月と泥濘

 私の母は三年前に死んだ。

 父は、涙を浮かべることなく葬儀もその後のこざこざした手続きも淡々とこなしていた。


 両親は罵り合うことはなかったけれど妙によそよそしくて、家庭の雰囲気は冷えていた。そして昔から、私は物言いに棘がある母よりも、溺愛してくれる父のほうがずっと好きだった。


 母は死の前日、私を枕元に呼んだ。母が告げるには、私は不倫の末にできた子なんだそうだ。

 しかし、私はなんとなくそんな気がしていて、さして動揺しなかった。


 父の書斎には、きれいなガラスの額に入った、古びた写真が飾られている。はにかんだ笑顔を浮かべた誠実そうな人で、私と目鼻立ちが似ている。

 彼は父の親友で、私が生まれる少し前に死を選んでしまったと父は語った。

 父は寂しそうに言っていた。

「僕はね、君のお母さんが君を身籠ったと知ったとき、とても嬉しかったんだ。でも死んでしまった」

 普通に聞いただけでは意味がわからない。でも、父が語ろうとしない脈絡はもう私には見通せている。


 月がきれいな夜は、父はその額の写真に小さく何か語りかけながら抱きしめ、冷たいガラスごしにキスをする。

 初めてそれを物陰から見た瞬間、私の心とからだの奥が震えた。どろどろしたものが噴きあがるが、無性に欲しくなった。


 父の最愛の人に似た顔、違う性で生まれた私は、いま父の子を宿している。


  ――了

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