6

 雲の切れ間からようやく日差しが覗いたのは、島に来てから6日目のことだった。


 台風は玄界灘方面へと抜け、蝉の音が再び活気を取り戻した。久しく見なかった穏やかな波の上で、魚たちが嬉しそうに水面を叩いて飛沫を上げる。


 正午過ぎに羊が目を覚ました時には、沖田の姿はなく、1人部屋に取り残されていた。久しぶりの快晴だ。ゼミの面々はそれぞれ海水浴に出かけたり、大広間でデザートを食していたりと、つかの間の自由行動を楽しんでいるようだった。


 もちろん、まだ犯人が捕まった訳ではない。


 しかし羊たちも、もう明日には島を出なければならなかった。最後の最後に、夏休みらしいことをしたいと思うのも致し方ないだろう。


 それに……船の便が再開し、既に島には長崎県警のツワモノどもが続々と上陸を開始していた。彼らは人海戦術で現場を保存し、凶器を回収し、指紋を取り、足跡を取り、DNAを採取し続けている。後は警察の仕事である。昨晩風音が言ったように、羊たちにできることなどほとんど何もない。精々聞かれたことに答える、くらいである。


 そうして14時過ぎに、羊の元にも刑事がやって来た。


 木村と言う名の、50代半ばの、温和そうな中年男性だった。ニコニコと笑みを浮かべるその表情には、思わずこちらも気を許してしまいそうな、そんな人の良さが現れていた。


 羊はちょうど、風音とかき氷を食べているところだったので、2人で事情聴取を受けた。軒先では、都会では見たことも無い巨大な海鳥が、人間を恐れることなく悠々と羽を伸ばしていた。


「どうやら村長は、法外な葬儀代や戒名代を吹っかけ、それで私腹を肥やしていたみたいだね」

「え……」

「死体を集めていたというのはそれさ。代行の前の、海外逃亡した教祖と一緒になって儲けていたらしい」


 羊は怒りを通り越して呆れていた。虚構かざられた『天国の門』をくぐらせるからと嘯いて、哀しみに暮れる人々に大枚を叩かせる。とんだ宗教もあったものだ。


「教祖の方はさらに『臓器移植ビジネス』にも目をつけ、教団内で違法に解剖を行っていたようだ。こちらの人物はすでに国際指名手配になっている。さらに教祖は自分の娘の心臓まで捧げようとしたので、さすがに気後れした村長らと決裂した」

「そんな……」


 風音が口元に手をやった。にわかに信じられない話だったが、心臓を捧げる人身御供と言うのも、単なる昔話ではなかったようだ。


「そんな村長たちの悪事を、教祖代行は当然知っていた。それを餌に脅迫していたところ、疎ましく思った村長に殺し屋を差し向けられたってワケさ」


 木村刑事の話では、村長も何らかの罪に問われることになるだろう、とのことだった。元々村長が『阿修羅』を呼び寄せ、教祖代行を殺そうとしていたのだ。それが『第一の殺人』のはずだった。だが、その『阿修羅』もまた、何者かに殺されてしまった……。


「鍵がすり替えられていたってことはないですか?」

 風音が気を取り直し、温厚な刑事に尋ねた。

「確かに腕の中に第二の鍵がありましたけど、私、一晩考えたんです。鍵穴に差し込んで確かめた訳じゃないから。あの時点で別の鍵にすり替えられていたら、犯人は自由に出入りできるんじゃないかって。鍵なんてどれも同じような見た目だし」

「あの鍵は、ちゃんと天主堂の鍵だったよ」


 刑事は表情を崩さずに、ゆっくりと、慎重に言葉を選んだ。頭の中では、こちらにどれほど情報を流していいものか、思案しているようだった。


「それから管理人室の鍵も。それより糸のトリック、君の推理、あれ面白いねえ。最近の若い子は頭良いなあ」

「犯人に目星はついてるんですか?」羊が尋ねた。

「いや……まだまだ調べなきゃいけない事がたくさんあるからね」

「女性の方はどうなりました? 教祖代行のの」こちらは風音だ。

 彼女は男女関係説を推しているのだった。刑事が小さく首を振った。


「いや……まだ見つからないね。それで思い出した。第二の被害者・『阿修羅』の遺体の性器にも、微量だが体液が残されていたよ」

「え……それって」

「第一の殺人と同じだわ!」


 刑事は慎重に、直接的な表現をできるだけ避けて話した。風音が腕を組んで唸った。ちょうどその時、ガヤガヤと賑やかな声がして、学生4人が海辺から帰ってきた。羊たちの姿を見かけると、上半身に十字架型の日焼け跡を作った沖田が、嬉々として例の証拠動画を刑事に見せてきた。だが、残念ながら報奨金は出ないことを知り、彼はがっくりと肩を落とした。風音は沖田を無視して話を続けた。


「ねえ刑事さん、私たち、第三の殺人があるって睨んでるんです。この島に伝わる俳句。今回の事件はあの俳句になぞらえた見立て殺人だったのよ。犯人は教祖代行と親密な関係だった。きっと愛人ね。それで、八十道の信者の中にその女性がいるんじゃないかって思ってたんですけど」

「残念ながらそっちの推理は見当違いだ」

 刑事は小さく首を振った。


「『阿修羅』の方は、近隣に住む未成年の子が、当日暴行を受けたとすでに被害届を出している。その子は第一の殺人の夜、きちんとアリバイもあるから、犯行は不可能だ。プライバシー保護があるから、詳しくは教えられないが」

「え……」

「そんな……」


 羊も風音も、その場にいる全員とも言葉を失った。つくづく『阿修羅』は悪人だったのだ。だからと言って殺人が正当化される訳ではないが。


「全く! とんでもねえクソ男だな、その『阿修羅』って奴は! どいつもこいつも、結局体目当てだったんだ」

「誰も貴方にだけは言われなくないと思うわ」

「アンタはそれに加え、金目当てでしょ」

「それじゃあ、犯人は愛人では無い……?」

「今は何とも言えない。だけど、。髪の毛一本からDNA鑑定が可能なんだ。今のご時世、証拠を残さないなんて不可能に近いね。誰がやったにせよ、もうすぐ犯人は分かるさ。これ以上殺人なんて、警察の面子が許さないよ」

「それに、もし愛人だったら、何故その犯人は『阿修羅』を狙ったの?」今度は羊が尋ねた。

「それは……そうね。犯行動機がない、か」


 風音が吐息を漏らした。愛人説は第一の殺人の動機にはなるが、では第二の殺人をどう説明するか。仮に犯人が教祖代行を恨んでいたとして、次に『阿修羅』を狙った理由は何だろう? そもそも犯人が放っておけば、『阿修羅』が教祖代行を懲らしめてくれていたかもしれないのだ。


「犯行現場を見られたから? うーん……でも良い線イってると思ったけどな」

「いや、でもそれは本当に良い線かもしれない」

 今度は羊が色めき立つ番だった。


「沖田が撮ったあの動画で……『阿修羅』が言ってただろ?」

 羊はもう一度(不貞腐れている)沖田に動画を再生してもらった。映像が動き出し、村長以下、悪人たちの会話が再現される。


【……俺じゃねぇ! だが、俺が覗いた時ァ、確かに中でガサゴソ音がしてた気がしたな。そうだ、も見たかもしんねぇ。背の低い…………今思えば、アイツが殺ったのかもな】


「……あの時『阿修羅』は、現場で何者かを目撃していたんだ」

 女性のような人影。羊が頬を紅潮させて捲し立てた。第二の殺人の動機、それは、


「『』……少なくともその危険性があった。だから犯人は『阿修羅』を始末する必要があったんだよ」

「荒草くん! すごいわ!」

 風音が目を輝かせた。かき氷が畳の上に滑り落ちて、小さな雪崩を作った。


「そうよ、確かにそう言ってたわ。だんだん全貌が見えてきたって感じ……パズルの欠片が繋がってきたわね!」

「そこまで分かってるなら話が早い」

 羊たちの会話を聞き、木村刑事が小さく頷いた。その瞳が鋭く光る。


「単刀直入に聞こう。君たちの中に、六門島出身の人はいるかい?」

「え?」


 唐突な質問に、6人は顔を見合わせた。


「私は違うわ。生まれは東京都よ」

「私も」

「僕も違う」


 それぞれが不安げな顔で口早に答えた。誰もいない。刑事はほほ笑みながら、そんな6人の様子をじっと観察していた。しばしの沈黙。羊がたまらず尋ねた。


、ってどう言うことですか?」

「それじゃもう一つ聞こう」


 少し間を置いて、刑事がぐっと身を乗り出してきた。その圧に、羊たちは思わず後ずさりしそうになった。


「さっきからずっと探しているんだが、君たちの引率、由高教授。彼女、今何処行った?」

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