第十三話「夜を駆ける」3/3
三人でビルを出ると、パトカー以外に救急車も止まっていて、ここまで騒ぎになっているとは知らず驚かされた。
「いやはや、こんなに本気になってくださるとは・・・」
「何を言ってる、元はといえばお前が計画したことだろう」
「そうですけど、ここまで大事にするつもりもなかったので」
すでに関係者以外は立ち入り禁止になっており、テープがビルの前には取り付けられ、何人にも警官が見張りを続けていた。
私は一度は断ったけど、半ば強引にビルの前に停車していた救急車に乗せられ病院へと向かわされた。
。
あんなに激しい戦いをしたのに、今は救急車で病院まで運ばれている。
不思議な心地だった。
こんなに真剣に、大きな事件に巻き込まれたのは初めての経験だった。
私は、俺は・・・、自分なりにやれることはやったと思う。
夜間診療を終えて病院を後にする。左腕には包帯を巻いて、まだ傷口は痛むけど現状動かせないほどではない。
後は何か所か木刀で叩かれた時の打撲傷があって、見ると青あざになっているところもあるけど、そのうち治ることだろう。
「入院しなくてよかったの?」
帰り道、裕子が私の姿を見て心配そうに話しかける、裕子が私の家まで送ってくれることになったのだ。
二人で歩く夜道は、どこか懐かしく夜風が気持ちよかった。
「大丈夫大丈夫、大した怪我じゃないから」
私は心配させないように、笑顔で答えた。
「本当?あんなに怖い思いしたのに、腕だって痛そうなのに」
「なんだか落ち着かなくって。せっかく平穏が戻りそうなのに、家に帰れないのは嫌だなぁって」
「そっか、無理しないでよ」
裕子の心配そうな視線が平穏が戻ったようで今は嬉しかった。
綺麗な月を眺めながら二人歩く、こういうのもいいなぁとしみじみ思った。
「うん、帰ったらすぐ寝ちゃうと思う、さすがに疲れちゃったから」
「その方がいいよ、今日は頑張りすぎだよ」
二人歩く速度はずっと変わらない、でも心臓の鼓動はずっと高鳴っていた。裕子は許してくれるだろうか、今も裕子は気づいていない、私の本当の気持ちに。
でもそれは普通で自然なことなのかもしれない。こんなことで悩んでいるのは私くらいで、そんなことで苦しんでいるのは馬鹿馬鹿しいことなのかもしれない。
私は立ち止まって、大きく息を吐く、私は真っ直ぐに裕子のことを見た。もう覚悟は決まっていた。
「裕子、私ね、聞いてほしいことがあるの」
どう話せば私の気持ちが伝わるか、ずっと考えながら歩いていると、気付けばもう私の家の前まで着いてしまった。すっかり夜も深くなって人通りもなかった。
今、話さなければ、今本当の事を裕子に言わなければ、これからもずっと永久に言えないような気がしていた。
あぁ・・・、ちづるに止められていたのに、でも私は”明日も今日と同じように騙して一緒にいられる自信はない”、このまま永遠にずっと裕子を騙しておくことはできない、そうずっと考えていた。
永遠? 永遠とは何だろう?
私は、ずっとこのままこの身体で、進藤ちづるとして生き続けるということ?
じゃあちづるは?
柚季さんは?
私が私であるということがいつまで続くのか。そんなこと全然分からない、先の事なんて全然分からない。でもこのままではいけないと思った。
「どうしたの?話って何?」
立ち止まったまま、なかなか口を開けない私を見て、裕子が心配そうにこちらをじっと見る。
「(そんな顔しないで・・・)
ずっと騙してことを思って心が痛んだ。
「今日はゆっくり休めばいいんじゃない、話しなら今度でもいいでしょう、あたしはいつでもいいから」
でも、そう裕子が言ってくれたとしても、今、本当のことを話さなければならない・・・。
例え嫌われても、例え一緒に入れなくなったとしても、それだけは後回しには出来ない確かなことだから。
私はちづるであってちづるでない、そのことを深く自覚した。
話したとしても伝わるだろうか、話すにしても事情を全部話せるわけでもない、私が知らないことだってある。
それでも話すのか、そんな曖昧にウソにウソを重ねるようなことをしていいのか、裕子を混乱させるだけじゃないのか。裕子には私の気持ちなんてわからないかもしれない、男の気持ちがわからないように、私の気持ちも分からないのかもしれない。
でも・・・、それでも、私は分かり合えると信じたかった、だから・・・。
「いいの、聞いて、今言わないとずっと伝えられないような気がするから」
そう言うと、裕子はゆっくり頷いた。私は息を整える、今だけはこの痛みを我慢しよう、私は震えそうになる気持ちを抑えて、言葉を選んだ。
「私はね、ずっと黙っていたけど裕子の知っている私じゃないの、他の人と入れ替わった別人なの」
「何を言っているの?」
私の突然の告白に裕子は戸惑い声は震えていた。
「昼休みに男子生徒と階段の踊り場でぶつかった時に本当のちづるはその男の子に入れ替わったの。ちづるにはそういう不思議な力が備わっていたの。
その後、裕子が保健室に駆けつけてくれて私は何が起きたのかもわからないまま一緒に教室に戻った。私はあの時入れ替わったばかりで何も知らなかった。
みんなは記憶喪失が再発したものと思ってたみたいだけど、私は女の子の身体になって戸惑いながら、あの時は本当のことがバレないようになんとかやり過ごすので必死だった」
「そんなことを、どうやって信じろっていうの?」
裕子は聞いた、きっとこんな話し信じたくないんだろう、でも本当のことだから、ちゃんと言わないといけない。
「それじゃあ聞くけど、本当の進藤ちづるだったら、廃ビルまで一人で助けに行っただろうか、そもそも裕子と喧嘩することになっただろうか、原因を作ったのは私自身、私がやりたいようにやった結果なの」
「同じような事をあの葛飾って男も言ってた、でもあたしはあんなやつの言っていたことだから突き放したけど・・・。
突然言われてすぐには全部信じられないけど、そう・・・、そうなんだ・・・。どうして、ちづるはそんなことを・・・」
裕子にとっては疑問が尽きないだろう、それにきっと私の事を許すことは出来ないだろう、私はそれがずっと怖かった。
「ちづるは辛かったんだと思う、生きていくのが、人として生きていくのが、だからこの身体を私に預けたんだと思う」
「ちづるは・・・、ちづるは生きてるの?」
「うん、ちづるが色々教えてくれて、助言をくれているから今もこうしてなんとか続けていられるの」
ちづるが猫の姿になってるということはまでは言えなかったけど、今は生きていると伝えるだけで十分だろう。
「そうなんだ・・・、そっか、なんだかうまく言葉に出来ない。今日のことがなければ心底あたしはあなたを恨んでいたはずなのに・・・。
あたし、ちづるが助けに来てくれた時、本当に嬉しかった。信じられない気持ちでいっぱいで、あなたにはたくさん酷いことを言って、助けになんて来るはずないって思ってた。そんなの現実的じゃない、警察にでも言って任せてしまえばいい、そう思ってた。
それが一番安全で一番正しい判断だと、そう思ってた。
記憶を失くして、もう一度思い出して、そんな大変なことを経験して、それでもちづるがまだあたしのことを大切に思っていてくれているんだって思って、それが凄く嬉しかった。
あなたはきっとちづるの意思も自然と背負って助けに来たのね。
だから恨もうと思っても、今更恨み切れないよ・・・」
裕子の心は優しく私の心に沁みた。あんなに怖いことがあったのにすっかり裕子は冷静だった。私の事を突き放したりしなかった、それだけのことをしてきたのに。
「裕子、これからも変わらず一緒にいてくれる? こんな私でも嫌わないでいてくれる?」
「騙されたままでいてほしいならそれでもいいわよ、だって、ちづるも了承しているんでしょう? だったら、難しいこと考えるのはやめるわ」
それが裕子の優しさなのか、距離の取り方なのか、よくわからなかったが納得してくれたようだ。
帰り際、裕子は振り返って私を見た。
「ねぇ、それは、ちづるのマネ? それとも、元々女々しい性格なのかしら?」
別れ際にそう言い放つ裕子は笑っていた。その言葉は私を牽制しているようでもあり、冗談を言えるだけ私の事を信用しているようでもあった。
「(ああ、話せてよかったな)」
その時私は、長い間抱えていた氷が解けたような感覚になった。
*
家に着くと家の中は真っ暗だった。慌ただしい一日から解放され、ふいに熱くなっていた心が冷めていくような気分だった。
今日は疲れたと思いながら自室に戻る、ベッドから夜目を効かせた光を帯びたような視線を感じた。座ってこちらをずっと見つめる眼光、夜目の効いた猫の瞳は暗い室内でもよくわかった。
「おかえりなさい」
もう慣れ親しんだ声に、安心感を覚えた。
「ちづる、今日はありがとう」
「いいえ、私はメモに書いてあったとおりのことをしただけよ」
「でも、凄く助かった、裕子も助けられて、悪い奴も逮捕できた」
「そう、大手柄ね、よくやったじゃない、あなたの指示が正しかったってことでしょ、もう少し喜んだら?」
珍しく私のことを褒めてくれる、ちづるは私の異変に気付いているようだった。
「ごめん、謝らないといけないことがあるんだ」
「どうしたの?」
私の声は震えていた、どうしてだろう。どうしてちづるの前だとこんなに緊張して、こんなに後ろめたい気持ちになるんだろう。
「裕子に本当の事話してしまった。ちづるに止められてたのに」
私は包み隠さず、素直に伝えた。
「それは必要なことだったんでしょ? あなたにとって。嘘をつき続ける自信がなかった。それだけ裕子のことを大切に想うようになったのなら、私が言うことはないわ」
「本当にごめん、案外軽い人間なのかもしれない、だから上手くいかない事ばかりなのかも」
「そう、あなたも辛かったのね」
傷ついた姿の私に同情したのか、ちづるも一緒に裕子のことを考えていたのか、ちづるはいつにもなく優しかった。ちづるの中でも何か心境の変化があったのだろうか、ぼんやりとした頭ではそれもよく分からない。
自分の気持ちを伝えたことで、安心して力を失くしてベッドに横になる私に猫が寄り添う。猫の姿のちづるの事をどうしてこんなに愛おしいと思うのか、どうしてこんなに愛おしいと思うようになってしまったのか。
その手触りも、敏感なところを触れたときの反応も、鳴き声も、どれも愛おしく、私の疲れを癒してくれる。私はその心地よさに沈んでいくように意識を閉じていった。
長い一日が終わる、それぞれにとって大きな一日が、終わりを迎えようとしていた。
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