるしょう常陸ひたち下野しもつけの地をさかひて、山つらなる。


 かげ沼と云所いうところいくに、けふきょうは空曇りて、物影うつらず。



            ──松尾芭蕉 おくのほそ道





 かつて陸奥国むつのくに岩瀬いわせこおりといっていたこの地に、かげ沼という沼があった。


 奥の大道おおみちを少し外れたところにある、その沼から周りを見渡すと、晴れた日には木々は浮き上がり、街道をゆく人々が水面みなもを歩いているように見えたという。


 またの名を鏡沼かがみぬまとも呼ばれた、その不思議な沼の辺りに住む民の間では、名前の由来となった悲話が言い伝えられてきたという。





 時は建暦けんりゃく三年二月、西暦一二一三年春のこと。


 鎌倉に武家の都を作ったみなもとの頼朝よりともという豪傑が馬から落ちて死んでから、はや十四年の歳月が流れていた。




「そなたには、言っておかねばならぬことがある」


 平太へいたは、傍らで給仕をしている妻の天留てるに向き直って言った。


「……いかがなされましたか」


 夫が天留に対して、このように改まった物言いをするのは初めてである。天留は訝しがり、酌をする手を止めた。


「近々俺は死ぬかもしれぬ」


「え? 何で? もしやお体が?」


 天留は驚いて、平太の優しげな顔をまじまじと見つめた。


「いや、体はいたって元気だ」


「ではなぜゆえに死ぬるなどと……」


「兵を挙げるからだ」


「え? 兵を挙げ……? 誰が?」


「無論、俺がだ」


 平太は表情を変えずにあっさりと言い切った。


「……お前さまが? 誰に? ……なぜゆえに」


 天留は意味を飲み込めず、小首を傾げて、立て続けに質問を並べた。


「全てを話すと長くなるが──。しかしそなたには今話しておくべきだろう」


 平太はそう前置きして天留の双眸を覗き込み、小さく自分自身に頷いて語り始めた。




 のちに鎌倉幕府と呼ばれることになる、頼朝が作った武家政権は、様々な思惑を胸に懐いた男たちの寄せ集め、いわば烏合の衆であり、成立には「鎌倉殿」頼朝個人のカリスマ性に依るところが大きかった。


 東夷あずまえびすの棟梁だった頼朝の死後、その跡は嫡子の頼家が継ぎ、新しい鎌倉殿として君臨することになったが、頼家には父親の様な人間的魅力はなかった。彼は自我の強い坂東武者を押さえられず、すぐに鎌倉府の内部では御家人ごけにん同士の争いが表面化した。


 この闘争の中で最初に血祭りに挙げられたのは、京の都に住む貴族から頼朝の「一ノ郎党」と呼ばれ、頼朝第一の側近だった梶原かじわら景時かげときだった。


 景時は頼朝のために、御家人を監視して彼らの言動を頼朝に報告する「目付け役」を一手に引き受けた大忠臣である。彼は頼家の治世になっても引き続きこの「憎まれ役」に徹していたが、その職務の中で将軍頼家に報告したとされる、


 ──結城ゆうき朝光ともみつは仲間内で不穏な発言をしている。どうやら謀反を企んでいるようだ。


 という言葉が御家人たちの知るところとなる。


 これに反発した御家人たちは、有力者多数を含む六十六人の連名で弾劾状を作成して頼家に提出、景時を失脚させる。景時はのち、一族を率いて京に上洛する途上で、駿河国庵原いおはらのこおり清見きよみがせき(現・静岡県静岡市清水区興津)にて地元武士団に襲撃され、一族の者三十二人と共に殺された。


 景時の報告には「告げ口」と取られてもやむを得ないものが多かったのは事実であり、彼の「讒言」によって頼朝や頼家に誅殺された者も少なくなかった。


 誅殺には至らずに済んでも、叱責を受けたり領地を没収されたりといった被害を被った者も多数いたので、時の人は「梶原景時の変」について、


 ──当然だ。


 という思いが強く、


 ──告げ口ばかりをしている男は武士の風上にも置けぬ。あの男は滅ぼされるべくして滅ぼされた。


 あるいは、


 ──景時が殺されたのは世人の総意だった。


 などとして至極肯定的に捉えていた。


 そしてその三年後、今度は大物同士の対立が表面化する。頼家の岳父で乳母父の比企ひき能員よしかずと、御家人随一の実力者に成長した北條ほうじょう時政ときまさ遠江守とおとうみのかみ遠州えんしゅう)の対立である。


 この対立の内実は鎌倉府内での主導権争いである。要するにこの政権の主権者である鎌倉殿に、どちらの家がより近く、より影響力を行使できるか、ということに尽き、どちらかが必ず滅びなければならないものだった。


 結局この争いは、能員が時政の謀略に引っ掛かって滅亡し、時政の排除に動こうとした鎌倉殿・頼家も追放、伊豆国修禅寺しゅぜんじに幽閉となったことで、幕引きとなった。頼家はその一年後、時政の息子の北條義時よしとき相模守さがみのかみ相州そうしゅう)が放った刺客の金窪かなくぼ太郎行親ゆきちかという男に暗殺され、この時六歳であった頼家の嫡男一幡いちまんも、能員が謀殺された直後に殺されている。




「梶原殿や比企殿は、人を人とも思わぬ傲岸なところがあったゆえ、滅亡もやむを得ぬとは俺も思った。しかし鎌倉殿や一幡さまも殺してしまったのは……、はて、どうだろう……」


 平太はそう思い、何となくしたものを腹の中に蔵していたが、そんな折、梶原景時の事件について全く違う話を小耳に挟んだ。


 その話によると、景時は失脚する直前に、「とあるお人が頼家さまを廃して、弟の実朝さまを立てる計画を練っている」と頼家に報告していた、という。


 この報告を頼家の御所に勤める「阿波局あわのつぼね」から聞き及んだ「とあるお人」は、身に危険が及ぶ前に策を講じることにした。


 阿波局はこの「とあるお人」の命を受けて結城朝光のもとに行き、次の言葉を告げた。


 ──あなたさまのおっしゃった、『忠臣二君に仕えずというが、佐殿すけどのが亡くなった時出家すればよかった。今の世は危うい』という言葉を、景時が謀反の証拠だと鎌倉殿に讒言し、怒った鎌倉殿はあなたさまを殺すことにしたそうです。


 結城朝光が、「出家すればよかった……」などと言ったのは事実であったが、ふと口にした自分の呟きが、よもやこのように捉えられるとは思ってもみなかった。驚き慌てた彼は、有力者の三浦みうら義村よしむらに相談し、義村の呼びかけで集まった、景時に反感を持つ御家人たちによって、例の弾劾状が作成されることとなった……。


 これを聞き、平太はなるほど、そういうことだったのか──、と思った。


 この事件の中心にいた「阿波局」は、頼家に謀反の嫌疑を受けて誅殺された阿野あの全成ぜんじょうの妻だが、実父は北條時政であり、実朝の乳母でもある。さらに梶原一族が討たれた駿河はこの当時時政が守護をしていて、いわば旗頭であり、この地の御家人たちを指揮する立場にあった。そしてこの騒動の結果、一番利益を得たのは北條一族である。


 さらに比企能員が滅ぼされた後、「とあるお人」の思惑通り、能員の婿だった頼家が廃され、実朝が鎌倉殿になった。




「梶原殿の事件と、比企殿の謀殺や頼家さまの暗殺は、とどのつまり一連の事件だった、ということだ。結城殿に対する讒言というのも『あるお人』がばらまいた捏造に違いない」


「あるお人の……?」


「さよう。そして、あるお人とは、遠州殿だ。全ての事件は裏で北條親子が糸を引いている」


「北條親子……? なぜお二方はそんなことを──」


 天留は腑に落ちぬ、という顔をして訊いた。


「北條親子は鎌倉府をかすめ取り、己がものにしようとしているからだ。間違いない」


 平太は虚空を睨みながら、一人自分の答えに頷いた。



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