【エピローグ1】見習い聖女と、英雄たちのこれから

聖光ホーリーライト!」


 手のひらから放たれた聖なる光がオークの一体を包み、消滅させていく。

 ゴーレムの少女──マイの振るう鋼鉄のロッドが別のオークを強かに叩き、ハーフエルフ姉妹の放った矢がトドメを刺す。

 監督役であるエルフの精霊使い、アンナが特になにもすることがないくらいに戦いは今日も順調だった。


「エレオノールさんの魔法はいつ見ても強力ですね。頼もしいです」

「そんな、私なんてまだまだです。レン様たちのようにもっともっと強くならなくては」

「そうだね。お姉ちゃんたちに追いつくにはまだまだ大変だもん」

「もっと頑張らないと、ですね」


 階段から神殿に戻り、途中まで仲間たちと一緒に帰ったエルは「家」へと続く道の前でみんなと別れた。


「それでは、また」

「はい、また」


 今日も頑張ったので空にはもう夕陽が浮かんでいる。

 この世界はとても穏やかだ。野には獣こそいるもののモンスターはいないし、家の周りなどはその獣ですら害を成せないように結界(?)が張られている。

 食事は美味しいし量もたっぷり。広い一人部屋には暖かい寝床までついているし、家自体も石造りの神殿と違って室内の熱が逃げづらい。夜更かしをしていても誰にも怒られないし、早起きして水汲みや掃除をする必要もない。


 この世界に来てからはや二か月。


 すっかりここでの生活にも慣れてしまった。

 生活が楽になった分はエルにできることで返すようにしている。料理の支度や掃除を手伝ったり、ミーティアの代わりに文字や言葉の教師を務めたり。

 それからゴーレムやハーフエルフの女の子たちと一緒に「ダンジョン」へ潜るようになった。入るたびに定められた状況が形作られる不思議な魔法装置。自分もその中から出てきたのだという事実を思うと震えそうになるけれど、一方、ダンジョンで戦っていると妙に落ち着く。

 最初は恐ろしかった戦いにも少しずつ慣れてきた。

 エルの理解を大きく超えた概念、知っている人のいない環境に最初は泣きそうになったし途方に暮れたものの、竜殺しの英雄──レンたちはとても優しい、良い人たちだった。


 リーダーのレンはサキュバスで、見るからに煽情的で、実際仲間と毎夜えっちなことをしているようなのだが──悪魔が人を唆すような後ろ暗い雰囲気はどこにもなくて、恋人というか友人というか、独特の距離感が彼女たちの間にはある。

 もちろん、エルに「相手をしろ」なんて迫ってきたりもしない。

 教義的に異性との姦淫は結婚相手以外を除いて禁じられている。逆に言うと同性ならば構わないという風潮があり、実際、神殿内には疑似的な交際をしている巫女もいたりはしたのだが、そういうのはエルにはまだ早いと思っている。


「世界の弔い合戦、かあ」


 腰に着けたポーチに大事にしまっている綺麗な石──世界の欠片を一つ取り出してため息をつく。

 エルのいた都は「ダンジョンの五十階」。なのにエルは「一階」から戦いを始めなければならなかった。これについてレンやミーティアはエルが「五十階では戦闘要員としてみなされていなかったから」だと言っていた。意味は完全にはわからないが。

 わかるのは、この石一つでは大きな効果はないということ。一階一階積み重ねていくのは仲間と一緒でもなお楽ではないこと。

 憧れの聖女様よりも強いかもしれない美しき英雄たちに手が届く日はまだまだ遠い。


「あ、いい匂い」


 家が近づいてくるといかにも美味しそうな匂いが鼻をくすぐった。

 今日はシチューだろうか。

 異世界の料理はエルの世界のものにはなかったものが多いうえ、似ている料理も洗練されていてとても美味しい。毎日楽しみでしかたない。


「ただいま戻りました」


 玄関のドアを開けて靴を脱ぎながら告げる。家の中で靴を脱ぐのは最初変な感じだったけれど、慣れてしまうととても楽で癖になる。毎日お風呂に入って足の裏まで綺麗に洗えるようになった──臭いを気にしなくてよくなったのも理由の一つだと思う。

 声に反応したように家の中から小さな足音。


「お帰りなさいませ、エルさん」

「ありがとうございます、シオン様」


 子狐姿のシオンが駆けてきてエルを見上げた。

 犬とも猫とも違う不思議な姿をしたシオンは大きくなったり人間になったり耳の生えた人間になったり姿を自由自在に変えるうえ、無数の炎を一度に操ったり悪しき者を排除する結界を張ったりもできる偉人だ。

 エルの崇める神とはいろいろ異なっているものの、聖なる存在としてエルは彼女のことを特に尊敬している。本人はくすぐったそうにしているものの、小さな姿でそうされるとそれはそれでとても可愛らしく──閑話休題。


「今日はシチューですよ。荷物を置いて着替えてきてください」

「わ、やっぱり。遅れないように行きますね」


 さっぱりした格好でリビングに移動すると、もうみんなが食卓に揃っていた。


「すみません、お待たせしました」

「ううん、大丈夫。いま準備が終わるところだから。疲れたでしょ? いっぱい食べてねー」

「わあ……!」


 風の精霊であるフーリはハーフエルフであるアイリスと共にこの家の調理担当だ。

 優しくて明るく、面倒見のいい二人。エルが美味しそうに食べているとにこにこして見守ってくれる。若くて綺麗なのにどこか大人っぽいところもあって、すっかり憧れの人の一人になった。


「むう。表情の変化というのも破壊力が高いものですね。非効率的ですが、やはり機能を追加するべきでしょうか」


 無表情のまま淡々と、なのにどこか悔しげに呟くのはゴーレムのメイだ。

 エルと共にダンジョンを攻略しているマイの姉。類稀な戦闘力を持ちながらユーモアに溢れており、この家のムードメーカーになっている。

 疲れを知らないボディで家の掃除を黙々とこなすその姿は神殿の掃除に何度も泣かされそうになったエルにとってとても偉大である。


「身重なんだからまた今度にしなさい。……機能を追加してもあなたの場合、あんまり変わらなさそうだし」


 ダークエルフのミーティアはエルにとってある意味一番親近感の湧く相手だ。

 故郷──元いた世界の話が通じるし、翻訳がなくても言葉が通じる。一方で種族も年齢も育った環境が違うので戸惑わされることも多い。

 最初はよく彼女を頼っていたものの、我が儘で尊大なところのあるミーティアよりもフーリたちを頼ることも多くなった。そうすると若干拗ねたようにエルに声をかけてきたりもして、少し親しみのようなものを感じてしまったり。


「身重といえば、レンもね。少しは大人しくしているのよ?」

「大袈裟だよ。まだ一か月なんだし全然大丈夫だってば」


 パーティのリーダーであるサキュバスのレン。

 エルの知識にあるサキュバスのイメージとはだいぶ違う。いや、淫らな一面も少しは、だいぶ、結構あるのだが、 男嫌いという珍しい性質のせいなのだろうか。それとも、異世界人が後天的にサキュバスになったせいなのだろうか。相手は選んでいるし精気全てを絞りつくすようなことはしない。人間を見下すこともないし、エルにもとても良くしてくれる。

 左右の翼で空を駆け、無数の光の矢を生み出す様は恐ろしくも美しい。


 そんな彼女はしばらく前にフーリの子供を妊娠した。


 女同士の子供。常識からは外れているが「サキュバスだから」問題ないらしい。


「ほんとごめんねー、レン。押し付けちゃって」

「いいってば。むしろフーリが妊娠したほうがいろいろ大変だし」


 そう言って笑う紫紺の髪のサキュバス。彼女の下腹部に風のシンボルに似た紋様がぼんやり輝いているのが服越しにもどことなく感じられる。妊娠しようと思えば妊娠できるしそうでなければ必ず避妊できるサキュバスには「現在妊娠しているかどうか」「誰の子供なのか」をはっきりさせる機能まで備わっているらしい。

 フーリの子をレンが孕むことになったのはフーリが風の精霊という特殊な存在であるせいだ。

 風そのものに近い身体になることができるフーリ。果たして非実体化した際にお腹の子はどうなるのか。試してみるのも恐ろしすぎるから、というのが一番の決め手になったそうだ。


「それにしてもフーリに先を越されたわ。……やっぱり今のうちにレンの子を産んでおこうかしら」

「ミーティア。初めての子供だし、一人ずつにしておこうってみんなで決めたでしょ」

「それはそうだけど」


 フーリだけずるい、とばかりにレンを睨むミーティア。

 シオンは困ったように首を傾げ、何気なく胸に手を当てて、


「わたくしは心の準備ができますので、むしろ有難いです」

「……私も、いざとなったら怖いと言いますか」

「あはは。いっそみんなレンに産んでもらえば」

「それだとわたし、十年くらいダンジョンに潜れなくなりそうなんだけど」


 ちなみにメイの子供も一応、レンとメイの子ということになる。

 ゴーレムは夫役の人間から生命力だけを受け取って妻側のゴーレムが自身の複製を作るような形式らしく、そのため「子供は一人ずつ」の約束の中には含まれていない。

 メイも生まれた時点で人間で言う五歳くらいの身体を与えられ、人間よりもずっと早く言葉を覚えたとか。母親も出産前後、普通に活動していたそうだ。

 便利というべきか情緒がないと言うべきか。

 ちなみにエルは子供がどうやってできるのか詳しくは知らない。男女がいやらしい行為をして作ることくらいは理解しているものの、具体的にどういうことをするのかは知識になかった。夜、レンの部屋を覗けば──いや、ただでさえ覚えることや考えることが多いのだから変なことをするのは止めておこう。


「でも、ほんとに妊娠するだけでレベルが上がるとは思わなかったよ」

「レン。子供を作るのは『だけ』って言えるほど簡単じゃないよ?」

「そうだけど。普通それで経験値入ったりしないじゃない」

「ゴーレムも経験値が入りますが」

「……そう考えるとわりと普通のことなのかな?」

「落ち着きなさい。間違いなく特殊な事例よ」


 サキュバスにとっては子供を作ることさえも種族的な特性・習性に含まれるらしい。


「案外、妊娠の負担も人間より軽かったりするのかな」


 実感がないと言いつつお腹をさすりながら呟くと、フーリやミーティアが半眼になって、


「ずるい」

「ええ。そこはきちんと苦労しなさい」

「えー。楽ならその方がいいと思うんだけど」


 サキュバスと精霊の子が十月十日で生まれてくるとは限らないものの、出産して子供を育てて、子供がある程度しっかりしてくるまでには年単位の時間がかかる。

 レンと同じく女性同士で愛し合っているお隣さん(レンと違って結婚しているものの子供はまだで「先を越されました」と冗談交じりに苦情を言っていた)が「いざという時は預かる」と言ってくれてはいるものの、レンが再びダンジョンへ潜るのはしばらく先になりそうだ。


「あのドラゴンでさえ敵の尖兵に過ぎないんですよね」


 あの恐ろしい巨体を思い出しながら呟くとミーティアが「そうね」と答えて、


「竜族はそう簡単に言いなりにはならないはずだけど、魔王もそれだけ本気ということかしら。魔王や上位のデーモンは竜族と同等かそれ以上の力の持ち主だし、各種族の中にも英雄級の実力者はいる。先のダンジョンではそういった者達が相手になるのでしょうね」


 本当に神話級の戦いだ。しかも「神の世界」に来たエルにとっては他人事ではない。

 この世界にはレンたちの他にもたくさんの戦士がいる。同時に彼らの中でもレンが一目置かれていることも事実。レンの「ひと休み」が戦いの停滞に繋がっているのは間違いないだろう。

 ならば、せめて。


「レン様が復帰された時、お力になれるよう私も力を磨きます」


 レンはこれに「期待してるよ」と微笑んで、


「でも、無理はしないでね。死んじゃうのが一番良くないから」

「肝に銘じています」


 マイたちもエルと同じく、レンたちに追いつくのを目標にしている。

 少し前に知り合ったショウやケンたち「この世界の人間」である子供たちもダンジョンを攻略すべく頑張っている。

 レンたちだけを頑張らせないようにする環境は少しずつ整ってきている。


「賢者様とケント様が年甲斐もなく頑張っているようですから、ご主人様がしばらく休んでも問題はないでしょう」

「ああ。おっさん、なんだかこき使われているらしいね」

「ケントさんがスイッチ入っちゃったみたいだねー」


 賢者とケントはレンたちと一緒に戦っていた男性二人だ。この世界において中核をなす存在であるらしく、あまり頻繁にふらふらするのは好ましくないらしいのだが、同時に最大級の戦力でもあるため扱いが難しい。特に最近はケントが精力的に活動し、賢者がそこに巻き込まれているのだとか。


「フーリたちも誘われてるんでしょ? わたしだけ遅れないように少し参加してこうかな」

「だめでーす。妊婦は安静にしててくださーい」

「だからまだ全然大丈夫なんだってば」


 一か月目でこれは確かに過保護すぎる。しかし、何かにつけて何かをしようとするレンを休ませるにはちょうどいい口実なのだろう。

 彼女はダンジョン攻略をなるべく控えるようになって落ち着いたかと思えば街のことで駆り出されたり、魔法の特訓と称してあれこれし始めたりしている。少しくらい大人しくしてくれていた方が周りとしても安心なのだ。


「きっと、こういう方だから周りに人が集まるのでしょうね」

「? エル、なにか言った?」

「いいえ、なんでもありません」


 エルは、不思議そうに首を傾げるレンに笑顔で答えた。

 レンたちはダンジョンを攻略しないと故郷に帰れないらしい。

 これは滅びた世界の弔い合戦でもあると同時に、他の世界のために戦う英雄たちに幸せを与えるための戦いでもあるのだ。

 道は険しい。

 けれど、いつかきっと必ずたどり着ける。

 確信に近い予感が少女の胸にしっかりと宿っていた。

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