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「さて、第二の殺人……『阿修羅』殺しを決意した君だが、しかしこちらの方も用意周到な計画殺人とは行かなかった。早速トラブルに見舞われてしまう」
「村長への脅迫文……ですか?」
羊はあの時のことを思い出していた。第一の殺人と同時期に、また別の因果……村長のひ孫・麗央と八十教教祖の娘・レオナの逃走……が起きていた。
「そうだ。それにより、『阿修羅』は島の警察官を襲い、天主堂の鍵を奪って、恐らく籠城を図ろうとしていた。姿を眩ましてしまったんだ。君は焦ったはずだ。しかしここでも、影の共犯者……由高環が暗躍する。実質的に『阿修羅』を殺したのは彼女だと思う」
羊は頷いた。
あの時、失踪した子供2人を探すため、羊や沖田も含め島にいた男性はほぼほぼ外に繰り出していた。しかし女性陣の多くは民宿で待機していたのだ。沖田に殺す余裕はなかったが……共犯者がいれば……由高教授には十分可能だった。
「腕を切り落としたのは、さすがに死体を担いで山を登れなかったからさ。あの時麓は捜索隊で溢れていた。だから人目を避け、彼女は頂上を目指した。そして第一の殺人と同じく、見立て殺人だと思わせるため……同じように密室を作り、同じように腕を吊るしておいた。沖田君がどこまで教授と共謀していたのかは分からない。ただ、ほとんど彼女の独断だったんじゃないかな。姿を見られて、生かしておく訳にはいかないのは由高教授も同じだった。利害が一致した結果、二十年越しに親子が協力することになったのさ。残念ながら悲劇ではあったのだけれども」
沖田はピクリと肩を震わせただけで、やはり沈黙を守ったままだった。
「だけど……どうして教授は?」
羊はそんな沖田と木村刑事を交互に振り返った。
「彼女は……由高教授は打ち明けなかったんですか? 自分が沖田の母親だと」
「きっと……打ち明けたんだろうね」
「でも、じゃあ……」
「恐らく教授側が描いていたシナリオはこうだ。『凶器をすり替え、目撃者を殺し、自分が罪を被って出頭する』。だけど沖田君はそれじゃあ納得できなかった」
「どうして?」
「…………」
木村刑事が沖田を見下ろした。相変わらず彼は喋らない。身じろぎ一つしない彼を見つめ、中年の刑事が小さく息を零した。
「……その後の捜査の結果、彼女は……由高教授は妊娠していることが分かった」
「え……」
「これはまだ結果待ちだが……恐らく父親はあの『道楝』だろう」
「それ……じゃあ」
羊は絶句した。
「嗚呼。教授としては、自殺までするつもりはきっとなかった。息子の罪を被って捕まった後、獄中でお腹の子を育てるつもりだったんだ。沖田君にはそれが許せなかった。第一の殺人の動機も元より同じだ。自分の母親が、見知らぬ男性と……自分の家庭を破壊した男と未だに関係を持っている……その現場を目撃してしまった彼は、衝動的に刺してしまったのだろう」
「……っ」
沖田は一瞬苦虫を噛み潰したような顔をして、すぐに無表情に戻った。木村刑事が続けた。
「これも想像の域を出ないが……崖の上で口論になったんじゃないかな。教授はスマホのメモを見せた。遺書というより、自白文だ。思うに彼女はまだ……あの書き換えられた遺書とは違い……八十教の熱心な信者だったんじゃないか。彼女がここまでやったのも、自分の息子が大事な教祖代行を殺してしまったという負い目もあったのだろう。だが沖田君にはそれが信じられなかった。目の前で元凶が殺されても、まだ目が覚めないだなんて。『洗脳』は解けなかった。それで近くにあった岩で、彼女の後頭部を殴打して殺害した」
「そんな……」
「……崖から転落して出来た傷と、誰かに殴られて出来た傷は大きさも凹み具合も違う。三度目は傷痕を偽装したり、死体を運んでくれる協力者は現れなかった訳だ。ねえ、沖田君」
「…………」
教授は自殺ではなかった。検死により、警察はそれを掴んでいたのだ。では、あえて遺書を公開したのは、やはり自分たちの反応を見るためだったのだろう。あの遺書は、何処までが原文で、何処までが沖田の手が入ったものだったのだろう?
「多分……半分は教授が書いたもの、残りの半分は沖田君の創作だろう。確かに事実に基づいている部分も見受けられる。由高教授は生まれたばかりの赤子を複数亡くす不幸があり……だが同時に、約二十年前、1人の男の子を産み、彼は無事に成長していることも事実だ」
木村刑事が沖田翔太郎を見据え、静かにそう言った。沖田はまだ膝をついたまま、立ち上がろうともしない。羊は目を泳がせた。二十数年前というと、今頃ちょうど羊たちくらいの歳になっている。
「今時便利なものでね。加筆修正前の原文も、調べる者が調べれば、ちゃんと復元できる」
「じゃあ、やっぱり」
「彼女に息子がいると分かった時点で、警察は2人の人物に目をつけた。すなわち沖田君、それから荒草羊君、キミだ。それで、少々手荒な手段だが……仮面や十字架を羊君の鞄の中にこっそり仕込んで置くことにした」
「あれは刑事さんだったんですか!」
「そういうことだ。もし真犯人なら、自分が使った凶器だ、必ず何かしら反応を示すに違いない……と。そして案の定、沖田君がこうして罠にかかった訳だ」
羊は目を丸くした。それで沖田は船に乗ってから……いやあの仮面騒ぎがあってからヤケにソワソワしていたのか。ではあの倒れ込んだ警察官……羊たちに「逃げろ」と叫んだ男も、要するに仕込みだったのだろう。警察はすでに容疑者を絞り込んでいた。真犯人を炙り出す罠に、羊たちはまんまと踊らされていたのだ。
「本土に戻って、逃走を計られたら不味いと思ってね。どうにか船内で決着をつけたかったんだ」
木村刑事は肩をすくめた。
「俺が……」
その時だった。今まで一言も喋らなかった沖田が、ようやく声を上げた。羊は吃驚して飛び上がりそうになった。
「俺は別に……自分の荷物を取りにきただけだよ」
沖田は泣いているような笑っているような、奇妙な顔をしていた。
「ここにはホラ、武器もあるし……俺が犯人? 何言ってんだ? そんなワケ……」
そういう沖田の声は、しかし、小刻みに震えていた。それで羊は思い出した。あの時……確か島に来て2日目の夜だ。羊は風音と夜の散歩に出ていた。部屋に戻って来た沖田は……泣いていた。あれは麻里に振られたからではない。(いや、確かに速攻で振られはしたのだろうが)あの時沖田は殺人の直後だったのだ。その晩、羊は沖田が教授のことを間違えて「お母さん」と呼ぶ夢を見た……。
「教授が犯人なんだろ?」
沖田が声を上擦らせた。
「だって、遺書だって……凶器に指紋までついてたんじゃないか!」
「沖田君」
「知らねえよ! 俺のお袋なんて、物心ついた時からいなかったしよ……今更……関係ねえだろ……ッ」
「沖田君。君が捏造した遺書には……明らかに真実とは食い違う箇所がある」
木村刑事が諭すように声を落とした。沖田は髪を振り乱し……目を真っ赤にして、今にも泣き出しそうな顔をしていた。それで羊はようやく気がついた。
「【ヒントはもう目の前にある】……」
「羊君。君も気がついたかい?」
「ええ。致命的なミス……単純な知識問題、か。なるほど、そういうことだったんですね」
「何だよ……?」
沖田が怪訝そうな顔を羊に向けた。羊は木村刑事と目配せし、静かに切り出した。
「『橙色の袴』だよ」
「何?」
「『阿修羅』が着ていた……山伏の衣装だ。修験道も、かつては女人禁制が多かったけど、今では女性の修験者も多い。宗派によっても違うんだろうけど……大体男性は藍染め、そして女性の山伏は紅花染めの艶やかな装束に身を包んでる。『阿修羅』は女性だったんだよ」
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