12月26日(火)
「ん……?」
光が目に染みるような感覚で目を開く。微かに開いたカーテンの隙間から差してきやがったみたいだ。
俺は、慎重に片腕を伸ばして、カーテンをぴたりと閉めた。もう片方の腕に頭を載せて寝る……瞬を起こさないように。
「……ん」
――よく寝てるな……。
俺の腕に頭を預け、安らかな寝息を立てて眠る瞬。俺はその可愛い寝姿を眺めながら、何気なく、瞬のさらさら髪を梳いた。
すると、瞬はもぞもぞと身じろぎをして、俺の胸に顔を寄せてくる。
「……起こしたか?」
「んん……こうた……?」
瞬が薄く目を開いて、瞬きを繰り返す。それから、ぽやんとした顔で俺に訊いた。
「今……何時……?」
「ああ……えっと……」
訊かれて、そう言えばと思い、枕元のデジタル時計を見る。今は……。
――12月26日 AM 11:50。
「じゅうにがつ……」
「にじゅう、ろくにち……」
顔を見合わせて、もう一度繰り返す。
「12月」
「26日……」
「「12月26日?!」」
12月26日。
ようやく認識したその日付に、声を揃えて驚く。
「ループを抜けたのか!?」
思わず、布団をガバッと剥いで、飛び起きる。すると隣で「きゃっ!」と短い悲鳴が上がった。
「どうした?」
「こ、康太……!し、下……っ!」
「え?」
手で顔を覆って、俺を指差す瞬。俺は下を向いてぎょっとした。
――あ、パンツ穿いてなかったわ。
「ご、ごめん……」
俺は瞬に謝りつつ、布団を捲って、おそらくどこかに丸まってるだろうパンツを探した。パンツ……パンツ……あれ?
「どこだ?俺のパンツ……」
シャツ一枚に下半身丸出しで四つん這い、という惨めすぎる姿でパンツを探し回るが見つからない。
ふと下を向くと、太腿の間で「俺」がしゅんと頭を垂れていた……あれ、なんか、泣きそうだ。
と、その時。
「あ……」
「どうした?」
ふいに声を上げた瞬を振り返る。
すると、瞬は寝間着のシャツの裾をきゅっと伸ばして、「えっと」と俺から視線を逸らした……ていうか。
「瞬……何で、俺のシャツ着てんだ……?てか、な、何で……下、パンツだけなんだよ……?!」
「う、うう……」
ベッドの上で俯いてもじもじする瞬はなんと、上は俺の寝間着のシャツに、下はパンイチという刺激的すぎる姿だった。しかもそのパンツは……。
「お、俺のだよな……?それ」
「う、うん……」
瞬が穿いていたのは、俺の黒いボクサーパンツだった。恥ずかしいのか、瞬はシャツを目一杯伸ばして隠そうとしてるが、隠しきれてないし、間違いない。
――瞬が俺のパンツを……。
これには、さっきまで元気のなかった「俺」も興味津々……になりかけたので、俺は慌てて視線を逸らして言った。
「……も、もしかして、服……取り違えたのか?」
「そ、そうだったみたい……康太も、俺の着てるよ」
「本当だ」
今更ながら、俺が着てたのは瞬の寝間着のシャツだった。どうりで肩周りがちょっと窮屈だったわけだ……ってところで、やっと少し思い出す。
そうだ、確か……寝る前、もうお互いぼんやりしてて、でも寒いから、とりあえず服は着たんだよな。で、瞬のパンツは、ちょっと「穿けない」状態になってたから、その辺にポイして、代わりに俺のを貸してやって、俺はフルチンでいいって言って寝ちまったんだな。はいはい了解。
「……いや、了解じゃねえな」
「……」
「……」
俺達は互いに無言のまま、俯いた……同じように顔を真っ赤にして。
──だって、そうなったってことは、つまり。
ふと、ローテーブルの上に視線を遣ると、投げ出された「0.01」の箱と、「お尻用」と大きく書かれた黒いローションのボトルがあった。……あれこそが「お父サンタ」の置き土産で、俺達はまあ、それが……必要になったというわけで。
俺は何て言おうかと言葉を絞りながら……やっと、瞬に言った。
「ほ、本当に……したんだな……」
「う、うん……」
瞬がこくりと頷く。よく聞くと、その声は少し掠れているような気がする。俺はひとまず、瞬に布団を掛けてやりながら、言った。
「……どこか、調子悪いとかないか?辛くないか……?」
「大丈夫だよ。こ、康太は、その……ずっと、気遣ってくれてたから……」
瞬が俺を上目遣いで見つめてそう言う。言われると、昨日のことが脳裏に蘇ってきてしまい、恥ずかしくなる。
頭を掻きながら、俺は瞬にもっと訊いた。
「おう……そ、そっか。あ、水は?喉渇いてないか?」
「一回、目が覚めちゃった時に、飲んできたから大丈夫……康太は?持って来よっか?」
「ああ……いや、大丈夫……自分で行く……下も、何か穿かないとだし」
「そうだね……」
すると、瞬はベッドから降りて、俺のためにタンスからパンツを持って来てくれた。新品だが、柄がびっくりするくらいアバンギャルドなやつ。瞬曰く「母さんが向こうで見つけたって送ってきたの。瞬ももう大人なんだから、下着も気を遣わないとって……」とのこと。気に入ったのかどうかは、瞬のその顔でよく分かった。俺は心の中で志緒利さんに「使わせてもらいます」と手を合わせた。
とりあえずのパンツを穿いた俺は、瞬にことわって、台所に水を飲みに行った。渇いた喉に冷たい水がやたら美味かった。
なんとなく気になって、一瞬だけ居間のテレビを点けたら、日付はやっぱり「12月26日」だった。クリスマスは終わり、世間は年末ムードへと色を変えていた。
──抜けたんだな、ループ……。
細かいあいつらの事情はどうでもいいが、要するに、俺達は最後まで、あいつらにいいように利用されかかっていたってことだ。
だが、俺達はそれに抵抗できた……まあ、何で抜けられたのか、本当のことは分かんねえけど。
それでも、俺にはちょっとした勘みたいなものがあった。これは……俺と瞬が、自分達の選択によって手に入れた結果なんだと。
「……ざまあみろだ」
俺はあいつらに聞こえるように、そう呟いた。
「おかえり」
「おう……ただいま」
部屋に戻ると、瞬は布団に包まって、俺を待っていた。ベッドに寄って腰を下ろすと、瞬は俺が入れるように、スペースを空けてくれた。俺は瞬の真似をして「失礼します」と言って、布団に滑り込む。瞬の温もりで布団はぽかぽかだった。
ずっとこうしてたい──なんて思っていると、瞬は俺に言った。
「……ループ、抜けたんだね」
「ん?ああ……そうだな。何でかは分かんねえけど……って」
俺は思わず目を見開いた。
「瞬……気付いてたのか?ループのこと」
「うん」と頷いて瞬は言った。
「……クリスマスマーケットに行った日があったでしょ。あの日の朝に澄矢さんに教えてもらったの。この世界は今、ループしてるって。原因は今調べてるとこだから、とりあえずはクリスマス満喫しとき……って」
「俺に言わなかったのは何でだ?口止めされてた……とか?」
「澄矢さんが、どうしてか分かんないけど、康太はこの世界の異変に自力で気付きかけてるって。これだけ認識を弄られてる状態で急にそれが解かれると危ないから、原因が分かるまで、瞬ちゃんはあいつの認識が解けないようにしててくれって……ごめんね」
「瞬は悪くないだろ。ありがとうな」
まあ、クソ矢曰く、実際には、俺は多嘉良によって認識を保護されてたから、ループに気付きかけてたわけで。そもそも何でそんなことをされてたのか……あいつの意図は分からねえけど。
瞬がループのことを知っているなら──俺は、瞬に訊いてみることにした。
「……瞬は、どうしてループ……抜けられたと思う」
すると、瞬は「うーん」と首を傾げて少し考えてから、言った。
「俺の……勝手な推測だけど」
「ああ」
「俺と康太が……前に進みたいって思ったからじゃないかな」
「前に……それって」
俺の言いたいことを察したのか、瞬の顔がぽっと赤くなる。だけど、それには首を振って、瞬は言った。
「そ、それも……あるかもしれない、けど。ほら……あの、繰り返すクリスマスは、あれはあれですごく幸せで……ずっとあの中にいることもできたわけでしょ。でも、俺と康太は……そうじゃなくて、苦しいことや大変なことがあっても、それを二人で分け合って、乗り越えて、俺達で決めて生きていく『未来』がいいって……思った、と思ってるんだけど……合ってる?」
「……もちろんだ」
俺は頷いた。何不自由ない幸せな世界はもちろんいいが……それ以上に、俺と瞬は、大変なことを乗り越えて手に入れる、それを分かち合う喜びを知っている。【ゲーム】とか、就職とか、受験とか……そういうのを通して、な。
「まあ、あいつらの思い通りに、餌とかいうのになってるのも癪だしな」
「ふふ、それも康太らしいね。まあ、とにかく……」
ふいに、瞬は俺の額に自分の額をくっつけると、にっと笑ってこう言った。
「そういう俺達の気持ちが、なんかこう……すっごいパワーになって、ループを壊したんだよ。きっと」
「……適当すぎだろ」
俺が言うと、瞬は「いいんだよ」と笑った。
「康太とこんな風にいられるなら、何でも」
「……そうだな」
俺達は笑い合った。そうしていると、すごく幸福な気持ちで胸がいっぱいになって……気が付くと、俺達は互いに唇を寄せて──。
──ブー……。
「っ、あ!メッセージだ」
「お、おう……」
すんでのところで、枕元の瞬のスマホが鳴ってしまう。俺は内心、恨めしく思いながらも、瞬がスマホを操作するのを眺める。
俺は何気なく訊いた。
「……誰だった?」
「あ……え、えっと……」
だが、瞬の様子がおかしい。何かマズいことでも書いてあったのか?そう思ってさらに訊こうとすると……。
「……か、母さんから、メッセージで」
「ああ、志緒利さんか。そういや今日、淳一さんと帰って来るんだったな。迎え行くよな。何時に着くって?」
「つ、着いたって」
「え?えっと……何時に?」
「さっき」
「……えっと?」
俺は嫌な予感がして、だらだらと汗を掻いた。今日は瞬の両親が海外から帰って来る日で、俺達は空港に二人を迎えに行くことになっていて、それがついさっき、空港に二人は到着していて、俺達はまだ家のベッドでパンイチで寝てて……えっと?
すると、同じように汗を掻いている瞬が、スマホの画面を俺に見せてくる。そこには──。
『瞬、私達ついさっき日本に着きました』
『でもロビーに見当たらないから、どうしたのかしらって思ったんだけど』
『もしかして、そういうことかしらね♡昨日はクリスマスだったもの♪』
『それならお迎えは大丈夫です♪康太くんとゆっくりしてね』
『父さんには私から言っておきます』
「──今すぐ二人を迎えに行くぞ、瞬」
「そうだね!」
──大変なことになる前に。
俺達はイチャイチャムードもそこそこに、ベッドを飛び出したのだった──。
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