6月2日

【条件】


1.毎日0:00〜23:59の間に、瀬良康太に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、瀬良康太が「自分に対して言われた」と認識すること。


2.1の条件を与えられたことは決して、瀬良康太に悟られないこと。


3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。





──先も見えないような大雨だった。


「瞬!走るぞっ!もうすぐ家だっ!」


「う、うんっ!」


雨で濡れて冷たくなってしまった瞬の手を取って、マンションへのあと百メートルを全力で駆ける。


家に帰る途中のことだった。


六時間目の始まる頃から勢いの増した雨風も、放課後には、いくらかマシになったかと思い、瞬と二人、学校を出たんだが……その途中、蛇口がバカになったみたいな、とてつもない豪雨に俺達は見舞われた。


真正面から吹き付ける風で、傘は役に立たず、俺達はもう全身びしょ濡れだった。


それなら、と傘を閉じて、思い切ってマンションまで走り──なんとか、エントランスに辿り着くと、俺達はその場でへたり込んだ。


「はあ……すげえ雨だな……」


「そう、だね……もうびっしょびしょだよ……」


瞬がリュックから取り出したタオルで俺の頭を拭いてくれたが……シャツは肌に張り付く程濡れてるし、あまり意味はない。


俺は立ち上がり、瞬に手を差し出しながら言った。


「家帰って、シャワーでも浴びようぜ。その方がいいだろ」


「うん……そうしよっか」


瞬が俺の手を取って立ち上がる。それから、俺の頭を拭いたタオルを、リュックの中に仕舞おうとして……瞬は固まった。


「どうした?」


「……置いてきちゃったかも」


「……何を?」


「家の鍵……学校に」


瞬の顔が青ざめているのは、雨で冷えたからじゃないだろう。訊けば、教室の机の中に、細々としたものが入ってるポーチと一緒に置いてきちまったらしい。こんなことは、しっかり者の瞬にしては珍しいことで……だから、これは俺に原因がある。


「……悪い。俺が早く出た方がいいって急かしたから」


「え?違うよ。俺がうっかりしてただけ……大丈夫。取りにいけばいいから……」


「待て待て」


えげつない雨の中、再び外へ出ようとする瞬の手を掴んで引き留める。


「こんな時に行くことないだろ、うちにいろよ。母さんが帰ってきたら、学校まで乗せて行ってもらうように頼んでもいいし、それか、そのままうちに泊って……武川にでも電話しとけば、鍵は明日でも大丈夫だろ」


「で、でも……」


いいの?とでも言いそうな顔の瞬に、俺は頷いて言った。


「もう決まりな。むしろこうしないと、後で母さんにバレた時、俺がぶん殴られる」


「いくぞ」と瞬の手を強引に引いて、階段を上がる。瞬は囁くような声で俺に「ありがとう」と言って笑った。





「さすがに、今日は中止だよな……」


居間の椅子に腰掛けて本を読んでいると、スマホが鳴る。


クラスのグループチャットに入った木澤から連絡によると、今日の「体育祭の打ち上げ」は中止になった。

この悪天候の中、わざわざ集まるのは厳しいしな。それに、うちの学校は、ほとんど地元の奴ばかりが通ってるんだが、中には電車で通ってるクラスメイトも数人いる。電車も止まったりしてるって聞くし、そいつらのためにも中止はやむなしだろう。


──後で、瞬にも伝えないと……。


「ごめん、先に使わせてもらって……」


「おう」


その時、ちょうど、スウェットに着替えた瞬が居間に入って来た。


タオルで髪を拭く瞬は、温かいシャワーを浴びたばかりなので、なんだかほこほこしていた。袖が少し余っているスウェットは、俺のものを貸してやった。濡れた制服は俺のも一緒に、洗濯機にぶち込んだからな。


「これ、貸してくれてありがとう。洗って今度返すね」


「いつでもいい、そんなの……あ、そうだ。打ち上げ中止だって、グループに入ってた」


「そっか……そうだよね」


「まあ、ゆっくりしてけよ。俺も風呂入る」


「うん、本当にありがとう」


瞬に手を挙げて、俺は浴室に向かう。


……この時、「とんでもないもの」を居間に置いてきてしまったのだと気付いたのは、もっとずっと後のことだった。





「ふぃー……」


温かいシャワーを浴びて、一息つく。それから、雨で濡れて気持ち悪かったのを洗い流そうと、ボディーソープのボトルに手を伸ばした時だった。


──コン、コン。


「ん?」


浴室の戸がノックされる。見ると、戸の向こうに人影がぼんやりあった。もしかしなくても瞬だ。

俺はシャワーを一旦止め、戸の向こうの瞬に呼び掛ける。


「何だー?」


「康太!あの……」


戸の向こうで瞬が躊躇うような素振りを見せる。何だ?居間にパンツでも置いてきちまったか?


「何だよー」


もう一度聞くと、浴室のドアがほんの数センチ、がちゃ、と開く。


隙間から、視線は逸らし気味に顔を覗かせた瞬は、俺に言った。



「お、お背中、流しましょうか……?」



「い、いえ……結構です……」


「えっ!?」


俺の返事に瞬が意外そうな声を出す。いや、待てよ。


「おかしいだろ……それは、さすがに」


「俺だってそう思うよ!」


「じゃあ何で言ったんだよ!」


「だ、だって……!いや、ううん……何でもない……」


そう言うと、瞬はがちゃ、と戸を閉めてしまった。

だけど、ほんの一瞬、最後に見えた瞬の顔が、寂しそうに見えて……。


「瞬っ!」


「え──っ!?」


気が付くと、俺は戸を開けて、瞬を引き留めていた。振り返った瞬が、俺を見て目を丸くしている。まさか、ここで俺が出てくるとは思わなかったからだろう。


「こ……っ!!」


驚きのあまり、瞬は声も出ないようだった。俺はそんな瞬に「ごめん」と言ってから、床が濡れるのも構わず、一歩近づく。


「瞬の気持ち……よく考えもしないで、断って悪かった。瞬は、俺のことを想って……やってくれようとしたんだよな。でも、俺はその、こういうのはちょっと、追いつかないっていうか、まだどうしていいか分からねえから……」


「……」


瞬は少し、ショックを受けてすらいるようだった。俺は瞬の肩に手を置いて言った。


「答えが出るまで待っててくれるか?」


「……康太」


ここでようやく、瞬が口を開く。何を言われても受け止めようと、頷くと、瞬は言った。


「服を着てから言って」


「え?」


まあ、当たり前のことなんだが、今の俺は全裸だった。フルチンだった。

瞬は、ほこほこを通り越して、蒸気が出てるんじゃないかってくらい、顔を真っ赤にして、浴室を出て行った。



……服を着た後、床に膝をついて謝ると「ああいう風に、真剣に俺のことを考えてくれるところは好きだよ」とありがたいお言葉をいただいた。

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