第35話 ロザリーVSグレース王太后①
ロザリーが得意な気分でいられたのは、アレック殿下の婚約者の座に納まったその日、たった一日限りのことだった。
初め、ロザリーは笑いが止まらなかった。楚々とした演技をしようと頭では考えているのに、口元が緩んで仕方がない。――私は勝ったんだわ! あのいけ好かないパトリシアに勝った! 天高く拳を突き上げ、踊り出したい気分だった。
――ざまぁみろ! ざまぁみろ、クソ女! くたばれ!
これからも折に触れ、負け犬のパトリシアに、二人の明暗を見せつけてやる。お前の頭を踏みつけ、勢いをつけて、こちらは高く飛んだのだと、あの女に繰り返し分からせてやるのだ。
そう思っていたのに……
パトリシアにはすでに次の縁談が決まっていて、しかも国を出てしまうのだという。これにロザリーはまず不満を覚えた。
――それも、大国アストリュックの第四王子が相手ですって? ちょっと、生意気すぎない? 負け犬のくせに! ブレデル国よりもずっと大きな国の王族になるっていうの? おかしくないかしら?
けれどアレック殿下から話を聞いたところでは、その第四王子は見た目がとにかく残念らしく(アレック殿下は直接知らないらしいのだけれど、でもそうなのですって)、頭も悪すぎて、もうなんていうか、犬以下なんだとか。――ちょっとお利口な犬なら、『待て』や『お座り』ができたりするものね。第四王子はそれすらもできないくらいなのね。おかわいそうに!
それで少しは持ち直すことができたのだけれど、『次の日から聖泉礼拝のレッスンを始めます』とグレース王太后殿下から一方的に告げられ、また気分は急降下。
冗談じゃないわ! ロザリーは腹が立って仕方なかった。――というのも、聖泉礼拝は朝も早いし、休みもないと言うのだから。
「それならばせめて、アレック殿下には一緒にいて欲しいですわ」
ロザリーはグレース王太后殿下が苦手だった。骨と皮だけの、地獄からやって来た亡者みたいだ。いつも顰めツラで、ロザリーが微笑みかけてあげても、ピクリとも笑わないような変わり者。こんな人間と直接関わるのはごめんだから、アレック殿下にあいだを取り持ってもらいたいとロザリーは考えていた。
ロザリーとしては無理を言っているつもりもなかった。――聖泉礼拝を覚えて欲しいのならば、王家は可能な限り、こちらの要望を聞くべきである。
ところがグレース王太后殿下は、ロザリーの望みをばっさりと切り捨ててしまう。
「いずれアレックにも習得させますが、初めはあなた一人で」
「え? でも……」
「パトリシアはすぐに習得しましたよ。当時十四歳でしたが、初日からほとんど私の手助けを必要とせず、あの子はやってのけた。あなたには無理ですか?」
「私だって、できます!」
「ならば今後口答えは許しません。――できると思っているなら、初めからやりますと簡潔におっしゃい。聞き苦しいわ」
ロザリーは呆気に取られた。あまりにありえない暴言に思えたので、かえって腹も立たなかったくらいだ。ロザリーにとってグレース王太后殿下の言葉は、異国の言語のように理解不能だった。
――翌朝ケイレブ聖泉に赴いたロザリーは、儀式の流れを説明されるも、まるで理解が追いつかない。おまけにだめ出しばかりされる。
『聖書の朗読もまともにできないのですか。それでは五つの子供のほうがマシですよ』
『そもそもあなたは文字が読めるの? Rが正しく発音できていない』
『キンキン声でわめかない。ここをどこだと思っているのです。神域ですよ』
『その飛び跳ねたみっともない前髪はどうにかならないのですか?』
ガミガミうるさい! と喚き散らしたくなった。
そして極めつけは、これ。
「お前は嘘つきで、どうしようもないわね。嘘だけは許されませんよ」
「私、嘘なんて言っていません! いつも正直だわ!」
すると泉のそばで跪くよう強要され、グレース王太后が杖の先で、ロザリーの肩をグイと押した。泉に顔が近づく。すると水面に映った自分の顔と向き合う形となった。波紋が広がっているせいで、所々像が歪んでいる。
泉に映った自分が勝手に喋り始めた。
『クロエ王妃殿下ったら、もう四十近いというのに、いまだに若いつもりでいるのよね! もうおばさんじゃない! アレック殿下のお母様だから気を遣ってあげているけれど、うんざりしちゃう! 何かとこちらに張り合ってきてさ、ウザイったら! 若く見えたところで、おばさんはおばさんなのよ。十八の私に勝てるわけないのに。美容法とか得意気に教えてきて、馬鹿みたーい!』
ロザリーはハッとした。――クロエ王妃殿下とは、昨日、茶会でお会いしたばかりだ。けれどロザリーはもちろんあの時、先のような暴言は吐いていない。当然だ。クロエ王妃殿下と楽しくお喋りして別れた。それなのに……
「ち、違……」
ロザリーはしどろもどろに呟きを漏らした。
「何も違わない。今日、お前は聖泉礼拝をできないよ。呆れた嘘つきだからね」
杖でさらに押され、泉に落ちそうになり、必死で踏みとどまる。ロザリーは腹の底から憎しみが込み上げてきて、自分を抑えることができなかった。首を回してグレース王太后殿下を睨み上げ、杖の先端を素手で掴む。それを引っ張り、威張り散らしているグレース王太后殿下を引き倒してやった。
臥せりがちの生活を長く続けていたグレース王太后殿下は、筋力が衰えていて、踏みとどまることができなかった。憐れな老婆は枯れ木のように芝生の上に倒れ伏してしまう。
すると、
「――ロザリー!」
怒鳴り声が遠くから響いたので、驚いてそちらを振り返ると、血相を変えたアレック殿下がこちらに駆けて来るではないか。どうやら彼は儀式のことが心配で、遠くからこちらの様子を窺っていたらしい。
ロザリーは彼が自分の味方をしてくれるものと、能天気に信じ込んでいた。
ところが――
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