29 黒マントの男

 アルバートが負傷したが、秘密裏に治療が行われたので貴族の間で知られることはなかった。

 参加していなければあれこれ言われる為、騎士を連れて適当に森の中を散策するらしい。

 シオンと遭遇したときシオンは何か言おうとしたが、アルバートが睨みつけて黙らせていた。


 心配してくれているのにそんな態度とらなくてもいいのに。


 シオンとしては怪我人のアルバートには安静にしてほしいと願っているだろう。


 余程アルバートは自分の怪我をアリアと関連付けられたくないのだな。


 今日はドロシーを連れて薬草摘みに勤しむこととした。

 馬に揺られながらはさぞかし痛いだろうと、痛み止めの効果を持つ薬草がないか探してみる。


「アリーシャ様、ご希望の薬草はこの辺りに生えていないみたいです」

「それじゃ、もう少し向こうの方を行ってみようかな」

「え、ダメですよ。それ以上は害獣の領域です」


 確かに危険という看板が近くにみられる。


「それじゃあ、もう一度同じ場所を探し回ってみましょう」


 見落としていたものが見つかるかもしれない。

 草をかき分けて見回してみるとちらりと布が落ちているのがみえた。

 ハンカチのようでアリーシャははぁとため息をついた。


 今回はこんなところに捨てたのか。


 ヴィクター王太子に渡したハンカチを思い出す。

 回帰前と変わったのは捨てる場所のようだ。

 それでもアリーシャの目に触れない場所で捨てなかっただけましだと褒めてやった方がいいのだろうか。

 アリーシャは布に触れた。


「っ……」


 バチっと電流が走る感覚を覚える。


 ざぁっと小雨の降る光景が広がった。

 先ほどまで良い天気で、雨雲も見られなかったのに。魔法使いの今日の天気予報では晴れだと言っていたのだが。


「一度天幕に戻りましょう」


 声をかけてきたのはドロシーでなく若い男の声だった。振り返ると見覚えのない騎士であった。


「大丈夫よ。このくらいならすぐに止むわ」


 自分の口が勝手に動いた。自分の声でないのに驚いてしまう。


「ですが、顔色が優れません。侍女から最近不眠症で悩まれていると聞いています。お嬢様のお体に障れば御父上が心配されるでしょう」


 誰のことを言っているのだ。

 父というとクロックベル侯爵のことか。彼はアリーシャのことを放置していて心配などしていない。


 違うとすぐにわかった。


「獲物については私にお任せください。テレサ様の為に良い品を得てみせます」

「でも、私じゃないと意味がないのよ。見て。こんな素敵なハンカチをくれたのよ」


 履いていなかったはずの剣の柄からハンカチを取り出す。まるで狩猟祭の参加者のようである。

 広げたハンカチには可愛らしいうさぎと木の実の絵柄が刺繍されている。


 愛しいアリアへ。テレサ。


 そう文字を記してある。


「あの子は寂しいのを我慢して、約束通りハンカチを届けてくれた。だから、ウサギを捕まえてあげたいの」

「わかりました。もう少し見て回りましょう。熊が出没する奥はいけません。東の方であれば天幕からそれほど離れていませんし、小動物がいるかもしれません」


 小雨はすぐに止んでくれた。騎士の案内で東の方へ向かう。ハンカチをポケットの中へしまおうとしてするりと落ちてしまう。それが草むらの中へ落ちて行って見えなくなってしまった。


 アリーシャは落ちたことを伝えたかったが、誰も気づくことなく離れていった。


「きゃあっ!!」


 ドロシーの声でアリーシャは我に戻りあたりを見渡した。小雨が降った後は見当たらなかった。

 アリーシャは立ち上がり、目の前で起きていることに恐怖を覚える。

 黒いマントを着た男たちが3人、アリーシャたちを取り囲んでいた。

 ドロシーはそのうちの一人に捕えられて身動きが取れない状態であった。


「何なの。あんたたち」


 アリーシャに睨まれても男たちは全く動揺しない。


「騒ぐな。この侍女を殺されたくなければいう通りにしろ」


 一人の男がアリーシャの前に小瓶を投げつける。


「その中のものを飲め。そうすれば何もせずに立ち去ってやる」


「ダメです。アリーシャ様、それすっごい嫌な感じがします」


 中を確認しなくてもろくでもないものだとわかる。

 飲めばどうなるか考えるとぞっとした。


「どうして私が飲まなければならないの?」


「大事な侍女を痛めつけられたくなければ言うことを聞け」


 大事な侍女、か。


「別に大事じゃないわよ。ぎゃーぎゃーうるさいし、余計なことばかりするしうんざりよ。殺すならどうぞお好きに? 侍女なんてまた新しいのを用意してもらえばいいもの」


 声が震えていないか不安になる。

 自分の世間での評価を改めて思い出し、それを表現してみせたがうまく行っただろうか。


「噂通り最悪な女だな。こんなのに仕えているなんて同情する」


 怪しむ様子はない。むしろドロシーを哀れんでいるようにも見えた。


 男たちがアリーシャの方へ近づいてきた。

 アリーシャは手に持っていた籠をぶん投げて、それが男の方に命中する。

 何を投げられたのだと怯んだ隙にアリーシャは走り出した。


「じゃあね、ドロシー。せいぜい私の為にこの男の相手をよろしく!!」


 これでドロシーが助かるかわからない。

 だが、あのまま男たちを優位に立たせてもよくない。

 助けはこない。

 だからといって奴らの言う通りにしてもドロシーが助かるかという確証もない。

 せめて、人質として価値がない思わせて、目的の自分に集中してもらおう。

 そう思ったがこれも最低なことだというのは理解していた。

 ドロシーを殺して追いかける可能性だってある。


 ごめん。ドロシー。もし死んだら私を永久に呪っていいから。


 ドロシーの呪いであれば受けてもいいと思った。

 高いヒールの代わりに履いているブーツは普段より走りやすいだろう。

 それでも丈が長くて長く走るのに適していない。


「絶対に逃がすなよ。最悪、殺してもいいっ……ぐぁ」


 アリーシャの後を追いかける男二人に指示を出していたが、足に激痛が走った。ドロシーが自分を掴む男の足を思い切り踏んづけたのだ。


 男の拘束が緩んだ隙にドロシーはするりと抜け出して反対方向へと走った。

 アリーシャの言葉が本意でないことはわかっていた。

 隙を作ってくれたのだから、それに乗じて逃げなければならない。

 長い間の宮仕えで足には自信があった。

 アリーシャとは別方向の天幕の方へ必死に逃げれば、男もドロシーに手を出せないだろう。

 天幕には待機しているアルバートの騎士がいる。彼を呼んで助けなければならない。アルバートにもこのことを伝えなければ。

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