第五話「決意の言葉は」1/3

 警察の人だからてっきりパトカーが来ているのだと勝手に想像していたけど、紺色の普通車だった。偶然だと思うけど村上警部も紺色のスーツを着ている。


 慌ただしく乗り込んだ車内は空調が効いていて涼しくて気持ちいい、先ほどまでテニスで随分運動した後だから尚更心地よかった。


「すまないね、デートの邪魔をするつもりはなかったんだが」


「パトカーに乗せられるのかと思いました」


「令状を取ってるわけじゃないからね、わざわざ目立つようなことをする必要もないから私服捜査が基本さ」


 村上警部が運転しながら答えた。確かにパトカーでいちいち情報捜査していたら迷惑極まりない、事情聴取されるにしても相手側の緊張緩和にもなるから理にかなっていることと言えるだろう。


 助手席には同じく刑事だろうか、真面目そうな女性がファイルに閉じられた資料に目を通している。顔はきつそうなのに胸が大きくて、テレビドラマにいたら人気が出そうな雰囲気だ。

 実際にお世話になりたいかと聞かれれば、それはノーだが。


「前に会ったのは入院してたときだったね、すっかり元気そうでよかった。それで、父親のことは何か思い出したかね?」


 村上警部が運転しながら時折、私がいる後部座席が見えるバックミラーを確認しているのが見えた。


 ちづるは、やはり入院中は記憶を失くしていたということだろう、村上警部の話しから推察すればそう考えるのが自然だ。


「依然として今回の事件は目撃情報が乏しい、何か気づいたことがあれば教えてほしい」


 村上警部に続いて、女性刑事からもお願いされる。女性ながら芯の強さが伺える鋭い口調だった。これなら頼れる女性警官としてやっていることだろう。


「最近の記憶はまだ思い出せてないので、協力できることはなさそうです」


 今の私にはそう答えるしかなかった。ちづるの記憶まで引き継いでくれたならどれだけ楽だったことか。


「そうか、お父さんに会えば何か思い出すかもしれない、お母さんはもう弁護士に任せて面会には来ないと聞かされているからね。話しづらいこともあるかもしれないが、なんでも声をかけてあげれば、進展することもあるかもしれない」


 この人が果たして何を期待しているのか、思い出せることなど本当は何もない中、どう面会に臨めばいいのか、もう場当たり的に言葉をぶつけるしかない、私はまだ自分が明確にどうしたいのかもわからないのだから。



「面会時間は20分以内だよ、時間が来たら声を掛けるから行っておいで」


 話す内容も決まっていなかったから気にしないが、時間は短かった。

 そんなに時間を指定しないといけないぐらい、長時間話したがる人がいるのだろうか、よく私には分からなかった。


 瞬く間に署についてしまい、もう面会が始まるというのに覚悟なんてまるでできてない、事件のことを知ったのもついこの前なのだ。事件のヒントを得るにしても無理難題にもほどがある。



 問題だらけの進藤家、こんな家庭を任されることになるなんて、最初まるで考えていなかった。



 ちづるが私にどう期待しているのか、好きにすればいいと言っていたけど、内心どう思っているのか。

 

 こうなってしまった以上、私なりに円満な結末を目指してできることをやるべきではないのか?、そうすればちづるにとっても生きる希望を与えられるのではないか?


 ちづるが今になってもう一度この身体と入れ替わることを望むとは思えない。でも、私なりにこの絶望的な状況を打開することができれば、私がこの身体を任された意味があるというものだ。


 そんな理想的なことを考えても現状の厳しい状況では、円満な結末など簡単なことではない。

 麻生一家三人を殺害した容疑にかけられている父、今の状況に絶望してしまった母、今までの様子からもう父のことも見限ってしまっている。

 母は現実逃避するようにほとんど家を空け仕事に打ち込み、家に帰ってきてはお酒を飲んで私の心配はするけれど、相手をしてくれることはほとんどない。


 そして進藤ちづるである私は自殺未遂をして記憶も失ってしまっている。現状ちづるがどれだけ記憶を取り戻しているのかはわからない、でも私にとってはそれ自体大きな手助けになるものではない。


 まだわからないことだらけの現状で、これから私は”初めて父親に会う”、警察の人が何を期待しているかはわからないが、父の考えを聞くことは事件に関わる上で何か重要な手掛かりになるかもしれない。

 

 私は覚悟を決めて、おそらく一度きりの面会に向かった。


 部屋に入ると用意されたパイプ椅子に座って、父、進藤礼二が入ってくるのを待つ。飾り気のない部屋の隅で一人の女性警官が立っている。部屋は静まり返り、時計の針の音だけが異様に耳に響いた。


 そしてガチャっとガラスの向こう側の扉が開き、警官に連れられて憔悴しきった父の姿が目の前に写った。ちづるの部屋で見た写真とはあまりに違う不精髭も伸びきった憔悴した姿に心が痛んだ。

 長い間家に帰ることを許されず、監視された中で自由のない生活を強いられることがどれだけ辛く苦しいことなのか、私には想像もつかなかった。


 やつれた表情の父と視線が重なる、別々の世界が一つに繋がったような感覚を覚えた。


 警察は市民の味方で、自分たちのことを見守ってくれている信用すべき存在であると信じてきた。

 何不自由なく暮らしていくことで人はこの世界が安全であると疑わない。いつの間にかその裏側で粛清される不穏分子のことを忘れてしまう。

 安全のために多くの人を罪人として社会から消していくことで治安、秩序は維持されている。どんなことでも犠牲は発生する。都合のいい正義感で疑わしきは悪と決めつけていいのか、正義感が揺らいでいくほどだった。


 女子校生とその父親のする会話とはどんなものだろう、そんなことを考えながら、何から話そうか思案していると、先に父が口を開いた。


「母さんから話は聞いた。無事でよかった。もう危険なことはやめてほしい、命を粗末にするようなことはするな」


 娘が面会に来ることなど期待はしていなかっただろうけど、父親として気を張っているのが分かった。声に力はなかったが、言っていることが本心であることはよくわかった。


「うん、もうよく覚えてないんだけど、でももうしないよ。それにお父さんのせいじゃないと思うから」


 考えがなかなか追い付いて行かない中、なんとか言葉を口に出すことが出来た。私の横に置いているバッグがゴソゴソっと音がして、何かが動いた気がした。


「そうなのか・・・、お母さんからは随分責められたが」


「そうだね、こんなことになって愛想尽かしちゃってるかも。お母さんはもう来ないと思う、だから私が来たの」


 今更何を隠すこともないと思った、そもそも、ちづるが自殺未遂したことに踏み込んできたのは、この目の前にいる父親の方であるから。


「ああ、今更許してくれとは言わない、立派な父親にはなれなかったからな」


 反省の色はあるようで、自暴自棄になっているようには見えなかった。


「あのね、聞いてほしいことがあるの、話しておきたいことがあって、時間もないから聞いてくれる?」


 父に余裕があるように見えないが、でも、まだ諦めていないなら伝えなければならない話が私にはあった。


 私は父のことをほとんど知らない、ちづるから肝心なことはほとんど聞かされていない、だから父が立派な人かどうか判断できない。


 でも、せっかくここまで来たからには聞いておきたいことがある。

 父は私の言葉に静かにうなずいた、それを見て安心して私は口を開いた。



「あのね、被害者の一人、麻生雫さんは私のクラスメイトなの。

 この前みんなでお別れ会をしてみんな泣いてた、大切な友達だったから、もう二度と会えないんだってわかってすごく悲しかったの。


 私は何もできなかった、もう過ぎたことは変えられない、だからどうでもよくなる時もある。でも、冷静になると、犯人は許せないって気持ちはどうしようもなく溢れ出してくるの。

 それが自分の意志なのか、誰かの代弁なのか、もう今更判断なんて出来ないんだけど。


 でも、誰もこれで終わりだなんて思ってなくて・・・、このまま忘れてしまうのなんて嫌で・・・、みんな麻生さんを安心して送ってあげられる日が来ることを本当に願っているの。


 ねぇ、こんなことを聞くのは間違ってるのかもしれないけど、お父さんは・・・、お父さんは本当に犯人じゃないの?」



 私は限られた面会時間の中、一生懸命に言葉を紡いだ。最後の方は辛くて少し俯いていた。これで伝わらないならもう諦めよう、そんな気持ちもあった。


 私の背中にクラスメイト達がいるような、悲しそうに、寂しそうに、でも安心できる日を期待するように私のことを見守ってくれているような気がした。 


 自分がやらなければ、他にできる人はいない。自分にしかできないことがある、その思いだけが私を突き動かしていた。


 父は穏やかに静かに私の言葉をじっと聞いていた、どう返事をしようか迷っているのか、それはわからないが、長い沈黙が流れた。部屋の端にいる管理人が一度時間を見た。



 なんでもいい、帰る前に私は答えが欲しかった。クラスメイト達に責められるのが嫌というだけじゃない、私なりに納得できる何かを、私が決心できるだけの言葉が。



「ああ、俺はやってない。麻生さんを殺した犯人は別にいるはずだ、殺したかった動機のある真犯人がいるはずだ。そいつが俺に責任を負わせて、今もどこかで隠れているんだ」


「そう・・・、わかった、お父さんを信じる、諦めちゃダメだよ」


 少しだけ父の瞳に光が戻ったように見えた。それは確かに男の目だった。

 今日まで耐えてきた人が言うのだ、だから私は父を信じよう、たとえ誰も味方してくれなかったとしても。


 時間が来たことを告げられ、そこで面会は終わって私はバッグを握り立ち上がった。


 やっぱりここに来るまではそれどころじゃなくて気が回らなかったけど明らかにバッグが重い。

 一体いつからだ?、と私は動揺を気取られないよう、出来るだけ自然な動作で背を向けて歩いた。


 面会は気を張り詰めて集中していたためかまるで一瞬の出来事だった、時間があればもっと分かり合えることもあるのだろうか、それはわからないが、私は一度お辞儀をして部屋を出た。


 部屋の外には、村上警部が壁に寄りかかって腕を組んで立っていた。ダンディーな姿で絵になる光景だが、私はその横を言葉を交わすことなく通り過ぎていく。



「これで罪の意識を感じて自供してくれればいいのだがな」



 村上警部のその言葉は通り過ぎて行った私には聞こえることはなかった。

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