レンの悩みと変化したシオン
「ふう……」
家の屋根の上。
飛んでやってきたその場所で、レンは太陽を見上げていた。
マンガなどでよく見るシチュエーション。昔は「わざわざそんなところに行かなくても……」と思っていたものの、飛べるようになってみるとついついやりたくなる。簡単に行ける、落ちても対処できるというのがポイントなのかもしれない。
物理的に一人きりになれる場所は考えごとにちょうどいい。
思えばこっちに来てからいろんなことで悩み通しだ。ダンジョンのこと、仲間のこと、身体のこと、お金のこと。ただの高校生だった頃には想像もできなかったほどさまざまなことがめまぐるしく動いている。
「うーん」
これまではひとつひとつなんとか解決してきたわけだけれど、
「レンさま?」
「わっ!?」
背後から突然聞こえたシオンの声に、レンは尻を滑らせそうになった。慌てて浮遊能力を使い、事なきを得る。
それにしても、少女の気配に気づかないとはよほどぼんやりしていたらしい。
反省しつつ、慣れ親しんだ狐の姿があるはずの後ろを振り返って、
黒髪黒目の大和撫子が巫女服のような衣装を纏ってそこにいた。
「え……っ!?」
目を見開いた拍子に浮遊の集中が切れかけた。
連続して二度も落ちそうになるとは、と、それはまあいいとして。
「シオン、それって……!?」
すると少女──狐の少女ではなく正真正銘の女の子──はほんのり頬を染めて「はい」と答えた。
「チョコレートづくりに参加できなかったのがとても残念でしたので、『人化』のスキルを取得いたしました」
「ああ、なるほど。って、そこが重要だったんだ」
「だって、みなさまがお菓子作りをしている中、わたくしだけ食べる専門だったのですよ?」
さすがにお菓子作りは人型でないと厳しい。さらに言うと体毛でいっぱいのシオンは「できれば完成するまで別の部屋で待っててくれないかな?」という対象でもあった。
確かにレンがその立場だったら嫌かもしれない、と納得する一方で、
「でも、それなら急に驚かさなくても」
今度はシオンの顔に悪戯っぽい色が浮かんで、
「申し訳ありません。レンさまを少しでも元気づけられたら、と思いまして」
「そっか。……うん、ありがとう、元気出たかも」
浮遊を解除して座り直すと、シオンもそのまま隣に座った。
失礼かもと思いつつも興味に勝てず隣を見ると、少女の新しい姿をあらためて観察できた。
妖精めいたアイリスや人形めいたメイとはまた違う、和の趣を備えた美少女。どこからどう見ても人の姿で、彼女が「実は妖狐」だということは見た目からではわかりそうにない。強いて言うと美少女すぎて生の人間にしては不自然、といったところか。
「人化って、本当に人の姿になるんだ」
「ええ。魔法などを使わなければ人のままでいられるようです。魔法を使おうとするとこのように──」
空へと右手を差しのべ、水刃を放つシオン。
彼女の髪色が黒からきつね色へと変わり、頭にぴょこん、と狐耳が生える。さらには巫女服のお尻部分にスリットが入ってふさふさの尻尾が一本飛び出した。
「人と妖狐の中間のような姿になってしまうようです」
「うわ、これは可愛いなあ。わたしと違って耳も尻尾もふわふわだし」
「ありがとうございます。ですが、わたくしはレンさまの翼や尻尾も好きですよ」
「ありがとう。……ねえ、シオン? 今のシオンってもとのシオンに似てるのかな?
「そうですね……似ていると言えば似ていますし、似ていないと言えばあまり似ていません。面影程度、といったところでしょうか」
姿を自在に変えられるわけではなく、人化するとこの姿になる、ということらしい。
つまりはこの姿が妖狐としてのシオンの人型形態。
女子高生だった頃のシオンとは似て非なるもの、というわけだ。
「でも良かった。人間になれた方がいろいろ便利だもんね」
「そうですね。これからはいろいろとお手伝いができそうです。狐の姿も慣れてみると快適なので、普段はそちらの姿でいようと思っておりますが」
「うん。シオンを撫でられなくなったらみんな残念がるだろうし、それがいいかも。……もちろんわたしもだけど」
付け加えるような呟きにシオンはくすりと笑って「では、決まりですね」と言った。上品ながら親しみやすさも感じる仕草。こうして見ると彼女のイメージにぴったりである。
そこで少女は小さく首を傾げて、
「ところで、レンさまのお悩みはどのような?」
「あ、いや。実は悩みっていうほどのことじゃないんだけど」
ごにょごにょと濁してみるものの誤魔化せそうにはなく、
「お悩みでなければあのようにぼんやりされないでしょう? ……それとも、わたくしではお力になれませんか?」
「う。シオン、それ反則」
いろいろな意味で可愛い後輩にそう言われてしまうと白状しないわけにはいかない。
レンは気まずい思いに襲われつつ空を見て、
「なんていうか、気持ちの落としどころがよくわからなくなっちゃって」
「落としどころ、ですか?」
「ちょっと心境の変化があってさ。心境というか、むしろ変わったのは身体のほうなんだけど」
要領を得ない説明にシオンは目を瞬いて、
「あの、その、もしかしてご懐妊……ですか?」
「ち、違うから! まだそこまでは……あっ」
語るに落ちるとはこのことである。
全てを察したのか、少女が若干遠い目になって、
「考えてみれば、わたくしも房中術の際にお世話になりました。……レンさまは『他人に生やす』ことができるのでしたね。ちなみに、どなたと?」
「……えっと、フーリとアイリス」
今さら隠しても仕方ないかと素直に答えた。
フーリに迫られた後、アイリスにも「ずるい」と言われてなし崩しである。
そんなわけで、今は今までずっとあったものがなくなった感覚というか、最後のプライド的なものが崩された感覚というか、どこかふわふわしてとらえどころのない感じが続いている。
おそらく、その正体は違和感なのだろう。
シオンは「なるほど……」と頷いて、
「お疲れなのではないでしょうか? ……毎日のようにどなたかと夜を共にしていらっしゃるのでしょう?」
「あー、うん。それはそうなんだけど……」
「?」
「それ自体は特に問題ないっていうか、むしろ元気の源なんだ。むしろ疲れるのはフーリやアイリスの方」
恐るべきはエナジードレインの力である。
誰かと肌を重ね合わせているだけで活力が得られる。言ってしまえば性行為をしながら食事をしているようなもの。体力、HP自体はいちおう減っていくわけだが、それだってヒールで回復してしまえばいい。
サキュバスの性質か、誰かと夜を共にすることで気疲れする感覚もない。
ぶっちゃけレンの方は毎日でも全然OKなのである。
「特に、完全に女の子役をやるのは本当にだめだった。あれはハマったら抜け出せないっていうか、いつまででも続けたくなっちゃって」
今までも押せ押せでいけばそのまま勝てていたのにこれはまずい。
このままでいくといつか嫌そうな顔で「疲れたからまた今度」とか言われてしまうかもしれない。
「まるで夫婦間のトラブルですね……?」
「似たようなものかもなあ」
フーリのほうは「あれだけ嫌がっておいていざやってみたらドハマりしちゃって」とか思っているかもしれない。
「だいたいさ、ある程度経験のある同士だったら女の方が強いと思うんだ。男は回数制限があるのに女にはないんだから」
しかも男は一回ごとに戦意ダウンのバッドステータスがかかる。これで勝てるのは経験少なめで受け身な女が多いからだ。
実際、多くの男を虜にする魔性の女というのがたまに登場する……というのがレンの経験から来る持論である。
これを聞いたシオンは眉を寄せて、
「つまり、レンさまとしてはもっとしたい。けれど、フーリさまやアイリスさまを休ませてもあげたい、というわけですね。それで、どうなさるおつもりなんですか?」
「うん。まあ、相手を増やした方がいいかも、とか」
相手を女性に絞っても希望者はいる。
フーリたちを独占しておいて自分だけ他の相手を作る、というのもなかなか最低だとは思うのだが、一人相手で満足している側とたくさんしないと満足できない側では事情が違うのも事実。そのへんは話し合って折り合いをつけられないなら関係の変更も視野に入れるしかないのかも、と思う。
「だいぶサキュバスに染まってらっしゃいますね」
「だよね。でも、それがわたしなのかなって気もするんだ」
「わかります。わたくしも妖狐の性質に染まっているところがありますから」
強いてそうしようとしているわけではなく、気づくとそうなっている。
どこからどこまでが元の自分なのかわからない以上、抗ったり否定することもなかなか難しい。特に嫌だと思っていないのならなおさらだ。
少女は小さなため息をついて、
「ですが、痴情のもつれでパーティが解散するのは困ります。きちんとお二人と話し合ってください」
「それはもちろん。フーリたちの意見も聞かずに決めたりはしないよ」
「それならばよかったです」
小さく微笑みを浮かべると軽く肩が触れ合うように身体を近づけてきた。
「もし、そのうえでもっとお相手が必要なのでしたら、わたくしを求めてください」
静かで穏やかな声音。なのにたまらなくどきっとした。
指を持ち上げたくなるのを堪えて答える。
「冗談、じゃすまないよ。わたしの場合」
「構いません。動物的な本能、なのでしょうか。レンさまの傍にいるのは心地良いと感じます。これからもあなたと共に在りたいとも」
「……そっか」
迷いのない返答に深く頷きを返した。
サキュバスと妖狐。お互いに寿命の長いであろう種族同士。人間に戻らない限り、同じ時を長く過ごしていくことになるのはほぼ確定している。
なら、そうなるのはある意味必然なのかもしれない。
レンはシオンの深い漆黒の瞳を見つめると、囁くように告げる。
「わたしも、シオンが欲しい。もっとシオンに触れて、感じて、わたしの気持ちを直接伝えたい」
「……レンさま。それは、あまりにも殺し文句が過ぎます」
顔を真っ赤にした少女はぽんっ、と一瞬にして狐の姿に戻った。
そうしてレンの腰、脇腹に身を擦りつけるようにしながら、
「今度は夜にも添い寝をさせてくださいね」
それがなによりの答えになった。
◇ ◇ ◇
その後、フーリたちともしっかり話をした。
欲求が強すぎて求めすぎてしまうかもしれない、とか言っててものすごく恥ずかしかったものの、思い切って打ち明けた甲斐あってか二人はレンの事情を理解してくれた。
「前にも似たようなこと言った気がするけど、別にいいよ。私たちってこんな感じだし、浮気だったら許してあげる」
「私もフーリさんと同じです。……フーリさんがいるのはもともと知ってましたし、他の人が増えても変わりません。これからもレンさんが傍にいてくれるなら、それで」
フーリの「浮気だったら」はつまり、新しい誰かに入れ込んで自分を放り出すのは許さない、という意味だ。
アイリスの言葉もそれに近い。二人ともパーティが解散したり、レンがいなくなったりすることのほうを嫌だと思ってくれている。
「ありがとう。でも、本当に大丈夫? ……二人にばっかり我慢させることにならない?」
せっかくの機会だ。
聞けることを聞いてしまおうと尋ねれば、フーリがむっとした表情になって、
「本音を言うなら嫌」
飾らない生のままの気持ちを教えてくれた。
「私だけを見て欲しい。二十四時間、毎日私のためだけに生きていて欲しい。私がレンだけを好きなのに、レンは他の子のことも好きなんて不公平だと思う」
率直なだけに刺さる言葉。それでも全てを受け止めようと聞いていると、少女は「でもね」と苦笑して、
「私のほうがもらい過ぎてるのも事実なんだよね。レンを満足させるのなんてアイリスちゃんと二人がかりでも大変だし。毎日そんなに頑張ってたらぜったい疲れちゃう。体力がもっても気疲れする」
「フーリ」
「だから、そんなに我が儘は言わない。アイリスちゃんやメイちゃん、シオンちゃんと喧嘩するのも嫌だしね。……これで、どう?」
「……っ」
涙が出そうになった。
女になってから感情の揺らぎが強く出やすくなった。高ぶりを抑えきれないまま愛しい少女を抱き寄せて「うん」と答える。
「ちゃんと、大切にするから」
「あはは。……レン、苦しいってば」
恥ずかしそうなフーリの声。
見れば、顔が真っ赤になっていた。恥ずかしさもあるだろうが、興奮しかけている感じ。密着したことで魅了が強めにかかってしまったのかもしれない。
慌てて離れようとしたところで腕の片方が引っ張られた。
真剣な表情をしたアイリスがレンを抱き寄せるようにして、
「……私のことも、ちゃんと愛してください」
「……うん」
腕を回して逃げられなくした少女の身体には想像以上の熱が籠もっていた。
変わっていく関係と変わらない関係。
日常の中で言葉を重ねながら、レンたちはひとつずつダンジョンを進んでいった。
次なる難関は三十五階。
そこは挑戦者たちに「エルフの森をダークエルフの侵略から守る」という目標が課されるエリアだった。
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