第14話 月夜見神社の異変

 曹瑛が部屋へ戻ると底なしのうわばみたちが宴会を続けていた。伊織に言わせると、コップ一杯のビールでここまで酔っ払えるなんてコスパがいいということだが、アルコールは嫌いだ。判断力を鈍らせる。

 ライアンが焼酎を飲み干したところへ榊がすかさず日本酒を注いでいる。ちゃんぽんで前後不覚にしてしてしまおうという腹なのだろうが、ライアンが酔い潰れることはないだろう。


 曹瑛は縁側の安楽椅子に腰を下ろし脚を組む。窓を開けると心地良い海風が吹き込んできた。テーブルの灰皿を引き寄せてマルボロに火を点ける。

 ライアンの相手が面倒くさくなったのか、榊がやってきてもらいタバコに火を点ける。ライアンに付き合って相当飲んでいたようだが、顔はしらふそのものだ。

「何かあったか」

 曹瑛は普段と変わらぬ無表情で紫煙をくゆらせているが、榊は険しい雰囲気を感じ取ったようだ。


「アイザックが来ている」

 曹瑛は窓の外に煙を吐き出す。その名を聞いた榊の顔色が変わった。

「奴がここにいるだと。ミハイルとニコライもいるのか」

「いや、それは分からない」

 曹瑛はさして興味が無いといった様子だ。アイザックは箱根の雪山で曹瑛と格闘を繰り広げた手練れの元傭兵だ。

 落ちぶれた挙げ句、窃盗団に成り下がり仲間たち三人で銀座の宝石店を襲撃してティアラを強奪した。偶然事件に巻き込まれた曹瑛たちは成り行きでティアラを奪還、闇オークションを潰して彼らを警察に引き渡したという経緯がある。


「バテレン騎士団の一人として現われた」

 曹瑛の前に現われたアイザックは白装束を纏っていた。

「アイザックは流れ者の傭兵だ。大方雇われの身で信仰心は偽りだろう。しかし、バテレン騎士団はそれなりの武闘派をかき集めているようだな」

 榊はアイザックの経歴から得体の知れない宗教に傾倒するような男ではないと踏んでいるが、それは正しいだろう。曹瑛も静かに頷き、灰皿にタバコを押しつけた。


 曹瑛は神妙な面持ちで椅子から立ち上がる。榊はマルボロを口にくわえたまま窓の外に見える暗い海を見つめる。堤防にぶつかる波の音が不穏な響きを帯びている。夜風に吹かれてすっかり酔いが冷めた。タバコを揉み消し振り向けば、いつの間にか皆ふとんに入って眠りについている。

 曹瑛はちゃっかり壁際のベストポジションを確保していた。その隣は獅子堂だ。劉玲の歯ぎしり、孫景のいびき、伊織の寝相の悪さよりも早朝六時に始まる沖縄民謡が一番マシだと判断したのだろう。


「英臣、君と一夜を明かせるなんて胸の高鳴りが抑えられないよ」

 ライアンの甘い声音に榊は声にならない声を呑み込んだ。残るひとつのふとんはライアンの横だ。高谷はすでに酔い潰れて背中を丸めて眠っていた。

「全員で雑魚寝するだけだ、意味深な言い方はよせ」

 榊は渋い顔で頭を抱える。明かりを落としてふとんに横になる。


「曹瑛と話をしているのを聞いたよ。アイザックが来ているのか」

 ライアンが天井を見上げたまま囁く。

「らしいな」

「奴には借りがある」

 ライアンの声が一際低くなる。マフィアは面子を潰されたことを一生許さない。世界で一番恐ろしいのはマフィアの報復だ。アメリカンマフィアのライアンも腹に一物呑んでいるようだ。


 遠い潮騒の音に耳を傾けていると、往復いびきと歯ぎしりと中国語の寝言が聞こえてきた。ゴン、と音がしたのは寝相の悪い伊織が壁にぶつかったのだろう。獅子堂の沖縄民謡が聞こえてくるまで眠るか、榊は耳栓をしっかりと両の耳にねじ込み、頭からふとんをかぶった。


 ***


 陽が昇る前から鳴きだした蝉の声に伊織は目を覚ました。そっと障子を開けて窓の外をみやると、青紫色の空が広がっている。まだ星が瞬いているが、東の空が明るくなるにつれてその光はやがて失われてゆく。

「早起きやな、伊織くん」

 劉玲が半開きの障子から顔を覗かせた。

「せっかくや、朝飯前にドライブでもいこ」


 劉玲は赤色のTシャツとカーキ色の膝丈のカーゴパンツ、サンダル姿で宿を出る。伊織も白のポロシャツにジーンズ姿で後を追う。

 レンタカーで借りているバンに乗り込もうとしたとき、Vネックの白シャツに黒いパンツ姿の曹瑛がタバコを吹かしながら歩いてきた。早くに目が覚めて、漁港に行っていたらしい。手には湯気の上がるビニール袋を提げている。

「曹瑛、お前も行くか」

 劉玲に誘われて、行き先も聞かず車に乗り込んだ。


 海を照らしながら朝陽が昇り始めた。劉玲の運転で島の中心部へ向かって国道を走る。曹瑛はビニール袋を広げ、爪楊枝に刺したタコ天を食べ始めた。

「食うか」

 曹瑛が透明パックを差し出す。漁港の朝市で揚げたてを買ってきたらしい。伊織はひとつ口に放り込む。まだ熱々でやけどしそうだ。衣はサクサクで、大ぶりのタコは身がぷりぷりしている。ハンドルを握る劉玲も信号待ちでタコ天をつまむ。


 見覚えのある山道へ差し掛かった。昨日日暮れ前に立ち寄った月夜見神社だ。高い杉の木立の隙間から金色のカーテンのように朝陽が差し込んでいる。

 早朝とあって駐車場には車は一台も停車していない。鳥居の脇にバンを停め、月夜見神社への階段を上る。

「何でまたここへ来ようと思ったんですか」

「昨日周辺を調べててな、大発見したんや。それを確かめに来た」

 劉玲はよくぞ聞いてくれたと伊織の肩をバシンと叩き、興奮気味に語る。あれほど酒を煽っていたのに冷静に調べ物をしていたとは驚くばかりだ。


「様子がおかしい」

 足もとを見れば、階段におみくじが散乱している。社殿の前に置かれていたお守りやパンフレットが乱雑にひっくり返されていた。曹瑛は警戒しながら社殿の中を覗き込む。祭壇が荒らされ、畳の上を土足で歩いた跡があった。

「こんな、ひどい」

 伊織がやり場のない怒りに震えながら唇を噛んでいる。泥濘に落ちて踏みつけられたお守りを拾い上げる。

「これはバチが当たるどころの話ではないな」

 劉玲の軽い調子の関西弁にも怒りの色が滲んでいた。


「お前たち、何をしている」

 背後から鋭い声が飛ぶ。怒りで顔を紅潮させた中年男性が階段を駆け上がってきた。社殿周辺の惨状に目を見開き、たまたま視線がぶつかった伊織を凝視する。

「こんなことをして、一体どういうつもりだ」

 中年男性は頭ごなしに伊織を怒鳴りつける。

「待ってください、俺たちはさっきここへ来たばかりで」

 伊織は気圧されながらも無実を訴える。


「このバチ当たりめ」

 中年男性は祭壇の祭器が畳の上に散乱しているのを見て、さらに激昂する。伊織の胸ぐらを締め上げようとする。

「その男の手を見ろ」

 曹瑛の低い声に、中年男性は伊織から手を離した。伊織の手には、泥に塗れたお守りが握られている。

「伊織くんはこの惨状に心を痛めて、バラ撒かれたお守りを拾てたんや」

 劉玲がしたり顔で説明する。中年男性はようやく状況を把握して冷静になったようで、申し訳無さそうに深々と頭を下げた。

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