第31話 古島神社

 バルトロマイの言葉通り、駐車場の端にフルスモークの黒いバンを見つけた。周囲を警戒するが、ここにやってきたのは奴ら二人だけのようだ。

 孫景は“借りた”キーでロックを解除し、後部座席のスライドドアを開ける。御神鏡は座席の上にまるでガラクタのように放り出してあった。千弥は鏡を慎重に手に取り、ホッと安堵する。

「良かった、御神鏡は無事だった」

 松崎との約束を果たせる、と千弥は涙ぐむ。奴らにとって鏡はただの戦利品だったようだ。


 座席の下に小さなガラス容器が転がっているのに気が付いた。拾い上げて見ると、カット細工が施された香水瓶のようだ。

「香水かしら」

 そんなものを使うような品の良い奴らではなかった。それにこの繊細な細工は女性向けのボトルだ。バニラのような、微かに甘い香りがする。

「そいつは液体ドラッグだ」

 孫景が千弥の手からボトルを取り上げ、顔をしかめる。アスファルトに落として踵で踏み割った。


「トチ狂った目と異様な体力の正体はドーピングだ」

 ダッシュボードに電子タバコが置かれている。フィルターに液状のドラッグを染みこませ、吸引するという。

「彼らは一体何を信仰しているの」

 千弥はおぞましさを覚え、身震いする。


 ***


―同じ頃

 パステルカラーの電動スクーターで海岸線を走る。穏やかな潮騒のリズムが耳に心地良い。ライトブルーに乗るのは伊織、劉玲は目立つ色がいいとショッキングピンクを選んだ。四十手前の無精髭の男がピンクのスクーターに乗るというのもシュールな絵面だ。

 電動スクーターは園通寺港の観光案内所でレンタルすることができた。その後ろに郭皓淳のスーパーカブが続く。郭皓淳のカブは自前だ。博多港からフェリーに乗せてきたという。

「あれが古島神社だ」

 伊織が海の中に浮かぶこんもりとした森を指差す。


 堤防の脇にスクーターを停めて、島の正面にやってきた。

 古島神社は島自体が神域とされており、正面に鳥居が立っている。潮が引いたわずかな時間だけ陸地から一直線の参道が出現する。潮が満ちれば参道は海中に沈み、鳥居と島が海に浮かぶ不思議な光景となる。

 今は運良く干潮で、島までの参道が続いている。堤防のコンクリ製の階段を降り、干潟に出来た参道を進んでいく。強い磯の香りが鼻をついた。潮だまりに蟹が遊んでいる。


 赤い鳥居をくぐり、木が生い茂る島を見上げる。地図の示す場所はここで間違いない。

「ただの森だな」

 郭皓淳の言葉に伊織は遅れて頷く。岩場の上に木が密集した小さな森があるといった形状の直径100メートルほどの小さな島だ。登ろうにも岩に貼り付くように生えた木は密集しており、足をかける場所もない。

「しゃあねえ、この木、引っこ抜くか」

「郭皓淳さんダメですよ、ここは神域で小枝一本でも持ち帰ったらいけないとされているんだ。木を引っこ抜くなんて神罰が当たりますよ」

 伊織が全力で郭皓淳を止める。


「伊織くん、絵巻にヒントはないか」

 伊織はスマートフォンで撮影した絵巻の写真を画面に映す。島と鳥居を横から見た絵だ。

「神社は海からのアングルで描かれているよ」

「宝のヒントはあの島の裏側や」

 劉玲と伊織は目を丸めて顔を見合わせる。

「うん、それだ」

 伊織が島の裏側に回ろうとすると、波が打ち寄せてきて進むことができない。

「これだけ潮が引いているのに、島の裏側へ回れないよ」

 一体どうやって、と言いかけてハッと気が付いた。


「あ、船だ」

「せや。よう気がついたな、伊織くん」

 劉玲が遠く沖を行き交う漁船を見やり、にんまり笑う。


 ***


 地元漁師の話によれば、古島神社の社は年に二度、夏至と冬至の日に一般人に特別解放されることになっているが、それ以外は宮司が管理のために年に数度、上陸するだけだという。


「バレたらまずいよ」

 伊織は青ざめながら舵を取る。劉玲が地元の漁師と交渉し、小さな漁船を借りて海へ出た。釣りをするという名目で竿と餌も用意してある。船で島の裏側へ回り込み、山頂にある社へ行くという劉玲の算段だ。

「伊織が船を操縦できるとはな、やるじゃないか」

 郭皓淳が感心している。海沿いの町で育った伊織は漁師だった祖父についてよく海へ出た。小型船の操縦はその時に習ったのだ。


 頭上を舞う海鳥がどこかとぼけた声で鳴いている。漁船を島の裏側に停めて、カモフラージュのために釣り糸を垂らす。神域での殺生は御法度のため、あまり近づきすぎてもいけない。

 伊織は釣り針に餌をつけて竿を振る。シュルシュルと糸が伸びる心地良い音がして、鉛が海に落ちる。

「良い潮の流れだ」

 伊織はすっかり釣り人に徹している。

「あそこに道が見える」

 郭皓淳が指差す先、森の合間に石段が見え隠れしている。山頂へ続いているようだ。向こうに見える漁船が通り過ぎたらこの漁船を島へ寄せて上陸することにした。


「あっ、引いてる」

 良い当たりがあった。伊織は竿を一度ギュンと引いてリールを巻き始める。

「大物やないか、伊織くん」

 劉玲は伊織を応援し始めた。伊織は汗だくで糸を巻き取る。船の縁に魚影が見えた。

「派手な魚だな」

 引き揚げた魚は赤と黒のまだら模様で、背中に鋭いひれがついている。魚を触ろうとした郭皓淳を伊織が慌てて制した。


「触ったらダメだよ、郭さん。こいつはオコゼだ。背びれに強い毒がある」

 伊織はタオルを手に巻いて慎重に針からオコゼを外した。伊織の所作を見て、郭皓淳は息を呑む。

「子供のころ、じいちゃんの友達が砂浜の岩に座った途端、ぎゃっと叫んで飛び上がったのを見た。干からびたオコゼが置いてあったんだ」

 厚手のズボンをはいていたにもかかわらず、尻がひどく腫れたという。伊織はオコゼを注意深くクーラーボックスに入れた。


 それから暇を持て余した劉玲が釣りに付き合い始めた。潮の流れに乗ってキスが大量に釣れ始め、まさに入れ食い状態だ。

「こんなに楽しい釣りは初めてや」

 劉玲がリールを巻き上げると大ぶりのキスがかかっている。

「キスは天ぷらにすると美味しいよ」

 伊織はえさをつけて竿を振る。

「あんたら当初の目的を忘れてないか」

 郭皓淳は大きなあくびをしてタバコを吹かし始めた。近くにいた漁船は港へ戻っていくようだ。

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