第34話


 受験生たちとの一戦を終えた後、イリナは職員室に戻り他の教師たちへ簡単な報告を済ませた。そしてその後、すぐに迷宮の最深部まで戻ってきた。


 先程の戦いは様子見。

 次の戦いは、きっと本番になるだろう。


 一時間ほど待ち構えていると、通路の奥に複数の人影が見えた。

 特級クラスの候補生たちだ。


(――来たわね)


 鎧を纏ったイリナは、全身から魔力を解放した。

 瞬間、受験生たちが苦しそうな表情を浮かべる。


 魔力には感情を込めることができる。

 殆どの者にとってそれは意味のない現象だが、イリナほどの魔力量の持ち主にもなれば、その魔力を相手に叩き付けることで感情を伝えることができた。


 今、イリナが魔力に込めたのは――敵意。


 己の意志を相手に叩き付けて萎縮させるこの技は、とも呼ばれる。

 イリナの感情をぶつけられて、受験生たちは青褪めた顔をしていた。

 大人げないことをしているかもしれない。だが、この程度で気圧されるようなら特級クラスには必要ない。

 

 もう手加減はしない。

 ここからが本番だ。全力で倒す。

 そんな戦意を魔力に込めて――叩き付ける。


(――っ!?)


 だがその時、イリナのものよりも遥かに巨大で濃密な魔力が、正面からぶつけられた。


 ルーク=ヴェンテーマ。

 まるでお返しとでも言わんばかりに魔力を解放した彼は、不敵な笑みを浮かべてこちらを睨んでいた。


 イリナの魔力はルークの魔力に相殺され、消失する。

 気圧されていた受験生たちが落ち着きを取り戻した。


(やっぱり、彼をどうにかしなきゃ駄目か)


 ルークの魔力をぶつけられたイリナは、全身の肌が粟立っていることを自覚した。

 鎧を着ていて助かった。気圧されかけていたという事実は明るみに出ずに済む。


 まったく……これでは、どちらが挑戦者か分かったものではない。

 イリナは溜息を吐き、それから――剣を抜いた。


 ――《ウィンド・ムーブ》。


 小細工は無用。

 初手で一人目を落とす勢いで、イリナは剣を閃かせた。


 その剣はライオットの腹に迫る。

 だが、


「《アイアン・アイギス》ッ!!」


 レティが鉄の盾を展開し、剣を弾いた。


「陣形をとれ!!」


 ルークがそう告げると、受験生たちが一斉に動き出す。

 前回の戦闘で薄々察していたが、やはり彼らのリーダーはルークのようだ。


 戦闘技能は極めて優秀。おまけに人を率いるカリスマ性まで抜群ときた。

 ただでさえ特級クラスの候補生たちは優秀なのだ。そこにルークという傑物が加わったことで、彼らの強さはイリナですら油断できないものになっている。


「《アース・ウォール》!!」


 イリナを挟むような位置へ移動したリズとライオットが、それぞれ土の壁を顕現する。

 壁は二つの方向からイリナへ迫った。


(挟んで潰す気? ――甘いッ!!)


 どうせ挟み撃ちにするなら、最初から《アース・ニードル》のような攻撃力の高い魔法を使うべきだ。

 イリナは高く跳躍して、二つの壁を回避する。


「エヴァ!!」


「ええ! ――《タービュレンス》ッ!!」


 ルークが合図すると同時に、エヴァが乱気流を生み出した。

 乱気流はイリナではなく、その直下にある土の壁を切り裂く。


(こ、れは……目眩ましかッ!?)


 エヴァの魔法は、まるでミキサーのように土の壁を細切れにした。

 大量の砂塵が巻き上がり、イリナの視界を奪う。


 嫌な予感がしたイリナは、風属性の初級魔法である《ウィンド・シュート》を複数放つ。

 風の弾丸は爆風を生み出して砂塵を散らした。

 視界を取り戻したイリナが、空中で受験生たちの位置を確認すると――。


(陣形が変わっている!?)


 目眩ましの意図は、攻撃ではなく移動を隠すことだった。

 驚愕したイリナを他所に、一箇所に集まった三人の少女が魔力を練り上げる。


「《ウィンド・カッター》ッ!!」


「《アース・ニードル》ッ!!」


「《アイアン・フィスト》ッ!!」


 エヴァ、リズ、レティの三人が攻撃魔法を放つ。

 同じ方向から一斉に魔法を放たれると、流石に全てを捌ききることは難しい。

 イリナは《ウィンド・カッター》を放って迫り来る魔法の相殺を試みるが、幾らか直撃して弾き飛ばされる。


「《アクア・ハンマー》」


 刹那、背後に水の槌が現れた。

 これが狙いか、とイリナは内心で舌打ちした。


 少女たちの魔法でイリナを部屋の端まで吹き飛ばし、そこで待ち構えていたゲンが追撃を行う。

 緻密に計算されたコンビネーションだ。


(上等……そのパワー勝負、付き合ってあげるわよッ!!)


 イリナは魔力を練り上げて大技の準備をする。

 だが水の槌を構えたゲンは、それをイリナではなく――地面にぶつけた。


 激しい地響きが起こり、イリナは体勢を崩す。

 まさか、ゲンの攻撃すら――ブラフ。


(こ、こいつら……!!)


 どんだけ用意周到なんだ――ッ!!

 作戦を立てた人間の底意地の悪さを感じる。焦らず、驕らず、限界まで相手を騙し抜こうとするこの作戦は、きっと相当な心配性が組み立てたに違いない。


 しかし、冷静に考えれば当然かもしれない。

 トドメの一撃は、やはり最大火力を叩き込むに限る。

 その役割は当然――。


「――いくぜ」


 真紅の髪が揺れた。

 その剣に炎を纏わせた少年は、イリナに近づく。


(ッ!!)


 体勢を整える暇はない。

 イリナは少しでもルークの斬撃から身を守るべく、剣を構える。

 刹那――。


「ほいっ」


 気の抜ける声と共に、イリナの剣は宙に弾かれた。

 目を見開くイリナの隣には、いつの間にかトーマの姿があった。その手には土の棘……《アース・ニードル》の棘を剣の代わりに使っているようだ。


 完全に出し抜かれた。

 体勢を崩され、更に剣まで奪われて……。


 ここが、彼らの作戦の終着点。

 用意周到すぎるお膳立てをして、最後はリーダーが一撃で決める。




「――《ブレイズ・エッジ》ッ!!」




 荒れ狂う炎の斬撃が放たれる。

 咄嗟に五重の《ウィンド・ウォール》を展開したが、ルークの斬撃はその壁を容易く破壊した。


「ぐ――っ!?」


 イリナは後方の壁に叩き付けられ、一瞬気を失いそうになる。

 壁に放射状の亀裂が走った。


(かなり……効いたわね……っ)


 とんでもない威力だ。

 もはや嫉妬すら覚えない。純粋に感心してしまう。

 軋む身体に鞭打って、イリナはゆっくり立ち上がった。


「い、今のを、耐えるのか……っ!?」


「大丈夫だ。確実に効いている」


 動揺したライオットを、ルークがすぐに落ち着かせる。

 虚勢を張って少しでも焦ってくれたら儲けものだったが、ルークはそれすら許さない。


 天才。化け物。規格外。

 彼を表現するには、どんな言葉さえも不十分に感じる。


 戦いの最中だというのに、イリナは心の底から感動した。

 これほどの才能と相まみえることができたことに……。


(……だからこそ、どうしても確認しなくちゃいけないことがある)


 イリナはルークから距離を取り、掌を上に向けた。

 膨大な魔力がイリナを中心に渦巻き、強烈な風を生み出す。


 ――《サイクロン》。


 風属性の上級魔法を発動する。

 巨大な嵐が部屋の中で荒れ狂った。


「く、これは……」


「動け、ない……っ!!」


 踏ん張っていないと吹き飛ばされてしまうような暴風が部屋を満たしていた。

 流石のルークと言えど、これには足を止めている。


 しかしいつまでも足止めはできないだろう。

 イリナはすぐに自らの精霊に呼びかけた。


(ルーファ、あの子を狙って)


『ワカッタ』


 闇の精霊ルーファが応えた。


『ハイズルヤミヨ』


「怯える心髄へ潜り込め」


 精霊が唱え、イリナが紡ぐ。

 イリナは闇属性の精霊術を発動した。


「――《マインド・ダイブ》」


 目には見えない闇の魔力が、ルークに伸びた。

 闇がルークの胸に突き刺さると同時に、その心中を暴き出す。


『ン……アレ、テイコウサレテル』


 ルーファが不思議そうな声音で言った。

 どうやらルークは、心を読む能力まで対策できるらしい。


 抵抗するのは、不可解な攻撃への警戒ゆえか。

 それとも――後ろめたい何かがあるのか。


(ルーファ、頑張れる?)


『ダイジョウブ……コノジュツハ、フセゲルモノジャナイ』


 次の瞬間、イリスの頭にルークの深層心理が流れ込んできた。

 この精霊術は、相手の根源的な欲望を読み取る効果がある。今この瞬間の感情を見抜くことはできないが、対象が普段から掲げている目的や理念、或いは覚悟の内容を把握できるのだ。


(正直、そこまで心配はしてないんだけどね……)


 悪人なら一発でそうだと見抜ける能力だが、そもそもルークが悪人とは思えない。

 だから、あくまでこれは念のため……万が一を想定した措置である。


 不躾に心を覗く立場で、こんなこと考えては駄目なのだが……イリナはルークの深層心理に何があるのか、少しだけ楽しみだった。


 果たしてこの傑物の胸中には、どんな願望が宿っているのか。

 強さへの渇望か、或いは慈悲の精神か。

 いずれにせよ高潔なものを持っているに違いない。


(これは……光?)


 最初に感じたのは、光と見紛うほどの気高い意志だった。

 次いで、イリナが予想した通り、強さへの渇望。


 輝くために、強さを欲している。

 それがルークの根源的な欲望だった。


 まだ年若い子供だというのに、邪念の類いは一切感じられない。しかしそれも、この少年ならば当然かと思ってしまう。


 紛れもなく善人だ。それどころか類い稀なる正義の心の持ち主だ。

 これなら問題なさそうね。

 イリナがそう結論を下した瞬間――。


(…………え?)


 ルークの中から流れてきたのは、前後不覚に陥るほどの強烈な不快感だった。

 吐き気、苛立ち、焦燥、重圧、自己嫌悪、絶望……。


 なんだ、これは?

 黒くて冷たい、あまりにも苦しくて惨い世界。

 この少年が、心の底で抱いているものは――――。






 ――――見たな?






「ひっ!?」


 悍ましいナニかを感じ、イリナは反射的に精霊術を止めた。


 なんだ?

 今のは、なんだ……?


 精霊術を中断してしまったせいで、何を読み取ったのかよく覚えていない。

 ただ、感覚が残っていた。


 ルーク=ヴェンテーマは、太陽のように明るくて、気高い精神を持つ。

 イリナはそう思っていた。


 しかしイリナが感じたのは、そんな彼からは考えられないような……ジメジメとしていて、ドロドロとした、およそ人間に耐えられるものではない絶望の渦。

 助けを呼ぶこともできず、泣き叫ぶことすら許されない、悲痛の坩堝――。


「……ッ!!」


 強烈な殺気をぶつけられ、イリナは気圧される。

 見れば、ルークが鬼の形相でこちらを睨んでいた。

 その瞳には、眼光だけで人を殺せそうなほどの強い怒りが宿っている。


 自分が今、彼の何を見てしまったのかは分からない。

 ただ……アレは見てはならなかったのだ。

 彼にとって、絶対に触れられたくないものだったのだ。


『イリナ』


 困惑するイリナへ、相棒が声を掛ける。


(……なに、ルーファ?)


『アレハ、ダメダ』


(え?)


『アレハ、サイコウイノ、セイレイ……シゲキシテハ、イケナイ』


 最高位の精霊……?

 ルークが契約している精霊は、それほど高位の存在なのだろうか。


(ルーファ?)


 返事はない。

 休眠状態に入ったらしい。


 ルーファは、独立精霊の中では下位に分類される。意思疎通は片言だし、使える精霊術も限りがあるし、精霊術を使ったあとはしばらく休眠を必要とする。


 無論、それを補う頼もしさはあるのだが、このタイミングで休眠されるのは困った。

 急に情報が氾濫したせいで、何一つ状況が読めない。


「ルーク!!」


 エヴァの声が響いた。

 呼びかけられたルークは、その声で我に返ったかのように怒りを霧散させる。


 落ち着きを取り戻した赤髪の少年を見て、イリナも深呼吸した。

 まだ、試験は続いている――。

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