クラス転移の特典が俺だけ「サキュバス化」だった
緑茶わいん
プロローグ -クラス転移-
最初は地震かと思った。
HRのため席についていたのに空中へ放り出されたからだ。
違うとわかったのは床へ尻もちをついてすぐ。
固い。
大理石かなにかに変わっている。机と椅子はなくなっていて、クラスメートたちは全員、制服姿で席順通りに周りにいる。
教壇があった位置には教師二年目の女性担任。彼女もまた尻を押さえながらこの異常事態に目を丸くしている。
「嘘」
近くで誰かが呟いた。
「もしかしてこれ、例の神隠しってやつ……?」
神隠し。
言葉は波紋を打つようにクラス全体へと広がった。
少年──藤咲蓮もまた「ああ、そういうことか」と理解し、同時に「なんてついてないんだ」と思った。
天を仰いでため息をつく。
周りの悲鳴も含め、音は石造りの神殿へと全て飲み込まれていった。
◇ ◇ ◇
時は少し前に遡る。
朝のHRを待つ蓮の席にはクラスメートの椎名風里がやってきて、頼んでもいない噂話を垂れ流していた。
「そろそろ今年も起こると思うんだよね、神隠し」
「その話、もう何回も聞いたぞ」
飽きたと言って軽く睨むと、話好きの小柄な少女は「ごめんごめん」と笑ってから話を続けた。
「でもさ、今年も起きたら三十回目だよ? わくわくしない?」
「正体不明の行方不明なんてむしろ怖いだろ」
しかし、蓮の感想は少数派なのか、クラス内には同じ話をするグループがいくつも見られた。
彼らの顔には悲壮感はない。
単にオリンピック的なイベントに期待する表情があるだけだった。
「三十年連続集団神隠し、ね」
「都市伝説みたいだよね。ちゃんとした事件なんだけど」
蓮たちの語る「神隠し」は今から三十年前に初めて起こった。
日本のとある高校である日突然、ひとクラス分の人間が跡形もなく消失したのだ。
白昼の出来事であり、校舎には他の人間もたくさんいた。誰にも見つからず全員いなくなるなど不可能と言っていい。
当然、事件は翌日の新聞で大々的に取り上げられた。
平成の神隠しなどと騒がれたそれは不可解なことにそれ以来、毎年この時期にどこかの学校で発生し続けている。
怪事件としか言いようがない。
風里は蓮の机に腕と肘を載せたままきらきらと目を輝かせて、
「藤咲くんは何が原因だと思う?」
「知らないって。ただ、誘拐とかならもっと楽な方法があるだろ。修学旅行を狙うとか」
「じゃあ、やっぱり神隠しなのかなあ」
調査でも詳しいことはわかっていない。
最近は怖がって学校を休む高校生もいるらしい。
蓮は高校一年生。今年初めて当事者の仲間入りをしたが、さすがに休む気にはならなかった。神隠しはだいたいこの時期──入学して二か月ごろに起こっているものの、日付はバラバラ。安全になるまでずっと休むわけにもいかない。
だいたい高校なんて山ほどある。そのうち一クラスしか当たらないのだから、確率的には飛行機に乗って死ぬようなものだ。
風里たちが他人事のように話すのもわからなくはない。
と、その風里は嬉しそうに蓮の腕を突いて、
「なんだかんだ言って話に付き合ってくれるじゃん」
「……暇なんだから仕方ないだろ」
肩を竦める。
素直じゃないなあ、とでも言いたげな視線を無視していると「ところでさ」とまたなにかくだらない話題が始まろうとして、
「やば。先生来たみたい。またね」
「もう来なくてもいいぞ」
担任の来訪を察知したクラスメートたちが慌ただしく動き出した。
数分後──まさか自分たちが神隠しの対象になるとは、この時の蓮は思ってもいなかった。
◇ ◇ ◇
「ようこそ、新たな同士諸君。君達の不運へ同情すると共に、来訪を心から歓迎するよ」
「だ、誰だ!?」
「待ってくれ、怪しい者じゃない。君達と同じ元日本人だ」
神殿には蓮たちだけでなく他の人物がいた。
痩せた身体にまるでゲームに登場するようなローブを羽織り、眼鏡をかけた痩せ気味の中年男。日本人を名乗ったように肌や目、髪の色は見慣れたものと同じだ。
大きく手を広げてこちらを宥めようとする仕草はまるで舞台役者か何かのようだが──。
「あなたは、ここが何だか知っているんですか……?」
担任の問いに彼は「ああ、知っているとも」と深く頷いた。
「ここは『迷宮の神殿』。年に一度、新たな犠牲者を召喚し続ける異世界のダンジョンだ」
「異世界って、マンガじゃねえんだぞ!?」
「待って。年に一度ってもしかして」
「その通り。私は三十年前にここへやって来た。つまり、君達が神隠しと呼ぶ現象の最初の犠牲者──その生き残りだよ」
一瞬、全員が黙った。
「もしかして、今までの神隠しは全部……?」
「ああ。神殿の召喚によるものだ。私は彼ら全員と顔を合わせている。いつの間にか、こうして案内するのが役割になってしまってね」
「その人たちはどこにいるんですか!?」
「外にいる。今は見えないが、周りには街が広がっているのさ」
ギリシャのパルテノン神殿のように壁のない柱と天井だけの建物。今、その周囲は輝きに包まれており外の景色は確かにわからない。
男の言葉を証明する術もないわけだが、既に異常なことが起こり過ぎているため「常識的にありえない」などという言葉も意味をなさない。
「俺たちはどうして連れて来られたんだ?」
「それは神殿が示してくれる。もうじきメッセージが現れる頃だろう」
予言はすぐに現実になった。
周囲だけでなく神殿全体が輝き始めたかと思うと空中に文字が浮かび上がったからだ。見たことのあるどの言語とも異なるのに何故か意味がわかる。
メッセージにはこう書かれていた。
『探索せよ。さすれば世界は開かれん。開拓せよ。さすれば世界が作られん。勇者よ、救世主となれ』
光の文字は一分程経つと少しずつ薄れ、やがて完全に消えた。
同時に床の一部が音を立ててスライドを始める。近くにいた何人かが慌てて飛びのく。
現れたのは下へと続く階段だった。
ぼんやりとした不思議な明かりに包まれており降りるのに支障はなさそうだが、螺旋を描いているため先は見通せない。
「迷宮の入り口だ。ここを攻略することが我々の使命であり、三十年来の悲願でもある」
「三十年間、攻略できていないダンジョン……?」
息を呑む。
三十年で消えた人間はかなりの数に上る。それでもなお全貌の見えない場所に挑まなければならないのか。
すると、男は笑みを浮かべてこう言った。
「案ずるな。神殿からは使命だけでなく祝福も与えられる」
「祝福って何よ!? こんなのどう考えても罰ゲームじゃない!?」
「祝福とは最低限、生きていくための力だ。多くの場合は戦士や魔法使いなど特定の役割に沿った装備と能力になる」
「なんだそれ。本当にゲームみたいだな」
「日本は相変わらず平和なようだ。是非、進化したゲームの経験を迷宮攻略に生かしてくれ」
男が言い終わらないうちに今度は蓮たちの身体が輝きだした。
動揺と歓喜の声。前者は主に女子で、後者は男子だった。
早くも一部の者が順応し始めている──というか、信じる以外にできることがない。
そして実際、次々に『祝福』が与えられ始めた。
「うお、制服が……!? これ、剣と鎧か?」
「こっちは魔法使いの杖みたい!」
制服が消え、駆け出し冒険者のような装備が代わりに現れる。戦士風の格好になった男子は心なしか体格まで良くなっている気がする。
ゲームで言うところの初期作成ボーナスのようなものか。
先に終わった仲間のお陰で害がなさそうなことはわかった。蓮にもなにかしらの力が与えられるはずで、男子の端くれとしては若干の期待を抱かざるをえない。
どうせなら強くて格好いい職業がいいのだが──。
「お……!?」
光が収まっていく。
クラスメートの一人がこちらに視線を向けてきて、驚いたように目を丸くした。
蓮が勇者のように凛々しい姿をしていたから、であれば良かったのだが。
「誰? もしかして、藤咲くんなの?」
懐疑の声と共に「ぱたぱた」と小さく風を切るような音。
見下ろした身体は小柄かつ華奢で、肌は白くなっている。纏っている衣装は水着、あるいは下着のような最低限の黒インナーだけで、背中には小さなコウモリの翼が一対。
尻のやや上あたりには先端がハートマークをした短い尻尾。
驚愕からあちこちに視線を向ければ紫紺の髪がむき出しの肩を軽く撫でた。
「な、なんだよこれ」
心なしか声まで高くなっている。こんなのは聞いていない、というか意味がわからない。これでは勇者どころか職業ですらない。
「おお! それは悪魔──いや、サキュバスか? いずれにせよ素晴らしい『祝福』だ。種の多様性は豊かさに繋がるからな」
先達である男は何やら大喜びしているが、蓮はとても喜ぶ気になれなかった。
彼の見立てが正しいのであれば、今の蓮はサキュバス。
マンガやゲームなどにも時折登場するその種族の特徴は、
「男とエロい事するのが得意なんだよな、確か」
「マジかよ藤咲凄えじゃん」
これがゲームなら即座にリセットしているところだが、生憎、現実はやり直しが利かなかった。
◇ ◇ ◇
それから一か月程が経って──。
「レン、お前パーティー抜けろ。この役立たずが」
「ああ、言われなくても抜けてやるよ! 『俺は男だ』って何回言ってもわかってくれないんだからな!」
『サキュバスのレン』と呼ばれるようになった蓮は、転移してきてからずっと行動を共にしてきたクラスメートばかりのパーティーと喧嘩別れした。
仲間達で買った家から荷物を持って飛び出し、街を特に行くアテもなく歩く。
視界の端には高台に位置する『神殿』の姿。ここは迷宮の入り口のあるあの神殿を中心として作られた街だ。人口は約千人。
転移者の先輩たちによって一から作られたため賑わいという意味では今一つだが、生活や冒険に必要な物はだいたい揃っている。
ファンタジー風の世界にしては治安が良く、素性のわからないチンピラの類はほぼいないのが最大の利点。
「……くそっ。なんだよあいつら、言いたい放題言いやがって」
限られた人数しか住んでいない割に街には建物が多い。
宿や武器屋、防具屋など必要な設備を揃えたら自然とそうなったというのと、毎年増える『新入り』のために多数の住居が造られているせいだ。
おかげで最近の転移者たちは拠点に困っていないらしい。実際、レンたちもいともあっさり家を手に入れることができ、ダンジョン攻略の疲れを休息によって癒してきた。
その家もついさっき追い出されてしまったわけだが。
「別に空き家ならいくらでもあるんだ。無理してあいつらと付き合わなくたっていい」
治安が良いのをいいことに、レンは適当な道端に座りこんだ。
荷物袋をあさって酒瓶を取り出すと栓を開けてそのままあおる。
蒸留酒、という分類になるらしい度の強い酒は少量でかなり酔える。ここには未成年だとか固いことを言う輩はいないし、今は酔いたい気分だった。
「あいつらのセクハラがなくなった途端にこれかあ。レンったら大胆」
「いいだろこれくらい。あいつらの前で酔うと面倒だからなかなか飲めなかったんだ」
首から下をすっぽり覆う色気のないローブを揺らしながら肩を竦める。
サキュバスであるレンはそこにいるだけで異性を魅了してしまう。肌を隠すことでその効果を抑えることができることがわかってからはずっとこういう服を着ている。
気心の知れた相手からのからかい文句に眉をひそめ、もう一口酒を飲んでから──傍に立ってこちらを覗き込んでいる軽装の少女を見上げた。
「なんでお前がここにいるんだよ、フーリ」
「私もパーティー抜けてきたからだよ」
同じパーティーで盗賊──罠の発見や解除などを担当していた少女、風里あらためフーリはあっさりとそう言うと隣に座りこんできた。
ぴったりと肩をくっつけるようにしてきた挙句、何も言わずに酒瓶を強奪。深酒は良くないと叱ってくるのかと思えば二口ほど飲んで「ありがと」と返してきた。
「レンがいないならあんなところいたくないし」
「な、なんだよそれ」
妙に距離が近かったのはそういうわけか、と頬を染めれば、
「私一人じゃ手を出されるでしょ、絶対」
「あのな。だから俺を女にカウントするなよ」
「でもサキュバスだし」
ぐ、と、レンは言葉に詰まった。
フーリだけでなく他の仲間からもこんな風に女扱いをされていた。確かに今のレンは女顔だし守ってあげたい系の儚げな雰囲気があるが、この扱いは不当である。
「サキュバスでも俺は男なんだよ。身体だって女になったわけじゃない」
レンには今も「男にあるべきもの」がちゃんとついている。
可愛くはなったが性転換したわけじゃない。
「知ってるってば。直接見せてもらったし」
「見せたんじゃなくて無理やり見たんだろ」
なお、その時の反応は「可愛い」と好評だった。もちろん全く嬉しくない。
「……そりゃ、お前は彼氏くらいいたのかもしれないけど。だからって男にその態度はどうなんだよ」
「え? 私処女だけど?」
「だから、あっさりそういうこと言うなよ!?」
「大丈夫。私、レンのこと女友達だと思ってるから」
さっきので酔っぱらったのか、けらけら笑いながら抱きついてくるフーリ。胸が小さい割にその身体が柔らかいことはこの一か月で何度か実感している。
「どうせだからさ、もっとレベル上げてもっと可愛くなろうよ」
「可愛くなるからレベル上げたくないんだよ」
レンは酒をあおり、ため息をついた。
いいのか悪いのか、この異世界において彼らはレベルを上げるほど強くなる仕様で──レンの場合、レベルアップするほどサキュバスらしくなっていくらしい。
微妙に膨らんできてしまっている胸に手を当てて、
「このままレベルアップしたらどうなるんだよ、俺」
「そりゃ、完全に女の子になるんじゃない?」
イラっとしたので頬を引っ張ってやると、フーリは「いひゃいいひゃい」と笑った。
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