45 : Lynn

 アゼムお師匠さんの墓の前で座る、四人の大人と、子どもが二人。それに赤ん坊が一人混じっている。

 赤ん坊はあたしの腕の中で眠っている。

 なにせ、生まれて間もない赤ん坊なのだ。数時間に一度は母乳が必要だが、当然ながらそんなものはここにはない。今はあたしが定期的に魔力を流すことで体力の維持に努めている。

 魔力は飽和状態になると頭がふわふわする。簡単に言うとボーッとして眠くなる。そんなわけで赤ん坊はあたしの魔力で眠り続けているというわけだ。


 ノイエはヴィーゴの横に座らされている。

 顔面蒼白だ。ちょっと震えていたりする––––当然だろう。話に聞く英雄譚の登場人物に囲まれて、しかも自分はつい先日まで敵対していたのだ。これで何も感じないなら、そいつは頭がおかしい。

 手を見つめて何度も閉じたり開いたりしているところを見ると、腕を失ったのは相当なショックだったのだろう。たまにあたしの方をちらりと見たりして、多分礼だか謝罪を言いたいのだろうけれど、あたしにはそれを聞くつもりはないので、気づかないふりをしている。


 ヴィーゴはというと、よく見ればノイエに対してだけ薄っすらと威圧を放っている。どうやら教育係として、徹底的に畏怖心を植え付ける作戦のようだ。

 ノイエがぽっきり折れてしまわないことを祈るべきか。

 祈らないけど。


 その隣にはヘルマンニとペトラ。

 こころなしか距離が近い気がする。

 正直ちょっと面白くないが、くだらない嫉妬は脇において、ここは祝福すべきところだろう。


 その向かいになる形でハイジが胡座で座っている。

 そして––––なぜだか、あたしはハイジの胡座の上に座らされている。

 始めは横に座ろうとしたのだが、なぜかヒョイと持ち上げられ(『ヒャア!』と間抜けな声を上げてしまった)、膝の上にぽんと置かれてしまったのだ。

 簡単に言えば、小さな子供を抱っこしている状態である。


(な、なんじゃこりゃ)

(こっ恥ずかしいぞ)


 しかしハイジには意図があるらしい。別にペット代わりにしたいわけではなく。

 ハイジは赤ん坊を抱いたあたしの手を握り、もう片方の手で頭をなで始めた。


 ––––どうやら、魔獣化の治療を施しているらしい。


(うぅ)


 当然ながら顔は真っ赤である。

 湯気が出そうな勢いだ。

 子供扱いが気に入らないし、衆人環視の門前でやることではない。

 だけど「うんと甘やかせ」と言った手前もあることだし、何よりハイジに抱きしめられるなんてレアな体験を逃す手はないのである。

 結果として、あたしはゆでダコみたいになりながら、ハイジの膝の上で素直に撫でられている。


 頭の後ろに、ハイジの鼓動を感じる。

 その鼓動は力強く安定していて––––どうやらドキドキしているのはあたしだけのようだ。


「そうして見ると、親子に孫って感じだね」


 ペトラが呆れたように言う。

 そこは夫婦とその子どもと言って欲しいところだが、あたしとハイジは親子程度には歳が離れている。

 ハイジの上にあたし、あたしの腕の中に赤ん坊なので、親子三代に見えなくはないだろう。


 ヘルマンニは相変わらずの苦笑だが、ヴィーゴの目が笑っている。

 面白がっている顔だ、これは。


「……先程のつまらん出し物より、よっぽど面白いな」

「やかましい」


 英雄たちの軽口に、ノイエがビクリとする。


(いちいちそんなにビビってちゃ、これからやってけないわよ)


 南無、と祈りそうになったが、やめる。

 ヴィーゴ・ノイエ組はあたしの天敵なのだ。


「ヘルマンニ。あるんだろう?」

「酒か? ああ。もちろんあるぜ。師匠と飲もうと思ったら、一本じゃ足りねぇのは分かりきってるからな」

「アゼム師匠はバカみたいに強かったからな」

「ペトラとどっちが強かったかね」

「どちらもザルだったからな。おれは酒に強くなかったから、何時も先に倒れていた」


 そんなやり取りをしながら、ヘルマンニが荷物の中から布でぐるぐる巻きにされた瓶を取り出して、封を切る。

 先程と同じ、甘い黍酒ラムの香りがする。


「ほれ」

「ああ」


 ヘルマンニがハイジに瓶を手渡すと、ハイジはそれに軽く口をつける。


「リン。酒は苦手か?」

「わからないわ。ペトラの店で果汁で割ったお酒を飲んだっきりね」


 サーヤが来た時以来だから、もう三年も前だ。


「舐める程度でいい。味見しておけ」

「頂くわ」


 瓶を受け取って、酒を口に含む。

 かなり強いお酒だ。むせないように気をつける。

 香りは甘いが、砂糖のような甘さは全く感じられない。どちらかと言うと辛い感じだが、なかなか悪くない味である。


「赤ん坊にまで飲ませるつもりじゃないでしょうね」

「そんなバカな真似をするか。まぁ、お前の魔力で命をつないでいる状態だ。お前が飲めば、その子も飲んだことにしても構わないだろう」

「……母乳じゃあるまいし……」


 よくわからない理屈はともかく。

 あたしはペトラに酒瓶を渡す。

 ペトラ、ヘルマンニ、そしてヴィーゴにも酒瓶が渡り、最後にはノイエに手渡された。


「え、えっと……?」

「飲め」

「は、はい」


 ノイエは瓶に口をつけて、途端にゲホゲホとむせる。


「……行き渡ったな。それでハイジ、話というのは?」


 酒にむせるノイエをまるっと無視して、ヴィーゴがハイジに言った。


「まずは、尽力に感謝する。これで依頼クエスト『黒山羊のリンの捕獲』については完遂とさせてもらう。おれの想像を遥かに超える成果だ。よって、王国金十万枚に、追加報酬として一人千枚追加させてもらいたい」

「おおっ! マジかよ」

「……結婚祝いも兼ねてると思ってくれ」

「ありがたいねぇ」


 金貨千枚。

 ペトラの店で経理作業をやっていた身としては、ちょっと引くレベルのお金だ。

 金貨がといえば、銀貨百枚––––贅沢をしなければ庶民が二〜三ヶ月はゆうに楽に暮らせる額である。それが千枚……下手をすると一生遊んで暮らせる額だ。

 というか––––森で生活しているときは一年に一枚も使ってなかったはずだ。


(こんな金持ちだったのか)

(だというのに、あの森小屋暮らし……つくづく変わった男だ)


 まぁ、どうでもいいことではある。

 仮にどんなに大金があろうが、あたしは何も変わらず森で暮らすし、欲しい物もないので、使う当てもない。


「あと……ペトラ」

「なんだい?」

「お前に言われて、おれも色々考えた。リンのこと、自分のこと、そしてペトラ。お前のことも」

「そうかい」


 フッとペトラが笑う。ちょっとだけ目が怖い。


「それで?」

「ペトラ。お前の気持ちは漠然と知っていた」


 ハイジが言うと、ペトラは目を丸くした。


「あ、ああ……そうかい」

「こんなおれのことを、これまで想ってくれたことに心から感謝する。返事を待たせてしまって申し訳なかった。ヘルマンニと幸せになってくれ。おめでとう」

「祝福してくれるのかい?」

「もちろんだ」


 ハイジの言葉に、ペトラはまた顔をクシャッと歪めてポロポロと涙を流した。

 ヘルマンニがその肩を抱く。あまり優しくない、無遠慮な抱き方だが、今のペトラにはそのほうが嬉しいのだろう。


「ヘルマンニ」

「おぅよ」

「お前の友情に感謝する。あの馬車でお前が声を掛けてくれなかったら、おれはとっくに野垂れ死んでいた。その後も、ガキだったおれのために骨を折ってくれたこと、師匠の遺言のために尽力してくれたこと……感謝してもし足りん」

「やーめーろーよー、男同士の友情に、感謝の言葉はいらねぇんだよ!」


 ヘルマンニは心底嫌そうに手を振りながらそれを否定するが、ハイジは肩をすくめてそれを無視して話を続けた。


「お前が感謝されるのが苦手なのはよく知っている。まぁ、今日くらいは我慢しろ。ペトラのこと、おれが傷つけてしまっていた分まで、どうか幸せにしてやってくれ、頼む」

「お前に言われなくてもわかってる、と言いたいところだが、任せとけ。それに、幸せにするだけじゃないぜ」

「ん、なんだ?」

「そういうところが、お前の足りない部分なんだよなぁ、ハイジ」


 ヘルマンニはククク、と笑ってハイジをバカにするように軽く指で指した。


「幸せにするだけじゃなく、自分も幸せになるんだよ。一方的じゃダメなんだぜ」

「……なるほど、勉強になるな」

「だろぉ?」


 ハイジは関心しているが、今までどれだけ自分のことを考えてなかったのだ、この男は。

 あたしも思うところがあったが、頭を撫でられまくってるせいで文句を言える状況になかった。


「次は俺か?」

「ああ。ヨーコ」


 ヴィーゴは「何を言い出すやら」と肩をすくめる。

 どこまでも偽悪的なのだ、この男は。


「リンのために骨を折ってくれたことに感謝する。ギルドを通して陰になり日向になり助けてくれただろう?」

「さてな。ミッラかトゥーリッキあたりが勝手にやっていたかもしれんが、俺は知らん」

「そんなわけ無いだろう。まぁお前がそう言うならそういうことにしておこう。だが、ライヒ卿とは会いたくなかったろうに、無理をさせたな」

「気が向いただけだ」


 ヴィーゴつまらなそうに言うが、あたしとしては聞き逃がせる話出はなかった。


「ハイジ、ギルドを通してあたしを助けるってどういうこと?」

「……お前が街で生活できるようにお膳立てしたのはヴィーゴだぞ」

「えええ……」

「あと、ライヒ卿と師匠は親友だった。卿は師匠が亡くなった時に激怒してな……その関係で、ヴィーゴとは折り合いが悪かったんだ」

「違う。そもそも領主とギルドというのはあまり緊密になるべきじゃないんだ。距離を置いていたのは感情的な理由じゃないぞ」


 顔をしかめたヴィーゴがそれを否定するが、どうやらダークヒーローを気取っているだけのようだ。

 あたしはくすっと笑ってヴィーゴに言った。


「ヴィーゴさんって、実はすっごく良い人だったんですね、見直しちゃいました」

「う、ぐ」


 ヴィーゴはあたしの言葉に直ぐに返事出来ずに言葉をつまらせた。

 ざまあみろ。善人のくせに格好つけるからだ。


「そして、ノイエ」

「は、はい、ハイジさん……」

「お前は、俺たちが敬愛する師匠の息子だ。突然のことで、すぐには納得はできないかもしれないが」

「はい……」

「そして、師匠に一番近いところに居たのが、そこのヨーコだ。言葉は悪いし、冷酷で、嫌味で陰湿な男だが」

「おい」


 ヴィーゴが突っ込むが、ハイジは何食わぬ顔で言葉を続ける。


「言葉や態度に惑わされるな。お前の父親の一番弟子だ。誰よりも信頼できる。そして何より、おれの知るヨーコは、誰よりも優しく、気高い精神の持ち主だ」

「やめろ、ハイジ、頼むから」


 ヴィーゴが慌てたようにハイジを止める。

 こころなしか顔が赤い気がする。

 これは良いものを見た。


「そして、リン」


 頭から声が振ってくる。

 

「なに?」

「お前と出会えてよかった」

「?!」


 ハイジらしからぬ言葉に、あたしは狼狽する。

 しかもなでなで付き。

 赤面を抑えられない。


「前にも話したが……始めはアンジェに似た面影があるお前が、おれは苦手だった。『はぐれ』との同居はもうまっぴらだと思っていたし、お前の出現でまたペトラに迷惑を掛けるのも嫌だった」

「うん……」

「だが、お前は誰よりも強かった。臆病なおれとはまるで逆だ。小さな体でいつも自分で運命を切り開いてきた。そんなお前がおれに付いてこようとするのを見て、いつの間にかおれはお前のことを愛しく思うようになっていた」

「……いつ頃の話よ、それ?」

「それに気づいたのは、盗賊に襲われる直前くらいだ」

「そんなに前?!」


 じゃあ何故あたしを街へ置いていこうとしたのだ。


「遠征先で『キャンセル』が発動したときは驚いたぞ。その時とっさ思い浮かんだのはお前の顔だった。死にものぐるいで森へ戻った」


 ハイジは言っていた。

『キャンセル』は自分の命か、それと同等以上に大切なものを守るときにしか発動しない。


「ピエタリを尋問する時もそうだ」

「あら、懐かしい名前ね」

「お前には、おれが人を殺すところなどの醜い部分を見せたくなかった。しかし、お前は自分から飛び込んできた––––その生き様に、おれは強く心を動かされた」

「……思ったように行動しただけよ」

「そうか。いや、そうなのだろうな。だが、それがおれには酷く眩しく見えた。そばに置いておきたかったが、同時に危険な世界から遠ざけたかった。なのにお前は何をしようと付いてきた。頑固なのは『はぐれ』共通の特徴だが、お前は常軌を逸していた」

「……『どこかおかしい』らしいからね、あたしは」


 あたしが笑うと、ペトラが驚いた声を上げた。


「リン、目が元に戻ってるじゃないか」

「え? そうなの?」


 まだどんな風だったのか鏡で見てなかったんだけど、治っちゃったか。

 と同時に、額の角も完全に消えて無くなった。

 これで、パッと見は普通の人間と一切違いはなくなったわけだ。

 あたしはクスリと笑う。


「甘やかしてくれたら治るって言ったでしょ」

「……何なんだい、アンタたちは……」


 ペトラに呆れられているが、これが自分たちなのだから仕方ない。


「ありがと、ハイジ」


 小さな声で「愛してるわ、ハイジ」と言うと、同じく小さな声で「おれもだ。リン、愛している」と返ってきた。


 ぐっ、とハイジがあたしを抱く力が強くなる。

 そのままハイジが動かなくなった。


 同時に–––頭の後ろに感じていたハイジの鼓動が、静かに止まった。

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