第61話 伝説の勇者とその街の出来事

 ヘイデン様の文句にも淡々と余裕の笑みで応戦し、アイリーン様は以前も羽織っていた薄い緑色のショールを巻き直す。


「寒いわね。ほんの少し術を使うわね」


 と頬と鼻の頭をほんのり赤らめて、光る左手をわたしたちにかざした。


 アイリーン様のおかげで、身も心も暖かくなり、ゆったりと座り直す。


 誰もがソワソワしているように見えた。


 わたしも今にも胃が口から出てきそうなほどドキドキしてしまっていた。


 ロジオンはエヴェレナ様の直ぐ側で観るのだと喜んでいたし、本当にもう、この行き場のない思いをどこへぶつけたらいいのやら。


「はははっ、でも本当にすごい女史だね。こんな風に誰もが待ち望む星夜祭という一大イベントのラストを締めくくるセレモニーまで乗っ取ってしまうんだからね」


「そ、そうですね……」


 楽しそうに笑うヘイデン様に対して、わたしは気が気じゃなくて棒読みである。


「しかしながら、これを映像化したいと踏み切ったレディ・ダンデライオンとかいう絵師にも相当の執念を感じるよ」


 そこだけ苦笑して肩をすくめていたから、もしかしたらヘイデン様もその絵師の正体を知っているのかもしれない。


 それもそうだろう。


 御本人から御本人の入手困難と言われる作品を幾度となく贈られているのだから。


「でも、父が決めたのは驚いたね。さすがにどんな頼みごとであっても、星夜祭だけは他人に関与されることはないと思っていたんだけど。よほど気に入った作品だったのかもしれないね」


 聞けば聞くほどぶっ倒れそうになり、自らの理性を保って必死に踏ん張る。


(それにしても……そう言ってしまっては、バレバレですよ、ヘイデン様)


「わたしは、初めてなのですよね」


 アイリーン様がにっこりする。


「噂には聞いていたのだけど、なかなかご令嬢たちの輪に入っていく勇気がなくって。だから今日は楽しみにしていたのよ」


 と女神のような笑顔をわたしに向け、これはもうだめだと悟らされた。


 上映が始まったとき、誰もが静まり返っていた。


 わたしも内容をあいまいとはいえほとんど知っているというのに、ドキドキしてその様子を見守ることになる。


 ヴァイオリンの美しい音色とともに物語は始まる。


 不思議なことに、上映中は誰もがそれに見入り、言葉を発しなかった。


 わたしもそのひとりで、自分で書いたはずなのに自分の作品だと思えず、一気にその世界観に入り込み、口を開けて次の展開がどうなるのかとハラハラしてその様子を見守ることとなった。


 なにより、レディ・ダンデライオンの動くイラストがあまりにも繊細で美しすぎるし(背景もあの方が書かれたのかしら?)、演出のメロディーやそれぞれのキャラクターにあてられた声までもが完璧で、前のめりになってその物語に集中していた。


 王宮に住むほとんどの人間がトラウマを抱えたであろう魔物の存在は工夫されていて、作中の街、ポリンピアを魔物たちが襲ったシーンは、びっくりするくらい雑魚キャラというか、不細工で弱そうな魔物たちが登場して、あっという間にそこに現れた勇者や巫女にやられてしまっていた。


 たしかに、レディ・ダンデライオンのクオリティで見たらトラウマ再来の恐れしかなかったでしょうけど、この魔物たちなら怖くない。


 そう思わせてくれるほどだ。


(ああ、あれが……)


 自分もさり気なく頼んで回り、一つだけ描かせてもらったシーンがあるのだと、ロジオンが喜んでいたけど、きっとあの魔物たちはロジオンが描いたに違いない。


 突然のクオリティの低下に、手を叩いたり、声を上げて笑い、参戦するように身振り手振りをつけた状態で声を上げたものもいた。


(それにしても……)


 やはりわたしの想像だったのだろう。


 勇者と巫女は、わたしの夢に出てきたあのふたりの姿と重なって見えた。


 ミコトはずいぶん美しさに磨きがかかっていたけど、光沢が目印の美しい黒髪を背に垂らして小動物のように愛らしいくりっとした大きな瞳はそのままで……うん、勇者の方はそのものだったような。まばゆい輝きを放つ金色の髪に淡い初夏を連想させる緑の瞳。人間離れをした彼の美しさは美麗さが印象的なこの作品のクオリティによく合っている。


 レディ・ダンデライオンの画力の高さに改めて感服してしまう。


 本当に魅力的なキャラクターデザインだ。


 作品は、本当に素晴らしい盛り上がりを見せていた。


 ポリンピアの街が救われたあと、勇者は巫女とともに世界を回る。


 物語はここからで、誰もが息を呑んでいた、そんなときだった。


「下がれ、アイリーン」


 ヘイデン様が、静かにそう言った。


 完全に集中していたから、下手したら聞き漏らしてしまいそうなほど小さな声だった。


「問題ございません」


 対するアイリーン様も平然としたお声で応じる。


 グレイス様はまったく興味のない様子でただただ宙に浮いた画面に目を向けていて、わたしだけがあたあたして、そして疑問でいっぱいになった。


「下がれ。命令だ」


 続いたヘイデン様の言葉はいつもの穏やかな口調とは程遠いもので、さすがに逆らえないと思ったのか、ぐっと口元を結んだアイリーン様が一礼をして、しゅっとその場から姿を消したところだった。


 映像どころではなくなり、わたしはおろおろしてしまう。


(な、なに? どうして……)


 どうしてヘイデン様は……


「ノエル」


「はっ、はい!」


 考えるよりも先に、ヘイデン様から声をかけられ、飛び上がる。


「申し訳ないけど、アイリーンについていてもらえるかな」


「えっ?」


 その声はとても穏やかで、先程語気を荒らげた様子がまるで嘘のようだった。


「でも、わたし……」


 姿を消してしまったアイリーン様の行方を追うことほど困難なことはない。


「君なら、行けるはずだ」


 許可を出す。


 と、ヘイデン様は続け、


「レディ・カモミールがどうしてこのことをここまで詳しく表現できたのかはわからないけどね」


 悔しそうに瞳を伏せる。


「ポリンピアは、アイリーンの故郷だ」


 そして、そう告げた。

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