第38話 奴隷商、魔獣を使役する

猛獣の森と言うべき、子爵領都ヨークの東方に広がる森がある。


ここでフェンリルという魔獣に遭遇した。


絶体絶命……その言葉が相応しい相手……。


のはずだった。


「どうしてこうなったんだ?」

「これが神孤族です!」


フェンリルが従順にサヤサに従っている様は何を言われても信じられる気分になれない。


一番大きなフェンリルなんて、山ではないかと思うほど大きい。


僕なんか、一口で食べられてしまうだろう大きな口がこちらを向いている。


だが……


「お座り」


何度やっても、言うことを聞いてくれる。


ちょっと、可愛くなってきたな……。


こいつらを子爵に差し出せば、謝礼は相当なものだ。


おそらく、ドーク子爵と言えども、こんなに大きな群れを作っているとは夢にも思っていないだろうな。


……どうしたものか。


「サヤサ。こいつらはどうするつもりだ?」

「どうって……この子らはここを住処にしていますから、そのままですよ」


そうだよな……


住み慣れた土地が一番だよな。


だが、放っておけば、ヨークの街に被害が出るかもしれない。


まぁ、あんな変態な街……潰れてしまえばいいのに……


と一瞬は思ってしまうが、ヨークの街は隣国の抑止のためにもどうしても必要だ。


一層のこと……


「こいつらって……連れていけないかな?」

「イルス領ってことですか?」


サヤサがフェンリルを見つめながら、思案の顔を崩さない。


そうだよなぁ……僕の身勝手でフェンリルの住処を奪うわけには……


「まぁ、この子らなら大丈夫でしょう」


ん?


ああ、なるほど。


たしかに慣れぬ土地では生きていけない。


そんな心配をしているのだろう。


「半分は死ぬかもしれませんけど」


……どういうことだ?


こんな凶暴を絵に書いたような生物が半分死ぬ?


随分と物騒な言葉が出てくるんだな。


「意味が分からないんだけど。もしかして、半分はもう寿命が短いとか?」

「いえ。フェンリルはイルス地方の魔獣の中では……中の下? くらいの強さですから。狩られるという意味で半分は……」


僕はどう返事をしたらいいのだろうか。


この危険生物が弱い部類、だと?


そんなまさか……。


イルス地方って滅茶苦茶、危険地帯なんじゃないか?


帝国相手に戦っている場合じゃない。


身近に世界を揺るがしかねない戦力が眠っているんじゃないか?


「サヤサ、聞いてもいいか?」

「なんですか?」


「イルス地方って魔獣がたくさんいるのか?」


シェラからはいっぱいいると聞いていたけど、正直、鼻で笑っていた。


そんなバカな話があるか、と。


僕は王族だ。


王国領内の話は大抵耳にしている。


イルス地方がそんな危険地帯だったら、王国が混乱に陥っているはずだ。


だが、サヤサは僕の細やかな疑問に答えてくれた。


「えっと、我々獣人とご主人様が認識しているイルス地方って違いますよね?」


ん?


イルス地方はイルス地方だろ?


「じゃあ、魔の森ってご存知ですか?」


……知らない、かな?


まぁ、森なんて王国中にあるし、名前がついている森で考えても…・・


たくさんあるからなぁ……。


そういう名前の森があるんだぁ、くらいだな。


「知らないな。その森がどうしたんだ?」

「我々の考えているイルス地方は魔の森を含む地域を指します」


ふむ……。


まぁ、広大なイルス領だ。


多少の森が加わった所で何も変わらないと思うが…・・。


「ちなみに魔の森というのはどれくらいの大きさなんだ? 今、いる森も相当な大きさだと思うが」


この猛獣の森は王国の何分の一と言えるほどの大きさだ。


今は手前の方だが、奥には何がいるのか……。


「そうですね……我々でもその大きさは分かっていませんが……少なくとも王国くらいはあるんじゃないですか?」


……そんな訳がない。


それじゃあ、森ではない。


大陸……とも言えるではないか。


「そんな話、聞いたことがない! さすがに嘘だよな?」

「いいえ。でも知らなくても無理はありません。魔の森に踏み入れたら、人間は一瞬で……ガブッ! ですから」


そんなに可愛く言われても、笑えないぞ。


食べられちゃうの!!?


そうか……。


確かにフェンリルほどの魔獣が当たり前にいるような森ならば、それも道理。


そして、僕はそこを統治しようとしているんだ……


なんだか、無理筋のような気がしてきたんだが……


「サヤサ。僕はイルス領に向かうことが怖いんだけど」

「えっと、私はご主人様に従いますが、あの薬草臭いエルフは怒ると思いますよ」


そうだよなぁ……。


薬草だもんなぁ。


待てよ。


連れて行くだけ行って、すぐに戻ってくる。


それが最良なのでは?


いや、ダメだ。


シェラは我が家の大黒柱。


収入の実に9割以上は彼女に頼っている。


それを失えば、毎日銀貨数枚程度の稼ぎに戻ってしまう。


カーゾ達に盗みをやらせるか?


いや、それもダメだ。


一層、ドークに……論外だな。


「本当にどうしよう」

「そんなに悩む必要はないですよ。魔獣は魔の森を出ませんから」


ん?


「そうなの?」

「ええ。この子たちがどうして、ここにいるのかは謎ですが……」


それなら話は別だな。


魔の森を境界とし、絶対不可侵領域にすれば、領地経営は可能だ。


「それは良いことを聞いたよ。じゃあ、フェンリルも魔の森にいれなければ、死なないんだな?」

「そうだと思います。先程も言いましたが、この子たちがここにいる理由が本当に謎で。本来なら……」


魔獣は魔の森以外では生息できない……。


そうだとすると……このフェンリルは何かしらの突然変異なのだろうか?


それは分からない。


今、決めねばならないことは……


「フェンリルを連れていこう」


フェンリルはここにいてはいけない存在だ。


これはもちろん、僕達人間本意の考えだ。


フェンリルにもここで生きる資格はある……。


しかし……。


「それがいいと思います。この森では十分な餌が確保できていないようですし」


ふむ。


サヤサの同意はとても力強いな。


「フェンリルの管理はサヤサに一任する。大切にかわいがってくれ」

「はい! 神孤族の名にかけて、この駄犬どもの一から調教してやります!」


もう、なんて言ったらいいか。


フェンリルを駄犬呼ばわりして、僕を食い殺すような真似だけはさせないでくれよ。


「ほどほどにな。フェンリルを十分に可愛がるんだぞ!」


これだけ念を押しておけば大丈夫だろう。


「任せて下さい。こいつらの潜在能力はまだまだ引き出せます!!」


分かっているのかな?


サヤサに一抹の不安を抱えながら、フェンリルと共に森を出ることにした。


ヨークの街が混乱に陥ったのは言うまでもない……。

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