レッド・ポイント
satoh ame
credit 01 仲間学
初めて任された部隊がほぼ全滅した件で自主学習を言い渡され、
中身の少ない段ボール箱を抱えて、デルニエ士官傭兵学園とかいう差別&抑圧の温床を歩く。他の建物と同様に、3つの寮も歴史の奥深さを刻んだ造形がとても綺麗だ。戦渦で血を流す者たちの養成所なのに、外観が美しいのはどこか切ない。
療養中に修練を積んだけれど、魔法で都合よく記憶を操ることはできなかった。
扉を潜ると、通称『愚か者パラダイス』の館内は静けさに浸っていて、植物園の良所を取り入れたロビーの幻想を嘲笑うかのように、飲料系自動販売機のべベール様が壁に寄せて置かれていた。悪趣味甚だしいが、緑茶の存在は有り難い。
2Fへ向かう途中。階段を上りきった辺りで、軽快な足音とともに大きなドアが開き、住人が顔を覗かせた。古い金貨色の髪に緩やかなウェーブ。品よく着た制服に淡い柄のスカーフを合わせている。間近で見ると捕まえたくなるほど可憐で、愛でられるために生まれた神秘の花のようだった。救護科のミシェル。この学園で彼女を知らない者はいない。
「あなたがユイでしょ? 待ってたの。来て」
天使系魔女みたいな妖精に手を引かれて連れられた先は寮の談話室で、私物化の進んだアットホームな空間にソファやテーブルが並んでいる。内職っぽいミシンと布を観察していると、ミシェルがタヌキ袋を作っていると教えてくれた。パーティの帰りに捨てられているのを見かけるので、保護するために必要らしい。
「ね、右クリック」と彼女が呼びかけた数秒後、奥のソファで寝ていたと思われる男子生徒が眠そうに身を起こした。
自然と目が合ってしまい、仕方なく会釈する。
初対面の新参者に興味を持ったのか、彼は無遠慮に接近してきたけれど、パジャマの第2ボタンが失踪していて様子がおかしい。
「愚か者パラダイスへようこそ! 惟だよね? よろしく!」
学内で遭遇した憶えはないが、薄茶色の前髪を絶妙な角度で横に流していて、明らかに女子の視線を意識している。
「よろしくって言ったじゃん。忙しくないなら返事してよ。右クリックって呼んでね!」
「表面だけの短いつき合いだけどよろしく……」
穏便。無難。平和。速やかな卒業のためにも、奇抜な生徒は刺激しないのが一番だ。
いつの間にかタヌキ袋の製作に入っていたミシェルが微笑みかけてくる。
「ここにあるものは何でも食べていいし、好きに過ごして。質問があったら私か右クリックに。もうひとりのメンバー、不良で素っ気ないのよ」
危険人物の情報をありがとう、と言いかけた直後に心の具合が悪くなったので、荷物を運ぶふりをして部屋に逃げることを思いついた。
パラダイス員たちの親切な申し出を断って3Fの廊下を歩いていたところ、正面から男子生徒らしきシルエットが近づいてきた。挨拶という
「新人だろ。次の部屋だ」
幼少期の心理的な事故が原因なのか、他者を裁きたがっているような棘のある声。
立ち止まって顔を見たが、黒い前髪が下目蓋に触れていて、全力で斜に構えた風貌だ。この男が、ミシェルが告知してきたメンバーかもしれない。
ショックで落としそうになった荷物をこちらの腕から奪い、要注意人物がひとつ先のドアを開ける。
適当な場所に箱を放ったらしく、すぐに出てきたので一応礼を言った。
「頼んでないけどありがとう」
物憂げな裏路地。社交性皆無の同寮生は、掠れた写真プリントのTシャツを着ていた。
「新入り。夕食は?」
「まだ決めてない」
続く返答はなく、鋭利な気配の本体はそのままどこかへ歩き去った。
室内を眺めてみると、想像していたより間取りがよく、バスタブも大きくて気に入ってしまった。どこにいても、無能の烙印を押された命に変わりはないけれど。
少ない荷物を仕舞い、自習の道具を持って談話室へ。不本意だが、今後のためにもいろいろと聞き出しておかなければ。これは己の過ちを認め、精神を鍛え直す修行課程だ。諦めて乗り越えるしかない。
ミシェルは裁縫、右クリックは架空の友だちとチェスをしていたのでそっとテーブルに着く。やがて刻々と勉強している最中に扉が開き、見覚えのあるTシャツがウェイター風のカートを押して入ってきた。
「紹介するわね」熱心に布袋を作っていたミシェルが席を立って、急かすような仕草で男子に手招きをする。「彼が
廊下での異様な空気で察したが、やはり奴もパラダイス員だったのか。
「参加するなら先に言え。人数分ねえよ」
運んできた食事が足りないらしい。露骨に感じが悪いので「学食に行くから」と断ったが、目の前に大きな手で皿が置かれた。
「俺のやるよ。……朝までには戻る」
第2ボタンの隙間から肌を覗かせようとする猥褻パジャマをテーブルに呼んでいたミシェルが振り返る。「良嘉。出発には遅れないで」
彼は頷いて談話室を後にした。
粗雑な態度で提供された、不細工きのこ共のクリームパスタ&嫌われ野菜のスープはとても美味しく、学食の意思を軟化させた自分の素直さを褒めたくなる。本当は大勢が集まる場で、こちらの処分に歓喜しているはずの同科生と顔を合わせるのが怖かった。
「ミシェル、僕の荷物詰めるの手伝って。何も準備してないんだよね」
彼女に食べさせて貰っている右クリックが思い出したように言った。
「3人でどこか行くの?」と自然に問いかけてみる。そろそろ限界だ。精神が崩壊する前に仲間意識の繋縛を解いてほしい。
「違うよ。惟もだよ?」
衝撃で閉口していると、ミシェルが会話に加わった。
「課外学習の予算が35万
気持ちは嬉しいが、ここで情に絆されたり、矜持を失くしたりしてはいけない。
「わたしは辞退させて貰いたいんだけど。留年するつもりないから成績落ちるとまずいの」
「惟、そんなに我利勉にならなくても大丈夫だよ。活動レポート2枚出せば単位くれるって。試験対策とか全く必要ないし、赤点食らわなくて済むよ」
「ね、ユイも行くでしょ? ホテルは個室でも、女子同士の相部屋でも構わないから」
人の過去に触れてこない社交のセンスは評価するけれど、このメンバーと協調を保つ自信がない。しかし、数日の我慢と忍耐が単位に変身するのなら意義があるのではないか。大切なのは予定通りの卒業であり、履修科目の内容ではない。
「誘ってくれてありがとう。わたしも行く。個室がいい」
レザール島への旅支度を終え、バスタブの湯に入浴剤を注いだ。楽しみにしていた穏やかな香りと、繊細な花の色に包まれて休息を得る。
これからしばらくのあいだ、あのメンバーたちと上手くやっていかなければならない。
元の席に復帰したとしても、『指揮科の惟が激しくミスって傭兵クラスの部隊を見殺しにしたけれど、魔女に助けられたので本人は生きている。刀技も微妙で進級は無理そうだ』という話が学内の隅々にまで蔓延していて死にたくなる。
あれは偶然の出来事ではなかった。敵の緻密な計画と桁違いの戦闘力。誰かの悪意溢れる密告で、ほぼ全滅した未完成の部隊。嵌められた自分にも落ち度はあるが、見つけ次第、裏切り者と襲撃犯は必ず殺す。それが自分にできる
あの惨劇から数日。悪夢と現実の境界を危うくするように、鮮やかな生傷が跡形もなく消えた。次に流す血は黒か紫かもしれない。
生と死。人間と魔女。どちらも元の命には戻れない。
ふと気が緩み、頬を伝う空疎な涙がピンク色の
冷酷な試練が何度身に迫ったとしても、これ以上沈むわけにはいかないとわかっている。
credit 01 end.
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