第十五話 鬼ごっこ
イェスパーさんは特訓開始を告げると、立ち上がり屈伸を始めた。準備運動は世界共通なようだ。
「さて、ジェット君。戦いにおける最優先事項は、なんだと思う?」
言い終わると、今度は首を回し始めた。
「生き残ること、ですかね」
母さんがそう教えてくれた。彼は首回しを途中で止め、ニヤリと笑った。
「良い答えだねぇ。じゃあその為に必要な能力は?」
今度は伸脚を始めた彼をぼんやりと眺めながら、俺は母さんとの稽古を思い出していた。
あの時、俺の攻撃は全て避けるか受け止められた。そうか、当たらなければ当然死ぬことは無い、これが答えだ。
「相手の攻撃が当たらないような能力」
「ん~、まぁ悪くは無いね」
片足立ちになり膝を抱え込んだ彼は、先ほどと変わらない表情のまま言った。俺の答えはちょっと違ったようだ。
「こういう問答に明確な答えは無い。だけれどね、僕は判断力が生死を分かつのだと思うんだ」
「と言うと?」
今度は優し気な表情を浮かべ、抱える足を入れ替えながら言葉を続ける。
「相手の攻撃が見切れない場合もあるし、逃げるより攻撃してしまった方が良いこともある。そもそも勝ち目がない相手には話術で見逃してもらったり、後は仲間と連携を取らなければいけないこともあるよね」
「なるほど・・・」
イェスパーさんの答えの方がより本質的な感じがするな。避けきれるのはあくまでも認識できた攻撃だけ、例えば毒を盛られたりしたら通用しない。
「何を選ぶか・・・ここを失敗したらそもそも詰み、なんてこともあり得る」
そう言うと彼は準備体操を止めた。すると、腕を組んでただ立っているだけな筈の彼から、以前味わったようで少し違う威圧感がにじみ出て来た。
「判断力を鍛えるには実戦が一番なんだけど、それで死なれては元も子もないよね」
彼の威圧感は、緊張感を与えてくる爺や母さんのそれと違う、無理矢理こちらに畏敬の念を抱かせるような感じがする。
「そ、そうですね」
「うん。ところで、体は満足に動くかい?」
両手をグーパーしたり、軽くジャンプしてみる。意外と大丈夫だな、手加減してくれてるみたいだ。
「なんとか」
「良し。じゃあジェット君、鬼ごっこをしようか」
「鬼ごっこ?」
彼はにっこりと笑って頷いた。
「僕の右手が君の頭に触れたら負けだ。罰はそうだなぁ、筋力養成といこうか」
なるほど、ルールは単純、でもってミスったら筋トレね。
「了解です。いつでもいいっすよ」
彼は少し目を丸くした後、興味深そうな表情をした。
「ふんふん、なるほどなるほど。アルバーン、ちょっと牢の外に――」
俺とイェスパーさんが気づかぬ間に牢を出ていた爺は、魔法で作った土の椅子に腰かけ、どうやって持ってきたのか分からない紅茶を楽しんでいた。
「あはは!これは失敬、いらぬ世話だったねぇ。では、始めるよ」
俺は足を前後に開き腰を少し落として、彼の一挙手一投足を見逃さないように集中する。
彼は腕をだらりと下げ、重心を前に移動させた。そして、口元から尖った犬歯を覗かせる。
(クソ!!)
彼は緑色の残像だけを残して、俺の右側に走り込んできた。急いで彼の方を向きながらバックステップで距離を稼ぐ。
「よっと」
軽い掛け声とは裏腹に、石造りの床を踏み抜くような勢いで迫ってくる彼に対して取れる行動は、頭を守ることだけ。
「くッ、うう!?」
頭の上で交差させた両手の一方が、彼の左手に掴まれ無理矢理持ち上げられる。必死の思いで力を籠めるが、どんどん頭から引きはがされる。
「クソ、あっ!!」
片手だけで防げる面積などたかが知れている。後頭部の辺りをタッチされてしまった。
「はい!じゃあ壁に両手をついてね」
「え、あ、はい・・・」
俺の動きについてのアドバイスもなしに、さっそく罰ゲームへ移行したようだ。しかし、壁に手をついて何をしろって言うんだ・・・?
「よし、思いっきり壁を押すんだ」
「え?」
「思い切り押すんだよ、全身の力を使ってね」
「わ、分かりました」
頭が少々混乱しているが、やるしかない。左足を前にして、肘を曲げ壁を動かすつもりで押す。
「ンぐぐぐ」
「僕が許可を出すまで力を抜いちゃあだめだよ」
「あ゛い゛いいい・・・!!!」
くそ、意外にキツイぞこの筋トレ!壁を押すとき呼吸が止まって苦しいし、文字通り全身に乳酸が溜まっていく・・・!
(ちっとぐらい手ぇ抜いても・・・)
俺の頭に邪な思いが浮かんだ瞬間、彼から放たれる圧が増した。
「さあ゛せんしたぁ゛」
「フフフ、気は抜けないよ?実戦に近くする必要があるからね」
壁を押し始めて4、50秒ほど経ったら、威圧感が緩んだ。
「休憩!」
「ぶはぁー!!!」
うう、この人、的確に限界まで俺の体力を削って来やがる。俺は這う這うの体でリュックから水筒を取り出した。
「飲み終わったらまた鬼ごっこだ」
「・・・」
鬼ごっこじゃない、ただの鬼だろ、これじゃぁ・・・。そうだ、水を飲んでるふりをして時間を稼ごう。
「君は賢いねぇ、ご両親はどんな方なんだろうなぁ?」
ぞわり、と鳥肌が立った。急いで水筒のふたを閉め、牢の中央に駆け寄る。
「はぁ、はぁ、ばっちこい!」
「うん、良い心がけだ」
亀の甲より年の劫とはよく言ったものだ。こちらの行動をすべて見透かしてくる。
しかし、先ほどの反省もままならないで、どうやって彼から逃げ切ろうか・・・。
「頭を使うんだ、ジェット君。判断力を鍛えていることを、忘れちゃあいけないよ?」
「うす!」
意気揚々と返事をしたはいいものの、いまいち名案が浮かばない。そういえば、イェスパーさんからあふれ出る圧が増している様に感じる。さっきズルしたからかな。
「さぁ、行くよ・・・」
一回目よりも体が動かし辛い。疲労と圧のせいだ。緊迫感が増してきて、なぜだか頭が冴えて来た。
俺はジッと彼を見つめる。緑色で少し爪の尖った足にほんの少し力が入った。様に見えた。
(消えた、いや!)
ダン!と大きな音だけを残して、彼は俺の視界から消えてしまったが、ここで彼を探しても意味がない。俺はさっきまで彼が立っていた方に向かって走り出した。単純な話だ、俺は彼に触られなければいい、つまりは彼の居ない方に行けばいいだけの事!
すると俺の後方から彼の着地音が聞こえた。よし、まずは一回避けたぞ!
「うんうん、次はもう少し、実戦らしく行こうかな・・・」
物騒な呟きに内心ビビりながら、俺は振り向いた。
今度は突っ立っているんじゃなく、左足を前にして腰を落とし、腕を少し上に持ちあげている。中途半端なファイティングポーズといった具合だ。
この牢は、俺とイェスパーさんが鬼ごっこに興じられるほどには広い。彼は7~8m程離れたところに立っている筈だ。しかし、俺の視界はいつの間にか緑色で埋め尽くされていた。
「うわっ!」
横っ飛びにヘッドスライディングしてギリギリ逃れたが、冗談じゃない。あの距離を一足飛びに詰めてきやがった!床に腕が擦れて痛いが、そんなの気にしている状況じゃない。直ぐに仰向けになろうとした。
「良く避けたね、でも捕まえた」
試みだけで終わってしまった。がっちりと頭を掴まれて、首も回らない。
「今度は何の罰ですか・・・?」
彼は俺の脇に手を差し込み、強制的に立たせながら筋トレの内容を言う。
「また壁押しさ」
やっぱりそうですよねぇ・・・
俺はとぼとぼ最寄りの壁まで歩いていく。
「あのー、もっと技術的なことは・・・」
「どんな技術も使い時を誤ればどうしようもない。まずは体力と判断力さ」
母さんの顔が恋しくなって思わず天井を見上げたが、俺の想像の中の彼女がサムズアップしていたので、考えるのを止めた。
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