#05C改 蒼空のアポ無し訪問



深夜の病院は不気味というか、怖いというか。救急外来の廊下の照明は明るいけれど、一般外来やら受付は真っ暗で非常口の緑の明かりが不気味に光っている。



妙な静けさが……本当に怖い。幽霊とかじゃなくて、陽音さんの容態が心配で、このままいなくなっちゃうんじゃないかっていう、不安に近い恐怖に身震いしそうだった。僕のお見舞いに来ているときにはそんな素振りを見せなかったのに。やっぱり無理をしていたのかな。



救急外来と白文字で大きく書かれた自動ドアが開いて、看護師さんが出てきた。



「夢咲さんのご家族ですか?」

「いえ……その……知人です」

「ご家族は来ていらっしゃらない?」

「はい」



陽音さんの家族構成を前に聞いたような気もするけど、なんせ記憶障がいの真っ只中だから覚えていない。覚えていたとしても、本人じゃなければ連絡の取りようがないよな。



「本人に聞いてみますね」

「あの、陽音さんはどうなんですか? 聞いてみるということは、話せる状態なんですよね?」

「大丈夫ですよ。ただ点滴をしますので、あと3時間くらいは帰れませんけど。そんなに心配しなくても大丈夫ですよ」

「でも、家族を呼ばないといけないくらいに……ひどいんですよね?」

「ただ、万が一のことも考えて、ご家族には現状の病状の把握と今後の診療計画をお話したいと先生が申しておりますので」

「そうですか……」



とりあえず、陽音さんが無事ならそれでいい。でも考えちゃうよな。陽音さんは辛いんだろうとか。どれくらい生きられるんだろうとか。



どれくらい一緒にいられるのか、とか。



いや、違う。それは僕のエゴだ。陽音さんを縛り付ける理由なんてないし、僕が一緒にいたいだけでそんなこと考えるのはエゴ以外のなにものでもない。



待って。



なんで僕は一緒にいたいんだろう……? 陽音さんと一緒にいたいって真っ先に考えちゃうのはなんで……。病気の前は、陽音さんとどう過ごしてきたのかを覚えていないけど、陽音さんを思い浮かべるとそんなふうに思ってしまうのは……。



僕が陽音さんを好きだった……?



記憶がないからそういう感情も覚えていない。そう考えると、感情一つで人間関係は多岐に渡っていて、周りに対する影響は計り知れないよな。



「鏡見さん、夢咲さんは点滴室に移動しますので、入ってもらって大丈夫です」

「はい」



救急外来の処置室から点滴室に移動したらしく、僕も点滴室に入ると陽音さんはベッドに横たわっていた。僕と陽音さんの他には誰もいなくて静かすぎる。沈黙はやっぱり怖かった。



「ルア君ごめん」

「だから、なんで謝るの。仕方ないじゃん。病気なんだから」

「うん。ありがとう」

「それにしても、僕まで点滴室入っていいのかな」

「本当はダメなんだけど、わたしがどうしてもってお願いしたらね、他に誰もいないから特別にって」

「そうだったんだ。陽音さん、ご家族のこと看護師さんに訊かれたけど、どう?」



どうって訊き方もおかしいけど。陽音さんのご家族が来てくれるのかどうか。それによっては、僕の立場もちゃんとご家族に説明しなくちゃいけないし、そういう身構えが必要なんじゃないかって思ってしまったのだ。



「お父さんはどこでなにをしているか分からないし、会いたくない。それに中学のとき以来会ってないの。お母さんは……別の男の人と家庭を持っていて、子どももいるし。その幸せをぶち壊してまで、わたしの病気なんかで呼び出したくないし」

「……うん」

「高校を卒業させてくれたおばあちゃんは、今、認知症で施設にいるから無理だよね」

「……陽音さん」



思わず陽音さんの手を握ってしまった。点滴をしていない方の右手を両手で握って、そのあまりの冷たさに驚いた。血が通っていないじゃないかってくらいに冷たい。



「陽音さん、僕、陽音さんの力になるから。絶対に僕は陽音さんを見捨てないから」

「君は平成のドラマの主人公なのかい? そんな熱血で正義感マシマシのセリフはじめて聞いたよ」

「でも……本心だから」

「……茶化してごめん。うん、すごく嬉しいよ。ルア君がいれば他になにもいらないんだ。ってわたしも古いドラマのヒロインみたいじゃないか」

「それだけ言える元気があれば大丈夫みたいだね」

「うん……。ルア君、これからも迷惑かけると思う。だから、鬱陶しくなったら見捨てて構わないからね? ルア君は、その言葉に責任を持つ必要はないから。そんなに気を張らないで、気軽に考えてほしいな」



なんでそんなこと言うんだよって思ったけど、それが陽音さんなんだなって少し理解できた。どこまでもお人好しというか。



「見捨てない。絶対に。それに言葉には責任を持つ。これも絶対」

「相変わらず頑固だな。でも、ルア君と出会えたことが宝物なんだよね。人生はプラマイゼロなんだって、ようやく分かったよ」

「プラマイゼロ?」

「いじめられっ子が社会に出たら活躍したり、その逆にいじめっ子は社会に出てひどい目に遭ったりとか。子どもの頃、家庭が崩壊していてすごく不幸だったのが、家を出たら素敵な人と出会って一生幸せに暮らしたとか。今は辛くてもその先はきっと明るい未来が見えるんだと思う」

「きっとそうだよ。陽音さんは今つらくても、きっといつか楽になって幸せをつかめるって」



そうじゃなくちゃ、こんな理不尽なこと受け入れられるはずない。



「今……もう幸せだからこれ以上なにも求めないの。こうしてルア君が手を握ってくれている現状に不満なんてあるわけないじゃんか。わたしは独りじゃない。それで十分」

「うん……」



不覚にも泣いてしまった。勝手に涙があふれてくる。その言葉がそのまま自分に返ってきたような気がして、張り詰めていたものが一気に崩壊した気がした。僕だってひとりじゃないから。陽音さんがいてくれたから、いつも冗談を言ってくれたから、励ましてくれたから、今の僕がいるんだ。



病気になって、なにがなんだか分からなくて。好きだったダンスは辞めて。

いつ死ぬか分からない状況におののいて。でも、その分、陽音さんがいてくれた。それは宝物だ。陽音さんの言葉の意味がよく分かる。



点滴が終わって病院を出る頃には朝日が昇っていた。真っ赤な空に澄んだ空気が冷たくて顔が痛い。陽音さんは着の身着のままで救急車に乗ってしまったために(アウターのことなんてテンパっていて頭になかった。ごめん)、寒いだろうと思って、僕のダウンベストを着せてあげた。



「タクシーすぐ来るから大丈夫だよ。それよりもルア君が風邪引いちゃう」

「大丈夫だって。帰ったらお風呂入るから」

「じゃあ、くっついちゃうね」



陽音さんはそう言って唐突に抱きついてきた。しかもまた手をつないできて。これじゃあ、イチャついているカップルみたいじゃん。たしかに左半分は温かいけど。



「あっ!」

「え? なに?」

「すっぴんだった。やばい」

「そこ? すっぴんでも全然すっぴんに見えないから大丈夫だって」

「見えるのっ!」

「見えない」

「見えるっ!」

「見えないし、それに誰もいないじゃん」

「いるじゃん。ここに。ルア君にすっぴん見られた。どうしよーーーっ! もう責任取って貰ってもらわないと!」

「って、なんの責任?」

「責任を取らなければ公然素顔直視罪で逮捕です」

「は? 家でいつも見てるじゃん」

「あ、そっか」



なんてよく分からない会話をしているとすぐにタクシーが到着した。



家に着いて陽音さんをベッドに寝かせてから僕も寝なおそうと思ったけど、時間がもったいないから起きていることにした。でもさすがに眠い。まだ朝の6時半だからなぁ。



ふとスマホを見ると蒼空さんがメッセージが届いている。どうやら昨晩のメッセージを見逃していたみたいだ。



『体調はどう? 生きてる?』



僕の病状が大丈夫なのか心配してメッセージを送ってきてくれたみたい。



『特になんの後遺症もないから大丈夫です。ありがとう』



まだ早いから、もう少ししたら送信しようかと迷ったけど間違って送信の矢印アイコンを間違ってタップしてしまった。やってしまった。

しかし、秒で返信が来た。こんな時間なのに起きているのか。いや、6時半は起床している時間なのかもしれない。僕と陽音さんのいつもの起床がやたら遅いだけで。



『良かった。もし良ければ少し会いたい』



会いたいって言われても、陽音さんを放っておくわけにもいかないし、だからといって蒼空さんを無視するのもどうかと思うし。蒼空さんも僕を気にかけてくれてお見舞いにもよく来てくれたんだからないがしろにするのも悪いよなぁ。



少しだけ会って帰ってくるか……。でもそれならそうと、一応陽音さんにその旨を伝えないと。



陽音さんの部屋の扉をノックすると、意外にも「起きてるよ」と返事をしてくれた。別に蒼空さんのメッセージを内緒にする必要もないし、出かけてくることを言っておこうと思ったんだけど……。



「っていうわけで、蒼空さんが会いたいっていうから出かけてこようって思うんだけど」

「イヤ」

「え? い、いや?」

「その、蒼空ちゃ……じゃなくて、う、急にめまいがしてきた。ダメ、ひとりでいられないよぉ」

「えぇ!? 今度はめまい? 心臓となにか関係があるの? どうしよう、病院行く?」

「ううん、そういうのじゃないから。寝ていれば大丈夫だけど、ルア君……」

「はい?」

「どこにも行っちゃイヤ。蒼空ちゃんには悪いけど、ルア君お願いだからわたしのそばにいて?」



そんな上目遣いで言われると……。それでいて涙目でうるうるされたら断れないじゃないか。



「わかった。蒼空さんには今日は難しいって入れておくから」

「ほんと?」

「うん、ほんとに」

「わーい、ありがとう」

「で、めまいするんだから少し寝ていないとダメだよ」

「蒼空ちゃんは……なんでそこまでしてルア君にこだわるんだろう……」

「え?」

「あ、ごめん。いや気にしないで。独り言だから」



蒼空さんが僕にこだわる理由?



蒼空さんは僕のなににこだわっているんだろう。こだわる理由という漠然とした表現からではなにも想像できないな。とくに、記憶障害を負っている僕としてはなんとも答えがたい。蒼空さんと僕の間になにがあったのか分かれば答えられそうな気がするけど。



思い出そうとすると頭の中で靄がかかったようにモザイクに覆われちゃうんだよな。



「ごめん、変な話じゃないから。気にしないで」

「うん」



蒼空さんに断りのメッセージを入れると、すぐに返信……じゃない、着信が来た。



「もしもし?」

『もう部屋の前にいるんだけど』

「は?」



するとインターホンが鳴り、蒼空さんがエントランスまで来ていた。近くで僕のスマホの声を聞いていた陽音さんは慌てて起きてインターホン越しに「蒼空ちゃんなにしてるのッ!?」とびっくりするくらいの音量の声を上げていた。




あれ、蒼空さんに家……教えたっけ?







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