レンの悩み(後編)
「いらっしゃい、二人とも。久しぶりー」
「うわ……っ!?」
訪問相手は最初に来た時にも会った娼婦のお姉さんである。
接客部屋ではなくプライベート用の私室に通されたと思ったら、いきなりぎゅっと抱きしめられた。豊かな胸に顔が押し付けられて一瞬、息が詰まった。
スキンシップを含む仕事をしているせいか娼婦の皆さんはパーソナルスペースが狭い。
年下の同性相手なら猶更──いや、レンが男子だった頃から似たようなものだったか?
「びっくりするじゃないですか」
「ごめんごめん。でも、いいでしょ? 減るものじゃないし」
減るとしたら彼女側のなにかである。
「レンちゃんまた可愛くなってるし。なにこのいい匂い? 香水じゃないよね? 胸はいま何カップ?」
「ええと……どこか座って話せませんか? 実はその辺も関係する相談があって」
「なになに、相談?」
「あ、レンちゃんたち来たんだ。私たちも話したい」
なんとかお姉さんに離れてもらったところで別の女性の声。二人の娼婦が部屋の前までやってきて声をかけてくる。
全員、娼婦だけあって美人なうえ、プライベートなのでラフな格好。
いや、仕事中も露出は多いのだが、今は化粧をほとんどしておらず、下着も男に見せる用の華やかなものではない。同性しかいないからこその無防備な姿だ。
ちなみにタクマあらためリアンは男にカウントされていないし、彼はレンたちを送り届けてすぐに別の仕事に行ってしまった。
「あはは。ここっていつもこんなに賑やかなんですか?」
「まあ、いつもじゃないけど。女ばっかりで気を遣わなくていいからねー。フーリちゃんも参加したくなった?」
「いや、それはないです」
とりあえず中に上がらせてもらい、絨毯の敷かれた床へ思い思いに腰を下ろした。
娼館の接客用フロアは土足のまま利用する形だが、娼婦の私室は入り口で靴を脱ぐ形式になっている。みんな日本人なのでずっと土足はやっぱり落ち着かないらしい。
「これ、つまらないものですがお土産、というか手土産? です」
「ありがとう。お、もしかしてジャーキー?」
「はい。ポークジャーキーです」
オークを倒すとたまに肉が落ちる。
おそらくオーク肉なのだろうが、味はほぼ豚肉。肉も買うと高いので家の食卓でも重宝しているが、今回はせっかくだからと燻製にしてみた。
スモークするためのチップはアイリスの実家から調達。持ってきた側が言うのもなんだが、なかなか良い出来になったと思う。
「ある程度日持ちしますのでおやつにでも食べてください」
「ありがとー。……よし、じゃあお酒空けよっか」
「おっけー。グラス人数分持ってくる」
「私は部屋からいいお酒持ってくるねー」
「すぐ食べる……っていうか、これから飲むんですか!? 夕方から仕事なんですよね?」
「だいじょうぶだいじょうぶ。仕事のお酒とプライベートのお酒は別だから」
そんな「甘い物は別腹」みたいな上手い話はないはずだが。
一方、酒に弱いようでは娼婦なんてやっていられないのも事実のようだ。
客をいい意味で手玉に取るのが娼婦であって、酔い潰されていいように翻弄されたのでは面目丸つぶれだ。
「まあ、お酒に弱いなら弱いで誤魔化す方法もいろいろあるんだけどねー」
「そんなのがあるんですか?」
「あるよー。袖に袋を仕込んで中に流すとか、口に含んだままお客さんにキスして飲ませるとか」
「それはお客さん喜ぶんだろうなあ……」
いい気分になった客は酒量も増えがちになるし、細かいところに目が行きづらくなって誤魔化しが効きやすくなる。
もちろん利用料の中には酒代も含まれる。
「レンちゃんたちはお酒、いけるひと?」
「レンはわりとザルですよ」
「お前もな」
フーリの場合、普段から悪戯好きなぶん酔ってもあまり変わらないのかもしれない。
時と場合は選ぶ方だしお小遣いも有限なのでレンもフーリも無制限に飲んだりはしないが、今のところ本気で酔いつぶれた経験はない。
お姉さんたちとお酌をしあって盃に口をつける。強めの蒸留酒。好みの味だ。
「……美味しいですね、これ」
「でしょー。私のお気に入りなんだ」
「っていうか二人とも本当に平気そう。本当に娼婦、向いてるんじゃない?」
「いや、冒険もありますし、男にはあまり興味がなくて」
これには三人が「もったいない」とハモってきたものの、レンとしてもここは曲げるつもりがない。
「あの、それで相談なんですけど」
「うんうん」
お姉さんたちも強要するつもりはないらしく話題転換に乗ってくれる。
ほっとしつつ、なんとなく一同の胸元に視線を向けつつ、
「俺、レベルアップするたびに胸が大きくなってて……見ての通り、結構な大きさになっちゃって」
「だね。フーリちゃん、これってサイズどれくらい?」
「ぎりぎりDになってないCですね」
おお、と歓声が上がる。
フィクションではCカップくらい当たり前だが、リアルにおいてはそこそこ大きい。日本人転移者の街であるここでもその常識は変わらない。
その点、娼館のお姉さんたちは胸の大きな人が多い。
「皆さんは下着とかどうやって調達してるのかと思って。手頃ないい店があれば教えてもらえませんか?」
「───」
不思議なことに、誰も返事をしてくれなかった。
オーク肉のポークジャーキーはビーフジャーキーとはまた違った味わいながらいい味で、もちろんお酒にも合うが、酒に夢中で口が開けられないというわけでもない。
三人はなにか尊いものでも見たようにレンへとじっと視線を向けてきて、
「レンちゃん、抱きしめていい?」
「なにこの子可愛い」
「リアンもこれくらい素直になってくれればいいのに」
なんか感動されたらしかった。
困惑しつつフーリを見ると、彼女までなにやらうんうんと頷いている。
「いや、そんなに変なこと言ってないよな?」
「や、言ってないからこそっていうか。あれだけ嫌がってたレンが私たち以外の人に下着の相談するようになったと思うと……」
「あのな、俺だって恥ずかしいんだからな?」
「まあまあ。心配しなくてもちゃんと教えてあげるから」
にこにこしながらさらにお酒を勧められ、せっかくなのでいただく。
「下着はねー。大きいサイズはあんまり数がないんだよね。特に可愛いやつ」
「こっちだとつける人数に限りがあるもんね」
「Cならまだありそうだけど……レンちゃんの場合、まだまだ大きくなるか」
「そうなんですよ」
これまでにも何度か胸がきつくなってきてやむなく下着を買い替えている。
「この際、可愛いかどうかは二の次なんですけど」
「それはダメ」
きっぱりと否定された。
「いっそキャミ系にしてみたら? サキュバスって下着つけなくても型崩れしなさそうじゃない?」
「え、そうなのレンちゃん?」
「そう言われても、女になってからまだ半年くらいですし」
「あー。それに若いしね」
ちなみにキャミソール系ももちろん考えなかったわけではない。ただ、レンとしてはできればブラを希望したかった。
「……その、あのホールド感を一回味わうともう戻れないというか」
「レン、本当に成長したよねえ」
「頭を撫でるな。実は酔ってるだろお前」
「残念でしたー。私は素でもこういうキャラですー」
「なるほどね。うーん、そうするとやっぱり高くついちゃうかなー」
当然だが、大きいサイズのブラほど必要な材料は多くなる。
値段的にも高めになりやすいし、成長のたびに買い替えるとなると猶更だ。
「いっそ自分で作ろうかとも思ったんですけど、納得のいく出来に仕上げるには腕が足りなくて」
「え、レンちゃん裁縫するの?」
「今のところほつれたところを直す程度ですけど」
ブラは独特の構造をしているためなかなか難易度が高い。レンとしてはいい感じのフィット感が希望なので微妙な出来で妥協したくもない。
「妥協できるところといったら可愛いかどうかくらいしか」
「それは妥協しちゃダメ」
「はい」
どうしてもだめらしい。
娼婦のお姉さんがたは三人で「うーん」と悩んだ挙句、しばらくしてにっこり微笑み、
「下着にお金がかかるのはしょうがないよ」
「つまり打つ手はないんですね……」
「こればっかりはねー。私たちのお古をあげるわけにもいかないし」
「それはそうですね」
普通、下着はよほどのことがない限りは共有しない。そこは気にしないとしても捨てる以上、基本的には機能的に限界が来た品である。ぶっちゃけもらっても仕方ない。
と。
「あれ? それ、もしレンちゃんがお下がりでも気にしないなら意外となるんじゃない?」
「え?」
「私たちがプライベートでつけてるのは無理だけど、仕事着ならいけるかなって」
いわく、仕事用の下着は娼館から予算をもらって娼婦たちが購入しているらしい。
「お客さんの前では綺麗な下着つけてないといけないでしょ? だから補助してくれてるんだけど、これって『少しでも痛んできたら買い替えられるように』っていう意味もあるのね」
「あ、そっか。普段使いのより早く買い替えるんですね?」
「そういうこと」
接客には不向きでも普通につける分には十分。
もちろん、仕事用からプライベート用に転用する娼婦もいるものの、仕事着はブラだけどプライベートではキャミソール派、という娼婦もいる。
「捨てるくらいならちょうだい、ってみんなに話してみよっか?」
「そうしてもらえると助かります」
この結果、レンは次の買い替えタイミングに娼婦たちのお下がりを譲ってもらうことができた。
激しい動きをするには不向きなデザインだったりもしたものの、普段着には十分すぎる。おかげでかなりの節約である。
「ところでレンちゃん。着られなくなった下着ってどうしてるの? 捨ててる?」
「いえ。今までのはだいたいフーリやアイリスがもらってくれました。俺、どんどんサイズが上がるのであんまり痛んでませんでしたし」
これはこれである種の節約である。
今のブラサイズだとフーリたちには合わなさそうだが、次のブラあたりはマリアベルのサイズと合うかもしれない。
お姉さんはこれに「なるほどねー」と頷いて、
「売ってお金にするのもアリかと思ったけど、ちゃんと活用されてるなら大丈夫か」
「え、中古の下着って売れるんですか? ……古着として売るって意味じゃないですよね?」
すると返ってきたのはにんまりとした笑み。
「そのへんは男の子だったレンちゃんの方がよくわかるんじゃない?」
「……あー。可愛い女の子の下着なら買う奴はいますね」
「いるんだ!?」
「いるんだよ、これが」
フーリが驚くのも無理はないが、男子にとって女子の下着はエロアイテムである。
もちろん中身にしか興味のない者もいるし、新品に興奮できる者も限られる。ただ、可愛い女子の身に着けていた品ならたとえ洗濯済みであっても需要はある。
ひと昔前、高層マンションが少なく道とベランダとの距離の近い物件も多かった頃は下着泥棒の被害が多かったとも聞く。
「じゃあ、レンのも売れるんだ」
「売れる売れる。なんならフーリちゃんも売れると思う」
「いや、私はそういうのいいですけど」
少し前に男の友人から「可愛い」と太鼓判を押されたレンならそれは需要があるだろう。
「いや、でも、どこへどういう風に持って行ったら売れるのかはさっぱりなんですが」
「姉さんに渡してくれれば
蛇の道は蛇だった。
「そうですか。今つけてるのはたぶん誰にも使ってもらえないんですよね……」
「レンちゃんは姉さんに処分をお願いした、それを姉さんがオークションに持ち込んだっていう体ならたぶん誰も傷つかないよ」
「いや、オークションって」
詳しいことは聞かないほうが身のためな気がした。
万が一、そこに知り合いが参加していたりしたら気まずいにも程がある。
と、レンの服の袖がくいくいと引かれて、
「別に無理して売らなくてもいいんじゃない?」
「まあ、確かにな」
そこまでお金に困っているわけではない。
フーリがNoと言ったのは主に生理的嫌悪感からだろう。買った男が「どういうこと」に「使う」のかはだいたい想像がつく。
レンはしばらく考えた後で、
「ちょっと考えておきます」
元男だからか、別に処分するつもりだった下着がこっそり使われる分にはそこまで抵抗はない。もちろん、今使っている分が盗まれたり、目の前でやられるのはまた別の話だが。
というわけで判断はひとまず保留。
お姉さんたちも無理にとは言ってこなかったので、後は普通に他愛のない雑談をして酒をご馳走になってから帰った。
ポークジャーキーは「また食べたい」と言われるくらい好評だったので、オーク肉(仮)がまた手に入ったらマリアベルに経由で贈ることにした。
レンの種族レベルがさらにアップし、カップサイズがCからDになったのはその夜のことで。
レンは悩んだ末、新たなスキルとして「
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