10月30日(月) ②


『あー……忙し、忙し……高校生のペース、本当やばいねー……用意追いつかないってー』


『皆、春和の子達でしょ?昨日文化祭で、その打ち上げだって。平日だからまだいいけど、捌ききれないよねー……あ、ちょっと、そこの新入り』


『あ、はい……!』


『三卓にドリンク持って行ってくれる?コーラとウーロン茶と……あと、オレンジね』


『え、あ……オレンジはさっき持って行ったと思いますけど……追加ですか?』


『え?えー……いや?まだ持ってってないけど……それに、さっきのはカシオレでしょ?』


『へ?あ……そ、そうでしたっけ……』


『黒いマドラー付いてたでしょ?二卓に持ってって言ったやつ……もしかして、間違えた?』


『えっと……あ、いえ』


『ちょっと、三卓は春和の打ち上げだから、カシオレはないじゃん!間違えてたんならすぐ下げてきて』


『あ……その……』


『待って、待って。春和の子だってさすがに頼んでないカシオレ来たら断るっしょ。他に頼んでたテーブルに持ってたのとごっちゃになってるだけじゃない?』


『いやでも……あー……それもそうか……?』


『ね?そうじゃない?』


『は……は、はい……そう、みたいです……』


『なんだ。びっくりしたー……じゃ、とりあえずこっちのドリンク持ってってね』


『はい……』





「俺と……、俺と瞬は……付き合ってるんだ……!」


賑やかで騒がしかった打ち上げの雰囲気が一変。あたりがしん……と静かになる。


「こ、康太……?」


──いきなり、どうしたんだろう……?


見たことがないくらい真っ赤になった康太の横顔を見つめる。

康太は恥ずかしくなると、耳や頬が少し赤くなることはあるけど、ここまで真っ赤になってるのは初めて見る。


それほど、俺との関係を皆に打ち明けることが恥ずかしかったのか……と思いかけて、でも、微かな違和感に引っかかる。


──本当に、それが理由……?


横からだけど、康太の目は、なんだかとろんとしてるような気がするし、呼吸も少し荒い。それに、康太はさっき──。


『……っていうか、今更、俺達の関係を隠すつもりも、ねえしな』


『……周りが受け入れるとか受け入れねえとか、そんなのどうでもいいだろ。俺達は、俺達のままだからな』


──そんな風に言ってくれたんだ。


打ち明けるのは勇気がいることだけど、でもきっと、康太は言うと決めたら、こんな風に恥ずかしそうにはしない。


──ってことは、原因は……。


俺は康太の様子を見て、うっすらと考えていた「可能性」に目を向ける。


それは──康太の手に握られた、半分まで減った「オレンジジュース」のジョッキ。


──でも、あれ……黒いマドラーが付いてる……色もなんだか少し違うし……これ、きっと……!


「大人のオレンジジュース」だ!


俺達はこんなの頼まないし、たぶん間違えて運ばれてきてしまったんだろう。


そもそも、オレンジジュースは康太の好みじゃない。


ということは、誰かが頼んでその辺に置いておいたものを、パニックになった康太が、一旦、落ち着こうと口にしてしまったに違いない。


そして、それがたまたま間違えて運ばれてきていた「大人のオレンジジュース」だった……つまり。


「俺は……この……瞬とぉ……付き合って……ぇっ、付き合ってるんだぞ……!」


──酔っ払ってる……!


ろれつの回ってない口調で、頭をふらふらさせながら繰り返す康太は、完全に酔っ払っていた。


そんな康太に、静かだった周りも徐々にざわざわし始める。


『……い、今のマジで?』


『やっぱ、付き合ってるの?あの二人?』


『いやでも、瀬良、なんか変じゃない……?』


『雰囲気酔い?ノリで言ってるだけ……?』


『でもさぁ……』


「おい、瀬良……大丈夫か?お前なんか……」


そこで、康太の様子がおかしいことに気が付いてくれた西山が、隣のテーブルから近づいてくる。すると、そんな西山を、康太はへなへなと手で払って言った。


「うっ……来るな……にせものが……!俺の瞬は……こんなにむさ苦しくない……!もっと、可愛い……!」


「悪かったな。むさ苦しくて、可愛くなくて」


西山が呆れた顔でため息を吐く。やれやれとテーブルに戻って行く西山に「ごめんね」と謝ってから、俺は、壁にもたれてしまった康太の肩を叩く。


「康太、大丈夫?とりあえず、そのジョッキはもう、置いて……」


「あー……?」


大分、回ってきてしまったのか、康太はさっきよりももっと溶けた目で俺を見つめる。たぶん、俺に言われたことも分かってないだろうな……。


それならと、俺は、康太がまだ握っているジョッキを剥がそうと手を伸ばす。


「はい。これはもう終わりにしようねー……」


「んー……」


だけど、おもちゃを離したがらない子どもみたいに、康太はなかなかジョッキを渡してくれない。


もう、しょうがないんだから……俺はちょっと強引に康太の手からジョッキを奪い、それをテーブルの、康太が手を伸ばせない場所に置いた──その時。


「……瞬」


「わ、康太……?」


壁にもたれていたはずの康太は、いつの間にか身体を起こして……俺に抱きついていた。

後ろから俺の腰に腕を回してきた康太は、人目も憚らず、俺の背中に顔を埋めて、頬ずりする。


「あー……しゅんー……ジュースがだめならしゅんにするー……」


「こ、康太……ちょっと……」


振りほどきたいけど、がっちりホールドされちゃってるから、身動きが取れない。康太にされるがままになりつつも、じたばたしていると、自然と皆の視線が俺達に集まって──。


『わー……瀬良くん、完全に酔ってるね』


『うわ……瀬良って実はアレがデフォルトなのか?』


『てか、立花くんも満更でもなさそうだよねー』


『やっぱりそうなんだー……』


「あー、もう……」


──こうなったら、もう……しょうがないか。


俺はじたばたするのを止めて、嘆息する。康太の発言だけだったら「雰囲気酔い」で済んだかもしれないけど、こんなところを見られちゃったら、もう否定しても無意味だろう。隠すつもりはなかったけど……急な展開になっちゃったな。


相変わらず、コアラみたいに俺にぎゅっとしがみついている康太に、やれやれと肩を竦める。

すると、それを見ていた湯川さんが「ねえ」と俺に話しかけてきた。


「立花、もう、水臭いじゃん。上手くいったんだったら教えてよ!」


「ごめんね、湯川さん。相談に乗ってもらったこともあるのに……落ち着いたら、言おうかなって思ってたんだけど……」


「本当。でもいいよ!立花が幸せそうなら」


湯川さんが、にっと笑ってそう言うと、横から坂本さんが口を挟んでくる。


「佳奈も頑張んないとねー?」


「志保、うるさい」


「小学校から一緒で、しかも今年は実行委員まで一緒にやったのに、進展ないとかさあ……いい加減にしなよ。木澤も、佳奈も」


「もうマジでうるさい、いいの!てかバラすなし」


「ねえ、立花。それよりさあ……」


坂本さんと湯川さんの楽しそうなお話を聞いていると、その間に久保さんが俺に近づいてくる。「何?」と首を傾げると、久保さんはニヤニヤしつつ、声を潜めて俺にこう訊いてきた。


「……瀬良と、どこまで進んでんの?」


「えっ」


「こら、久保。いきなり下世話すぎ」


どきっとして反応に困っていると、見かねた小池さんが久保さんの頭を叩く。だけど久保さんは「だってー」と頭を押さえつつ言った。


「実際、気になるじゃん?まあ、立花も瀬良も堅そうだし、もしかしたらまだ、そういうのないかもだけど……」


「そ、そういうのって……」


言われて、つい、康太とこの数ヶ月「してきた」ことが浮かんでしまう。手を繋いだり、ぎゅっとしたり、腕枕してもらったり、膝枕したり、一緒に寝たり……あとは、キスもしたり……。


「あーでも、意外と大胆だったりして?もしかして、もう……」


──ゆ、指を舐めるのは結構、進んじゃってる方なのかなあ……?


さっきの康太じゃないけど、俺もパニックになって、なんだか頭がぐるぐるしてきた。

するとそこで、小池さんが久保さんを咎める。


「ほら、立花くん困ってるじゃん。それに、そんなこと人に言う必要ないでしょ」


「えー?でも友梨だって、昔は率先して掘ってたじゃん!あー、そっか。ぴっぴができるとこうも変わるんですねえ?」


「……いい加減にしろっての。立花くん、言わなくていいからね?そういうのは、公言することじゃ──」


「……毎日してる」


「「「えっ」」」


ふいに挟まれた康太の発言に、俺と久保さんと小池さんの声が重なる。


俺は慌てて康太を振り返った。


「こ、康太?何言ってるの?!」


「俺達が……何までしたかってことだろ……だから、俺は、瞬と……毎日、してるって……」


「し、してるって……そんなの……っ」


──誤解(とはあながち言い切れないけど)されちゃうよ!


……と俺が言うよりも早く、久保さんが目を輝かせて、康太にロックオンする。


「何っ?何してるの?毎日」


「そんなの……キスだろ」


「「へっ……?!」」


久保さんと小池さんが、半分悲鳴に近い声を上げる。俺はもう……声も出なかった。


──いくら何でも酔っ払いすぎだよ!


俺は声にならない叫びを堪えて、俺に抱きついている康太をぽこぽこ叩く。


もう、こんなことまで言っちゃってどうしよう……!

そう思っていると、小池さんがフォローするように言ってくれた。


「い、今のはさすがに盛りすぎなんじゃない?ほら、瀬良くんなんか、今日様子おかしいし……」


うんうんと、小池さんの言葉を大袈裟なくらい頷いて肯定する。だけど、それに対しても、久保さんは「えー?」と言って、引き下がらない。


「瀬良ってそういう冗談言ったりするかな?てか、結構ガチトーンじゃなかった?」


「いや!康太はその……結構、ひょうきんなところがあるよ?だ、だから、今のも……」


「しゅーん……きょうはぁ……まだ……してなかったよなあ……」


――こいつ……!


俺は声を荒げそうになるのを、すんでのところで耐えて……代わりに頭を強めに叩いた。

康太が「いてえ~……」と頭を押さえた隙に、俺は康太の腕の間から抜ける。だけど、康太は全く懲りなくて、今度は俺の肩に頭を載せると、ふにゃふにゃの声で「しゅーん」と俺を呼んだ。


「もうここでしよう……いいよな……?減るもんじゃないし……」


「い、いいわけないでしょ!こんなところで……っ!」


「もう、いっかいみられてるだろ~……べつに、あとなんかいみられたってもう……」


「ダメだよ……!」


康太が唇を尖らせて、顔を寄せてくる。俺はそれを必死に手のひらで押し返すけど……酔っ払いのくせに、康太はしぶとい。

もう、正気に返ったら、覚えてろよ……!


「え?何?キス?キスするの?」


「く、久保さん……?!」


そんな俺と康太の押し問答を聞きつけた久保さんが、目をキラキラさせて横入りしてくる。ああ、もう収拾がつかないよ……助けを求めようと、隣の小池さんを見遣ると──。


「あー……立花くん。もうこうなったら……するしかないんじゃない?キス」


「えっ、こ、小池さんまで……?」


とてもそんなことを言いそうになかったのに、いきなりキスを促されて俺は戸惑う。だけど、小池さんはにっこり笑って「うん」と頷いた。


……嘘でしょ?


久保さんの雰囲気に中てられちゃったのだろうか……とにかく、この状況、他の誰かにでも止めてもらわないと。


俺はあたりを見回して、湯川さんに声をかける。


「ねえ、湯川さん……こんなところでキスなんて……」


「いいじゃん!立花。将来、瀬良と結婚したら、結婚式で皆の前で誓いのキスしなきゃいけないんだよ?予行練習だと思ってやりなよ!」


「な、何言って……」


「そうそう。あ、式には私達も呼んでね?ブーケトス、佳奈にあげてよ」


「志保、余計なお世話だからー」


「……」


──だ、ダメだ……湯川さんに、坂本さんまで……!


この妙な雰囲気に飲まれてしまっている。というか、このテーブルにいる女の子達、なんだか皆、俺達をそんな風に見てるような……?


それならと、隣のテーブルに西山の姿を探したけど、お手洗いにでも行ってしまったのか、姿がない。森谷は今日、用事があるって、打ち上げに参加してないし……康太は相変わらず、俺にしがみついてへろへろだ。


──ど、どうしよう……!


すると突然、立ち上がった久保さんが大きな声で言った。


「はい、ちゅうもーく!皆!立花と瀬良がこれからキスするって!」


「え、ちょっと──久保さ……っ」


いきなりなんてことを……!と思っている間に、久保さんの号令を聞いた他のテーブルにまで、妙な空気が広がっていく。


『マジで?』


『ひゅーひゅー!』


『キスだキスだ!』


『いいぞー!』


『キス!キス!』


──う、嘘……!?


皆、久保さんと同じように目を輝かせて、「キス!キス!」と大合唱をしている。異様な光景に、恐怖すら感じた。


おかしい。こんなの……いくら、打ち上げでいつもよりも、気分が高揚してるからって、さすがに異常だ。


──「異常」ってことは……。


俺は、いつもあまり頼りにならない……だけど、この手の「異常」なことにおいてなら、頼れるかもしれない存在を思い浮かべる。

……けどダメだ。最近はめっきり姿を見ないしな。今だって、すぐそこにいるとは限らない。いつもふらふらしてるし。


『キス!キス!キス!』


『キス!キス!キス!』


『キス!キス!キス!』


「なあー……しゅんー……キス……しようぜ……」


「ああ……もう」


気がおかしくなりそうな大合唱に、すぐそばで、大人の匂いをさせながら、俺に囁く康太。

俺の頭はとっくに処理の限界を超えている……ああ、もうするしかないのかな……。


──こんな風に……したくないのに……。


万事休す。


ぼんやりとする頭で、康太の顔を見る。


すると、康太は、俺がその気になったんだと思ったのか、ゆっくりと顔を寄せてきた。


俺はもう、全てを諦め、目を閉じて──。



「──お、おい!お前ら、何やってんだよ……!」



「──っ!」


突然降ってきた声に目を開ける。声の方を見ると、そこには……。


「た、田幡……?」


田幡が立っていた。


──普通の目……してる……。


いつの間にかお手洗いか何かで抜けていて、今、帰ってきたんだろうか?田幡は明らかに皆とは違う……ごく普通の雰囲気を纏っていた。


異様な空気に田幡は戸惑いつつも、皆に呼びかける。


「お前ら、いくらなんでも浮かれすぎだろ……き、キスとか……そんなの、こんなとこでするわけねえだろ!何言ってんだよ?」


「……」


田幡の至極真っ当な発言に、あたりが静まり返る。

やがて、この空間に充満していた妙な空気が霧散していくような気がして……。


『……田幡の言う通りだよな』


『あれ……私、何言ってたんだろ?』


『こんなところでキスなんて……おかしいよね?』


『クラスメイトのそういうのって正直キツいよな……』


──皆……正気に戻ってる……?


あちこちで『何言ってたんだろう?』と皆が頭を抱えている。隣を見れば、久保さんも「あれ?」と首を傾げていたし、小池さんは「変なこと言ってごめんね」と俺に頭を下げてきた。湯川さんと坂本さんは顔を見合わせて不思議そうな顔をしている。


──な、なんとか……収まった?


さっきまでの熱はどこへやら。もう皆、キスどころか……俺と康太の関係の話さえ忘れたように、あたりは元の賑やかさを取り戻していく。


「んー……しゅんー……?ってぇ!」


──まだ酔っ払っている康太を除いて。


俺に叩かれた頭を抱えて蹲る康太を置いて、俺は、自分の席に戻ろうとする田幡に声を掛けた。


「……田幡」


「……なんだよ」


「ありがとう。それから……ごめんね」


「……別に」


そっけなくそう言うと、田幡は俺から視線を逸らして、さっさと席に戻って行ってしまった。


──さっきの本当……何だったんだろう。


俺はひとまず、ほっと胸を撫で下ろしつつも、あの「異常」な雰囲気について考えようとする……けど、今はそれよりも。


「なあしゅんー……はやくかえろーぜー……きょうはぁ……しゅんのいえ……とめてくれよ……」


「……言われなくても、そうするよ」


こんな状態の康太を、実春さんに引き渡すわけにはいかない。


……目下、俺が考えないといけないのは、この酔っ払い幼馴染をどうやって家まで連れて帰るか……みたいだった。

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