第32話
旧校舎の二階には職員室があった。
普段は使われていないが、特級クラスの試験を行う時のみ、この職員室は試験官たちの溜まり場と化す。
「お、最後の魔物が倒されましたよ」
男性の教師が、机の上に置いてある魔法石を見て言った。
「今年は思ったより時間がかかったな」
「最初の魔物が倒されるまで時間が空いてましたし、顔合わせの段階で少し揉めたのかもしれませんね」
「特定の魔物に手こずった形跡はない、余力を残しているんだろうな」
学園の地下迷宮に棲息する魔物には、全て特殊な魔法を仕掛けていた。その魔物が倒されたら、術者へ報せが届くといった単純なシステムである。
今、最深部の一歩手前に配置した魔物が倒されたという反応があった。
受験生たちが、宝玉の部屋へ向かおうとしているところだ。
「あのー、皆さん? そろそろご自分のお仕事に戻られては……」
イリナが遠慮気味にそう言うと、集まっている試験官たちは頑なに抵抗した。
「何を言うんですか、イリナ先生!」
「そうですよ! 自分が特級クラスの担任だからと言って!」
「彼らは近い将来、この国を導く逸材!! 私たち教師陣も一丸となって見極めなければなりませんよ!!」
もはや伝統となっているこの状況に、イリナは溜息を吐いた。
特級クラスの試験官はイリナのみ。ここに集まる教師たちは他のクラスの試験官であり、ただの野次馬だった。
彼らは単純に、優れた子供に目がないだけである。
勿論、彼らも教師なので、才能の有無なんて関係なく生徒たちに平等な態度を取ることは可能だ。
しかし特級クラスの候補生ともなれば話が別である。
彼らは異次元の能力を持っている。
教師も、若い子供と関わる立場である以上、やはり将来有望な子供には興味を引かれてしまうのだ。
そのため特級クラスの試験は、教師たちにとってもビッグイベントだった。
「イリナ先生、そろそろ出番ですな」
「ええ」
イリナは倉庫の中に入れておいた甲冑を身に付けた。
特殊な素材で作られた、極めて頑丈な鎧だ。着ているだけで動けなくなるほどの重量なので、身体強化の魔法を軽く発動する。
「毎年思いますが、ごついですね」
「でも、ボスって感じがしませんか?」
イリナは職員室の隅にある隠し扉を開いた。
扉の奥に見える通路は、地下迷宮の最深部へと続いている。
小さく深呼吸して、イリナは通路へ入った。
「鎧武者、行っきまーーすっ!!」
「行ってらっしゃーい!!」
「お気をつけてー!!」
「なんだかんだイリナ先生もノリがいいですよねぇ」
イリナだって教師だ。
これから自分たちが指導していくかもしれない子供たちの才能を目の当たりにして、胸が躍らないわけがない。
通路を行き止まりまで進んだイリナは、迷宮の最深部に繋がる隠し扉を開く。
紫髪の少女レティが、宝玉を嵌め込んだ台座に近づいていた。
(宝玉は、まだ取らせないわよ)
最終試験は、ここからが本番。
魔物のフリをした担任教師との実戦だ。
「なんだ、こいつは……魔物か?」
困惑する受験生に向かって、イリナは一歩で距離を詰める。
ライオットがすぐに《アース・ウォール》で土の壁を二枚作った。
(反応はいい。でも魔力が足りない)
この少年は、パワータイプではないのだろう。
イリナは土の壁を容易く両断する。
驚愕するライオットへ、追撃を試みるが――。
「《アース・ニードル》ッ!!」
今度は土の棘が四方から放たれた。
金髪の少女リズの魔法だ。
(狙いはいい。でも速さが足りない)
イリナは宙高く跳び上がる。
身体を反転して天井に足をつけたイリナは、天井を蹴ることで急激な方向転換をした。
リズの背後へ回り込んだイリナは、その華奢な身体へ剣を振るおうとする。
「《タービュレンス》ッ!!」
刃の乱気流が、襲い掛かった。
マステリア公爵家の次女エヴァが発動した魔法だ。姉には劣るが、間違いなく優秀。そう聞いていたが、まさか上級魔法まで使えるとは。
しかし、地力が違う。
イリナは魔力で全身を覆い、乱気流をガードした。
「き、効いてない……ッ!?」
(反応も、狙いも、威力も足りてるけど……それだけじゃ駄目よ)
エヴァの弱点はプライドの高さだ。
リズの魔法を利用して一撃入れるまではよかったが、その先の展開までは予想していない。一人でケリをつけられるという前提で戦略を組み立ててしまっている。
仲間へバトンを託す力が致命的に欠けている。
これでは、倒されてやることもできない。
「――《アイアン・アイギス》!!」
エヴァに接近すると、巨大な鉄の盾に阻まれた。
最初の土壁と同じように両断しようとする。しかしその盾は、イリナの剣を弾いてみせた。
(お、これは硬いわね……)
自警団のエースであるレティ=ハローズ。
彼女は怒りっぽくて攻撃的な性格をしているが、その性格とは裏腹に防御魔法のスペシャリストだ。自警団をまとめ上げ、あの悪名高い都市ヨルハを浄化してみせた力は伊達ではない。
刹那、筋骨隆々の男が肉薄してきた。
「《アクア・ハンマー》」
水の槌が、イリナの身体を吹っ飛ばした。
壁に叩き付けられたイリナは、床に倒れ伏す。
傍から見れば渾身の一撃が炸裂したようなものだろう。
しかし実際のところ、イリナにはまだまだ余裕があった。
(威力は高いけど、魔力の流れが素直だから先読みしやすい……)
どんな攻撃が来るか先読みできれば、対策も容易だ。
イリナは水の槌に吹っ飛ばされる直前、目には見えない風のクッションを正面に展開することで衝撃を吸収していた。
(……もうちょっと本気を出してもいいわね)
受験生たちに正体がバレないよう、《ウィンド・ムーブ》を発動した。
魔法を使う魔物もいるが、それが人型であればどうしても「もしかして人なのでは?」という疑問を抱かれてしまうだろう。カモフラージュのために、イリナは魔法の発動と同時に大量の魔力を垂れ流した。魔力の奔流によって魔法の兆候を隠す。
「トーマ! 危ねぇッ!!」
ぼーっとした様子でこちらを眺めていたトーマに、イリナは接近した。
しかし、その少年は――。
「よいしょ」
あっさり剣を受け流す。
そのまま、隙を見せたイリナへ――。
「ふっ!!」
トーマが剣を振り下ろす。
しかしイリナが魔力を練り上げた直後、バキン! と嫌な音が響いた。
「あ、やば。折れちゃった」
(今のはちょっとだけ焦ったなぁ……)
暢気に距離を取るトーマを見て、イリナは甲冑の中で冷や汗を垂らす。
純粋な剣術だけなら明らかに自分よりも格上。一瞬しか視認できなかったが、トーマの剣術はとても美しく、そして自然だった。
防御魔法の展開が間に合ったので、どのみちあの一撃でやられることはなかったが、もしトーマの剣が業物だったら甲冑が斬られていたかもしれない。その場合は鎧武者の正体が明らかになり、戦闘は中止になっていただろう。
「でも妙なんだよね。……あれ、多分、人間の剣術なんだけど」
(やば、バレちゃいそう)
流石は騎士団長の息子。剣筋だけでこちらの正体に勘づいたようだ。
誤魔化すために、剣に魔力を込めて斬撃を飛ばす。これは人間の剣術らしくはないだろう。
だが、その斬撃を――赤髪の少年が弾いた。
「大丈夫か、二人とも?」
その少年は、不敵な笑みを浮かべてイリナと対峙した。
――――来た。
ルーク=ヴェンテーマ。
規格外の化け物。
この少年だけは、他の受験生と同じような気分で相手をしてはならない。
剣を握る腕がブルルと震える。
イリナは思わず笑ってしまった。
(まさか、子供を相手に武者震いする日がくるなんてね……)
心は気丈に振る舞おうとしても、頭の中では警鐘が鳴りっぱなしだった。
直上からの振り下ろし、横薙ぎの一閃、切り上げ、袈裟斬り――初手の攻撃を可能な限り予測する。この少年は頭も使わなければ勝てない相手だ。
「撤退だッ!!」
警戒するイリナの前で、ルークは叫んだ。
「全員、一度退くぞ! 俺が時間を稼ぐ!!」
いい判断だ。
体力、魔力の残量だけを考えるなら、まだ戦うことは可能だろう。しかし想定外の強敵を目の当たりにして、受験生たちは混乱していた。今のメンタルで戦闘続行は好ましくない。
「《ブレイズ・エッジ》ッ!!」
いつの間にか、目と鼻の先に炎の斬撃が迫っている。
(称賛している場合じゃないか――っ!!)
速さも威力も申し分なし。そして何より、思い切りがいい。
イリナは発動中の《ウィンド・ムーブ》の出力を上げた。この少年を相手に下手な手加減はしない方がいい。
「《ブレイズ・アルマ》ッ!!」
ルークも更に加速する。
戦闘は超高速の世界に突入し、選ばれし者のみが干渉を許される領域に突入した。
現状、この動きについてこられる受験生はいないようだ。
(予想通り、この子は強い。けど、ちょっと危ないわね……)
凄まじい剣の弾き合い。
その最中、イリナはルークの顔を見る。
(俺が全員守ってみせる……目がそう言ってるわ)
この少年は、抱え込みすぎるタイプかもしれない。
どこか危うい強さ――そんな印象を抱いた。
「おおおぉぉぉおぉおおぉ――ッ!!」
(く……ッ!! この子の分析は、戦いながらは無理か……ッ!!)
他の受験生とは格が違う。
というか、この勢い――っ。
(もしかして、
撤退って言ってたのに……!!
倒せるならそれに越したことはないので、判断としては間違ってはないだろう。
しかし、ちょっと待ってほしい。
試験官としては、まだまだ他の受験生の力量も見極めたいところだ。今ここでルークに倒されたら試験が終わってしまう。
イリナの全身から冷や汗が垂れた。
やばい、ここで負けたら試験が終わっちゃう――。
(……ん?)
その時、ルークが妙な行動を起こした。
無意味に後方へ一歩下がり、先に逃げていった仲間たちを一瞥する。
(あっ)
この子、私が相手だって気づいているな。
今のは明らかに、人間に対するジェスチャーだった。
イリナはその意思を汲み取り、分かりやすく突きを繰り出す。
常人であれば避けることも敵わぬ一撃だが、ルークにとっては粗末で隙だらけな攻撃。しかしルークはそれを敢えて受け止め、衝撃を利用して大きく後退した。
ルークが他の受験生たちと合流し、そのまま逃走する。
去って行く子供たちを眺め、イリナは吐息を零した。
「……ふぅ」
強かった、想像以上に。
しかしあの様子だとすぐに再戦することはないだろう。
イリナは隠し扉を開き、職員室へ戻る。
「お疲れ様です、どうでした?」
「……一人、とんでもない奴がいるわ」
「へぇ。イリナ先生にそこまで言わせる子供がいたんですか」
特級クラスの担任は、誰にでも務まるものではない。
イリナもまた類い稀な実力者だ。他の教師たちもそれは知っているので、イリナの一言に内心驚く。
「多分、精霊と契約しているわね」
「精霊って……そんな、彼らはまだ子供ですよ? 精霊を宿せる器では……」
「普通の魔法にしては、魔力の純度が高すぎるわ。恐らく高位の精霊と契約しているわね」
ルークが使用した技を思い出す。
刀身に炎を纏わせて斬る技と、全身に炎を纏って身体能力を強化する技。いずれも火属性の魔法が使えれば似たようなことは可能だが、やはり出力の桁が違いすぎる。
「……場合によっては、要注意人物かもしれないわ」
過ぎたるは及ばざるがごとし。
特級クラスは基本的に強い子供を歓迎するが、高位の精霊と契約を交わし、そしてその力を使いこなしているレベルとなれば……少々、躊躇われる。
良くも悪くも影響が大きすぎるのだ。
もし彼が特級クラスに入れば、恐らく彼を中心にクラスは回るだろう。
それがいい影響であれば問題ないが、悪い影響だとしたら、優秀な子供たちの未来を摘んでしまうことになる。
「使うのですか? イリナ先生」
イリナの心境を見透かした教師が、神妙な面持ちで尋ねた。
「ええ。生徒たちの安全のためにも……一度だけ、使います」
あまり好ましい方法ではないが、これも生徒たちのためだ。
イリナは静かに息を吐き出し、自身の相棒へ呼びかける。
「お願いね、ルーファ」
『ワカッタ』
イリナの隣に、黒い靄のようなものが現れた。
靄は、その濃淡の変化で感情の起伏を示しながら、声を発する。
『ココロヲ、ヨメバ、イインダヨネ?』
「ええ。――ルーク=ヴェンテーマの正体を暴いてちょうだい」
闇の精霊ルーファ。
イリナが契約したその精霊は、人の深層心理を読む力を持っていた。
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