1月31日
【条件】
1.毎日0:00〜23:59の間に、立花瞬に対して「好き」と一回以上言うこと。伝え方は問わないが、必ず、立花瞬が「自分に対して言われた」と認識すること。
2.1の条件を与えられたことは決して、立花瞬に悟られないこと。
3.1、及び2の条件が実行されなかった瞬間、瀬良康太は即死する。
☆
『……聞いてないですよ』
『そらそうやろな』
『そうやろな、じゃないでしょう。【アレ】の面倒は兄様がきちんと見るって言ったじゃないですか』
『【アレ】呼ばわりはあかんて。身内やん』
『人の形さえまともに取れてないのに?身内だなんて呼べませんよ』
『……まあ、ええけど。ちゃんと監視はしとったで……まさか、短期間であそこまで力戻すとは思わんかったわ』
『何のための監視なんですか、全く。こういうことが起こらないためでしょう?』
『せやけど、書類仕事もたんまりあって、一、二週間も現場離れなあかんかったし、【条件】もあるし、お前が余計な……いや、追加した【条件】もあったやん。あいつのことまで気回らんて』
『全て兄様の計画性のなさ、使いとしての自覚の足りなさが招いたことでしょう。……私がこの件について貸すのは書類に載せる【私の名前】だけです。あとは兄様が全て、丸く収めること。いいですね?』
『……チッ』
『返事は?』
『はいはい……』
『では──この件に関して早速調査が来ています。正午までに回答するようにとのことですから、メールに目を通しておくように』
『はあ……て、何この回答様式……字ぃちっちゃ……タブ何個あんねん。面倒くさ……』
『それが終わったら定例報告もですよ。今日の十五時厳守です』
『はあ……』
☆
「絶対ダメ」
「そこを……何とか……!」
「ダメったらダメ!」
二時間目と三時間目の間の休み。
二年三組前の廊下で、俺は幼馴染に膝をついていた。
「もう。俺のクラスの方が授業の進みが早いからって、小テストの問題教えろなんて……絶対ダメだよ」
以上が、俺が今膝をついている理由だ。
「頼む。その情報のレートは概算で昼食三日分くらいなんだ。金ないし、俺を助けると思って教えろ」
「レート……?よく分かんないけど……康太は問題なんか知らなくても、自分でテストくらいどうにかなるでしょ?」
「無理だ。もう三週間近くも何も聞いてない」
「それ、授業真面目に受けてないだけじゃん。何も食べてないみたいに言ってもダメだよ」
「チッ……」
俺は諦めて身体を起こす。腰に手を当てて俺を睨む瞬は、怖くはないけど、はっきりとした「NO」の意思は感じる。クソ……ダメだったか。
「じゃあ教科書貸してくれ。瞬のクラス今日、化学あったろ」
「じゃあ、じゃないよ。もうダメって言ったでしょ。貸さないよ」
これにも瞬は首を振った。何だよ。
「あれもダメ、これもダメって。いつもは貸してくれるくせに……って」
言いかけて気づく。もしかして。
やっぱり昨日のこと、怒ってんのか?
「瞬」
「何?」
「……ごめん」
「え、何が?」
違うのか?瞬がキョトンとした顔で首を傾げている。
「いやだって……怒ってんのかなって」
「別に……何も怒ってないよ?」
「そうか」
「ただ呆れてるだけ」
「……っ!」
静かに、平坦な口調で言うのがかえって恐い。
俺は何故か、瞬のその言葉が胸に深く刺さった。
「悪かった……本当……でもな、俺だって仕方なく」
「あー……はいはい。分かったから。でも、問題は教えないし、教科書も貸さないから。じゃあね。テスト頑張ってね……康太」
予鈴鳴るよ、と手をひらひら振って、瞬は教室に入って行く。
……瞬は昨日のこと、何も気にしてないってことでいいのか?そうなのか?
それにしたって、いつになく俺に冷たい気がする。
いや、いつもあんなもんか?さすがの瞬だって、毎回毎回は気前良く貸してくれないか。
俺は頭を掻きながら、自分の教室に戻る。
結局、昼飯どころか、小テストの成績自体も散々で、さらに教科書忘れもやらかした俺は、放課後、補習を受けるハメになった。
だが、瞬に対するこの、なんとも言えない「違和感」は、この後さらに増す。
「何だよ、瞬だって忘れ物してんじゃねえか」
昼休みのことだった。かろうじて持っていた二百円でサンドイッチを手にした俺に、教室で待っていた瞬が言ったのだ。「現文の教科書貸して」と。
「う……康太のこと言えないって分かってるけど……でもお願い!補習になったら、スーパーのタイムセールに間に合わないし……」
手を合わせて頭を下げる瞬に、俺はニヤニヤしながら言った。
「ほーん……どうしようかなあ……瞬。さっきは俺のことボロクソ言ったもんなあ」
「う……」
瞬が気まずそうに視線を逸らす。
いい顔してんなあ。さて、どんな条件で貸し付けてやろうか。
「立花気にすんな、俺の貸してやるから」
が、すかさず、西山が瞬に教科書を渡す。おい。
「西山ありがとうー、本当助かる。持つべきものは優しい友達だね」
「いいってことよ。立花にはいつも色々世話になってるしな」
「そんな……俺は何もしてないよ」
花が咲いたような笑顔で西山と話す瞬。嘘だろ。俺に今日、一度でもそんな顔見せたかよ。
「どっかの幼馴染とは違って西山は優しいなあ。頼りになるよ」
「おい立花、あんまり言うな。後で瀬良にシバかれる」
「別に何ともねえよ」
机に頬杖をついて、これ見よがしにため息を吐く。だけど、瞬はそれを気にもしなかった。……何だよ。
やっぱり怒ってんのか?
でも、さっきの反応はそんな感じじゃない。瞬はキレてたら、分かりやすいくらいキレてるもんな。
険悪って程じゃないけど、どこか乾いている俺と瞬の様子に西山も気づいたのか、俺達の間で視線を行ったり来たりさせている。
「何かあったか?」
小声でそう訊いてきたが、俺は「さあ」と答えるしかなかった。
だって実際、何があったのか分かんねえし……。
そもそも、今の状態の何が悪いってわけでもない。
別に、朝は普通に一緒に学校まで来たし、会話だっていつもと変わらない。昼だって一緒に食ってるし、帰りもタイミングが合えば一緒になるだろう。……今日は補習だけど。
何もかもが普通なのだ。ただの幼馴染。
それ以上でも以下でもない、気安く、何不自由ない関係。
でも、確実に何かが──。
その先を埋めるかもしれないことが分かったのは、放課後のことだった。
「え?康太、今日補習なんだ」
「ああ……誰かさんが教科書貸してくれなかったからな」
「因果応報」
そう言って瞬がにこ、と笑う。ああ、恐い恐い。
いつからこんな奴になったんだか。
「とにかく、いつもみてえに火曜市手伝えねえわ。悪い」
「いいよ。別に一人で持てなくないし。康太がいなくても大丈夫」
その言い草に、胸がちりっと苛つく。何だよ……いつも「助かるよー」とか言って、へにゃへにゃ笑ってたくせに。
俺はつい、ムキになって瞬に言った。
「荷物が重くてぴーぴー泣くなよ。小学生の時みたいに」
「泣きませんー……てか、あれは康太がじゃんけんでズルしまくって、ずっとランドセル持たせてきたのが悪いし」
ふん、とわざとらしく瞬がそっぽを向いた。
それから「じゃ、また明日ね」と行こうとしたので、俺は咄嗟に「待てよ」と呼び止めた。
……まあ、とりあえず、アレのことで怒ってるわけじゃないみたいだし。
「瞬」
「ん?」
俺は一呼吸置いてから言った。
「じゃあな……好きだぞ」
「え?」
その時、振り返った瞬の目が──空洞でも覗いてるみたいに、空虚で、俺はぞくりとした。
──何だよ、これ。
いや、と首を振って、俺は瞬に言った。
「その……好きって」
「何て?」
「好きだって」
「え、何?」
「だから──好きだって!」
「何が?」
半ば叫ぶように言った俺に、瞬の態度は一ミリも崩れない。むしろ、瞬の目の奥の虚さに、俺の方が気圧されてしまいそうだ。
振り絞るように、俺はもう一度言った。
「……瞬が、好きだって」
「ああ……」
瞬が頷く。それから言った。
「なんだ。そんなことか……何かと思ったよ」
興味を失くしたように、瞬は俺に背を向け、「じゃあね、補習頑張ってねー」と手を振って去って行った。
俺は小さくなっていく瞬の背中を、しばらく見つめていた。
──何だよ、何だあれ……。
昨日と同じだ。
瞬はぼんやりした奴だけど、人の話をあんなに何度も聞き返したりはしない。
それに、いくら何でも反応が薄すぎる。
確かに、この一ヶ月、毎日毎日……状況は色々だったけど、まあ、好きでもない、ただの幼馴染から「好き」って言われ続けてたのだ。
あんな反応になるのも頷ける。
でも、ほんの一昨日まで「キツい」って思ってた奴が、急にあそこまで感情を殺せるのだろうか?
何かが、起きてるのか?
それともこれは──俺が罪悪感から逃れたいだけの、気のせいなのか。
──案外、そうかもしれねえ……。
「それがなあ……起きてんねん……何か」
その声に振り向くと──例の黒縁メガネをかけたクソ矢がいた。
「何だよ、お前──しばらくツラ見せなかったじゃねえか」
まあ、別に見たかったわけじゃないけど。
俺が詰め寄ると、クソ矢はそれを手でしっし、と払いながら、答えた。
「色々あったんやって……まあ、今はええか。それより、お前の『気のせい』な、気のせいやないねん」
「どういうことだよ」
クソ矢の言うことに眉を寄せると、奴が、はあ、と息を吐く。
「お前の大事な瞬ちゃんな……あれ、なんかいつもと違うなあって思うやろ」
「まあ……確かに」
「あれな……細かいことは省くけど。さっくり言うと──特定の感情を抜かれてんねん」
「感情を、抜かれてる……?」
「せや。どこかの誰かさんがなあ、瞬ちゃんから感情を一個、引っこ抜いてもうて。だから、時々、それが動くべきところで、それがないから、ぼんやりしちゃうねん」
「全然、意味分かんねえよ……」
俺がそう言うと、クソ矢は後頭部を「あーもう」とバリバリかきむしって、それから半ば怒鳴るように言った。
「要するにな、今の瞬ちゃんは普通だと考えられないくらい『鈍い』ねん!感情盗られとるから!お前はそんなありえないくらい『鈍い』野郎に毎日、自分が言った『好き』を気づかせないとあかんっちゅうこっちゃ。分かったか?」
『……え?』
『好きって……何が?』
『あー……そうなんだ。康太は俺が好きなんだ』
『なんで?俺だって康太、好きだよ。唐揚げみたいに』
「……分かりたくねえ」
「お前まで鈍くなんなくてええねん」
ひどく疲れた顔でクソ矢がそう吐いた。
だが、ようやく分かった。
そうか──昨日も今日も、俺の勘違いなんかじゃなかったのか。
瞬は「好き」という言葉に対して今、異常なほど鈍くなっている。
それはつまり──今の瞬を前に、毎日「条件」をクリアするのは並大抵じゃないってことだ。
ちょっとやそっとじゃ、瞬は俺の「好き」に気づかない。気がつかれなければ俺は死ぬ。
俺はため息を吐いた。クソ矢も肩をすくめた。……こうなって都合が悪いのはお互い様らしいな。
兎にも角にも。
俺は──鈍感幼馴染に毎日「好き」って言わなきゃ死ぬ。やるしかないらしいな。
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