第33話 王冠のメダリオン

 マタイは手の痺れと激痛に顔を歪めている。涙に霞む目で手の平を見れば、赤い棘が刺さっている。恐る恐る抜くと、棘に触れた指にもしびれが走り、また絶叫する。


 劉玲は混乱に乗じてモーターボートに飛び移り、デッキに転がったメダリオンを搔っさらう。同時にショットガンを奪い取った。


「き、貴様らっ」

 サブマシンガンを構えたペテロが漁船に銃口を向ける。引き金を引こうとした瞬間、額に何かが激突した。怯んだところへ顎に衝撃が走る。劉玲の上段蹴りがヒットしたのだ。

 ペテロは何が起きたか分からぬままデッキにぶっ倒れた。コーヒーの空き缶がコロコロと転がり、頭にコツンと当たる。郭皓淳がペテロの銃撃を阻止するために投げたものだった。

 見上げた青空が陰ったと思うと、無精髭の男がニヤニヤ笑いながらこちらを見下ろしている。手にはサブマシンガンを持ち、銃口を額に突きつける。


「ひいっ、どうかご慈悲を」

 ペテロは頭を抱えて恐怖に震えながら身を縮める。マタイは膝をつき、腫れ上がった両手を見比べて身悶えている。

「仕方ないのう」

 奴らはこれ以上抵抗できない、そう判断した劉玲は船の間を軽やかにジャンプし、漁船に戻ってきた。

「その棘はオコゼだ。すぐに洗い流した方がいい。陸についたら熱めの湯に三〇分くらい浸すと症状は緩和するよ」

 痛みに脂汗を流しながらマタイは情けない顔で伊織を見上げる。それでもダメなら病院へ行くことを勧めた。


「俺たちは陸へ戻る。解毒する必要があるから、エンジンを壊すのはやめておく。だが、追ってきたら容赦無く撃つ」

 郭皓淳がサブマシンガンをモーターボートのデッキに撃ち込む。マタイとペテロはヒッと怯えて小さくなった。

「わ、わかった。お前たちが入り江に入ってから発進する。追うことは無い」

 ペテロが慌てて首を振る。


 伊織は漁船を発進させた。

「ちょっとやりすぎたかな」

 オコゼの毒は強烈だと聞いていたが、まさかあれほど効果があるとは。呼吸困難などのアナフィラキシーまでは起こしていないようだが、伊織は申し訳ない気分になる。

「アホか、あいつはショットガンを向けて撃ってきたんだぜ。お前の機転は良かったよ」

 郭皓淳がタバコに火をつけながら伊織の肩をバシンと叩く。


「せや、伊織くんが何もせんとメダリオンを渡してたら、俺ら撃ち殺されてたかもしれへんのやで」

 劉玲も伊織をフォローする。それを聞くと伊織はゾッとした。確かに、奴らは相当イカれた武闘派で、なり振り構わず襲ってくる。振り向くと、さすがに懲りたのか追ってくる様子はなさそうだ。バテレン騎士団の乗るモーターボートは停泊したまま穏やかな波に揺られていた。


 ***


 トウモロコシ畑を横切ろうとした高谷と獅子堂は、農作業姿の老人に呼び止められた。麦わら帽子の下には真っ黒に日焼けした顔、ノースリーブの白いシャツにライトブルーのシャツを着ている。ズボンは土まみれで、先ほどまで作業にいそしんでいたのだろう。

 畑にやってきた若者を咎めるような険しい眼差しで見つめている。


「史跡を探しにきたんです」

 高谷が愛想笑いを浮かべて場を取り繕う。ここは私有地だ、追い出されたら面倒なことになる。獅子堂は沈黙を守り、高谷に任せている。

「県道に大きな古墳がいくつかあるよ、そっちに行ってみるといい」

 老人は二人を追い払おうとしているのか、立ち去るよう促す。しかし、高谷が手にしていた書籍“一岐島の元寇史跡を辿る“に目を留め、驚いた。


「それをどこで」

「元寇資料館で手に入れました。この本を元に史跡巡りをしようと思って」

 老人の反応が変わった。高谷から本を受け取り、憧憬の目でページを捲っている。

「これはわしが書いた本じゃ」

「えっ」

 高谷と獅子堂は同時に声を上げて顔を見合わせた。まさか、本の作者とここで出会うとは。宇佐美と名乗る老人は、若い頃に島の史跡を巡り、趣味が高じてこの本にまとめたのだという。


「自転車で島中巡ったのう」

 あの頃は若かった、と老人は懐かしそうに呟く。

「この辺りに元寇史跡はありますか」

「そこじゃ」

 気を良くした老人はトウモロコシ畑の向こうに見える小さな森を指差す。

「観光地図にはない小さな祠があるだけじゃ。本に情報を書いたぞ」

 老人が書籍の該当ページを教えてくれた。


 元寇で犠牲となった島民を祀るための祠があること、特筆すべきはそこに隠れキリシタンの殉教者を密かに祀っていたとある。

「これだ」

 高谷は興奮気味に獅子堂を見上げる。獅子堂も口元を緩めて頷いた。

「弾圧されていた隠れキリシタンはその信仰を隠さねばならなかった。元々ある信仰を隠れ蓑に、自分たちの神を信仰したんじゃな」

 畑を荒らそうとする輩ではないと理解した老人は、祠へ通じるあぜ道を教えてくれた。高谷と獅子堂は老人に礼を言い、生い茂るトウモロコシ畑の中を進んでいく。


 祠のある森は100メートルほど進んだ場所にあった。周辺は背の高いトウモロコシに囲まれている。回り込むと、木が途切れて隙間があった。そこから中へ入っていく。密に茂った枝が太陽の光を遮っており、ひんやりとしている。

 木々に守られるように中心部には石造りの小さな祠があった。中には石仏が鎮座している。

 一メートルにも満たない祠の前には申し訳程度に水や榊が供えてある。畑の持ち主である老人が世話をしているのかもしれない。周辺には顔の擦り切れた地蔵が何体も設置してあった。

 高谷は祠の前にしゃがみ込み、手を合わせる。獅子堂も黙祷している。


 祠の周辺には石仏が鎮座している。高谷は注意深く祠の周辺を観察する。

「これだ」

 獅子堂が一体の地蔵に目を留めた。荒削りな形状で分かりにくいが、胸に何かを抱いているように見える。

「これ、マリア観音だ」

 胸に抱いたのはおくるみに包まれたイエスだ。石仏を模したマリア観音の台座には十字架が刻印されていた。獅子堂が石仏を持ち上げてみると、窪みに円盤状のものが嵌まっている。


「榊さんや孫景さんが見つけたものと同じものだ」

 取り外してみると、別行動をしている仲間が送ってきたグループチャットの画像にそっくりなメダリオンだ。表には聖母マリア、背面には冠の絵が描かれている。

「やったね」

 高谷は嬉しそうにメダリオンを獅子堂に示す。笑みを浮かべた獅子堂が、周囲を警戒しはじめた。


「煙だ」

 言われてみると確かに焦げ臭い匂いが漂い、パチパチと何かが爆ぜる音がする。木の幹の向こうでオレンジ色の光が見えた。トウモロコシは収穫前、野焼きにはまだ早い。

「まさか、火事」

 高谷は青ざめる。

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