神々の侵略者

御船ノア

第一話 運命の終戦

 神々が集う、とある世界。

 いまそこでは、世界の運命を握る大規模な戦争が繰り広げられていた。

「これ以上奴らの思い通りにさせるなァッ!! なんとしてでも悪魔を殲滅させるんだ!!」




 ––––––人間界を守ることを宿命とした『天使族』。




「天使族が攻め込んできたぞォッ!! 全員、一匹残らず返り討ちにしろ!!」




 ––––––人間界の侵略を目論んでいる『悪魔族』。




 相反する二つの種族が互いの信念と命を懸け、千年以上にも渡る長き因縁に決着をつけようと殺し合う。

 地形や建物が崩れるほど飛び交う魔術。地面が揺れるほどの振動。身が引き締まるような怒号と悲鳴。そして、世界を真紅色に染めようと言わんばかりの大量の血しぶき。


 そんな血みどろの戦争は三日三晩に渡り、ようやく終戦をもたらす。


 勝利の雄叫びをあげたのは––––––




 悪魔族だった。




     ★




 荒れた戦場地。そこで耳に取り付けた無線機を用いる、見た目が幼い少女が。

「こちら一番隊じゃ。他の戦況はどうなっている?」

「二番隊、敵を殲滅完了……」

「三番隊、こっちも終わったよ」

「四番隊、キレイに片付いたぜ!」

「五番隊、同じく」

「……おい、六番隊はどうした? 応答しろ」

 しかし、六番隊からの返事が返ってくることはない。

「……チィッ。おい、誰か真瀬の状況を知るものはおるか? なんでもよい!」

「知らねーよ。つうか作戦でみんな遠くへバラけちまったんだから知るやつなんていねーと思うぞ」

 その指摘に対して誰も反論を述べない。その沈黙は賛同と同じ。

「……仕方ないのぉ。真瀬はワシが探す。隊の中で一番近い場所にいるからのぉ」

「ああ、頼んだ。オレは少し休ませてもらう。天使族との戦いで魔力がすっからかんだ。おかげでまともに動けやしねぇ……」

 他の二番隊、三番隊、五番隊も同意見。

「分かった。休憩が終わり次第、生存している兵を含め、動けるものから城に戻るよう指示しろ。ワシと真瀬は後で戻る」

「りょ〜かい」

 無線を切り、会話を終える。するとすぐに指示は行き渡り、城に歩いて戻って行く悪魔達の姿が見え始めた。

 帰って傷を負った悪魔達の手当てをしたり、生存確認をしたりと、この後もやることは多くある。しかし、生き残ったほぼ全員が魔力を使い切り、立つのがやっとの状態。それはこれから六番隊の真瀬を探しに行く一番隊の少女も同じだ。

 それでも少女は休むことなく探しに向かう。長女としての責務を果たす為に。




     ★




「ハァ……ハァ……」

 天使族と悪魔族の戦争に決着がつき、多くの悪魔族が疲労で倒れているなか、俺はひとり『ある女性』を目的にあちこちを探索していた。

 辺りは戦争前の状態とは思えないほどに血だらけの世界へと変貌している。そこには当たり前のように天使族の死体があって、なかには仲間である戦死した悪魔族も大勢いた。

「ッ……!」

 そんな悲惨な光景に思わず目を逸らしてしまう。ズキンッと心が痛む想いを感じながらも、俺はようやく探していた女性を見つけた。

「セラフィー!!」

 20メートルほど先に仰向けで倒れている血まみれの女性。

 名前は『セラフィー』。

 彼女は天使族でありながらも、悪魔側の俺と唯一親しく接してくれた大切な存在だ。俺は密かに、恋心も抱いている。

 しかし、この恋が実ることはない。もしバレたりしたら、俺達は敵に寝返った裏切りものとしての烙印を押され、処罰の対象になりかねないからだ。

 種族の意向に背いたものは例え仲間であろうと処罰の対象になるのがこの世界の掟。

 だから普段は秘密裏に待ち合わせ場所と時間を決め、周りの目を盗みながら会いに行っていた。

「おいセラフィー! 大丈夫か!?」

「……まなせ……くん」

 彼女のもとまで駆け寄る。かろうじて、まだ息はしているようだ。

 けど、腹の底から絞り出したようなかすれ声からして、命の危機に瀕していることに変わりはなかった。負い傷の出血量が多すぎる。

「きて、くれたのですね……」

「当たり前だろ! だってお前は––––––」

 素直な想いを口にしようとしたが、普段の隠密行動による癖で喉奥に言葉が引っかかり無理やり呑み込んでしまう。

「うれしい––––––ゴホッゴホッ!!」

「セラフィー!! いまは喋るなッ! 傷口が開く!! 帰って手当てを––––––」



 ……どこで?



 セラフィー以外の天使族は滅びた。つまり天使族の誰かに手当てを頼む術はない。なら魔界に連れて手当てを……なんて他の魔族が許すはずもない。そんなことを頼めば俺は裏切りものとしてセラフィーごと処罰されてしまう。

 なにか方法がないか模索してみる。しかし、どんなに考えてもセラフィーを手当てする方法は……



 なかった。



 そのことはセラフィー自身もとっくに気付いている。だから……。

「…………最後に、私のお願いを、聞いてくれませんか?」

 だから、こんなセリフを口にしてしまう。

『最後』という言葉に、俺の胸は締め付けられるように苦しくなる。

 受け入れたくない事実。だけど、自分のことは一番自分が理解しているからこその発言。

「……ああ」

 だから俺は受け入れる。受け入れるしかない。彼女の最後と、誠心誠意向き合うために。それがいまの俺に出来る最大限の配慮。

「どうか、日本を救ってください」

「!?」

「日本はいま、『転生者』によって侵略されつつあります」

「転生者!?」

 いつの日か、セラフィーから聞いたことがある。

 転生者というのは元々死んだ人間の魂で、現世に未練を残したものが天使族から能力を授かり日本を守るよう使命を果たす種族のこと。

 この世から魂が成仏できず、苦しみながらさまよい続けるものへの労いなのだと。

「このままでは、日本はなくなる……」

「待ってくれ! 一体どういうことだ!? どうして転生者がそんなことを!?」

 日本を守るために生まれた転生者が、逆に日本を侵略しようとしている矛盾。

 それをセラフィーから聞き出そうとしたが。

「ごめん、なさい……。もう、時間……のよう……」

「セラフィー!!」

「さいごに……会え、て…………よかっ、た……」

 死を迎えようとするセラフィーには、もう喋る気力も失われていた。もって数十秒ほどだろう。

 まだ生きている。まだ時間はある。俺はなにかセラフィーに聞きたいことを必死に頭の中で模索する。たくさん話したいこともあるし、聞きたいこともある。だがそんな時間はない。

「セラフィー、これだけは聞かせてくれ」

 考えていても埒があかないため直感に頼る。すると、不思議と頭の中にふわっと聞きたい内容が浮かびあがった。

「俺はお前のことが好きだ。––––––俺と、付き合ってくれるか?」

「……はい。喜んで––––––…………」

 そう返事をすると、彼女は涙をこぼす。泣きながらも幸せそうな微笑みを浮かべたまま、ゆっくりと瞳を閉じていった。

 亡くなる最後を見届けた俺はセラフィーを抱き寄せる。

「セラフィー……っ!」

 俺は、かつてセラフィーが願っていたことを思い出す。

 それはふたりきりで密会していたときのこと。




『真瀬くん』

『ん?』

『いつか、天使族と悪魔族が和解するときは訪れると思いますか?』

『えっ?』

『私達『神』には寿命というものはありません。自殺か他殺をされない限り、この先を永遠に生きていくことになります。それは『もと人間』も例外ではありません。それは真瀬もご自身で実感していることでしょう』

『……そうだな』

『正直私は、いまのこの世界が好きではありません。天使族と悪魔族が常に睨み合い、警戒し、お互いと向き合おうともせず、ただ忌み嫌う滅ぼすべき種族としか捉えていない。いくら旧約聖書に従っているとはいえ、これは見直すべき問題だと思います』

『ああ。俺もそう思う』

『天使族と悪魔族が和解をしたとき、きっとそこに真の救いがあるのだと、私は思うのです』

『セラフィー……』

『想像してみてください。天使族と悪魔族が共に食卓を囲んでいる姿を。とても幸せな世界だと思いませんか?』

『そうだな。もしそれが実現できたら、こうして密会をする必要もなくなるだろうし』

『真瀬くん。一緒にこの世界を救いましょう。誰かが立ち上がらなければ、この世界は変わりません。私達がその起点となるのです』

『……ああ、そうだな! 俺達ならきっとやれる。俺達でこの世界を救おう!』




 このとき、俺達は想定すらしていなかった。

 まさか2時間後に、大規模な戦争が起きるなんてことを。

 俺達の夢見ていた世界は、結局夢でしかなかった。

 俺達の声は誰かに届くこともなく、呆気なく散ったのだ。




「っ」

 雨も降っていないのに、地面にぽたぽたと水滴が落ちる。それに連動するように鼻水も垂れ始め、しゃっくりも止まらなくなる。それは悲しみという感情が引き起こす一種の症状だった。

 目から溢れ出す水滴がうっとおしい。すすっても垂れ落ちてくる鼻水がうっとおしい。不規則に訪れるしゃっくりがうっとおしい。これは自分に対しての憤りと無力感なのか。こんなにむしゃくしゃするのは初めてだ。全てがどうでもいいと投げやりになってしまう。もし、いまここで誰かに安い挑発でもされたら殺してしまいそうだ。幸いにも、ここには俺以外に誰もいない。それがなによりだ。

「ごめんなっ、セラフィー……! なにもしてあげられなくて……」

 セラフィーから一緒に世界を救おうと誘われたとき、俺は心の底で怯えていた。

 長きに渡り相反する種族が和解するなど、本当にできるのかと疑っていた。

 この神々が集う世界において、敵種族と和解しようなどという発言は禁忌にも及ぶ。

 怖い。そんなことをしたら、俺は殺されるんじゃないかと。これまで仲良くしてくれた仲間達から疎遠されてしまうんじゃないかと。

 きっとその恐怖は、セラフィーも感じていたはず。セラフィーは見かけによらず強い心の持ち主だから、俺と違って勇気を出して正面から立ち向かおうとするのだろう。

 でも俺は違った。

 俺は戦争が始まる数時間前の猶予あるときにも、足が震えるだけでなにもできなかった……。

 もし俺があのとき、勇気を出して言っていれば、なにかが変わったのだろうか。そんな後悔が、いまさらになって沸き起こる。うっとおしい。

 結局俺は、口先だけの弱虫でしかなかったのだ。女の子のセラフィーが頑張っているのに、男の俺がなにもできないなんて、情けなくてしょうがない。

「せめて、安らかに眠れる場所だけでも」

 そんないまの俺になにかをしてあげられることがあるとすれば、お墓のなかでセラフィーを眠らせてあげることだろう。立派なものは用意してあげられないが、せめて簡易なものでもいいから安らぎの場所を与えてあげたい。

 俺は両手で土を深く掘り、そのなかにセラフィーの遺体をそっと入れる。その上に、俺が身に付けていた軍服の上着に軍帽、そして黒いマントを毛布のように被せる。

「ひとりじゃ寂しいからな。代わりに置いて行くよ。俺の大事な宝物だ」

 この軍服と軍帽は、俺が初めて魔王候補に選ばれたときに魔王様から頂いたもの。渡された当時は、飛び跳ねたくなるほど嬉しかったことをいまでも覚えている。ずっと大切に扱い、身に付け、愛着のある代物。

 でも、いまの俺にそれを手にする資格はなくなった……。

「……安心して眠ってくれ、セラフィー」

 俺は最後、セラフィーの唇に自分の唇を交わす。これもいまの俺にできる恋人としての最初で最後のプレゼント。全身に電気が走ったかのような羞恥心が襲いかかる。体の内側から熱が込み上がってくる感覚が収まらず、気付けば顔が火照っているような感じがする。いまの俺の顔は真っ赤に染まっていることだろう。だが彼女は無表情で冷たいまま。できれば、この感覚を共有したかった……。

 気付けば涙も、鼻水も、しゃっくりも、うっとおしい気持ちも解消されていた。きっとセラフィーが慰めてくれたのだろう。俺は勝手にそう解釈した。

 心の底から湧き上がってくる温かい気持ち。なんだか勇気が湧いてくる。

 さっきまでは全てにおいて投げやりの気持ちになっていたが、いまなら全てにおいてなんでもできそうだ。

 もしかしたらセラフィーは慰めてくれただけではなく、俺に勇気までも与えてくれたというのか。

「……敵わないな。セラフィーには」

 セラフィーからは多くのことをもらいすぎた。

 悪魔族とうまく打ち解けられなかったときの相談に乗ってもらったり、魔王様との地獄の特訓で挫けそうになったときに慰めてもらったり、互いの趣味や好きな異性のタイプなど世間話をしたりと。セラフィーと過ごす時間は、いつも俺の心に安らぎを与えてくれた。幸せのひとときだった。

 いま思い返せば、いつも俺の相談ばかりに乗ってもらっていた気がする。申し訳ないな。

 俺はセラフィーからもらいすぎた。だから今度は俺が返す番だ。



『どうか、日本を救ってください』

『日本はいま、『転生者』によって侵略されつつあります』



 日本は俺の母国でもある。そんな日本を好き勝手にさせるわけにはいかない。

「任せてくれ、セラフィー。日本は俺が救ってみせる!」

 今度こそ叶えてみせよう。俺達の想いを。それを叶えてみせるのが、セラフィーへの恩返しだ。

 俺は掘り起こした土をセラフィーの墓場へと埋める。

 その後、人間界に繋がるゲートを開き、人間界へと向かった。

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